私の最後の日
いつからだろう。
いつか死ぬ運命なのに、それさえ怖く病気に成るのも事故にあうのさえも怖く感じた。
私は、いつどこで何歳で誰に看取られながら死んでいくのだろかと毎日考えていた。
いつからだろう。
いつか死ぬ運命なのに、それさえ怖く病気に成るのも事故にあうのさえも怖く感じた。
私は、いつどこで何歳で誰に看取られながら死んでいくのだろかと毎日考えていた。
私は、高校三年久城明十八才だ。
夏休みのある日、私はいつもの様に六時半に起き、部屋のカーテンを開けようとした時だった。
(足が動かない……)そう感じた、いつもより足に感覚がなかった。
「明ご飯できてるよ」
「足が動かない…」と起こしにきた母にそういうと、母が「何言ってるの?声出しなさいよ」と私に言ってきた。
私は、その時初めて気づいた。
私は、足が動かず、声もなくしていた。
私は、枕元でいつも充電しているスマホを手に文字にした。
(お母さん、声が出なくて、足が動かないの…)とうち母に見せた。
すると母は「何冗談言ってるの」と始めは嘘だと思っていたが私が真面目な顔で母を見ていると段々母は焦り始め、救急車を呼んだ。
病院に行く準備をしている時だった、私は気を失ってしまったらしく気づいたら病院のベッドの上だった。
「気づいた?? 明! 大丈夫? 」と母の顔が見れた。
母が先生を呼んだ。
先生が来て私にいきなり「明さん、君ねあと二日後には死んでしまいます」と言われた。
私は、何がなんだか分からず少しの間頭が真っ白だった。
後々知ったのだが私は『難病』のがんで、体全身に転移していた。
そして、三日後私は、この世の幕を下ろした。
短い人生だった。
死ぬのは、とても怖かった。
だが、悔いのない人生だった。
楽しかった。
辛いお時もアゥたが、母のお陰で辛さが消えていった。
私は、最後に母へ手紙を出した。
私が死んだ一日後自宅にっ届いた。『お母さんへ。私がいない日々がこれから続きますが大丈夫てすか? 母子で大変だったと思います。育児の休憩と思ってください。まま大好きだよ。明より』
お母さん今までありがとう。
人生突然何が起きるかわからないのが人生だ。
私も朝起きるのが怖い。
自分が起きている様に感じるだけで、本当は、亡くなっているのでは? とたまに思う。
『人生は、楽しんだもの勝ち』って誰かが言っていた。