第三十六話:礎を築く
ゲルハルトが村を去った後、私たちの再生計画は、雨上がりの大地が水を吸い込むように、驚異的な速さで進み始めた。
まず、皇帝アレクシスから、私の報告に対する返信と、屈強な衛兵隊の一隊が村へ派遣されてきた。手紙には「見事な手腕だ。だが、蛇は頭を潰しても、その身はしばらくもだえ続ける。油断はするな」と、称賛と警告が記されていた。彼らの駐留により、村の安全は確固たるものとなった。
そして、季節が一つ巡る頃には、村の風景は劇的に変わっていた。
「水が……澄んでいる……!」
フィンの指揮のもと、村人たちの手で完成した浄化装置の第一号機が稼働を開始した日、村中が川岸に集まった。どす黒く濁っていた川の水が、装置に組み込まれた幾重もの濾過槽を通り、出口から透明な輝きを取り戻して流れ出す。その光景に、長老は膝をつき、嗚咽を漏らした。
「川が……川が、長年の呪いから、ようやく解放された……」
それは、この土地の再生を象徴する、奇跡のような光景だった。
農業においても、成果は明らかだった。
私が賢者の書庫の知識から選び出したロスマリン小麦は、痩せた土壌に力強く根を張り、秋には豊かな黄金色の穂をつけた。村で初めてとなる、自分たちの手による小麦の収穫。その喜びは、何物にも代えがたいものだった。
物質的な豊かさが戻り始めた村で、私は次なる一手として「学校」の設立を提案した。
「誰かに与えられるのを待つのではなく、自分たちで考え、新しいものを生み出す力を身につけること。それこそが、本当の意味で村を豊かにするのです」
村の集会所が、私たちの学び舎となった。昼間は子供たちが、夜は大人たちが集い、私が文字の読み書きと計算を、フィンが測量や簡単な工学を、そして長老が村の歴史と薬草の知識を教えた。未来への投資。それこそが、二度と誰にも搾取されない、強い村を作るための礎だった。
しかし、平和な日常の中にも、私たちは警戒を怠らなかった。
フィンは、派遣されてきた衛兵隊と協力し、村の周囲に見張り台を設置し、緊急時の連絡網を整備した。さらに、彼は氷室の技術を応用し、冬の間に村の周囲の堀に水を撒いて凍らせることで、天然の防壁を作り出すという、独自の防衛策まで考案していた。
私たちは、静かに、しかし着実に、次なる脅威に備えていたのだ。
そして、黄金色の小麦の収穫を祝う、ささやかな収穫祭が開かれた夜のことだった。
村人たちの笑顔と感謝の言葉に包まれ、焚火の周りで穏やかな時間が流れていたその時、一騎の馬が、帝都からの道を駆けてきた。皇帝直々の使者だった。
使者が私に恭しく手渡した手紙には、アレクシスの力強い筆跡で、祝辞と共にこう記されていた。
『北の地の再生、見事だ。そなたたちの尽力に、心から感謝する。だが、帝国の病巣は、まだ帝都の影に深く根を張っている。調査の末、オルデン公爵が隠していた不正な財産と、残党どもが潜む拠点の在り処が、ようやく掴めた』
手紙の最後の一文に、私は息を呑んだ。
『――リディア、再びお前の知恵が必要だ。共に、この最後の戦いを終わらせよう』
北の村の再生という、大きな目標は一つの達成を見た。しかし、それは序章に過ぎなかった。
本当の敵は、帝都にいる。
私は、収穫祭で賑わう村の灯りを背に、仲間たちと共に、次の戦場である帝都の闇を、静かに見据えた。




