第一話 『異世界での第一歩』
森の中で目を覚ました時、最初に感じたのは湿った土の匂いだった。
「ここは……」
カズキは周囲を見回した。見知らぬ巨大な木々、聞いたこともない鳥の鳴き声。
間違いなく日本ではない。
「本当に異世界に来たんだ……」
右目がかすかに熱を持っている。契約の証だろうか。カズキは立ち上がり、身体を確かめた。大学生だった自分と同じ姿のようだ。ジーンズにTシャツという出で立ちは、明らかにこの世界には不釣り合いだった。
「とりあえず人里を探さないと」
スマホを取り出してみるが、当然ながら圏外だ。バッテリーは100%だが、充電できる場所もないだろう。カズキはため息をつき、適当な方向に歩き始めた。
森を抜けると、一面の草原が広がっていた。遠くに建物らしきものが見える。集落だろうか。カズキは安堵のため息をついた。
「少なくとも野垂れ死にせずに済みそうだ」
草原を横切ること約一時間。カズキは小さな村に到着した。周囲を石垣で囲まれた質素な集落だが、煙突から立ち上る煙や子供たちの笑い声が聞こえ、確かに人が住んでいる。
村の入口には木の看板が立っていた。「フェーレン村」と書かれているが、不思議なことに読める。異世界なのに同じ言語なのだろうか? それとも召喚の力で翻訳されているのか。
入口では二人の男が槍を持って立っていた。彼らはカズキの姿を見て、驚いた表情を浮かべた。
「おい、変な格好の若者が来たぞ」
「また転移者か? 最近多いな」
転移者。その言葉に、カズキは耳を傾けた。
「すみません、この村に入ってもいいですか?」
カズキが声をかけると、年配の男は顎で指示した。
「村長のところへ行けば、事情を聞いてくれるだろう」
案内された家は村の中心にある石造りの建物だった。扉を叩くと、白髪の老人が出てきた。
「ほう、また新しい転移者か。入りなさい」
村長と名乗る老人ハロルドは、カズキの話を黙って聞いた。異世界に召喚されたこと、【鑑定眼】というスキルを持っていることを説明すると、老人は急に身を乗り出した。
「鑑定眼だと? それは珍しい」
「役に立たないスキルだと思いますが……」
カズキが自嘲気味に言うと、ハロルドは大きく首を振った。
「とんでもない! 鑑定士は商業の要だ。
特にこのような辺境では、物の価値を正確に判断できる者は貴重じゃ」
「そうなんですか?」
「村に一つ、商店があるんじゃ。グリッジというワシの昔の友人がやっておる。
彼なら君を喜んで雇ってくれるだろう」
そして、ハロルドの紹介で、カズキはフェーレン村唯一の商店「グリッジ商店」で働くことになった。
「鑑定眼、ねぇ……試してみるか」
店の裏部屋で、グリッジから渡された石を手に取った。太った店主は、カズキにとっての初めての仕事として、数種類の石の価値を判断するよう依頼してきたのだ。
「鑑定眼……発動」
特に何かを唱える必要はなかったが、カズキは念のため声に出してみた。
すると、右目に熱が走り、視界が変化した。石から淡い光が見え、その上に文字が浮かんだ。
【低級鉄鉱石:価値3銅貨】
「これは鉄鉱石で、価値は3銅貨ですね」
グリッジが驚いた顔をした。
「お主、本当に鑑定眼を持っておるな!」
次々と石や鉱物を差し出され、カズキはそれぞれの名前と価値を告げた。
鉄鉱石、銅鉱石、石灰岩、そして最後の一つ。
小さな青い石を手に取った瞬間、カズキは驚いた。
他の石とは比べ物にならないほど強い光を放っている。
【蒼玉石:価値15銀貨】
【特性:微量の魔力を蓄積可能】
「これは……蒼玉石。価値は15銀貨で、微量の魔力を蓄積できるそうです」
グリッジの表情が一変した。
「マジか! ワシは単なる青い小石だと思っとった。お主、大したもんじゃ!」
グリッジは笑いながらカズキの肩を叩いた。
「これでわかった。明日から正式に雇うぞ! 商人見習いとしてじゃ」
こうして、カズキの異世界商人としての生活が始まった。
それから三日が経ち、カズキは村での生活にも少しずつ慣れてきた。グリッジからは古い小屋と食事、そして日当として5銅貨をもらっている。
この世界の通貨は、1白金貨=10金貨、1金貨=100銀貨、1銀貨=100銅貨という価値らしい。
「村人の一日の食費が大体3銅貨らしいから、悪くない待遇かな」
カズキは村で買った質素な服に着替え、初めて一人で店番をしていた。
グリッジは隣村へ仕入れに行っているのだ。
店には時々村人が訪れたが、皆カズキに興味津々といった様子だった。
「異世界から来たんだって?」
「鑑定眼を持ってるって本当?」
カズキは微笑みながら対応した。
この世界でも「異世界転移者」は珍しいが存在するらしく、中には特殊な力を持つ者もいるという。
「いらっしゃいませ」
扉が開き、一人の女性が入ってきた。赤い髪を短く切り揃え、軽装の革鎧を身につけている。
腰には大きな剣が下がっていた。
「あんた、新しい店員? グリッジはどこだ」
ぶっきらぼうな口調に、カズキは少し緊張した。
「店主は仕入れに行ってまして、明日の夕方には戻ると思います」
「そうか」
女性は店内を見回し、棚に並ぶ薬草の瓶に目を留めた。
「これはいくらだ?」
「治癒薬の小瓶ですね。15銅貨です」
「高いな。10銅貨にならないか?」
カズキは迷った。値引き交渉なんて初めてだ。
しかし、鑑定眼で見ると、薬の価値は実際には12銅貨ほど。少し値引きしても問題なさそうだ。
「13銅貨でいかがでしょう?」
女性は少し驚いたように見えた。
「へえ、譲歩するとは意外だな。いいだろう」
取引が成立し、女性が金を払おうとした時、カズキの鑑定眼が彼女の装備に反応した。
「そのブレスレット……」
女性の左腕に巻かれた革のブレスレットから、微かに光が見えた。
【防御強化のブレスレット:価値2銀貨】
【特性:物理攻撃に対する防御力を10%上昇させる】
【状態:破損(効果半減)】
「そのブレスレット、壊れています」
「は?」
「見せていただけますか?」
渋々差し出されたブレスレットを、カズキは手に取った。
「防御強化の魔法が込められていますが、このひび割れのせいで効果が半減しています。修理すれば…」
女性は目を見開いた。
「お前、その目で見たのか?」
「はい、【鑑定眼】というスキルで」
「へえ、使える奴じゃないか」
女性は興味深そうに、カズキを見直した。
「名前は?」
「カズキといいます」
「私はマリア。冒険者ギルドに所属している」
マリアと名乗った女性は、ブレスレットを取り戻し、修理できる場所を尋ねた。
カズキが近くの鍛冶屋を紹介すると、彼女は頷いた。
「礼を言う。また来るよ」
マリアが去った後、カズキはほっと息をついた。最初の顧客対応は、何とかうまくいったようだ。
夕方、店を閉めた後、カズキは村の広場に向かった。村人たちが集まり、何やら騒いでいる。
「どうしたんですか?」
近くにいた老人に尋ねると、渋い表情が返ってきた。
「魔物の群れが近くの森で目撃されたんだ。明日にも村を襲うかもしれん」
「魔物?」
「ああ、この辺りではゴブリンが多いな。小さいが群れで来ると厄介だ」
カズキは不安を覚えた。異世界には魔物がいる。当たり前のことだが、実感が湧いてこなかった。
そして自分には戦う力がない。
「防衛はどうするのですか?」
「村の衛兵と、たまたま滞在している冒険者たちが守ってくれるだろう」
冒険者——マリアのことだろうか。
広場の中央では、村長ハロルドが村人たちに指示を出していた。
非戦闘員は家に籠り、衛兵は防壁を固めるようにと。
帰り道、カズキは空を見上げた。見知らぬ星座が輝いている。
「こんな時に役立たずか……」
鑑定眼は商売には役立つが、戦いには無力だ。カズキは悔しさを覚えた。
だが、翌日の朝。予想もしなかった展開が待っていた。
「カズキ! 大変だ!」
グリッジが慌てて小屋に駆け込んでくる。カズキは飛び起きた。
「魔物ですか!?」
「いや、昨夜、なんとマリア殿が一人でゴブリンの群れを全滅させたというんだ!」
「え?」
「しかも彼女が言うには、『あの商人見習いのお陰だ』とな」
カズキは混乱した。自分が何をしたというのだろう?
村の入口に向かうと、そこにはマリアが立っていた。昨日より疲れた様子だが、誇らしげな表情を浮かべている。そして左腕のブレスレットは新品のように輝いていた。
「やあ、鑑定士」
「マリアさん! 魔物を倒したって?」
「ああ、20匹ほどのゴブリン。大したことはない」
彼女は修理したブレスレットを見せた。
「このお陰でな、もし壊れたままだったら、怪我は避けられなかった」
カズキは驚いた。自分の小さな助言が、こんな形で役立つとは。
「私は君に借りができた。今度何か役に立てることがあれば言ってくれ」
マリアはそう言って、カズキの肩を叩いた。
周りの村人たちも、カズキを尊敬のまなざしで見るようになった。
その日、グリッジ商店には普段の倍以上の客が訪れた。皆、噂の鑑定士を一目見ようというのだ。
「カズキ、お前は良い商才を持っとるな!」
グリッジは大喜びだった。
夜、小屋に戻ったカズキは、窓から星空を見上げた。
昨日までの不安は消え、代わりに小さな自信が芽生えていた。
「直接戦わなくても、自分にできることがある」
【鑑定眼】は確かに戦闘スキルではない。しかし、その価値は状況次第で変わる。
大切なのは、スキルの使い方だ。
異世界での最初の一週間。カズキは商人見習いとして、そして鑑定士として、確かな一歩を踏み出していた。
その夜、カズキは夢を見た。見知らぬ城の広間。自分は豪華な鎧を着け、手には大剣を持っている。周りの人々が自分に向かって叫んでいる。
「勇者様、万歳!」
朝、目が覚めた時、夢の内容はすっかり忘れていた。ただ、右手の小指が妙に疼いていることだけが、何かを思い出させようとしていた。
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