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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第一章 ベリアルド家
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8.ベリアルドの幼児教育


 初めて庭へ出てから数週。

 ディディエはほぼ毎日のように庭へ連れ出してくれた。本を読みながら字を覚えたり、たまに城を案内してくれることもある。

 そして、とうとうお勉強の時間がやってきた。


「初めまして、シェリエルお嬢様。わたくしディディエ様の社交と人心を担当しております、マルゴットと申します」

「マルゴット先生よろしくお願いします、シェリエルです」


 ぺこりと頭を下げる。

 五十代くらいだろうか。貴婦人らしい佇まいのマルゴットは心なしか雰囲気が怖い。夢でシェリエルを殺す先生は男性だったが、先生というだけで少し警戒してしまう。


「貴族が頭を下げてはいけません。それは平民の礼です」

「すみません」

「それも平民の言葉です。そして下位貴族に対して軽々しく謝罪の言葉を口にされませんように」

「わ、わかりました」

「その品の無さは育ちのせいですの?」


 まだ席についてもいないのに一挙一動ビシバシと直されていく。

 ヒィ…… わたしまだ三歳なのに……


「ではまず、一般的な教養を身に着ける前に、ベリアルド家の事を学んでいただきます。お嬢様は既に自我がおありですので、諸々の確認も兼ねてとなりますが」


 深いため息と共にテーブルにつくと、早速授業が始まった。


「ベリアルド家が特別な家門というのはご存知ですね?」

「はい」


 マルゴットは紅茶を一口だけ飲み話を続けた。今のところ紙やペンは用意されておらず、すべて口頭で伝えられるようだ。


「ベリアルドの“呪い”というものがございます。これはベリアルドが家門として成り立つ前からあったとされ、ここ数百年でやっとその呪いを飼い慣らす事ができました。代々そのお手伝いをしてきたのがわたくしの一族であり、本日も次代の教師として娘が参っております」


 目線の先には二十代半ばごろの女性が立っていた。マルゴットと似ているのはオリーブグリーンの髪だけで、娘の方は気の優しそうな柔らかい印象だ。


「呪いについてはどこまでご存知ですか?」

「人より賢く、何でも出来る天才だと。あとは、なにか一つ飛び抜けた才と執着があるとか。それと冷酷で罪悪感と情も無く狂っている……と」


 言葉選びが不味かったのか、マルゴットは一瞬ギョッとしてから渋々といった表情で頷く。


「まあいいでしょう。貴族の中でも天才と呼ばれるような人間はたまにいるのです。けれどベリアルド御一族の天才は並の天才ではありません。何か一つに並々ならぬ執着を持ち、その執着に関する分野には国を動かす程の才を発揮します」


 好きこそ物の上手なれ、という事だろうか。

 天才に並もなにもないと思うけど。

 まあ、なんでもできる天才が一つの分野に能力を集中させれば凄い事になるのも不思議はない、か。


「罪悪感や情がないというのは全員なのですか?」

「才のある者は全員です。ですから、ベリアルド家では成人するまでに人の心と、どう行動しどう振る舞うべきかを学び、常に平穏と愛情を得る事で加虐の性質を封じるのです」

「あの…… その、加虐の性質というのは封じられるものなのですか?」

「ええ、少なくとも無意味に人を殺したり傷付ける事を楽しむようにはなりません。それには幼少期に強い怒りや恐怖を感じない事が大切です。そして本来なら自然と育まれる慈愛の精神などを学問として学び、間違った方向に執着を持たないよう教育で補うのです」


 要するに人格形成期に出来るだけ幸せに穏やかに過ごして反社会的な思想を持たないようにしましょう、ということである。

 しかしである。そこでふと疑問が生まれた。

 ……あれ? 夢のディディエ様はかなりの加虐気質だったはずでは? あ、成人までに両親が死んだから……?


「あの、ディディエ様は……」


 ディディエの名前が出た途端、マルゴットの表情が明るくなった。


「ディディエ様は天才の中の天才でございます。最初はどの分野に執着があるのか分からないほどでしたのよ。人の心を読む能力が優れているせいか、そちらの方に興味を持たれ、少し加虐の気はありましたがいまでは無闇に人を傷つけることはありません」


 嘘でしょう? メアリに紅茶をかけてましたけど……

 マルゴットはどうやらディディエ贔屓らしい。早く教育不足に気付いて欲しいなと思った。


「その点、お嬢様はこれまで酷い環境でお過ごしになったと聞いています。何か怒りや恐怖を感じたことなどはありましたか?」

「と、特には。虐待もなかったですし、子どもなのでどうせ寝ていることしかできませんでしたから」

「そうですか、では、世話をしてくれていた人を恋しいと思うことは?」

「その、あまり思いません。たまに思い出したりはしますが」


 マルゴットは少し考えるように話を止めた。

 そういえば、あの人たちの事どう思ってたんだろう。いまのメアリほど親しみを感じていなかったのは、自分を奴隷として育てる世話係だと思っていたからだろうか。


「お嬢様は、大切な人がいらっしゃいますか?」

「え?」

「所有物としてではなく、側に居てほしい、幸せになってほしいと願う相手です」

「メアリは側にいてくれると安心しますし幸せになって欲しいです。ディディエ様は安心は出来ませんが、嫌いではないですね。お父様やお義母様にも幸せになってほしいと思います」

 

 チラと横に控えるメアリを見上げると、目を真っ赤に充血させ、口を引き結んでいる。

 顔が大変な事になっているけれど大丈夫だろうか。


「人が泣いていたらどう思いますか?」

「心配になります」

「それが使用人や知らない人でも?」

「知らない人でも、理由が気になると思います」


 また少し間を置いて、心なしか眉間のしわが取れたマルゴットが静かにティーカップを置く。


「ベリアルドは他人への共感で感情が揺れることはありません。ですが、貴族は自分より下位の者、特に平民に対しては慈愛や庇護の精神を持たなければならないのです。近年ではその精神を持つ貴族は少なくなっていますが、ベリアルドがこの精神を欠く事は許されません。理由は分かりますか?」

「平気で虐殺してしまうようになるから…… ですか?」

「ぎゃ、虐殺……」


 少しやわらいでいたマルゴットの眉がギョッと跳ね上がる。「だって、ディディエ様ならやりかねないでしょう?」とは言えなかった。


「そうですね、呪いの実態が定かでない時代には実際にそういう方もいました。虐殺はともかく、私利私欲の為に領民を犠牲にする事がないようにです。まずは貴族としての義務をお話ししましょう」


 難しい言葉が多用されるが、なんとなく前後の言葉とニュアンスからマルゴットの話には付いていけた。どうやら彼女はわたしが三歳児だということを忘れているらしい。

 それだけはなんとかして欲しいところである。


「その昔、人は争いや欲によって“穢れ”を生み、災いや疫病、戦争が絶えなかったと言います。そんな混沌の世界に神々が降臨され、一部の人間に加護を与えたのです。そうして魔力を持った人間が貴族として土地を治めることになりました——」


 ふむふむ。貴族は“穢れ”や穢れに堕ちた魔獣から平民を守る。

 平民は貴族に守られながら土地を耕し貴族に還元する。

 持ちつ持たれつの関係ということか。


「マルゴット先生、“穢れ”とは何でしょうか」

「魔力を持つものが生み出す魂の澱のようなものです。恐怖や怒り、特に憎しみと罪悪感が穢れを生み、溜まった穢れは人を狂わせます。その穢れは外へも放たれ、溜まった穢れは疫病や災となって人々に返ってきます」


 良く分からないな? スピリチュアル的な悪いものって感じだろうか。

 いや、瘴気か。魔法があるならお約束のアレか。なるほど納得そういうことね。


「動物や平民は穢れを生まないのですか?」

「穢れを生むのは人間だけです。ですがそれらの存在も魔法を扱うには至らないだけで微量な魔力は持つのです。外から取り込む穢れに弱く、平民でも集団で穢れを生み出すこともありますわね」

「なるほど……?」

「続けても?」

「はい」

「魔力を持つモノの穢れは、更に穢れを呼び、狂い、魔に堕ちた存在を魔物といいます。ですがベリアルドは穢れに耐性があります。罪悪感を持たないので穢れを生みづらいのです。蝕まれる心がないと言った方がよろしいでしょうか。……その特性がベリアルドの地位を守ってきました」


 放っておいたらヤバい犯罪者になる一族だけど、能力は高いし闇堕ちするリスクも低いから許されてる、みたいな感じだろうか。

 そして、魔獣と魔物はまったくの別物。魔力を持つ動物が魔獣で、貴族はそれの人部門という感じ。

 魔物を直接見たことがないので恐ろしさが分からないが、正直ベリアルドの方が怖いと思った。


 その後も懇々と小難しい話が続き、眠気がやってきた頃にやっと終わりの気配が見えてくる。


「理解力、会話力などはディディエ様よりも少し早いくらいですわね。ですが、逆に一から貴族として言葉を学ばれたディディエ様と違って、お嬢様は矯正が必要です。他の授業の際にも言葉の矯正をするよう言付けておきますので、そのおつもりで」

「はい……」

「ですが、わたくしに対してそれほど悪感情も持っていないようですわね。ずいぶんと無礼な態度を取りましたが、なぜでしょう」


 たしかに引っかかるところはあった気もするけれど、教師と生徒という立場でおかしいようなことは無かったように思う。

 マルゴットは中位貴族だが、社交の授業では自分より上位の貴族に対する作法も学ぶので、基本的に対等な立場になるとセルジオから聞いていた。


「先生なので厳しいのは当たり前かと。その、少し言葉が難しく感じましたけど、勉強になるので」


 マルゴットは目をまん丸にして口元を隠す。さすが社交の教師だけあって驚き方も上品だった。


「人の悪意に鈍感でいらっしゃいますが、悪意に敏感でなければ貴族としては危険ですわよ」

「マルゴット先生に本当の悪意が無かったからではありませんか。それほど嫌な感じはしませんでした」


 今度は口元を隠さず、マルゴットは淑女らしい笑みを浮かべた。

 

「シェリエルお嬢様、品がないなどと申したこと、謝罪いたしますわ。さすがベリアルド家のお嬢様でいらっしゃいます」


 慣れていると言えば慣れているのであまり気にならなかったが、試す意味もあったのだろう。わざと意地悪で厳しい先生を演じていたらしい。

 ま、これから優しくして貰えるなら万々歳!


「次回からはもう少し厳しくしても大丈夫そうですわね」

「ヒッ……!」


 厳しいのは素だったのか……




 そして、暇を心配していた日々が恋しくなるほど、ほぼ毎日授業を詰め込まれることとなる。

 

 語学や歴史の教師、ジーモンはマルゴットとは対照的に、いつもにこにこしている優しいおじいちゃんだ。

 専門は古語の研究らしいが、ディディエが史学の教師を辞めさせたとかで今は歴史と外国語も一緒に教えてくれることになった。


「ほほほ、ベリアルドのお子様は何人教えても毎度驚かされますな」


 昨日習った古語で書かれた試験文を朗読し終わると、ジーモン先生が褒めてくれた。


「ジーモン先生はずっとベリアルド家で教師をしているのですか?」

「セルジオ様の代からですな。お子様のいらっしゃらない時期は学院で教師をしながら語学を研究しておりますよ」

「ずっと勉強しているなんて凄いです」


 学院という言葉に一瞬胸がザワついたが、彼の穏やかな空気にそのザワつきもすぐに鎮まっていく。


「本日は隣国の書を読んでみましょう」


 外国語の勉強では基本、研究者がすべて直筆で書き上げるかその国の歴史書を写本したものを使う。

 自作の場合は辞書のように単語を並べたものか、教典を外国語に翻訳したものが殆どらしい。

 今日は隣国タリアの歴史書を使うようだ。

 早速一頁目から読んで行く。隣国というだけあって文字は同じで単語やスペルが少し違うだけなので、案外読めそうだった。

 それに、前世とは比べものにならないほど良く頭が働いてくれる。

 ゴリゴリと目から入ってくる情報を記録し、整理、検索、メモ、並べ替え、分類など、エクセルのように情報を扱えるので読解や解析は得意なようだった。

 

「どうですかな? 分からないところはいつでも聞いてください」

「だいたい読めていると思うのですが、発音が分かりません」

「ほう、もう理解できたと! どうやって読んでいくのか教えてくれませんか? ディディエお坊っちゃまは単語を全て暗記されるそうですが、こちらは歴史書ですからそれも難しいと思っておったのです」


 どう説明すればいいのか、と少し悩む。


「単語が似ているので、文法は法則を見つけます。例えば、これなんかは……“侯爵”、“領地”ですよね? それで前後の単語が動詞、とか良く使われているこの単語は主語だなとか」

「ほうほう、我々が長年やってきた研究方法と似ておりますな。お嬢様は語学研究に向いていらっしゃるかもしれません」

「似ている言語だから出来るんです。全く知らない文字だったりすると難しいと思います」


 このままスパコン並に頭が成長してくれたらそれも可能かもしれないが、いまはパズル感覚で分析していくのがやっとだった。

 それに頭を使うと甘いものが食べたくなる。しかも突然充電が切れたように眠くなるのだ。

 どうか詰め込み教育が加速しませんように、と祈りはするが、やはり知る楽しさや達成感のため出し惜しみせずしっかり学習していった。


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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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