表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私の最後の日

作者: 如月夢月

いつからだろう。

いつか死ぬ運命なのに、それさえ怖く病気に成るのも事故にあうのさえも怖く感じた。

私は、いつどこで何歳で誰に看取られながら死んでいくのだろかと毎日考えていた。


 いつからだろう。

 いつか死ぬ運命なのに、それさえ怖く病気に成るのも事故にあうのさえも怖く感じた。

 私は、いつどこで何歳で誰に看取られながら死んでいくのだろかと毎日考えていた。


 私は、高校三年久城明クジョウメイ十八才だ。

 夏休みのある日、私はいつもの様に六時半に起き、部屋のカーテンを開けようとした時だった。

(足が動かない……)そう感じた、いつもより足に感覚がなかった。

「明ご飯できてるよ」

「足が動かない…」と起こしにきた母にそういうと、母が「何言ってるの?声出しなさいよ」と私に言ってきた。

 私は、その時初めて気づいた。

 私は、足が動かず、声もなくしていた。

 私は、枕元でいつも充電しているスマホを手に文字にした。

(お母さん、声が出なくて、足が動かないの…)とうち母に見せた。

 すると母は「何冗談言ってるの」と始めは嘘だと思っていたが私が真面目な顔で母を見ていると段々母は焦り始め、救急車を呼んだ。

 病院に行く準備をしている時だった、私は気を失ってしまったらしく気づいたら病院のベッドの上だった。

「気づいた?? 明! 大丈夫? 」と母の顔が見れた。

 母が先生を呼んだ。

 先生が来て私にいきなり「明さん、君ねあと二日後には死んでしまいます」と言われた。

 私は、何がなんだか分からず少しの間頭が真っ白だった。

 後々知ったのだが私は『難病』のがんで、体全身に転移していた。



 そして、三日後私は、この世の幕を下ろした。

 短い人生だった。

 死ぬのは、とても怖かった。

 だが、悔いのない人生だった。

 楽しかった。

 辛いお時もアゥたが、母のお陰で辛さが消えていった。

 私は、最後に母へ手紙を出した。

 私が死んだ一日後自宅にっ届いた。『お母さんへ。私がいない日々がこれから続きますが大丈夫てすか? 母子で大変だったと思います。育児の休憩と思ってください。まま大好きだよ。明より』

 お母さん今までありがとう。

人生突然何が起きるかわからないのが人生だ。

私も朝起きるのが怖い。

自分が起きている様に感じるだけで、本当は、亡くなっているのでは? とたまに思う。


『人生は、楽しんだもの勝ち』って誰かが言っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ