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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第一章 ベリアルド家
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9.シェリエル五歳のアップデート


 お勉強と言っても、ちょっとした習い事程度だと思っていた。

 まさか、三歳からみっちり座学を叩き込まれるなんて……

 生まれてすぐに思考し始めた脳はずいぶんスペックを上げたようで、複雑な歴史も癖のある語学も一応授業に付いていくことが出来た。

 算術は前世より簡単で、思っていたほど悪く無い生活だった。


 教育が始まり忙しい日々を送っていれば、あっという間に五歳になっていた。

 ディディエとの関係も良好で、毎日遊ばれ——いや、遊んでもらっている。

 たまに死にかけることもあるけれど、案外身体も丈夫なようでなんとかなって…… いるのか?

 いや、本当にやめてほしい。危害の概念を学び直した方がいいと思う。これで仲良くなりたいなんて天才が聞いて呆れるわ。


「シェリエルこんなとこにいたの? 探したじゃないか」


 来た、小さな藤色の悪魔め。

 現在、使用人たちの控え室。最近やっとメアリと一緒なら部屋から出ていいと言われて、調子に乗って入り浸っている。

 なぜかというと、某ディディエお兄様から隠れるために決まっている。

 そして見つかった。もうおしまいだ。


「ディディエお兄様、なぜここに……」


 ちなみに、少し前にディディエからお兄様と呼ぶお許しが出た。むしろお兄様と呼ばないと拗ねるらしく、妙な加害が増えるのでお兄様とかわいく呼んでいる。


「だって、塔へ行ってもシェリエルが居ないから。誰に聞いても知らないって言うしさ。でも使用人風情が僕に嘘をつけるはずがないだろう? 反応でだいたい分かったよ。どうして僕に内緒にしてたの?」

「かくれんぼでもしてみようかと……」

「ふふ、じゃあ僕の勝ちだね」


 なんだかんだ、ディディエは優しい。優しくなった。執拗にわたしに構いたがる。遊ばれているような実験されているような、そんな怪しげな空気も感じるが、だいたいは良い兄として振る舞ってくれている。

 これは決して“あまりのストレスからそう思い込もうとしている”とかではなく、最初や夢のことを思うと優しいな、と思うだけで。……そう、比較対象が最悪過ぎて絆されそうになっている、が近いかもしれない。

 とにもかくにも、彼はいい兄になろうとしてくれてはいる——


「ところでそれは何かな?」


 気のせいかもしれない。めちゃくちゃ怖い。なんかヤンデレ漫画の広告で真っ暗な笑みを浮かべるショタみたいな顔で笑っている。

 そのナチュラルに気が狂っていそうな彼のいう“それ”は、テーブルの上の蜂蜜パンのことを言っているらしい。

 パンを一口大に切り、そのまま蜂蜜をかけた激甘おやつだ。


「これですか? わたしも五歳になったので、蜂蜜を食べて良いと……」

「は? 誰が? 誰があげたの?」


 メアリと仲の良い料理補佐のジルケが真っ青な顔で震えている。

 今日はディディエから身を隠しがてら、おやつをもらっていたのだ。知らない人から貰ったわけでもないのに何をそんなに……

 一瞬でジルケに的を絞ったディディエが底冷えのする声で問い詰める。


「お前か。使用人であるお前が僕の楽しみを奪ったのか? 僕はシェリエルに初めて砂糖菓子をあげたときから、蜂蜜もチョコレートも絶対に僕が最初に食べさせると決めていたんだけど。どうしてくれるの? シェリエルが子リスみたいに頬張ってプニプニの頬をピンクに染めるとこ見れなかったじゃない。ねぇ、ただでさえシェリエルが笑うとこ貴重なんだよ? どうするの? で、シェリエルはどうだった?」

「とても可愛らしいお姿でした!」

「そりゃあそうだろう。僕は見れなかったけどね! おい、なにニヤけてるの? 余裕か? 死ぬか?」

「お兄様! おやめください! 兄様も一緒にお茶にしましょう。そしたらもっと美味しいはずです」


 ふぅ、と息を吐きディディエは席に着く。

 厄介すぎるし本当にやめてほしい。情緒が世紀末みたいな兄を持つと苦労する。


「あーあ、せっかく最近砂糖菓子も用意せずにシェリエルの欲を煽ってたのに。台無しじゃない」


 たしかに甘い物欲は煽られた。結果、メアリに甘いものが食べたいと言ってしまったのだ。

 この後人知れずジルケが消されていたなんて事になったらどうしよう。


「そ、そうだ。これからお菓子を作りませんか? 初めてのお菓子をお兄様と一緒に食べたいのです」

「なに? 侯爵家の人間が調理場に入るの? というか、作れるの? 母上に知られたら燃やされるよ?」

「自分では作れないので作ってもらうことになりますけど…… 二人だけの秘密にしましょう」


 秘密という言葉が効いたのか、何やら少し考えた後、ディディエは上機嫌で席を立つ。

 釣られてシェリエルも立ち上がると、メアリが抱き上げてくれた。


「いいね、楽しそうだ。おい、お前が案内しろ。罪を償う機会をやろう」


 ジルケは青い顔をしたままシェリエルたちを調理場へと案内した。

 後ろから機嫌良さそうに付いてくるディディエの目を盗んで、シェリエルは小声でジルケに声をかける。


「ジルケ、ごめんね。お兄様はわたしが何とかするから気にしないでね。それと、蜂蜜ありがとう」

「お嬢様…… わたくしの事はお気になさらないでください。お嬢様の為でしたら首の一つや二つ!」

 

 蜂蜜如きで首を掛けないでほしい。

 少しだけ顔色を取り戻したジルケが目に涙をためていた。

 調理場に着くと夕食の準備をしてた5人の料理人が慌てて膝をついた。

 ……しまった、迷惑かけたかも。


「料理長だけ残れ。これから菓子を作らせる」


 脱兎の如く四人が消えると、料理長らしき男性がオロオロと調理場を見渡していた。


「か、菓子ですか。砂糖菓子でしたら……」

「砂糖菓子ではない。シェリエルが食べた事のない菓子だ」


 料理長と目が合った。この横暴をどう切り抜けようかと言う目だ。

 侯爵令嬢のわがままと思われても仕方ないけれど、ジルケの為にも料理長には頑張ってほしい。


「はじめまして、シェリエルです。いつも美味しいご飯をありがとう」

「い、いえ。ご挨拶遅れまして申し訳ありません。こちらで料理長を務めさせていただいております、コルクと申します。それで、食べた事のない菓子というのは…… いまはチョコレートの材料が無いのですが」

「クッキーとかパンケーキとか、簡単なおやつで良いのです。砂糖菓子以外にも食べてみたくて」


 キョトンと小首を傾げているのはコルクだけではない。控えているジルケやメアリも何言ってるんだこいつという顔をしている。

 その中でディディエだけが楽しそうに口角を上げている。


「シェリエル…… 砂糖菓子(コンフィズリー)はたいていどれも手間がかかるし、他に甘いものはチョコレートか蜂蜜、果物しかない。クッキーやパンケーキなんてどこで覚えてきたの? 簡単なおやつって言うけど、コルクどうする? なんとか出来るかな?」

「新たな菓子を作る、と……」

「え? お菓子って砂糖菓子……? とチョコレートだけなんですか?」

「砂糖菓子にもいろいろあるけど、だいたい似たようなものだね。砂糖を固めるか砂糖漬けしたものになるかな」


 みんなで疑問符を浮かべ、顔を見合わせた。

 急に一休さんが始まったら誰でもこうなる。と、思っていたが、みんなの疑問はわたしに向いている。

 いやいや、焼き菓子とかないの? チョコはあるのに?


「ちなみに、チョコレートも菓子というより薬に近い嗜好品だからね?」


 思考を読んだかのようにディディエが面白そうに笑っていた。

 甘いものがないと知ってショックを受けていると思われている。あながち間違いではないけれど、わたしには前世の記憶があるのだ。

 最近座学の内容も難しくなってきていて、糖分が足りていない。ここまで来たらお菓子、作ってもらいましょう。


「菓子がないなら菓子を作ればいいじゃない、ですよ。お兄様」

「うん?」


 なにが始まるんだ? という目を爛々と輝かせ、ディディエは観察モードに入った。

 そんな兄は放っておいて、善は急げという具合にコルクに向き直す。


「じゃあコルクはわたしの言う通り作って貰えますか? オーブンはありますよね?」

「はい、仰せのままに」


 ベリアルドは天才だ。使用人といえどそれは充分に理解している。

 とりあえず作って貰えるようなので簡単に出来そうな物を考えてみた。


「ボウルと、泡立て器、あと卵一個と柑橘系の果実、砂糖を用意してください」

「泡立て器……というのは?」


 泡立て器がないのか…… 代わりに大きなフォークがあったのでいくつか重ねて縛ってもらった。即席泡立て器、時間はかかるが出来ないことはないだろう。たぶん。


「まず、卵白と卵黄に分けてください。卵黄は使わないので夕食に使ってくださいね。あとは卵白の二倍の砂糖を用意してください」


 すぐに白磁のボウルに殻一つ入れる事なく綺麗に分けられた。そこに檸檬を絞って酸味を足す。


「じゃあ、その卵白をひたすら混ぜてください。泡になって、モコモコになるまでひたすら」


 卵白を混ぜながらコルクと少しお喋りをする。子爵家の四男で、コルクの家系は料理人が多いらしい。


「卵を菓子にするなど、父からも聞いたことがありません。卵白が本当に菓子になるのですか?」

「たぶん、大丈夫だと思います」


 透明だった卵白が白くなって来た頃、少しずつ砂糖を加えながら混ぜるよう指示を出す。


「シェリエル様すごいです! モコモコになってます!」


 側で覗いていたジルケとメアリが楽しそうに声を上げる。調理の様子など見たこともないだろうディディエも、ふむふむと見守っているので興味があるようだ。


「ツノが立つくらい泡立ったら、絞りに移して…… いえ、スプーンで行きましょう。天板にスプーンで少しずつ落として行ってください。砂糖菓子より少し小さいくらいに」


 なんとなく絞りはないだろうと思ってスプーンで代用する。ポトポトと落とされたメレンゲが天板に並ぶと後は焼くだけだ。


「このまま低めの温度で焼いてください。焦げやすいので」

「え、焼くのですか? あの、申し上げにくいのですが、砂糖は高温で溶けてしまうのでドロドロになってしまいます」

「たぶん、大丈夫だと思います」


 コルクは渋々オーブンを調整し、ポツポツ白の小山が並んだ天板を入れた。


「オーブンの温度は調整出来るのですか?」

「ええ、中に魔法陣が施され、魔石を使っているので大まかには。料理によってどれくらいの火加減にするかは料理人の腕の見せどころなのですよ」


 自慢げに胸を張る様子から、コルクは腕に自信があるのだろう。たしかに侯爵家で食べるパンやお肉は柔らかくて美味しかった。


「コルクのお料理はいつも美味しいですからね。そういえば、野菜が出ないのはなぜですか? ベリアルド家は野菜嫌いなのですか?」


 野菜と呼べるのは前に食べていた芋くらいだった。最近ではふつうにお肉や魚に卵、パンが主なメニューとなっているが、野菜が出てこないのを不思議におもっていた。


「シェリエル、草や根は平民が食べるものだよ。貴族が食べるわけないじゃないか」

「そういうものですか? 美味しいですし、健康にも良いですよ?」

「シェリエル様、もしや以前はそのようなものをお食べに……?」


 途端に潤んできたメアリの瞳に慌てて弁解する。そんな可哀想な子を見る目で見ないで……!


「や、野菜は美味しいのですよ。ディディエお兄様も前にふかした芋をくださったじゃないですか」

「ああ、それは言わないでよ。あれ嫌がらせだし。でも変なやつだなと思っていたのは確かだよ」

 

 ディディエはバツが悪そうに笑っているが、変なやつとは聞き捨てならない。

 たしかに少し変わった三歳児だったかもしれないけれど。


「コルクも野菜は料理しないのですか?」

「そうですね。下位の家門でしたら野菜を食べているかもしれませんが」


 なるほどなるほど。

 よくよく聞けば、どうやら野菜は地べたに落ちたパンを拾って食べるのと同じような感覚らしい。

 衛生観念が終わっている下位貴族や平民は平気で食べるが、上位の貴族が口にするものではない。身分が高ければ果物を食べる余裕があるから栄養素的にはなんとかなっているのだろう。

 あとは穢れがどうとかなんとか。土地は微量な穢れを含んでいて、厄災のときなどは土地も汚染されるという。

 前世の感覚で言えばヘドロの沼でどうにか生きているザリガニを食べるような感覚だろう。

 けれど、食べている人がいるなら有害というわけでもなさそうだし。汚染されてない沼ならそれは池とか湖だ。

 洗えばいいのよ、洗えば。

 と、まあそんなノリで今度こっそりコルクに野菜を料理してもらうことにした。


 そうこうしているうちに、メレンゲが焼き上がる。

 水分を飛ばす為、オーブン内で放置してその間に紅茶の用意をしてもらう。


「何も変わってないように見えるけど……」


 訝しむディディエを他所に、ちょいちょいと指で触ってみると、きちんと焼けていて持っても大丈夫そうだった。

 しっかりと水分が飛び熱も冷めている。お皿に移すようお願いすると、天板からコロコロと転がるメレンゲに皆の視線が釘付けだ。


「凄い! 固まっている! 押し固めたわけでもないのにどうなっているんだ」


 盛られたメレンゲをポイっと口に入れると思った通りの仕上がりになっていた。思わず顔がニヤけてしまう。かなり甘いとは思うけど、酸味があるので食べやすくおやつにちょうどいい。


「ディディエお兄様もどうぞ。みんなも」


 わたしが先に食べたのは、毒味という意味もある。

 と、心の中でマルゴット先生に言い訳しながらついでにディディエの口に入れてあげた。

 マルゴット先生に見られていたら烈火の如く怒られただろうが、ディディエは満更でもないらしい。


「へぇ、これはいいね。砂糖菓子よりも僕好みだ。アレは少し甘すぎる」


 それでも相当甘いだろうに、食感も気に入ったらしい。

 許しが出て使用人たちも次々に手を伸ばした。メレンゲ菓子の感触を確かめるように指先で転がしながら口に入れる。


「すごいです! サクッとしていて、それでいてジュワッと溶けます!」

「いやあ、自分で作ったのに信じられない。こんな食感になるなんて」


 みんな気に入ってくれたみたいでよかった。

 すっかりディディエの機嫌もなおっていて。ジルケも首が飛びそうになった事などすっかり忘れた様子で、キャッキャと騒いでいた。


「湿度にだけ気を付ければ、日持ちもするはずなのでこれからたまに作ってください」

「ええ、もちろんです。これなら砂糖の量も少なくて済みますし、侯爵様や奥様にもお出し出来る品です」

「そしたら絞りを用意した方がいいかもしれないですね」


 すると突然ディディエが肩を揺らしながら笑い始めた。

 なんなんだこの人は。


「ククッ…… シェリエルはもしかしたら料理に才があるのかな? そ、そんなに食べ物に執着が… あるの」

「なんですか? わたしが食いしん坊だって言いたいんですか?」


 変なツボに入ってしまったようで、人を食い意地の張った何かとでも言いたげに腹を抱えて笑っている。

 何がそんなにおかしいのか。


「ベリアルドはね、その執着に一生を捧げるほどのめり込むんだよ? 料理って…… プッ…!」

「料理は大事ですよ? でもわたしは少し思いついただけなのです、そもそもお兄様が……」

「はーぁ、ごめんね。あまりにも可愛らしくて」


 ひとしきり笑ったあと、ディディエは天使のような笑顔で涙を拭った。 


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[一言] チョコレートも砂糖もあるのに焼き菓子は無い。 高位貴族は野菜を食べないけど健康。 転生チートがやりたいにしても、露骨すぎやしませんかね?
[気になる点] 兄貴の頭がおかしすぎて読む気失せるのでここでリタイア
[良い点] 完結おめでとうございます。 [一言] 読み直していたら、途中の台詞が消えている様に思えますが。 見間違いだったらすみません。
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