第三十七話:決戦前夜
北の村の未来をフィンと長老に託し、私はアンナやサラ、そして皇帝が派遣してくれた衛兵隊の精鋭と共に、再び帝都へと帰還した。
活気に満ちた帝都の空気は変わらない。しかし、その裏側で、オルデン公爵失脚後の貴族社会が静かに揺れ動いているのを、私は肌で感じていた。民衆の間では、私の噂はもはや伝説と化し、「北の地を蘇らせた賢者妃」などと、少々気恥ずかしい呼び名で語られていた。
後宮では、女官長が鉄壁の守りで私を迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、リディア様。……いつでも出陣できるよう、準備は整っております」
その瞳には、もはや私への疑念はなく、共に戦う同志としての強い光が宿っていた。
その夜、皇帝アレクシスの執務室で、極秘の作戦会議が開かれた。
皇帝の口から語られた敵の正体と計画は、私たちの想像を遥かに超える、邪悪なものだった。
オルデン公爵の残党を率いているのは、彼の長男、バルド・オルデン。父以上に冷酷で知略に長けた男だ。彼は、父が不正に蓄えた莫大な隠し財産を使い、帝国の転覆を狙っているという。
「奴の狙いは、数日後に迫った『建国記念祭典』だ。その日に、帝都で穀物の買い占めによる食糧パニックと、各所での放火による混乱を引き起こす。そして、その混沌に乗じて私を暗殺し、自らが傀儡の皇帝を立て、帝国を乗っ取る計画だ」
「隠し財産と、奴らの拠点は……」
「帝都の地下に網の目のように広がる、古い下水道網の奥深く。だが、正確な場所まではまだ……」
皇帝は「軍の精鋭を動かし、祭典の前に奴らの拠点を叩く」と苦渋の表情で言う。だが、それでは帝都を戦場にし、多くの民を巻き込むことになる。
「陛下、お待ちください」
私は、静かに首を横に振った。
「彼らの土俵で戦ってはなりません。私たちのやり方で、彼らの計画を根底から覆すのです」
私は、一夜にして練り上げた逆転の策を告げた。
作戦名は、『豊穣の逆襲』。
「敵が食糧パニックを狙うなら、私たちはそれを上回る量の食料を、民に無償で供給します。北の村で収穫したロスマリン小麦で作ったパン、組合が備蓄してきた保存食。それらを祭典の日、『皇帝陛下からの祝賀の品』として、帝都の民すべてに振る舞うのです」
食料が潤沢にあるとわかれば、パニックは起きない。それどころか、民の皇帝への支持は、かつてないほど強固なものになるだろう。
「次に、敵の拠点。我々の地下水路の知識と、賢者の書庫にあった帝都の古地図。この二つを組み合わせれば、必ず正確な場所を特定できます。軍を動かすのは、その後。最小限の部隊で、一気に首謀者を捕らえるのです」
私の作戦に、皇帝は目を見開いた。それは、血を流さずして敵の計画の根幹を断つ、あまりにも鮮やかな逆転の一手だった。
作戦は、直ちに開始された。
皇帝は軍の精鋭部隊を招集し、突入のタイミングを待つ。
女官長とアンナ、サラは、後宮の組合ネットワークを総動員し、祭典で振る舞うためのパンとスープの、大規模な調理準備に取り掛かった。
そして、私は、古地図の解読に没頭した。
帝都の古地図と、北の村から持ち帰った水脈図を重ね合わせ、何百もの可能性を一つひとつ潰していく。
そして、建国記念祭典の前日。
ついに、私は一つの地点を特定した。忘れ去られた古い運河と、下水道網が唯一交差する場所。その地下深くに、巨大な空洞が存在するはずだ。
「……見つけたわ。ここよ」
窓の外では、明日の祭典を前に、帝都がお祭りムードに浮かれている。人々は、自分たちの足元で、帝国の運命を揺るがす最後の戦いが始まろうとしていることなど、知る由もない。
私は、帝都の夜景を見つめ、静かに呟いた。
「お父様、見ていてください。今度わたくしが耕すのは、この帝都の、最も暗く、深い場所です」
決戦の朝は、もう目前に迫っていた。




