第十八話:忘れられた遺産
目の前に立ちはだかる、巨大な鉄の扉。それは、後宮の歴史の闇へと続く、堅く閉ざされた門のようだった。
鍵穴はとうの昔に錆びつき、どんな鍵も受け付けない。
「仕方ないわね」
私はあっさりとそう言うと、衛兵用の厨房長に協力を要請した。彼の部下には、元石工や鍛冶職人だったという腕自慢の者たちが大勢いたのだ。
数日がかりの、文字通りのこじ開け作業の末、鉄の扉は轟音と共に、半世紀以上の沈黙を破ってゆっくりと開かれた。
扉の向こうに広がっていたのは、私たちの想像を遥かに超える光景だった。
最初に現れたのは、巨大な石造りの窯がいくつも並ぶ「燻煙室」。壁一面に備え付けられた鉄の鉤は、かつてここで大量の肉や魚が加工されていたことを物語っていた。部屋の隅々にまで、香木と燻された肉の香りが、記憶のように染み付いている。
そして、その奥にあった螺旋階段を降りていくと、空気ががらりと変わった。夏だというのに、肌を刺すような冷気。分厚い石壁に囲まれた巨大な空間――それが、伝説の「氷室」だった。
「すごい……。夏なのに、こんなに涼しいなんて……」
「これがずっと昔に作られたなんて、信じられませんわ……」
アンナとサラが、その古代の叡智に圧倒されて声を失う。
しかし、女官長は厳しい顔で首を横に振った。
「感心している場合ではない。問題は、これをどうやって復活させるかだ」
彼女が言うには、復活を阻む壁は二つ。
一つは、資源の問題。燻煙室で使われていた特殊な香木は、今ではほとんど産出されず、非常に高価なものになっていること。
そしてもう一つは、技術の問題。氷室は、冬の間に北の山から切り出した巨大な氷塊を運び込み、夏まで溶けないように特殊な米藁で覆い、貯蔵する必要がある。しかし、その運搬と貯蔵の技術を知る者は、もう後宮には誰一人として残っていなかった。
「つまり、宝の持ち腐れ、というわけですな……」
手伝いに来ていた衛兵用の厨房長が、残念そうに呟く。
希望が見えたと思った矢先に立ちはだかった、絶望的な壁。仲間たちの間に、諦めの空気が流れ始めた。
しかし、私の瞳は、まだ少しも輝きを失っていなかった。
「いいえ。諦めるのはまだ早いわ」
私は仲間たちに宣言した。
「どんな技術も、必ずどこかに記録が残っているはずよ。私は大図書館で、この施設の設計図や運用記録を探し出すわ。アンナとサラは、組合の皆と協力して、後宮内で昔の技術に詳しい古老がいないか聞き込みをお願い。そして女官長には、衛兵長と協力して、腕の立つ職人たちを集めてほしい。まずは、この施設が修復可能かどうか、調査するところからよ」
私の的確な指示に、仲間たちの瞳に再び光が宿る。
そして、私は皇帝陛下に謁見し、この施設の価値と復活の困難さを報告した上で、一つの願い出をした。
「陛下にしかお頼みできないことがございます。この氷室の運用法を知る、古い一族や家柄に、心当たりはございませんか?」
私たちの、不可能への挑戦が始まった。
それから数日後。
大図書館の最も古い書庫の奥で、埃まみれになって古文書を調べていた私は、ついに一枚の羊皮紙を見つけ出した。
それは、氷室の設計図だった。しかし、そこに描かれていたのは、単なる貯蔵庫ではなかった。氷室で作られた冷気を、地下に張り巡らされた水路と通気口を使って、後宮の主要な建物へ送り込む――それは、後宮全体を快適に保つための、壮大な「自然の冷房システム」の設計図だったのだ。
「まさか、こんなものが……」
私がその失われた技術に戦慄している、まさにその時だった。
皇帝陛下からの使者が、私の執務室に駆け込んできた。
「リディア様! 陛下より伝言にございます!」
使者は、興奮した面持ちで告げた。
「お探しの一族に、心当たりが見つかった、と! かつて『氷を司る』と言われ、今は没落して北の山脈に隠れ住む、忘れられた貴族……」
――その名は、『グレイシア家』にございます、と。
忘れられた古代技術の秘密。そして、その技術を継ぐ、忘れられた一族。
二つの失われた光が、今、時を超えて交差し、私たちの未来を照らし出そうとしていた。




