第七話 『山脈の神殿』
北へ向かう馬車の中、カズキは窓の外を眺めていた。王都マルヴァを出発して二日目。これまでの農村風景は次第に険しい山岳地帯へと変わっていった。
「もうすぐ目的地ね」マリアが地図を確認しながら言った。「山脈の入口にある村で馬車を降りて、そこから徒歩になるわ」
カズキは頷いた。この二日間、彼は勇者の転生者という事実を受け入れようと葛藤していた。
「カズキ、大丈夫?」リンが心配そうに尋ねた。
「うん、なんとか」カズキは無理に笑った。「ただ、まだピンとこないっていうか…」
「そりゃそうよ。突然『あなたは前世で暴君だった』なんて言われても、信じられないわよね」
「それに」ウィルが静かに口を開いた。「ルノの話にも不明点がある。なぜ勇者が力に溺れたのか。本当にカズキが勇者の転生者なのか。もっと調べるべきだ」
カズキは感謝の気持ちで頷いた。仲間たちは自分を疑っていない。それだけで心強かった。
山の麓にある小さな村、ロックヘイブンに到着すると、彼らは馬車を降りた。ルノの部下たちも付き添っている。
「地鳴の剣は山の中腹にある古代神殿にあるはずです」黒装束の男が地図を指さした。「ただし、ここ数日、山から奇妙な震動が報告されています。注意が必要です」
村は小さいながらも、登山者や冒険者向けの宿や店が並んでいた。カズキは山岳装備を買い揃えるため、商店街を歩いた。
「山用の靴が必要ですね」店主に尋ねると、様々な靴が提示された。
カズキは【鑑定眼】を使って商品をチェックした。
【山岳靴:価値8銀貨】
【特性:耐久性高、滑り止め効果あり】
「これいくらですか?」
「12銀貨だよ、兄ちゃん」
「8銀貨でどうですか? 本来の価値です」
店主は驚いた顔をした。「目が効くね。10銀貨なら譲ろう」
「9銀貨で」
「わかった、9銀貨だ」
商人としての交渉力は健在だ。他にもロープや水筒、防寒具を適正価格で購入できた。
宿に戻ると、マリアたちも準備を終えていた。
「さすがは商人ね」マリアはカズキの荷物を見て笑った。「みんなの分まで買ってくれたの?」
「うん、みんなのぶんも交渉してきたよ。鑑定眼のおかげで3割安くなった」
「助かるわ」リンが嬉しそうに言った。「カズキの鑑定眼はいつも役立つね」
「勇者より商人の方が天職かもしれないな」ウィルがわずかに微笑んだ。
その晩、宿の食堂でカズキたちが食事をしていると、地面が小刻みに揺れた。
「地震?」
「山の震動ね」マリアが窓の外を見た。「村人が言ってたわ。最近よく起きるらしいの」
「心配ないのかな」
「明日、山に登れば原因がわかるかもしれないわね」
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翌朝、一行は山道を登り始めた。カズキたち四人と、ルノの部下4人の計8人だ。
「空が近いな」カズキは澄んだ青空を見上げた。標高が上がるにつれ、景色が開けてきた。
「あれを見て」リンが指さした。少し離れた崖に、白い建物の一部が見えた。「あれが神殿かしら?」
「おそらくね」マリアは地図を確認した。「あと一時間くらいで着くわ」
その時、再び地面が揺れ始めた。今度は前日よりも強い揺れだ。
「危ない!」
マリアの叫びに、全員が岩に身を寄せた。山道の一部が崩れ落ちる。
「これは自然の地震じゃない」ウィルが杖を地面に突き立てた。「魔力の波動を感じる」
揺れが収まると、彼らは慎重に進んだ。やがて神殿の入口が見えてきた。白い大理石でできた立派な神殿だが、所々が崩れている。
「入口に何か書いてある」リンが古代文字を解読した。「『大地を治める者、ここに眠る』…」
入口には大きな石扉があったが、既に半分ほど開いていた。
「誰かが先に来ているわ」マリアが風切りを抜いた。「黒き鱗かもしれない」
「慎重に行動しよう」
一行は神殿内に足を踏み入れた。内部は薄暗く、床には砂や小石が散らばっている。壁には大地の神の彫刻が施されていた。
「分かれて探そう」マリアが指示した。「カズキとリンはこの階を。私とウィルは奥を調べる。あなたたち」彼女はルノの部下を指さした。「入口を警戒して」
カズキとリンは神殿の西側の部屋を調べ始めた。【鑑定眼】を使うと、壁や床に微かな魔力の痕跡が見える。
「何か見つかった?」リンが尋ねた。
「うん、この壁に魔力が…」
カズキが壁に触れると、突然岩が動き、隠し通路が現れた。
「すごい!カズキの鑑定眼ってやっぱりすごいね」
二人は通路を進んだ。やがて広い部屋に出た。その中央には祭壇があり、一振りの大きな剣が置かれていた。
「あれが地鳴?」
カズキは慎重に近づいた。茶色い刀身に、岩のような質感の柄を持つ剣だ。【鑑定眼】を使うと、情報が浮かんだ。
【名称:地鳴】
【属性:土】
【特性:大地の力を操る】
「本物だ」カズキがリンに告げようとした時、部屋の向こうから人影が現れた。
黒いローブを着た男が、こちらを見ていた。
「やはり来たか、勇者の転生者よ」
その声に、カズキは身構えた。「あなたは黒き鱗の人?」
「私は『黒き鱗』の魔術師、グレイスン」男は笑った。「君が来るのを待っていたよ」
「地鳴を狙ってるの?」
「もちろん。でも、一つ提案がある」グレイスンは一歩前に出た。「我々と手を組まないか?」
「え?」
「君は前世の記憶を取り戻しつつある。かつての栄光を思い出せ、勇者王フェイト。我々は君を真の王座に戻すために集結したのだ」
カズキは混乱した。「何言ってるの?俺は商人だよ。勇者王になんかなりたくない」
「君は本当の過去を知らない」グレイスンは静かに言った。「『賢者の一族』が語る歴史は嘘だ。本当の真実を知りたくないか?」
「真実?」
その時、地面が大きく揺れた。祭壇が割れ、地鳴の剣が床に落ちた。
「何!?」
「私の仲間が神殿の封印を解いている」グレイスンは剣に駆け寄った。「これで地鳴は我々のものだ!」
「させない!」リンが叫び、光の矢を放った。だがグレイスンは簡単に避け、地鳴を手に取った。
「君にも考える時間をあげよう、勇者の転生者よ」彼は地鳴を振るった。床が大きく割れ、カズキとリンとの間に深い溝ができた。
「リン!」
「カズキ!」
グレイスンは笑いながら、壁を突き破って外へ逃げ去った。
その瞬間、さらに大きな揺れが神殿全体を襲った。神殿が崩壊し始めたのだ。
「マリア!ウィル!どこ!?」カズキは叫んだ。
「こっちよ!」マリアの声が聞こえた。「急いで出口へ!」
カズキはなんとか崩れる石の間を縫って、仲間たちと合流した。四人は必死に外へ逃げ出した。ルノの部下たちも何とか脱出に成功した。
神殿を出てすぐ、建物は轟音と共に完全に崩壊した。
「みんな無事?」マリアが確認した。
「なんとか…」カズキは肩で息をしながら答えた。
「地鳴は?」ウィルが尋ねた。
「黒き鱗に奪われた」カズキは悔しそうに言った。「グレイスンという魔術師に」
「彼は何か言ってた?」
カズキは少し躊躇った後、話した。「俺に『手を組まないか』って。そして『賢者の一族が語る歴史は嘘だ』とも」
全員が沈黙した。
「どういう意味なんだろう」リンが困惑した顔で言った。
「わからない」マリアは剣を鞘に戻した。「でも、黒き鱗が地鳴を手に入れたことは確かね。これで彼らは三つの魔剣を持ったことになる」
「戻って報告しよう」ウィルが提案した。「状況が変わった。新たな計画が必要だ」
下山する道中、カズキは考え込んでいた。グレイスンの言った「本当の真実」とは何なのか。そして、自分がなぜ勇者に転生したのか。答えはまだ見つからない。
だが一つだけ確かなことがあった。黒き鱗は強敵であり、次は彼らが残りの剣を狙ってくるということ。そして、自分はいずれ選択を迫られるだろうということ。
「商人か勇者か…」カズキは空を見上げた。「俺は何者なんだろう」
その問いかけに、右手の小指がいつもより強く痛んだ。