ドラムロールのビートにのって、オレは缶コーヒーの中で営業スキルを武器に戦う 012
阿蘭は夢を見ていた。
それは夢の中で「ああ、これは夢だ」とわかるタイプの夢だった。
寝そべっていたかたわらに、身の丈2メートルは超えていると思われるヒグマが座っていた。
ヒグマは両の手の平でマグカップを抱えていた。
「いい香りだな」
阿蘭はその香りからヒグマが飲んでいるのは珈琲だと見当をつけた。
「しかし、どうしようか」と阿蘭は思った。
ヒグマは敵意を示していない。
というより、むしろ、くつろいでいる。
しかし、今、くつろいでいて、阿蘭を襲わないのはたまたまヒグマの腹が減っていないからだけかもしれない。
「オレは保存食扱いか?」
やはり逃げるべきだろうな、と阿蘭は思った。
ヒグマに遭遇した際、急に動いたり、背中を向けて逃げるとヒグマは襲い掛かってくる。
正しい対処としては、両手を広げ、身体を大きく見せ、大きな声を出して威嚇するの良いと聞く。
「今の状態で大きな声なんか出したら、このヒグマは驚いてマグカップをひっくり返して、熱々の珈琲がオレの顔にかかるよな」
夢の中らしい平和な想像を阿蘭はしていた。
「止めときな」
「クマが喋った」
「そりゃ、喋りもするだろうよ。ここはあんたの夢の中なんだから」
阿蘭は身体を起こしてあぐらをかいた。
「おかしいな。オレはさっきまで異世界に転生していたはずだが」
「その通りさ。あんたはさっきまで異世界にいた。今は異世界と現実世界の間のいる」
「確か事件に巻き込まれていた姉妹の手助けをしていたんだ」
「そうかい」
そこでヒグマがマグカップを抱え、珈琲を飲んだ。
「莎等はどうなった?」
「さあ、どうだろう。ここはあんたの夢の中だからあんたの都合の良いようになっているじゃないのかい」
「夢の中の話じゃない。異世界で会った莎等のことだよ」
「あたしが知るわけないじゃないか。あたしはあんたが夢の中でこしらえたただの話相手だよ」
「そうか」
だんだん、阿蘭は異世界での出来事がどうでもいいような気がしてきた。
「まあ、でも、あんたが現実世界に戻れず、夢の中にいるということは異世界ではあまり良いようにはなっていないじゃないかねえ」
確かにそうだ、と阿蘭は思った。
「なにかしらの条件を満たさないと現実世界には戻れないんだろう」
ヒグマがとても落ち着いていた。
「その条件を、その莎等という人物は知っているかもしれないと思ったからこそ、あんたは手助けをしようとしたんだろう」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、さっさと目を覚まして、その手助けの続きをやった方がいいんじゃないのかい?」
「おっしゃる通りさ。でも、オレは自動車にひかれて・・・、まあ、自分から飛び込んだわけだが、身体を強打して昏倒したんだ」
「身体についてはもう大丈夫だろうよ」
阿蘭は不思議に思った。
「なんで、そう思う」
「さっきも言ったけど、あたしはあんたがこしらえた存在であんた自身だからだよ」
「オレ自身が気がついていないことをヒグマのあんたは気づいているのか?」
「バカ言うんじゃないよ」
ところで、あんたからはあたしがヒグマに見えているんだね、と少し興味深げに話を続けた。
「あたしはあたしを作ったあんた以上にあんたのことがわかるわけないよ。つまり、あんたはあたしが気づいていることにはすでに気づいているってことだよ」
「ダメだ。頭が痛くなってきた」
阿蘭は禅問答みたいな話に考えることを放棄したくなった。
「あんたは自分の技能を正しく理解できていない」
「それはわかっている」
「それなら都合良く自分の技能を定義し直してみればいいじゃない」
「そんな無敵技みたいこと通用するのか?」
「知らないよ。けど、そもそも異世界に転生・転移すること自体が荒唐無稽な話じゃないか」
「そんな都合よくいかないよ」
「だろうね」
ヒグマは珈琲を飲み干すとマグカップを床に置き、ヒグマらしく四つ足で立った。
「もう行くのか?」
「あたしが行くんじゃない。あんたが目を覚ますからだよ」
ヒグマは振り返ることをなく、阿蘭の傍を離れて歩き出した。
「ちょっと待ってくれ」
その声はヒグマに届くことはなく、阿蘭は寝かされていた自動車の中で目を覚ました。