6 お引越し
牛車に乗ってガタガタと揺られつつ、うっかり眠気に負けそうになった頃、お屋敷へと到着した。
牛車は家の前まで送るとあっさりと去って行った。
小汚い爺さん婆さんに対しても特に軽視する様子もなくスムーズで良かったのだが、これもアフターフォローのひとつなのだろうか…。
牛車から降り門の前に立つと、爺さん婆さんと一緒にしばし呆気にとられた。
立派な門から始まり、門に負けない立派な木製の塀と生垣が屋敷を囲っている。
門の入り口は俺たちが入れるよう半分だけ開いており、中に入ったら中から閂が掛けられるようになっていた。
門から覗く屋敷の中は、庭に池と小さい橋まである上、美しく剪定された木々も見える。
…なんとなく寝殿造と呼ばれる歴史的建築物が思い浮かんだ。
お屋敷を間違えているのではないかとも思ったが、ここに連れてきたのは牛車であり、ここから近い所に他の家らしき物もない。
間違いないのだろう。
『早く入りましょう』
お姫様は早く中に入りたいようだ。
爺さん婆さんと共に、呆けながら中に入って更に驚く。
部屋数どころか廊下で繋がった建物がいくつあるのかぱっと見ではわからない程の大きさだ。
庭に面した部屋の庇には簾がかけられ部屋の仕切りには御簾が付けられている。
豪華な几帳や衝立がいくつも立ててあり、まるで絵巻物の世界にいるようだ…
これはいかにも平安貴族っぽい。
しかし、とても広くて綺麗な屋敷にはビックリしたが、俺は小さいから一部屋あれば充分なのではないかとも思う。
それぞれの部屋を見て回ると途中に爺さん婆さんへの食料や衣服まで用意されていたらしく、2人ともえらく恐縮していた。
爺さんの持つエジコの中から身を乗り出して見ているとひとつ気になる事が出来た。
このお屋敷には人の気配がないのだ。
この大きなお屋敷で使用人もなく、爺さん婆さんと小さい俺だけの3人なんて大丈夫なのだろうか…。
『まぁ、これでやっと普通の生活ができますね』
「…」
…いや、逆にこの大きなお屋敷でどうやって生活するのかを教えて欲しい…。
「お爺さん、お婆さん、3人でこのお屋敷に住むのですか?」
屋敷を見て回る爺さん婆さんにエジコから顔を出しつつ話しかける。
「そうじゃな…。こんな広いとは思わんかったが…」
「お爺さん、本当にこんなお屋敷に住むのですかね…?」
2人は不安そうにしつつ俺に引き攣った笑顔を見せる。
「もう一度、貴人の方に確認した方がいいかのぉ…」
「…それが良いかもしれませんね…」
爺さんは再び出かけて行った。
何かあった時は尋ねて来るようにと貴人の方やらの尋ね先を教えて貰っていたらしい。
出掛ける爺さんを家の前で見送ると、俺と婆さんは庭に面した日当たりの良い部屋でひとまずくつろぐ事にする。
庭からは気持ちの良い風と暖かい陽光が入り、ポカポカとした縁側はとても気持ちが良い。
「…こんな綺麗なところでのんびりできるなんて…贅沢なことですね…」
婆さんは始めソワソワとしていたが、少し落ち着きを取り戻したのかそれとも開き直ったのかゆっくりと座ってくつろぎ始めた。
俺もエジコから出て婆さんの隣に座る。
婆さんは庭の景色をうっとりと見ていたが、隣に来た俺に気付いてニッコリと笑う。
「疲れてないですか?
…ここは気持ちいいのでお昼寝しても良いし…。
…それとも、せっかくこんな所に来たのだし散歩でもしますか?」
気持ちは嬉しいが俺は小さいので、散歩する場合は婆さんが俺を持って運ぶ事になる。
それは朝から色々あって疲れてる婆さんに申し訳ない気がする。
『私は、あの汚い布の上に座り続けるのはもう嫌です。ここで休んでいましょう』
お姫様は婆さんに気を使ったのか、エジコに引いてあるボロ布が気に入らないのかはわからないがエジコに入るのを嫌がる発言をする。
一応水洗いして干してあったボロ布は臭くもないし、俺は気に入ってるのだがお姫様にとったら汚く見えるのもわかるので、本音か建前かどちらなのかはわからない…。
…まぁ、どちらにしてもこの縁側でのんびりと過ごすのは悪くない提案だ。
「私は大丈夫です。…お婆さんこそ疲れてないですか?」
「ふふふ、これくらい全然大丈夫ですよ」
ニコニコしている婆さんは俺から再び庭へと視線を向ける。
「…昨日から…まるで夢を見てるみたいですねぇ…」
視線を庭に戻した婆さんは、ぼぉっと庭園をみつめるている。
そうだよな。
爺さんが小さい女の子拾ってきて、金を手に入れて、お屋敷へ引っ越し…なんて宝くじが当たるよりも急展開だよな。
そして、それは俺も同じだ。
内容は異なるが驚きの急展開を体験している。
気付いたらこの身体でしかも女の子。
追放されて汚い爺さん婆さんに拾われて引っ越して…
…俺は一体なんでここに居るんだろう。
初めはお姫様の口と態度の悪さから俺が居るのかと思ったが、この爺さん婆さんならお姫様の口が悪くてもニコニコと笑ってそんな問題にはならなかったと思う。
俺、別になんの役にも立ってないよな…記憶も中途半端だし…。
気持ちの良い縁側で2人仲良くしんみりと庭園を見つめる。
『こんなにのんびりするのは私も久しぶりの事です』
お姫様もいつもより落ち着いた声でそう言うので、実質3人でのんびりとした時間を過ごす事となった。
「ばあさん、今かえったぞ」
高かった陽がだいぶ落ちはじめた頃に、玄関の方から爺さんの声が響く。
「…あら、お爺さんが帰って来ましたね」
婆さんと俺は、2人(+1)で仲良くウトウトとしていたが聞こえてきた爺さんの声に起き上がる。
「…ちょっとお爺さんのとこに行ってくるのでもう少しゆっくりしててくださいね」
婆さんは俺の頭を優しく撫でて爺さんを迎えに向かう。
『何故、今頭を撫でたのですか?』
姫様からの突然の問いに少し驚く。
「…そりゃ、小さい娘が可愛いからじゃないか」
『可愛いと撫でるのですか?』
そんなに深く考えたことはないのだが…
「…相手にもよるが、身内だったり親しい間柄ならするんじゃないか…」
『頭を撫でられたのは初めてです…』
…。
まぁ、お姫様だったらそういうことも…あるか?
「婆さんからの愛情表現なんだし、不快じゃないなら気にしないで受け入れれば良いんじゃないか」
『…』
お姫様からの返事はないが、別に不快ではなかったようだ。
俺は正直、この歳になって頭を撫でられるのは少し気恥ずかしい。
…ただ、婆さんの嬉しそうな顔の前では拒否する事は無理だとも思う。