小話50 正体
「開いたぞ。やれ。」
神崎は低い声で呟くようにミウラに合図を出した。ミウラは分厚い金属製の扉を音を立てないよう慎重に押し開ける。
街から離れた丘にある科学研究所には神崎とミウラの二人の他には人の気配がない。もっとも数分前まで数人の警備員がパトロールをしていたが、催眠ガスで熟睡している。
「警報ブザーもすべて解除している。行くぞ。」
神崎とミウラは研究所内へと侵入した。途中、神崎は腕時計を確認する。深夜の2時になろうとしていた。予定通りに実行できていることを確認し、目的の部屋を目指した。
神崎とミウラは某国のスパイであった。最近、隣国の科学研究所がこれまでにない新たな兵器を開発している情報を掴んだ上層部は二人に兵器の回収を命じた。
「その兵器の性能は?」
神崎は端的に質問した。
「現段階では正体は不明である。しかし、無視できない存在である。我が国の脅威となる前に、逆に我々が手に入れることで、交渉や軍事の面で有利になるはずだ。」
上層部との通信はパソコンのモニター越しで、それも音声のみであった。
「現段階では外観のみの情報である。大きさはA4のノートのほどで、金属製の箱状のものである。」
それさえ分かれば神崎とミウラは十分であった。
目的の部屋に到着して、扉の施錠を解除した二人は即座に兵器を捜索する。
「ミウラ、こっちだ。」
金庫の奥にあった隠し扉から神崎は金属製の箱を発見した。上層部からの情報と一致したその箱をミウラが特製の鞄に回収した。衝撃から兵器を守る特殊な細工がされている。
二人は研究所から素早く抜け出し、逃走用に隠していた自動車を国境に向けて走らせた。運転席で神崎は尾行がないことを確認しつつ、速度を上げた。助手席ではミウラが上層部に兵器回収の連絡を送っていた。
神崎が運転する自動車は街を離れて、森のなかの道を突き進む。街灯もなく、対向車も走ってこない。どんどんと速度を上げて国境を目指した。
そして、国境まであと数十キロほどで到着するときだった。
「あっ!」
寡黙なミウラが大声をあげた。サイドミラーを見たままミウラは口を開けて、顔を引きつっていた。
「どうした!」
神崎もミウラへ話しかけたと同時にバックミラーで後方を確認した。途端、神崎も顔が引きつり、背中に冷たい汗が流れることを感じた。
神崎の自動車から100mほど離れた後方から男性が一人追いかけてきていた。信じられないことに男性は自動車の速度に追いつけているのだった。
「なんだ、あいつは!」
神崎はアクセルを思いっきり踏み込んだ。それでも男性の姿はバックミラーから消えることはなく、むしろその距離を縮めているようだった。
「ミウラ!やれ!」
神崎の合図でミウラは窓から後方の男性に銃弾を浴びせた。深夜の森に鋭い銃声が数発、鳴り響いた。
「神崎さん…」
すべての銃弾を打ち終えたミウラは銃に弾丸を込めていた。込める手が震えて、足元に数本転がっていった。
「どうした!やったのか!」
「俺は確かにやつの頭、心臓、脚を撃ったんだ…1か所に2発ずつ、確実に、倒すために…なのに…」
神崎はバックミラーに目を移す。ミウラが狙撃したはずの男性は何事もなかったかのように自動車を追い続けていた。しかも、先ほどよりも速度を上げて神崎たちを追いかけてきている。
「なんだ、あいつは―」
「神崎さん!あぶな―」
急カーブを曲がり切れなかった自動車は、神崎たちを暗い森の中へ放り出した。神崎とミウラは転がりながらも受け身をとり無事であった。自動車は大破し、炎が暗闇を照らしていた。
「ミウラ!兵器は!」
「大丈夫です!神崎さん!それよりも、やつがやってきます!」
「このまま国境まで突っ走るぞ!」
二人は夜の森を駆け抜けた。
二人の後を謎の男も追いかけてきた。神崎とミウラは何度も銃で応戦するも、男は無傷で表情を変えず二人を追跡してきた。呼吸も荒げず、汗もかかない男の姿に神崎とミウラはただただ恐怖し、必死に森のなかを駆けた。
次第に闇が薄まり、地平線が白く染まりはじめた。
「ミウラ!国境まであと少しだ!」
二人は肺が裂け切れんばかりに走った。そして、とうとう国境沿いのフェンスが見えてきた。
神崎は後ろを走るミウラを振り返り、
「ミウラ!国境だ!あのフェンスを飛び越えるぞ!」
と、呼びかけてフェンスの方を振り向いた。それと同時に、
「そこまでだ!」
国境沿いのフェンスに大量の警備隊が待ち構えていた。
「お前たちは某国のスパイだな!銃声や自動車の爆発、そして火災などで位置を捕捉できた!逮捕する!」
満身創痍の神崎とミウラはなすすべなく警備隊に逮捕された。神崎は振り向くと、謎の男がすでに目の前にいた。
「おい!こいつの正体は何なんだ!」
神崎は警備隊の一人に大声で怒鳴った。
「なるほど、お前たちには何かが見えているんだな」
警備隊の隊長は神崎とミウラの表情を見て、笑みを浮かべて答えた。
「お前たちが奪った兵器は、それを手にした者がもっとも恐れている存在を幻覚として現わすのだ。さしずめ、お前たちスパイが恐れているものは任務を妨害する存在だろう。お前たちが恐れている存在によって、お前たちは追い込まれたのさ。いうなれば、この兵器の正体は自分自身の恐怖心だろうな。」