16.隷属契約の儀
わたしはクレイラの貴族たちに一通り説明すると、メアリの淹れてくれた紅茶で喉を潤した。屋敷へ戻ってすぐセルジオには話を通してあったが、本当に一度も口を挟まれず、逆に不安になってきた。
クレイラの土を美容品として商品化するには、まだ少し研究が必要だ。けれど、ただ水で少し伸ばしただけでも滑らかで、洗い流したあとの肌はキュルキュルと音を立てそうなくらいピカピカになっていた。
子爵に説明した通り、一度不純物を取り除いたりの加工は必要だが、きっと前世の世界のクレイパックよりも効果があるはずだ。何といっても魔力入りなのだから。
そうだ、商品化するまで、ディオールには別のパックを提案してみよう。まずはパック自体に興味を持ってもらえれば、クレイパックもすんなり受け入れてくれそうだ。これは原材料の確保が難しい石鹸よりも良い商売になるぞ。
「シェリエル、また悪いこと考えてる?」
「良いことですよ、失礼な」
ディディエに意識を引き戻され、まだ話し合いの途中だったと思い出す。ワイバーンでの誘導作戦はきちんと詳細を詰めなければ。城との連絡は通信の魔導具があるから大丈夫だろう。
「そうだ、一応こちらに転移の陣を張っておいても良いでしょうか。悪用はしないのでご安心ください」
「もちろんでございます。領主様に転移門を設置していただけるのは、その地にとっての栄誉ですから」
「そんなに大層なことだったのですか…… お父様、構いませんか?」
セルジオはちゃんと話を聞いてくれていたのか怪しいが、すべて理解したと言わんばかりの落ち着いた笑みで「もちろんです」と答える。
「魔術士団に申請するのは面倒なので、ユリウスに頼みましょうか。彼、神級魔法も使えそうですし」
「普通の転移陣と違うのですか?」
思った以上に大事だったようで、軽い気持ちで口にしてしまったことを後悔しはじめた。これでやっぱりやめますと言えば、子爵たちはガッカリするだろう。
「術士以外の人間が行き来できる永続的な転移門ですからね。個人が張る転移陣とはまったく別物ですよ」
「う…… 先生にはわたしから頼んでみます」
セルジオにはユリウスを便利使いするなと言いながら、わたしこそ頼り過ぎではないだろうか。でも先生、大抵のことはやってくれるからな…… ついつい甘えてしまう。
「泥はすでに採取したので、研究が進んだらまた改めて連絡しますね」
細かい話をした後は、サラとカイルの隷属契約を済ませることになった。ザリスに契約書を作ってもらい、二人に確認する。
サラとカイルは一年の試用期間の後、四年の契約となり、それまでに充分な働きが認められれば、その後正式に我が家の使用人になる。隷属契約中は本人の意思で辞めることは出来ず、結婚も出来ないのだが、最低五年は隷属したいと本人から申し出があった。
「買取は形だけだから一年の契約にしてもいいのよ?」
「いえ、これがわたしたちの出来る忠誠の証なのです」
逆に、試用期間後の契約期間中は主の方も勝手に捨てることができないので、サラたちも安心出来るかもしれない。そう、納得しかけた時、セルジオがヒョイと契約書を覗き込んできた。
「シェリエルには隷属契約した使用人がいた方が良いと思いますよ。何かと秘密が多いですから、絶対的に信頼出来る人間は必要です」
「隷属契約などなくても、メアリとサラは信頼できますよ?」
「まぁ、これから分かりますよ」
意味深な発言を残し、セルジオもカイルとの契約を交わした。カイルこそ隷属の必要は無いのだが、やはり忠誠の証なのだと言う。
その後、契約書を使い、本人と隷属の儀を行う。クレイラ家の祭壇を使わせて貰い、セルジオが魔法陣を描いてくれた。
「ではお先に」
洗礼の儀よりもシンプルで小さめの魔法陣の上で、カイルとセルジオが向かい合う。祝詞を唱え、契約書を読み上げた後に、二人が魔法陣に手を付くと、スッと魔法陣が光り出した。
二人が光に包まれたかと思うと、すぐにその光は消え、カイルが感触を確かめるように首を押さえていた。
「上手く行きましたね」
そう言ってセルジオは腕を捲り上げるが、見た目は何も変わりない。しかし、スッともう片方の手で撫でるように腕を擦ると、円形の刻印が五つ浮かび上がった。
「これは?」
「奴隷紋ですよ。カイルには首輪のような印が刻まれているはずです。それぞれ個人の首の印と繋がっていて、ここに魔力を流すと相手の首が絞まるんですよ」
何それ、怖い。いきなり奴隷らしい仕様が出てきてドン引きだ。
「あの…… 強化の時なんかは問題ないのですか?」
「ええ、外から杖や指で印にだけ魔力を流さなければ発動しませんよ」
それなら、まぁ…… いや、本当に良いの?
「サラ、本当に隷属契約する? 今ならまだ間に合うわよ? 五年もこんな物騒な首輪を付けて平気?」
「はい! とても光栄です!」
元気良く返事するようなことではないのだけど…… 乗り気のサラに後押しされ、わたしも今覚えた祝詞で儀式をした。ジワっと腕が熱くなり、そこにサラの存在を感じられる。
奴隷紋はそれぞれの個人を示す印になっているらしく、セルジオの腕にある五つの奴隷紋はすべて模様が違っていた。サッと撫でるように魔力を通すと、腕には一つの印が浮かび上がる。同時に、サラの首には蔦のような黒い線の模様が一周していた。良く言えばチョーカーのようで可愛い、ような気もする。
「苦しくない?」
「はい! シェリエル様の存在を感じられて、とても満たされた気分です」
「そ、そう……」
正気を疑うほど明るい笑顔だが、サラは大丈夫だろうか。普段は見えないようなのでわたしがこうして印を示さなければ外からは分からないはずだけど……
「お父様、あの奴隷市には平民の客もいましたよね? どうやって契約するのです?」
「奴隷市で儀式をするのが普通ですからね。血を使うんですよ、洗礼の儀でも血を使ったでしょう?」
身体に刻まれた印に魔力を流すときは、魔法石の嵌め込まれた指輪を押し付けるらしい。肌身離さず持っていることで、わずかに流れる自身の魔力が少しずつ溜まり、それが本人確認になるという。奴隷の養育費も、鍵となる魔法石も高額なので、大商人など裕福な家の者しか奴隷を買うことは出来ないようだ。
「ではこの契約書の写しを奴隷市に提出して、お金を払えば全て終了です。使者は後で追い付くでしょうから、先に出発しましょうか」
なんだかんだとあったが、まだクレイラに来て一日しか経っていなかった。この分なら旅程に遅れも出ないだろう。
用意してもらった客室に戻る前に、一度ミアやレオの様子を見に行くことにした。あまり平民である子どもたちと接触するのは良くないと言われていたが、それでも今後のことをわたしの口から説明しておきたかったのだ。
子どもたちの集められた部屋を訪れると、相変わらずミア以外はボーッと一つの寝台で寝転んでいた。
「ミア、少しは休めた?」
「うん、こんなにきれいなお部屋は初めて」
レオはまだ反応がないが、顔色は悪くなく、食事も摂れているそうだ。わたしはミアにこれからのことを話す。
「ミアは帰るところが無いと言っていたわよね? この町に住んでみない? 小さな町だけど、これからどんどん発展する予定だから働き手が足りないの」
「わたしたち、置いて行かれるの……?」
不安そうにミアの瞳が揺れる。言葉足らずだったせいで、知らない土地に捨て置かれると思ったようだ。
「いいえ、これから一緒に北部へ行って、そこでみんなが元気になったらよ。大人になるまで町の人が面倒を見てくれるから、大きくなったら自分たちで働いて家を買ったり、家族を作ったり出来るわよ」
「本当に? 奴隷になるの?」
そうか、ミアとレオはあの奴隷市に登録しに行ったんだった。でも、わざわざ奴隷として契約する必要はないだろう。この町の人たちに奴隷を養う余裕もないだろうし。
「奴隷ではなく、里親になって貰えるわ。みんなで集まって暮らしても良いけれど、どちらが良い?」
「レオと一緒なら、何でもいい」
ミアは安心したのかぎこちなく笑い、そしてレオの手を握った。
「分かったわ、二人一緒に居られるようにするから安心してね」
それぞれ里親を探すか、孤児院のように皆で生活させるか迷うところだ。治療の過程で仲良くなれば、一緒の方が安心出来るだろう。先行投資ということで、事業の利益から養育費を出しても良いかもしれない。まだそれほど大々的に売り出してはいないが、そこそこ利益が出ているのでこの子たちの生活費くらいは賄える。
「ミア、わたしたちはこれからこの町で事業を始めるの。大きくなったらお手伝いしてくれる?」
「シェリエル様が? わたしたちに仕事をくれるの?」
ミアは目をまん丸にして雛鳥のように口を開けた。子どもらしいその仕草に、ほとんど歳も変わらないのに、可愛らしくて思わず笑ってしまった。
「ふふ、大きくなってお仕事出来るようになったらね」
「わたしたち、もう働ける年だよ? みんな七つになれば親の手伝いを始めるもん」
「え、そうなの? さすがにまだ早すぎない?」
七つってまだ小学一年生くらいでしょう? わたしも既に仕事をしているようなものだけど、中身は人生二、三周目なので例外だと思う。
「手仕事は早くに始めた方が上手になるって言ってたよ。だからわたしも早く仕事がしたいの」
「じゃあ、簡単なお仕事を考えておくわ。ミアは文字は読める?」
書類仕事はまだ難しいだろうが、将来的には事務仕事の方が良さそうだ。魔法が使えないので女の子のミアに採掘は厳しいだろう。
「平民で文字が読み書きできるのは商人とかお金持ちだけだよ。シェリエル様って意外と何も知らないんだね」
「そ、そうなの? じゃあミアが色々教えてくれる? 代わりにミアに文字の読み書きや計算を教えるわ」
「ほんとに!? いいの!? 文字の読み書きができるとお金持ちになれるんだよ!」
読み書きできたくらいではお金持ちにはなれないと思うけれど、子どもの夢を壊す必要もないだろう。
城に戻ったらライナーに相談しよう。わたしが直接教えるにも限度があるし、新しい事業に関わることなので、ライナーならきっと力になってくれるはずだ。
元気を取り戻したミアに、これからしばらく旅が続くことを説明し、わたしは自分の客室へと戻る。
が、扉を開けた瞬間、変わり果てた部屋の様子に言葉を失った。





