12 石作皇子 -いしつくりのみこ-
石作皇子のお屋敷は北端の近くにあり、その場所と大きさから権威の高さが窺える。
そして屋敷の騒々しさからも何処かへと出掛けようと準備をしている様子がわかる。
『本当に旅に出る準備をしていますね』
「あぁ、でも…まだ出発してなかったんだな」
これは、セーフといえるのだろうか。ひとまず石作皇子本人を探す事にした。
そこら辺に居る使用人っぽい人の会話を聞こえる様にする。
何やら指示を出しているっぽい者がいるので何かわかるだろうか。
-「おい、道中の方は大丈夫なのか」-
-「はい、あちら方面はいくつかある荘園や寺院に早馬で手配しておりますので、粗末な小屋に泊まるような事はない筈です」-
「それなら大丈夫だな。なるべく不自由のない様に用意しろよ」
-「…追い剥ぎ等の噂も聞いたことない安全な道を選びましたし、余程の事がない限りは大丈夫かと。
…それにしても、こんな時期に物見遊山の旅ですか?」-
-「いや、何かご事情があるようだが、大丈夫だ、特に目的地があるわけでもない。
…どうやら時間を掛けて出掛ける事に意味があるらしい…」-
…。
なにやら、思ってた会話と違う。
この会話だけでも不穏なものを感じたが、ひとまず他の者たちの様子や会話も聞いてみよう…。
表には旅用の牛車が準備され、それに合わせて人員や旅路の必要品等も準備されているようだ。
いや、牛車で行くのか…。
牛車って乗り心地はそんなに悪くないが、スピードがすごく遅いんだけどな…。
屋敷の中は確かに何処かへ出掛ける支度でバタバタとはしているが、悲壮感というか、緊張感というか、そういった物が全くない。
むしろ、少し浮き足だった感じで楽しそうにも感じる。
バタバタしているのは、ただただ主人の急な旅の手配に忙しいだけのようだ。
ふと、疑問に思った事をお姫様に尋ねる。
「…お姫様、鉢って何処にあると思われてるんだろ…?」
ひょっとして仏の御石の鉢は、国内を旅したら見つかると思われているのだろうか。
『…下界では天竺にあると思われていると思ってましたが…』
天竺ってたしか海を越えた向こうの筈だ。
「…だよな。
探すとしたら、海は越えないといけないよな…」
俺もてっきり海へと乗り出すと思っていたのだが、どうも海へ出る気配がない。
海なら命懸けだが牛車の旅だとちょっと話が変わってくる。
そしてなにより家人達が参詣の旅だと嬉しそうだ。
「参詣の旅って…?」
『寺院などを詣でる旅のことです…
つまりは、ていのいい息抜きの旅のようなもの…』
寺参りか…。寺巡り…つまり…観光旅行…的な?
え、観光旅行感覚で行くの?
なるべく不自由のない旅って言ってたし、手配もしていると言っていた。
つまり、お供を引き連れ牛車でのんびりと安全な道を移動して、手配された寺院や荘園を巡りつつ旅をする…
優雅だな…。
「…」
『…』
『…せっかく楽しそうにしていますし、このまま放っておいた方が良いのでは?』
「…そうだな…」
『この者達が御石の鉢を見つける事は間違ってもないでしょう…』
「…」
『帰りましょうか』
「…いや、一応本人だけは確認していこう。
…万が一、使用人達の勘違いだったらダメだしな」
この目で見たわけではないし、世間知らずのお坊ちゃんな可能性もある。
…逆に、もしそうでなければ優雅な旅を楽しんだ上で俺と結婚をしようとしている最悪な奴って事になる。
他の使用人達の話を聞きつつ、なんとかたどり着いた場所にて家司と会話する石作皇子っぽい奴を見つけた。
-「…出発の準備は大丈夫ですか?」-
-「…まぁな」-
-「では、そろそろ出発致しますか?」-
-「…そうだな。
…姫にはちゃんと知らせを送ったのだろう?」-
-「はい、旅立つとの知らせを送らせましたが。…本当に大丈夫でしょうか?」-
-「大丈夫だ。
…だいたい、仏の御石の鉢なんてたとえ苦労して海を越えた先の天竺に行けたとしても手に入る筈がない…
とりあえず、行った事にしてそれっぽいのを持ってくれば良いだろう…」-
-「…そこまでする程の方なのですか…?」-
-「あぁ。…多少生意気ではあるが、あの美しさを見てしまったら諦めるのは難しいな…」-
…。
聞きたかった事を聞いてもいないのに聞かせてくれた。
いや、確信犯じゃねーか。
…最悪な奴の方だった。
奥の広々とした場所にゆったりと座り、慌ただしい周りと違いそこだけ静かでのんびりとしている。
旅立つ緊張感も準備に追われる様子もなく優雅に座る男の姿。
ひとりだけくつろぎ、まったりとしているコイツが石作皇子に違いない…。
つまり、コイツは俺の所にはこれから旅立つって知らせを寄越したくせに、実際はただの旅行に出掛けるって事だろ…
…いや、旅立つって言葉は一応間違っていないが…
しかも、適当な所で代わりの鉢でも見つけて贈ればどうにかなると思ってるし…。
本物の鉢を探す気なんてこれっぽっちもないじゃん…。
…だいたい、適当な代わりの鉢なんてそう都合良く見つかる筈がないだろ。
まぁ、どっちにしろふざけた話だな。
こうなってくると、この旅自体がまるで独身の最後を楽しむ為の旅行のようにも思えて余計に腹が立ってくる。
俺に結婚する気はないが、何かが起こって万が一しなくてはいけない状況でもコイツだけはないな…。
つい腹が立ってイライラと怒ってはいたが、ちょっと冷静になった頃に気付いた。
お姫様がずっと無言だ。
『…』
…。
「…とりあえず、帰ろうか…」
『…』
お姫様に声をかけてみたが、返事はない。
ここに居る必要も無いし、奴に丁寧なお断りの言葉も必要ないだろう。
過酷な旅ではなく楽しそうな旅行に出掛けるみたいなので特にわざわざ忠告するような事もなさそうだし。
無駄足感はあったが、結婚のお断りに罪悪感を抱かなくて済むのは良かったと思う。
気持ちを切り替えて帰ろうとした時にお姫様の呟き声が聞こえた。
『…家人があんなに浮かれていては、参詣の事などすぐ噂になるでしょうね…』
「…」
お姫様の言葉通り、暫くするとひっそりと噂が流れたようだ。
-「石作皇子は大層仰々しく参詣に行かれたらしい」-
これを聞いて爺さんと婆さんは過酷な旅へと行った筈なのにどういう事だろうと困惑中だ。
あくまでひっそりとした噂話なので、きっと旅行中の本人に噂が届く事はないだろう。
奴はいったいどんな顔をして帰ってくるのだろうか。