勇者の凱旋
鬱蒼と茂る芝の緑を眺めながら、俺たちは王都『アルカディア』への続く街道を進んでいた。
「それにしてもさすがレンですわね。たった一人で魔王を倒してしまうだなんて」
王姫のリアナ=ヴェール=アルカディアは、その翡翠のように煌めく瞳で、俺が担いでいる麻袋を見上げる。彼女の動きに合わせ、長く美しい金髪が簾のようにサラサラと揺れる。
あの状況だ。運び出せた物は最後に奴が脱ぎ捨てたこの漆黒の兜だけ。だがこれだけでも、魔王を討った証として申し分ない。
「当たり前でしょ。私が鍛えたんだから」
リアナにそう返したのは魔剣士のアリシア=オードリック。一つ上の幼馴染で、剣と魔術に関して非凡な才能を持ち、村では一番の美少女。
アリシア姉さんの言う通り、彼女とは幼少期を共に切磋琢磨した仲であった。
「ねっ、そうでしょう?」
彼女は豊かな双丘を揺らしながら、俺の肩をポンポン叩く。幼馴染といってもこの距離感で見せつけられると、男としては目のやり場に困ってしまう。視線を逸らした先で、リアナが頬を紅色にして膨らませ、俺たちのやり取りをジトっと眺めていた。ごめんて。
「そうだな。まっ、今となっちゃ剣術はアリシア姉さんより上だけど」
「何ですってぇ」
アリシア姉さんとは反対を言うと、そのやり取りを疎ましく思ったのか、前を歩く痩身の少年が口を挟んだ。
「いやぁしかし、魔族との戦争は久しぶりに心が踊ったなぁ。特にガーゴイルの頭をかち割るとハンバーグみたいに脳汁がさーー」
「やめてくれ、王都で勝利の美酒が俺たちを待っているんだぞ。味がしなくなっては困る」
すぐ横を歩いていた大柄な男、デュールがルージの言葉の先を静止した。
ルージは俺と同い歳でありながら、アルカディアいちの魔術師と言われている。体は細身だが頭はキレる、いかにも司令塔なタイプだが口は軽い。
反対にデュールの体躯はガッチリとしていて、理知的ではないが、最年長ということもあり落ち着きがある。面倒見が良い兄貴分という感じ。魔王城での最終決戦では彼が率いた兵士たちが共に闘ってくれた。彼らは先だって帰還し、国王及びその国の護衛をしながら兵士団長のデュールの帰りを待っている。
「お父上に悪魔どもをどう料理したか、お伝えした方がいいかなリアナ」
「そんなことをしたら、今度は私があなたの首をはねます」
満面の笑みでそう返され、ルージは「わぉ」と戯けてみせた。
デュールはその隣で失笑していると、感嘆の声を上げながら前方を指差した。
「みんな、アルカディア城だ」
そんなやり取りをしてるうち、気づけば街の中央に君臨するアルカディア城の見張り塔がひょっこりと、丘の隙間から顔を覗かせていた。
王都アルカディア。そのシンボルである城は街で最も巨大な建造物だ。イシュザークが座していたかの魔王城よりもはるかに大きい。都まであともう少し。皆安心したのか一様に息をついた。
「明日は祝賀会ですわね」
リアンは古巣を遥かに据えて呟く。
「まずはそうだね。その後は久しぶりにゆっくり過ごして……またしばらくしたら結婚披露宴、かな?」
ルージの言葉に俺とリアンの肩がビクッと跳ねる。デュールはやれやれと頭をふり、ルージは「おおっと」と人差し指を口元へ据え、アリシア姉さんは聞こえなかったかのように黙ったままでいた。
「まだ気が早いって! 俺たちまだ十七だぞ」
「そうですよ! それにお父様の許可をいただかないと」
「なるほど、二人とも結ばれる気はあるんだねぇ」
このやろう……!
ルージの言葉に珍しくデュールが同意する。
「遅かろうが早かろうが関係ない。俺たちはただただ、仲間の新たな旅路を祝い、歓迎するだけだ」
「…………そうよね。楽しみだなぁ。うちの村の人、かき集めてこなくちゃ」
アリシア姉さんはかの遠い故郷を想ったのか、青空を仰ぎながら呟いた。それを見てルージとデュールが一瞬顔を見合わせ、神妙な顔つきで鼻息を吹いた。ん? 何だこの空気。
・・・・・
「開門!」
守衛が轟くような声で、俺の一〇倍近い大きさの正門がゴゴゴと音を響かせながら開いていく。普段はキャットドアみたいに備わっている小門から出入りするのだが、今は勇者一行の凱旋だ。儀式的な一面もあるのだろう。
門が完全に開くと同時に国民達の大歓声が流れ込んでくる。
「勇者レン=ヴァース万歳!」
「リアナ姫、おかえりなさい!」
「ルージ様~~!」
「アリシア、村からたんまり作物を持ってきたぞ!」
「デュール騎士団長、お待ちしておりました!」
紙吹雪がヒラヒラと宙を舞う。楽器隊の太鼓と管楽器の音色が何重にもなって心臓を襲ってくる。
圧倒的に褒められ慣れてない俺は、どーもどーもと適当に手を振っていた。リアナは公女らしく肘を固定したままチマっと手を振り、ルージは気に入った女を見つけるとキラっと目から星を飛ばしている。アリシア姉さんは両手をブンブン振って嬉々し、デュールは兵士らしくピシッピシッと敬礼していた。
たしかに慣れていないけど……こうやって沢山の人に祝ってもらうのは悪くない。
・・・・・
「田中、またこのミスか! なぜ同じミスを繰り返す! PDCAサイクルはどうした!」
「す、すみません」
「『申し訳ございません』だろう! まったく、お前は大体なぁ……」
部長の喝を一通り喰らい、俺はとぼとぼと席に戻る。
ミスを重ねるごとに溜まっていく書類を横目に見ながらキーボードを叩く。
どこかからヒソヒソと聞こえてくる。
「田中さん、ま〜た部長に怒られてるよ」
「部長の当たりが強いのもわかるけど、しっかりはしてほしいよねぇ」
うるさい。
「聞いたか。あいつ、ここで四社目らしいぞ」
「確か二六だろ、新卒なら一年で転職してる計算じゃねぇか」
うるさい。
「蓮太郎、また部長に怒られたのか? 元気出せって」
「五十嵐、ちょっと来い」
「あっ、はい部長。またな、後で一服吸いに行こうぜ」
「五十嵐よくやったな。来年度からリーダーに昇格だ」
おぉっと湧くチームメンバーたち。必死に取り繕った顔で、俺も同期の昇進を拍手でお祝いした。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!
うるさい。うるさい。うるさい。
わかってる、自分が出来ない人間だって。
わかってんだよ、自分が何にもなれない人間だって。
わかってるから、俺がそんなこと自分が一番わかっているから。
頼むから黙っていてくれ。
俺のことなんか放っておいてくれ。
・・・・・
「いたぁ!」
急にスローペースになったもんだから、俺の鎧の尖ったところに、ちょうどアリシア姉さんの額がぶつかっていた。
「あっ……ごめん」
「もう! 何ボーッとしてるのよ!」
プリプリ怒る彼女に謝罪すると、いつの間にかアルカディア城はもう目の前だった。城の正門はさっきの街門の半分ほどの大きさだが、所々が金で装飾されその荘厳さは全くの別物だ。
「なんだかあっという間でしたわね」
「そうかなぁ。僕は人生で一番長い時間に感じたよ」
「はっ。二十にも満たないガキが何を言ってる」
「こーら。お城の中ではお行儀良くね。ってあんた何ニヤニヤしてるのよ」
「……いや何でも。早く仕事を済まそう」
一年に渡る魔族との闘い。
その終わりが来たんだと、この時はまだそう思っていた。