第四十一話:甘美なる来訪者
帝都が、春の陽気とはまた違う、華やかな熱気に包まれていた。
大陸南方に位置する海洋大国「ソラリス王国」からの友好使節団が、本日帝都に到着するのである。中でも人々の噂の中心は、若き王子ジュリアン。類まれなる美貌と、大陸一と謳われるほどの明晰な頭脳を併せ持つ、まさに完璧な王子。その噂は、帝都のサロンから後宮の侍女たちの間にまで、甘い蜜のように広がっていた。
その日の夕刻、皇帝アレクシスが主催する歓迎の夜会が、王宮の大広間で開かれた。
「ソラリス王国、第一王子ジュリアン殿下、ご入場!」
扉が開き、現れた青年の姿に、広間にいた貴婦人たちから、ため息とも感嘆ともつかぬ声が漏れた。
陽光をその身に浴びて育ったことを思わせる、健康的な肌の色。海の青を溶かし込んだかのような、深く、そして理知的な瞳。そして、全ての人を虜にする、人懐こくも気品に満ちた笑顔。武骨で峻厳な美しさを持つアレクシスとは対極にある、洗練された甘美な魅力が、彼にはあった。
「お招きいただき、光栄の至りにございます、皇帝陛下」
ジュリアンは、完璧な所作でアレクシスの前に跪く。その流れるような優雅さは、彼が優れた為政者であると同時に、高度な教育を受けてきたことを物語っていた。
宴が始まると、ジュリアンはそのカリスマ性を存分に発揮した。老練な大臣とは帝国の法について語り、貴婦人たちとは芸術を論じ、若い騎士たちとは剣技について笑い合う。彼は、相手が最も心地よいと感じる話題を瞬時に見抜き、その輪の中心で輝く術を知っていた。
私は、事実上の宰相として、そして皇帝の唯一のパートナーとして、少し離れた場所からその光景を冷静に観察していた。
(見事なものね。噂以上の切れ者だわ……)
やがて、アレクシスが私を伴い、ジュリアンの元へと歩み寄った。
「紹介しよう、ジュリアン王子。彼女が、我が帝国の至宝、リディア・バーデンだ」
その紹介の言葉に、私は少し気恥ずかしさを覚えた。しかし、ジュリアンの反応は、私の予想を遥かに超えるものだった。
彼は、私の美しさや身分を褒める代わりに、その青い瞳を驚きと純粋な称賛の色に輝かせ、一歩私に近づいた。
「……ああ、あなたが。北の地を蘇らせ、後宮に革命をもたらしたという『賢者妃』殿か。お噂は、遠くソラリスの我が宮殿にまで届いております。ぜひ一度、お目にかかりたいと願っておりました」
彼の言葉には、社交辞令ではない、真実の響きがあった。彼は、私という人間そのものに、強い興味を抱いている。それが、ひしひしと伝わってきた。
「恐れ入ります、王子殿下」
「いえ、あなたの成し遂げた事業について、ぜひ詳しくお話を伺いたい。特に、痩せた土地での小麦栽培を成功させたという、その土壌改良の技術について、わたくしは深く興味を持っておりまして……」
彼は、私が最も情熱を注いできた分野を、的確に突いてきた。
しばらくして、気づけば、私たちは二人きりで、テラスの片隅に移動していた。夜風が心地よいその場所で、私たちの会話は、他の誰も入り込めないほど専門的で、そして熱を帯びていった。
「ロスマリン小麦の耐寒性は素晴らしいものですが、塩害には弱いという弱点があります。ソラリスでは、海岸沿いの土地でも育つ、塩に強い品種改良を進めておりまして……」
「まあ、それは興味深い! その品種の根の構造は、どのような特徴が……?」
久しぶりに感じる、知的な興奮。アレクシスやフィンとは違う、全く新しい視点からの知識。私は、妃であることも忘れ、一人の研究者として、彼との会話に夢中になっていた。
その光景を、アレクシスは、広間の喧騒の中心にいながら、ただ一人、静かに見つめていた。
楽しげに、生き生きと語り合う私の横顔。それは、彼が誰よりも愛し、そして自分だけが引き出せると思っていた表情だった。
だが今、その表情は、別の男に向けられている。
彼の胸の奥深く、これまで感じたことのない、冷たくて、重い感情が、ゆっくりと広がっていくのを、アレクシスはただ黙って感じているしかなかった。
それは、帝国の支配者となって以来、彼が初めて味わう、焦燥という名の感情だった。




