夫を叱るのをそろそろやめたい
言いなり王子の続編。
ずかずかずか
学園の廊下をドレスに身を包んでいるにそぐわない勢いで進んでいく一人の貴婦人の姿に生徒たちの足が止まる。
「誰だあの人……?」
「綺麗だけど怖くない……?」
「うん。近寄るのが怖い」
ひそひそと話をされるのも仕方ないだろう。それくらい鬼気迫るもので、彼女の後ろに見えないはずの大蛇などの幻影があるように思えるのだ。
「ヴァイオレット!!」
ノックもせずに中に入り、立派な椅子に腰かけている男性の名前を呼ぶ。
「ロザリンド!! 三時間ぶりっ……ぶはっ!!」
最後まで言い切ることが出来なかった。彼女の怒りの鉄拳が顔に思いっきり叩きこまれたから。
「ねえ。どうして、重要な事を自分で判断して決めてしまったのかしら……」
わらわらと怒りの炎を背中に背負っているような幻覚。扇を口元に持っていき微笑んでいるのだが、その目はさめざめと冷え切っていた。
「ど……どれの事……?」
聞きながらヴァイオレットの目は泳いでいる。自覚あるのだ。自覚があるのも当然先日……と言いながら昨日騒ぎが起きてしまったのだ。
「……離婚しましょうかしら」
「リヒャルド殿下の側近候補の面々を勝手に決めてすみませんでした!!」
離婚の一言で慌てて白状する。ヴァイオレットにとって愛するロザリンドと離婚すると言うことは死ねと言われていることと同義語なのだ。
「ごめんなさい。謝ります!! だから離婚しないでぇぇぇぇ!!」
足元にしがみ付いて泣き喚く様はまさしく残念なイケメン。というかロザリンドはこの残念なイケメンが正統派イケメンなところをいまだに見たことない。
家がお隣の幼馴染で、物心ついた時にはヴァイオレットの世話係……もとい、婚約者になっていたから。
「スフィア義姉さまに貴族夫人は無理だから側室になりなさいと誘ってくれた王妃さまはお見事ね。マーゴック家に決断をさせちゃいけないわ」
ギロリといまだ足元に転がっているマーゴック伯爵の弟を睨む。
ヴァイオレット・マーゴック。彼はこの学園の学園長で、前伯爵の三男である。
前伯爵は娘が側室になってすぐに様々な事業を起こしてどれも失敗させて、息子に爵位を譲って隠居していった。
彼を常日頃から支えてきた執事が亡くなってその息子の意見を参考にしての結果だったのもあり、ついでにその執事も首にまではしなかったが、下働きをしている。
そんなマーゴック家は優秀な手綱を握る者がいないとやばい方向に舵を取る。で一部の界隈で有名なのだ。
「で、なんで自分で判断したのかしら」
足元に転がっている夫をまるで虫の様に蔑む視線で見つめる妻に夫はしくしくと泣きながら。
「純粋に成績順だよ……アーロイン公爵令嬢だけじゃ世界が狭くなるし、もっと優秀な側近を作ってもらわないと……。で、でも、王太子さまも第二王子さまも毒にも薬にもならない生徒会の面々をしっかり使える人材に育て上げたし……」
「スフィア義姉さまの血が濃いリヒャルドさまと王妃様の血が濃いお二方と比べること自体間違いよっ!!」
ヒールのある靴でその頭を蹴ってしまったのはわざとではない。
「アーロイン家だけに偏るのは困るのは事実だけど成績順も今回は愚策よ。成績上位者は奨学金狙いの庶民や貴族の中でも貧しい者や下級貴族。うちの甥っ子もそれ目当てでしょうし」
「マーゴック家子息くんがいるから大丈夫だと思ったのに……」
「手綱を握るのが(問題しかない)マーゴック家に任せる時点で終わってるのよ!!」
扇で思いっきり叩く。
「とりあえず、今回の件でメリーアンさまに特別待遇で生徒会入りをさせて、生徒会の面々を使える人材に育ててもらうしかないわね」
溜息を吐きながら彼女に頼むのが今から生徒会の面々を探すよりも建設的な事実に眩暈が起きそうだ。本来ならば自分がこのアホンダラの不始末を片付けたいがそうもいかない。
「お願いだから妊娠が判明したばかりの妊婦を労わりなさい……」
懇願するようにぼやくと夫の表情が情けないものから真面目なものに変わる。
「ロザリンド。今……」
「今朝主治医に見てもらったら3か月と言われたわ。だからね」
問題行動を慎んでと言いかけた声はかき消される。
「そっか。私の……私たちの子か……」
ぼろぼろと泣きだす夫。なかなか子供が授からず、諦めていた時の僥倖だ。
「そうよ。わたくしたちの子。だから、子供の負担になるからそろそろ叱るのをやめたいわ」
だから、慎重に動いてと懇願する。
「う、うん。今度からは教頭とか他の教師と相談するよ」
「ええ。そうして」
これで負担は減るだろうと少しだけ、ほんの少しだけ期待するのだった。
マーゴック家
カリスくん。生徒会副会長。
ヴァイオレット。マーゴック家前当主の三男。今の当主の弟。残念なイケメン。
ロザリンド。ヴァイオレットの妻。なかなか子供が出来なかった。ちなみに30代。
スフィア。陛下の側室。マーゴック家の女性なのでやばい思考。見かねた王妃が側室にして手綱を握っている。王妃大好き。
リヒャルド。側室の子供。メリーアン大好き。言いなり王子と異名を持つ。