暁を切り裂く聖剣
雷鳴の轟く古城。ジリジリと肌に熱風が吹きかけ、カビの焦げた匂いが鼻をつく。
魔王の大剣『デスブリンガー』の薙が正確に俺の首を狙い振り回される。聖剣『ドーンブレイカー』の腹でそれを防いだ。強烈な一撃を全身で吸収し、その余波を利用して魔王との距離を取り、体制を立て直す。
「ほう」
ゆらりとこちらを向いた兜の隙間から、不敵な笑いが漏れる。
「やるじゃないか。勇者よ」
「そりゃどうも」
俺ーーレン=ヴァースと魔王・イシュザークは、燃え盛る彼奴の根城で、剣を交わしていた。
所謂始まりの街ーー聖都アルカディアを魔王討伐のため発ってから約一年。
アルカディア王、ダイナス=エル=アルカディア六世は世界をの平和を脅かす魔王討伐のため、各地から英雄たちをかき集めた。数にして一〇〇名近く。勇者たちは各々が次々とアルカディアを出発した。
俺たちもその一組、そしてこの魔王城へ辿り着いた唯一のパーティだった。
イシュザークは悠然とこちらを見据え、仕掛けてくる素振りを見せない。
……測られている。いいだろう、望むところだ……!
聖剣『ドーンブレイカー』の柄をグッと握りしめる。淡いピンク色の光を神々しくその刃を輝かせる。
その煌めきが最大になったと同時にイシュザークの懐へと飛び込む。
「おおおお!」
雄叫びを上げながら聖剣を振り下ろす。魔王はまたその黒き大剣でその一撃を弾く。
まだまだ! 下ろした腕の力を利用し、全身をくるりと回転し再びドーンブレイカーで切り裂く。
「貴様のせいで、多くの民が苦しんでいる!」
脳天を狙った連続縦回転斬り。ヤツの魔剣は何度もそれを阻み、鋼鉄同士が激しい音をガキンガキンとぶつかっては火花を散らす。
「俺は、お前を絶対に許さない!」
だがその連撃を易々といなされてしまう。やつの防御は堅い。
ワンパターンではダメだ。胴を狙った袈裟斬りに切り替える。
「勇者らしいセリフだ。しかしーー」
その一撃は読まれていた。両腕で力強く弾き返され、俺の足が地を離れた。まずい――!。
「実力が伴っていないようだな!」
「……ぐっ!」
うまく体重を載せた魔剣でのアッパーカット。何とか受け切れたが衝撃は免れない。身体は宙を舞い、荒野の枯草のようにゴロゴロと床を転がる。すぐさま膝を立てて体勢を立て直したがーー。
「なっ!?」
顔をあげた先にはすでにイシュザークの巨体があった。
振りかぶった魔剣が俺の頭を真っ二つにせんと落ちてくる。
膝をついたまま右方向へと転がった。大剣の一撃は固い石畳を軽々と砕く。あっぶねぇ。
低姿勢のまま、右脚で地を蹴って奴の胴を狙って斬りつけた。決して有効な一撃ではない。こちらの劣勢を覆す打撃になればそれでいい。と考えていたが。
奴はそれを後方へ易々とジャンプでかわし、先ほどの俺と同じように間合いの外へ引いた。なんて瞬発力だ。その体躯は俺の倍以上はあるはずなのに。
だが着地時の隙。いくら身のこなしは軽くても、あの体で地を踏めば重力には逆らえまい。
ステップを踏むように少ない歩数で一気に距離を詰める。奴の膝が沈み込んだ瞬間。刀身が赤く光り、焔が迸る。身体を捻って回転させて勢いをつける。
魔術属性=火。対象=聖剣ドーンブレイカー。付与魔法ーー!
「フレア・スラッシュ!」
捉えた!
ヤツの脚が接地したタイミングにドンピシャでの回転斬り。避けられるはずはない。これで魔王の胴体は真っ二つにーー。
「甘いな!」
イシュザークの魔剣はすでに防御の型をとっていた。ダメか―――!
「ちぃっ」
渾身の一撃が弾かれ、ステップして後方へ距離をとる。
パワー、スピード、技、そして今なおヒシヒシと伝わる禍々しいオーラ。なるほど、魔王の名にふさわしい風格だ。
イシュザークの瞳は漆黒の鉄兜の隙間から真っ直ぐこちらを見据えている。黄金に光る瞳が、燃え盛る炎の光を反射して美しく妖しく光っている。
「どうした、こんなものではないだろう?」
凄まじい闘気。紛れもなく、今まで闘ったどんな敵よりも強靭で強大だ。まさにラスボスって感じだ。
「なるほど。剣の腕は大体わかった。今度はーー」
イシュザークが息を大きく吐きながら片腕を上げる。すると黒い円形の魔法陣が奴の周囲に一つ二つ……無数に展開されていく。
「こいつはどうだ――!」
腕を水平に振ると、暗黒の魔法陣が俺へ目掛けて飛んでくる。
「なんだ……?」
初めて見る魔術。どういった攻撃かも判別できない。この魔方陣自体が攻撃?
だがその円陣は俺の一歩手前で周囲を囲うようにすると、狙いを定めたようにピタリと止まった。
この攻撃は……。
「イビルズ・ハンド」
悪魔の腕。その名の通り、魔方陣から召喚された無数の悪魔の腕が俺をつぶしにかかった。さっきのはこいつを飛ばすための魔法陣か!
巨大な腕は俺の身体を正確に狙い、握り潰しにくる。後方に避けると石造の床はその威力で粉々に弾け飛ぶ。
魔法陣は少しずつ角度を変えながらこちらを捉え、そこから悪魔の巨腕がまた俺を握り潰しかかる。このまま躱し続けるのも厳しい。どんどん体力が奪われていく。
「だったら!」
剣には剣、魔術には魔術だ。
属性=光。対象=敵の魔法陣。闇を滅ぼす光の刃。
「ライトニング・ソード!」
無数の光の剣を射出され、魔王が飛ばした魔法陣を穿ち霧散させた。
「防いだか。なら・・・・・・」
再びイシュザークはこちらへ片腕を向ける。
今度はさっきより何一〇倍も大きな魔法陣がイシュザークの背後に展開された。
「バニッシング・アビス!」
全てを押し流す闇の濁流。その奔流が奴を避けるようにして雪崩れ込んでくる。ひとたび飲み込まればその質量で圧死し溺死するだろう。
先ほどのイビルズ・ハンドより高度な闇の魔術。さすがは魔王といったところか。
……随分と舐められたものだな。
「……行くぞ、ドーンブレイカー」
聖剣は俺の声に応えるように淡く紅色に光を放つ。
「おおおおお!」
俺は間近に迫った奈落の奔流へ向け、ドーンブレイカーを振りおろした。その一撃でモーゼの海渡りの如く、暗黒の濁流はは真っ二つに引き裂かれた。闇には光を。この聖剣ドーンブレイカーは闇を切り裂く光の聖剣。暁を照らす、希望の剣。
波の間から、再び奴の体躯へ目掛け一気に距離を詰める。
勢いを伴った回転切り。イシュザークは魔剣で受け止める。
「この程度か? 剣戟が単調すぎるぞ」
余裕綽々にイシュザークは言った。だが。
「――どうかな。見てみろよ。愛剣が泣いてるぜ?」
イシュザークは俺の言葉にガシャッと全身を震わせた。
身にまとう装備は太古の昔、巨山を支配していた黒いドラゴンの亡骸を使い作られたと聞く。
魔竜の血を鋼鉄に混ぜたであろう黒剣。その刃はドーンブレイカーにより所々が痛んでいた。
「……人間風情が」
言葉とは裏腹に、漆黒の兜の奥から不気味な笑いが漏れる。
イシュザークが感嘆したのとほぼ同時、俺たちのすぐそばで部屋の壁が吹き飛んだ。酸素を得た火の手が、そこから一気に噴き出す。
「うっ……」
石造りの壁を焦がすほどの熱風だ。あまりの熱さに顔を覆ってしまいたくなる。
「——どうやらあまり時間はないようだな」
「その割には随分余裕がありそうだが?」
根城は燃え盛り、従えていた兵はほぼ全滅。外では仲間たちが俺の帰りを待っている。万が一俺が仕留め損なっても、彼らが止めを刺してくれるだろう。いや、その前にここが俺たち諸共崩れ落ちるのが先かーー。
もはや逃げ場など無い、背水の陣とも呼べる状況。だのにコイツが慌てふためく様子は微塵もない。その余裕はどこから来ているのか。
魔王は失笑した。
「簡単な話だ。ここが崩れ落ちる前に貴様を殺す。出来なければ私が死ぬ。ただそれだけのこと。強きものが生き残り、弱きものは死ぬ。遍く世界、あらゆる社会、全生命に共通する摂理だ」
「弱肉強食ってか。そんなものはな、弱者を虐げる事を正当化してるだけだ!」
魔王は首を振った。
「わからんな。人は智力で豚に勝り、膂力で鶏に勝ったから家畜としたのだろう? 食われる側の意思など知らず、適当な理由をつけ目を逸らしてな」
「何が言いたい」
黒い鉄甲がガシャっと音を立てて俺を指差した。
「貴様ら人間こそ、この摂理の体現者だと言うのだ。現にお前は私を力でねじ伏せんと、その剣を握っているではないか。なぜそうまでして、弱者の味方なぞする必要がある? 傭兵一人雇えぬ貧民共など、放っておけば良いだろう」
……たしかに、俺たち人間とコイツら魔族はその頂点に立っているのかもしれない。
「お前の言う通りかもな」
もし、俺がこの世界でありのまま育った勇者ならそう思ったかもしれない。
「でもな」
あ《・》の世界で生まれ、虐げられてきた俺はそうは思わない。
「そういうのはもう、うんざりなんだよ」
ドーンブレイカーをグッと握りしめると、応えてくれたかのように聖剣はその刃を淡いピンク色に光らせる。
認めたら、あの世界で受けた理不尽を肯定することになるから。
「それに人が戦うのは、強さを示すためだけじゃない」
言葉の先を促すように、奴の甲冑の奥がギラっと光ったような気がした。その瞳を目掛けて、ドーンブレイカーの切先を向ける。
「大切な人たちを……守るためだ!」
俺の言葉に呼応するようにドーンブレイカーは光を放つ。
「……くだらん戯言を」
イシュザークは吐き捨てるとデスブリンガーを構える。
「問答など不要だった。私かお前、どちらが最後に立っているか。その結果のみが真実だ」
上等。ならばこちらから一気に決めさせてもらおう。
「……行くぞ!」
大きく息を、吸い込み止める。
属性=白。対象=脚部と腕部。強化魔法ーーストレングス!
黒く汚れた床を蹴り飛ばし、聖剣を前に構えたまま魔王の懐へ飛び込んだ。ヤツは魔剣の腹で防いだ。
が。
「……! 」
ヤツの双脚が地から離れる。ミノタウロスの猛進のような剣突を受けて、ヤツの体躯は大理石の壁へとめり込んだ。
重い一撃を受けて魔王の体躯はよろめく。
その瞬間を見逃さない。
「おおおおお!」
体勢を崩している隙に一気に距離を詰めた。魔剣を持つ腕はまだ力抜けて垂れ下がっており、逆側の腕を使って壁から離れようとする。その左の肩口を切り払う。
赤黒い血を噴き出しながらヤツの左腕が宙を舞った。
「ぐっ……!」
イシュザークの守りは完全に崩れた。それでも、残った腕で魔剣を握り、力任せに振ってくる。
だが魔王と言えども、片腕と両腕では後者に分がある。
「おおおおおぉぉぉ!」
その大剣へ、最大の一撃を当てる。今度は魔剣の方が、魔王の手を離れて円を描きながら宙を舞った。
「……これで、終わりだぁ!」
なす術を失ったイシュザークのみぞおちへ聖剣を突き刺した。
「がっ・・・・・・はぁっ」
硬い鋼鉄の感触を超えて、ズブズブと肉を断っていく感触が手のひらから伝わってくる。
ーー勝った。
息を整えながら、ドーンブレイカーから手を放す。致命傷だ、いかに魔王といえども立ち上がれまい。
「これまでだ。一〇〇年の支配、征服に侵略。——このレン=ヴァースが全て、終わらせた」
さすがの魔王も肩を上下しながら、腹部を貫く痛みに苦しんでいる。
「見事だ、勇者レン……っ」
イシュザークは残った腕で兜を乱暴に脱ぎ捨てた。
シワだらけの青白い肌、肩まで乱雑に伸びた白髪に、窪んだ眼窩には光の差し込まない金色の瞳。内臓から溢れた血が、萎んだ唇の端から流れ出ている。
「なるほど、まさしく死者の王ってツラだな」
俺が失笑すると合わせるように、魔王も鼻を鳴らす。
「……ああ、何百年も、この血を統治してきた。行く場のない者たちに、食を与え、住処を与えてきた……」
「今さら同情しろってのか?」
「違う。他人の事情も聞き入れず、一方的に排除しようとする行為は『暴力』というのだ……。やはりお前たち人間は、弱肉強食の体現者だな」
紅く染まった歯を剥き出しにして口を歪ませた。その顔は魔王そのもの。
「……てめぇ!」
まるで俺の怒りに呼応したかのように城全体がゴゴゴッと音を立てながら揺れた。
いつこの床が落ちるかも分からない。そろそろ、ここから脱出しなければ。
イシュザークの身体からドーンブレイカーを引き抜いた。
「ガフっ‼︎」
ダムが決壊したみたいに紅血が噴き出る。鮮度は悪そうだ。煮詰めすぎたトマトソースみたいにドロっとして黒い。
不死の生物、アンデット共の対処法。それは首を切り落として心と頭ーーつまり魂を切り離すこと。そうすれば亡者といえど、二度と生を受けることはない。ーーある意味では、転生者である俺も同じかもしれないけど。
そろそろ本当に終わりにしよう。聖剣をヤツの首に当て、狙いを定める。
イシュザークは観念したのか、びくりとも動かない。
部屋の天井・床・壁、あらゆるところにビシビシとヒビが入る。
「これで終わりだと思うな・・・・・・」
「ああ? 捨て台詞か? あれだけ講釈を垂れたくせに感傷的だな」
俺の煽りを受けても、イシュザークはなおその不気味な笑みを剥がそうとしない。
「覚えておけ。この世の全ては円環のように繋がっている……。我ら魔族は一枚岩では無い。このまま滅亡したと思ったら大間違いだ……。貴様たちの行く末を……地獄で楽しみに眺めるとしよう」
死にかけのくせによく喋る。
「あっ、そう」
外しようはない。魔王の首を目掛けて、聖剣を振る。
「ではさらばだ。勇者よ」
「ああ。永遠にな、魔王様」
驚くほど軽い感触だった。首を離れた奴の首は、ゴロンと崩れかかった床へと転がった。その真っ白な髪を乱暴に掴み、投げ捨てられた兜を手にして出口へと走る。崩れ落ちていく床石を、忍者のように連続で飛び跳ねる。
月明かりが差し込む部屋、どこかのバルコニーだろうか。どこでも良い。もはや脱出の場所を選んでいる暇などなかった。
死ねない。今度は。自分で選んだ、あの時の死とは違う。
あの世界とは違うんだ。俺を必要としてくれる人がいて、俺を大切に思ってくれる人がいる。その人たちのために、死んでなるものか……!
俺は残る力のすべてを脚に込め、光の先へ向かって飛び上がった。
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉ!」
俺の体は爆風により宙へと勢いよく放り出された。
着地とともに受け身を取り、ゴロゴロと転がって衝撃を抑える。どのくらい地を回り回ったかわからない。イカれた三半規管の絶叫に耐えながら、仰向けになって息を整える。
まるでアクション映画のラストシーンみたいだ。……やれやれ、死ぬかと思ったぜ。
「レェェン!」
「無事か、レン!」
声のした方角へ首だけ向けると、仲間たちがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。その姿を見てようやく安堵する。
そのうちの一人がガバッと俺に抱きついてくる。
「よかった……もう帰ってこないかと思いました」
美しい金髪が煤で汚れてもなお、その可愛らしさは揺らぐことはない。ちょっと、そんなにくっつくと色々柔らかいんですけど……。
「リアナ……君も無事でよかった」
彼女が一旦離れると、力無く横たわった俺に仲間達が肩を貸してくれる。
「まったく、たまにとんでもないことをしでかすよねぇ、君は」
「全くだ。『必ず追いつくから先に行け』と言って……俺たち、特に姫様とアリシアがどれだけ心配したか」
「悪い……ありがとう、ルージ。デュール」
フッと俺たち男三人は顔を見合わせて破顔した。
そして俺たちのパーティのもう一人の女性。
「レン……」
「アリシア姉さん……」
幼馴染のアリシアは、俺の顔を見て心底安心したようだ。そして昔のように、俺の両頬を指で捻り上げながら怒鳴りつけてきた。
「このおたんこなす! どんだけ待たせたら気が済むのよ!!」
「いったたたたたた! ごへんごへん、わるはったはら!」
いつも通りのやりとりを見て、今度は俺以外の全員が吹き出した。
はぁ、救世の勇者になったっていうのに、変わらないな俺たちは。
こうして俺たち勇者一行は魔王イシュザークを討ち倒し、王都アルカディアへ凱旋するのであったーーとさ。