束の間の休息
「よく戻ったな。勇者諸君」
ダイナス=エル=アルカディアは先んじて王座につき俺たちを待っていたようだ。両脇には王宮専属の護衛兵が五人ずつ。
リアナと同じその宝石のような緑の瞳は、彼女よりも幾分か強い光が差しこんでいる感じがする。
俺たち五人はスッと膝をつく。
「国王陛下。かの魔王は間違いなく、このレン=ヴァースが討伐せしめました」
すかさず護衛の一人がこちらへ駆け寄り、抱えていた魔王の兜を預かった。安全か念入りに確認し、護衛は国王の眼前に捧げる。
「うむ……よくやってくれた諸君。そして我が娘よ。頭をあげてくれ」
胸元まで伸びた白髭。彼の口が動くたびにそれが僅かに揺れた。黒い髭は伸びれば伸びるほど汚らしいのに、白いとなぜ尊厳が高そうに見えるのだろうか。
「これでかつて我が領土であった鉱山や集落にまた人を送ることができる。少しずつだが人の住める土地が広がり、労働は増え、民は富んでいく。我が王国はさらに栄ることであろう」
労働という言葉に一瞬言葉が痛む。だが国王の言うとおり、働くということは本来良いことなのだ。いつから俺たちは死んだ目をして会社に向かうようになったんだろう。
国王は続けて聞いてきた。
「ときに、イシュザークは強敵であったか」
「ええ。彼奴はまるで巨峰のような男で、だのにリザードのように俊敏でした」
俺の答えにルージが付け加える。
「魔王の首を切り落とすよう、私が進言しました。今頃は手下もろとも瓦礫の下になり、頭は潰れ体は……って痛ぁ!」
リアナは頭を垂れたまま、ルージの脂肪の少ない腹を捻り上げていた。お前、いつか不敬罪で死ぬぞ。
ため息をついてからデュールがつなげる。
「……とにかく、もうヤツが復活することは無いでしょう。ようやく我が国に平穏が訪れること、お喜び申し上げます」
「……うむ、大義であったな。みな長旅で疲れただろう。詳しいことはまた落ち着いたときに話をしよう。祝賀会も控えておるしな。今日のところはよく休んでくれ」
はっ、という返事とともに俺たちは立ち上がる。いやぁ休みをいただけるなんて良い王様を持ったものだ。これが会社の上司だったならあともう一仕事と言ってくるだろう。
「では下がりなさい」
全員で会釈して退室しようとする。これで我々の仕事は完了。ミッションコンプリート。久しぶりに酒が飲みたい気分だ。最も、この世界でも未成年は絶対禁酒だがーー。
「レン、少し残ってくれ」
国王に呼び止められて思わず肩がビクッと跳ねてしまう。
「わ、私ですか?」
退室しかけていたデュールとアリシアがそれを聞いて振り向いた。
「陛下、何かご用命なら私たちもーー」
「はいはい、僕らは客間で暇つぶしでもしてようねぇ」
ルージはアリシアの背中をグイグイ押しながら、閉まりゆく扉の間からウィンクを飛ばしてきた。あのキツネ野郎……。
国王はゴホンと咳払いをしてから言った。
「……ではレン、こちらへ来なさい」
小学校でガラス割った時以来の呼び出しだ。待ってください。あればたかしくんがボールをあんなに強く投げたから取れなかっただけで……。
跳ねまくる胸を手で抑えながら、俺は国王の背中を追って自室へと招かれるのだった。
ーーーーー
「紅茶でいいかな?」
「ええ、もちろん」
彼はやたらと装飾が施された木箱を手に取る。紅茶の葉を入れたポットにお湯を注ぎ、しばらくするとその豊かな香りが室内に広がる。
国王の自室は意外にも四畳半くらいの広さだ。書斎も兼ねているのだろう、窓の向かいの壁には棚が置かれ難しそうな本がびっしりと詰め込まれている。無駄がなく整理された部屋。そこにちょこんと置かれたミニテーブルとイスが二つ。
俺はそこに座らされ、ぼんやりと窓から覗く景色を眺めていた。
しかし、常日頃疑問に思うのは、この世界の文化についてだ。文字はこの世界独自のものだが、武器や道具は、俺が元いた世界に非常に似通っている。皆上下に服を着ているし、金銭のやりとりは金貨や銀貨で行われる。別の世界となればもう少し、俺が理解できないような文化が発達していても良さそうだが……。
アルカディアは確かギリシャにあって、民の名はフランス語に近い。めちゃくちゃな世界観。なんで前の世界の名称がこっちにも根付いているのだろうか。地方出身の俺はこういった歴史学に触れる機会が無かった。
紅茶にしたってそうだ。聞くとその原料も加工の仕方も、ほとんど俺のいた世界と同じものだった。
十七にもなり、大陸の隅々まで渡り歩いたというのに、俺はこの世界について何も知らないのだ。
「どうした、窓の外ばかり見て」
見れば国王は、カップに紅茶を注ぎ終えていた。
「……いえ、相変わらず良い街並みだと思って」
まぁとりあえずはいいか。ツッコんだら負け。今度、国立の図書館でこの世界の成り立ちについて調べてみよう。
王室からは先ほど通ってきた城下街が望める。随分なにぎあいである。
「誇らしい国民たちだ。国をあげて君たちに感謝を送ろうと準備をしておる」
「自分は与えられた仕事をこなしただけですよ」
「ワッハッハ! 熟練の兵士と同じことを言う」
国王の方は高笑いしたが、俺は苦笑いを隠せなかった。
「実際、君は同年代の者より大分落ち着きがある。私の娘を跳ね返りっぷりを見ろ」
そうは言いながらも、国王の目は穏やかだった。実際、道中のリアナは年相応の女の子でプリンセスとは思えない一面もあった。ただ我儘に、我が道を行くって感じ。いやそれは女王か……。王宮での暮らしも、それなりの窮屈があったのだろう。
ダイナス王は滑らかな所作でカップを置いた。彼が席につくのを待ってからいただきます、と紅茶に口をつける。そういえば紅茶って啜るものなのか? こんなロイヤルなティーは嗜んだことがない。まさか娘に見合う人間なのか試されている可能性……あるな、めちゃくちゃジッと見てるし。とりあえず音は立てないように舌の上に流し込んだ。
美味しい。ほうっと温かいため息が出る。
「とても香り高いですね。雑味は少なくなめらかな舌触り。城下ではとても手にはできないでしょう」
うむうむとダイナスは首肯した。あ〜良かったぁ〜。
しかし、さすがに国王と二人っきりは気まずいな……。やけに喉が乾いて紅茶を啜る手が止まらない。
「リアナは道中いかがだったかな。君たちの役に立ったなら良いのだが」
父親、親父、パパ、パピーという動物はもれなく娘に甘いようだ。確かにリアナが裏で「パピー」って読んでたらめっちゃ可愛いな……。
心の中でニチャァと微笑みながら答える。
「素敵な娘さんですよ、何度も助けられました」
俺たちは総合的に見ると攻撃寄りのパーティだ。最前線で体を張るデュールに、俺とアリシア姉さんの剣が続く。ルージはさらにその後ろから魔術で攻撃、つまりリアナは最後方で皆をサポートする役目であり、最後の砦でもある。
彼女が直々にパーティへ入りたいと言ってきたときは驚いた。だって一国の姫様だし。
本人曰く魔王討伐には自ら志願したらしい。ダイナス王の反対は容易に想像できたが、彼女のあの性格だ。その結果、騎士団長のデュールがついたことでようやく認められたようだ。
「リアナ……殿下がいたから、どんな強敵に相対しようとも戦えぬけました。彼女は俺にとって……我々にとってかけがけのない存在です」
「やはり愛しているんだな」
矢がすごい角度から飛んできた。吹き出しそうになるのを必死に堪えたが、かえって気管に紅茶が入り込みそうになりゲホゲホと咳き込んでしまう。
とんだご無礼を! と思ったが、陛下はまたあの気持ちの良い笑い声を上げながら布ナプキンを手渡してくれる。
「すまんすまん、少し直球すぎたな」
「も、申し訳ございません」
「なぜ謝る。気付かないわけがなかろう。お主もリアンも度々、お互いを目で追っておる。私とフィオナがそうであったように……」
今は亡き妃を思ったのか、王は一瞬遠い目をする。彼は王であり、父であり、やはり一人の人間であった。
王は少し身を乗り出し、俺の目を覗き込むように見つめる。
「だがその胸の内を、はっきりと伝えていないのではないか?」
「それは……」
彼の言う通りだ。俺たちは手を握ったり、肩を寄せ合ったり、キスとか……はまだしたことない。互いの想いは伝わってはいると思う。だがそういうのはやっぱり口で伝えなければいけないものだ。
「年長として、リアナの父親として言っておく。気持ちだけでは心は通じ合わん。言葉にし、目を逸らさず、熱を込めることで初めて心とは通じあえるものなのだ」
王はおもむろに立ち上がると、壁に飾ってある絵画を見つめる。絵画は二つあって、一つは幼いリアナと若き国王、亡き妃が描かれている。一〇年ほど前に王宮絵師に描かせたものだろう。もう一つは、それよりも更に若々しい妃個人の肖像画だ。王は乾いた指で、絵画に写る彼女の頬をなぞった。
彼にもあるのだろう。妻が先立つ前に伝えたことが、とても沢山。
紅茶をまた一口いただく。いつの間にかカップは空になっていた。膝上で拳を握り、国王の翠色の瞳をじっと見つめる。
「わかりました。俺、覚悟を決めます」
熱は伝わっただろうか。ふむふむと、ダイナスは首肯した。
「ちなみに、結婚は許すつもりがないからな」
ついた拳がガクッと膝から落ちる。えぇ……認めてくれる流れじゃないの?
国王の眼は笑っていなかった。当たり前か。告白もできない男など、婚約以前の問題だ。
「精々、後悔の無いようにな」
ディアナ妃の顔から指を離し、振り向いた時にいたのは先ほどまで王座に君臨していたアルカディア国王の顔だ。
「もう取り返しがつかなくなる前に、な」
その言葉の意味。この世界で一番俺がわかっているはずだった。転生者である俺なら。
なぜ人間は同じことを繰り返すのだろう。それが間違っていると、変えなければならないとわかっていながら。
俺が一番理解しているはずだったんだ。だからこそ、そんな自分がずっと嫌いだった。
なのに、俺はまた取り返しのつかないことをすることになる。