第三十五話:化けの皮
「彼の狙いが、私たちの計画そのものの妨害にあるのなら……とびきり重要な『標的』を用意して差し上げましょう」
その夜、私はフィン、長老、そして組合の初期メンバーであるアンナとサラだけを集め、密かに「おとり作戦」を打ち明けた。
作戦は単純明快。
「浄化装置の心臓部となる『濾過槽』の最終設計図が完成した。これは絶対に外部に漏れてはならない最重要機密だ」という偽の情報を、わざとあの商人ゲルハルトの耳に入るように流すのだ。
翌日、私たちのささやかな芝居の幕が上がった。
村の集会所に集まった私たちは、わざとらしく声を潜めながらも、時折「古代合金の配合率が……」「水門の制御機構は……」といった、いかにも重要そうな単語が外に漏れるように議論を交わした。
集会所の窓の外、木陰で立ち話をしていたゲルハルトが、聞き耳を立てているのを、私たちは気づかないふりで確認していた。魚は、見事に餌に食いついたのだ。
その夜、私たちは集会所のテーブルの上に、羊皮紙の巻物をわざとらしく置き忘れ、全員が宿舎へと引き上げたように見せかけた。もちろん、その設計図は偽物。中身は、アンナが描いた花の絵だ。
そして、私とフィン、村の若者数名は、息を殺して集会所の近くの物陰に潜み、静かにその時を待った。
月が雲に隠れ、村が深い闇に包まれた頃、一人の影が集会所に忍び込んだ。ゲルハルトだ。
彼は手慣れた様子で錠前を外し、部屋に侵入すると、一直線にテーブルへと向かった。そして、置き忘れた設計図を手にするなり、闇の中でほくそ笑むのがわかった。
彼が勝利を確信し、踵を返した、その瞬間だった。
「月夜の散歩ですか、商人殿? その手にお持ちのものは、何かしら」
集会所の扉の前に、私が静かに立ちはだかる。彼の背後からは、フィンと村の若者たちが、退路を塞ぐように姿を現した。
「なっ……!」
ゲルハルトは驚愕に目を見開いたが、すぐにいつものにこやかな笑顔を取り繕った。
「これはリディア様。いやはや、驚きました。わたくしは、昼間置き忘れた品を探しに来ただけでして……これは、その……」
「その手にあるのは、私たちの『最重要機密』ではありませんか?」
私が冷静に問い詰めると、ゲルハルトは「拾っただけだ!」としらを切る。
そのタイミングで、松明を手にした村人たちが、物音を聞きつけたという体で、ぞろぞろと集会所の周りに集まってきた。これも、計画のうちだ。
大勢の村人たちの前で、私はゲルハルトを追い詰めていく。
「あなたは商人などではない。あなたの目的は、甘言を弄して私たちの信頼関係を破壊し、この村の再生計画を妨害すること。違いますか、オルデン公爵の忠実なる下僕、ゲルハルト殿」
私が彼の名を呼んだ瞬間、男の顔から笑顔が完全に消え失せ、憎悪に満ちた素顔が露わになった。
彼は、手にした羊皮紙を広げ、それがただの落書きであることに気づくと、全てを悟ってわなわなと震え始めた。
「……よくも、よくもこの私を、謀ったな!」
「謀ったのは、あなたの方でしょう?」
「黙れ、小娘が! お前のせいで! お前さえいなければ、オルデン公爵様は……! この村も、お前も、公爵様の偉大なる栄光の礎となるべきだったのだ!」
逆上した彼が吐き出した醜い本音。それは、彼がこれまで村人たちに囁いてきた毒そのものだった。
その言葉を聞いた村人たちは、自分たちがいかに愚かにも彼の言葉に操られ、仲間を疑い始めていたかに気づき、怒りと羞恥に顔を赤らめた。
もはや、誰もゲルハルトを信じる者はいなかった。
長老が、村人たちを代表して、静かに、しかし厳しく言い渡した。
「我らの村から、直ちに出ていけ。二度と、この土地の土を踏むな。……これは、我ら村の総意だ」
村人たちの冷たい視線に射抜かれ、ゲルハルトは呪いの言葉を吐きながら、闇の中へと逃げ去っていった。
嵐が過ぎ去った後、村人たちは私の前に集まり、深々と頭を下げた。
「リディア様、我々の浅はかさをお許しください……」
「もう、決して惑わされたりはしませぬ!」
私は、そんな彼らに優しく微笑みかけた。
「顔を上げてください。導くのではありません。私たちは、これからも共に歩むのです」
この一夜の出来事を通じて、村の団結は、以前よりも遥かに強く、そして揺るぎないものとなった。
しかし、私は知っていた。ゲルハルトは、オルデン公爵の残党が放った、最初の斥候に過ぎないことを。
帝都では、まだ見えぬ巨大な敵が、息を潜めて次の機会を窺っているやもしれない。
本当の戦いは、まだこれからだ。私は決意を新たに、北の夜空を見上げた。




