「この悪夢が続けば良いのに」
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
——コツコツコツ……
これは自分の足音だ。存在を主張するように高く鳴らした靴の音は目の前に一本の道を作り、伏した少女の背中がやけに小さく見えた。
「先生……?」
彼女は振り向かない。
いや、振り向けないと言ったほうが正しいか。最後に彼女がどんな表情をするのか見てみたかった気もするが、よくよく考えると然程興味もなかった。
だから予定通り——
「ッ……」
彼女の背中に剣を突き刺した。
皆、人が死ぬところを見るのは初めてなのか、悲鳴をあげたり失神したりと大忙しである。
唯一、藤色髪の男だけが冷めた目でこちらを見ていた。
怒りや悲しみではない。純粋な興味をもって、この行動の意味を理解しようとしているような、そんな目だった。
だから静かに剣を引き抜き、彼女を担ぎ上げると彼にニコと微笑んでからその場を後にした。
「あはは……ふふ、あははは。はぁ……面白かった」
「ユリウス様、本当によろしいのですか」
「ああ。収監されてしまうと取り出すのに苦労するからね。例の彼もいたし、あの場で処刑されでもしたらすべてが水の泡だ」
「いいえ、そうではなく。本当に彼女を贄に……」
オウェンスは善良だ。彼はなんの罪もない無知で無垢な少女を永劫の地獄へと送ることに良心を痛めている。しかしすぐに考えを整理し、「出過ぎたことを申しました」と発言を取り下げた。
意識のない少女を担いだまま、背中にできた真っ赤なシミに少しばかり魔力を注いで止血した。
死んでもらっては困るのだ、この贄は。
学院から離れた王宮は比較的静かだった。先ほどの騒動で主要な人物は学院に急行し、残った者も一箇所に集まって無駄な会議をしているのだろう。
出迎えてくれたエリックに案内され、地下に降り。
そして、たどり着いた最深部では国王が待っていた。扉を開ける彼の手は骨と皮だけの老人のようだった。彼ももう長くはないのだろう。
長らく罪悪感を患い、ほとんど起きていられないようだから。
「ユリウス……」
返事はしなかった。
一応、大人として挨拶くらいはした方が良いだろうかとも思いつつ「マァ、礼儀作法とは無縁の人生だしね」と自身の無礼を良しとした。
無言のまま王は壁に手を当て、霊廟への扉を開いた。
「すまない。すまなかった。オフィーリアを頼む」
エリックとオウェンスは深く頭を下げ、王は小さくなった背中を丸めてポタポタと床にシミを作っていた。
辛気臭い見送りだなあと思い、夫や親という存在は王位よりも重いものなのだろうかと疑問に思う。
自分には分からない。分からないけれど、どうしてもこれだけはしなければならないような気がしている。
燃えるような怒りや、こびりつくような執着はなくとも、これだけは自分に課された義務であり、役割なのだと理解していた。
棺は冷たく、そして美しかった。
巨大な木の根に養分を与える種子のようであり、厳重な牢に囚われた宝石のようでもある。
触れると木の根が解けていき、大きなクリスタルの塊のなかに——母がいた。
「遅くなって申し訳ありません。母上」
これは一応の、大人としての挨拶だ。
いや、あの日の感情が欠片ほど残っているのかもしれない。爆発するような感情に呑まれたことを覚えている。
それ以来、感情は単なる思考となってしまった。だから過ぎし日の小さな欠片でも残り続けたのだろう。
あの頃のまま、まつげの一本まであの当時のままの母が眠っている。
父はあの日魔に堕ちた母を救うため、そして息子に少しばかりの自由を与えるため、自身の妻をこの棺に入れた。それは彼女の願いでもあった。
実に合理的で、愚かな夫婦だ。
魔に堕ちた時点で穢れに苛まれ魂が朽ちるのを待つしかない。討伐され一瞬でその苦しみを終えても、王妃が魔に堕ちたという醜聞は王族としては痛手である。
しかし、穢れの浄化機関でもあるこの棺に入れれば魔に堕ちた彼女も浄化される。それはただの延命に過ぎず、魂は長く穢れに犯され続けるのだが。
どちらが良いかは個人の価値観によるだろう。
彼らの価値観では“我が子”が最優先だっただけ。
棺に手を触れる。触れて分かった。棺の——核の寿命が尽きかけている。
そこに魔力を注げば、棺は彼女をイエローの花々で彩った。
「これは君が?」
少し離れたところでこちらを見下ろす黒猫に聞いてみたが、彼はフラフラと尻尾を揺らすだけだった。
長く魂を費やした者への敬意なのか。
それとも、単なる神樹の特性か。
母の葬送は静かで。
棺が開いた瞬間、彼女はサラサラと黄金の灰になって消えた。
「さて……」
少女を木の根に寝かせて息をたしかめる。胸は上下していないが、微弱な呼吸は続いていた。
この程度脈が触れていれば問題ないだろう。
そのまま洗礼の祝詞を読み上げた。
「——天元に留まる神々に奏上すここオラステリアの地にて神々の恩寵賜る式を」
ここはオラステリア王国の核である。霊廟全体にさまざまな魔法陣が組み込まれており、現在魔術や儀式で使用される魔法陣もここから書き写されたものがほとんどだ。
彼女の魂源に魔力を注ぐと、それが呼水となって莫大な魔力が生み出される。
光の柱が降りた。
彼女は完全な者となった。
「ありがとう、シェリエル」
それだけ言って、彼女を棺に納める。
ドクンと霊廟全体が鼓動し、彼女をぴったり閉じ込めてパキパキとクリスタルの塊へ変貌していく。
散らばった神樹の根が棺を絡め取り、小さな隙間から硬質な輝きを煌めかせるだけになった。
土地に魔力が循環していく。
神樹が彼女の魂を核にして、凄まじい穢れを浄化していく。
祓われたのだ、この国は。
ひとりの少女によって。
悪魔の森にある古城に戻ると、エリックとオウェンスが待っていた。
ふたりを連れて国を出た。
いろんな国を見たいと思っていた。
世界にいくつかある魔力の核を巡って、その特性について調べたいとも思っていた。
役割を終えた今、本当の自由を手にしたのだ。
やりたいことはたくさんあった。
その前に、一通だけ手紙を書いた。
あの至極冷静な目をした藤の君に、一筆だけ。
『シェリエル・ベリアルドは悪魔の森で眠る』
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
既視感があった。
しかし普段からあらゆる計画を細部に至るまで思考し尽くすため、時に実際に体験した光景のように感じることがあった。
今回もそれだろうと、あまり気に留めなかった。
少女の背中に剣を刺すとき、一瞬ためらった。
なぜか、彼女を贄にすることがとても惜しく感じた。
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
既視感があった。
おかしい。何かがおかしい。
完璧な計画であるはずなのに、最善ではない気がしている。
藤の君に向けられる冷たい瞳が「お前はその程度なんだな」と言っているような気がして、何か見落としがあるのではないかと思えてくる。
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
理解した。これは現実ではなく、幻覚のようなものなのだろう。
今自分は夢を見ている。生まれてこのかた夢を見たことがないため気付かなかった。
しかし分かったところで自分に決定権はなかった。
シェリエルを串刺しにし、棺に納めた。
その繰り返しだった。
何度も何度もシェリエルを殺した。
幾度も幾度もシェリエルの魂を殺した。
もう飽き飽きだ。
いつも彼女はそれが当たり前みたいに大人しく贄となる。
本当のシェリエルはこんなことを許さない。騎士に触れられた瞬間彼らの腕の骨を折り、姿を現した私を睨みつけて「どういうことか説明してください」と低い声で言う。
それから私の適当な説明を聞いてから「本当はわたしを贄にしようとしたんじゃないですか? ご自分の代わりに」と軽蔑したように言って、「ごめんね」と謝ると「次はないですからね」と一緒に別の案を考えてくれる。
この工程が好きだった。
彼女はこんなに物分かりの良い人間ではない。
思い通りにならず、けれど想定以上のものを返してくれる。
何も生み出さない自分よりも、彼女の方が世界にとっては有用だ。
つまり、定められた通り自分が贄になる方が正しい。
なのになぜかこの夢のなかの彼女は無能だった。生きる価値もなく、ただバカな王族に消費されるくらいなら国の礎になった方が良いと思えるほどに。
彼女を棺に入れてはいけない。
シェリエルを消費してはいけない。
この国のために。
世界のために。
役割のために……
彼女を失うことは許されない。
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
「先生ってこの程度なんですね。まぁ途中までは良かったんじゃないですか? でも最大限のパフォーマンスは出せていませんよね」
「お前さぁ、もうちょっと頭使えない? あ、ごめん。人里離れて暮らしてたから人間のことよくわかってないのか。アハハ、やり直せカス!」
「先生、置いていかないで……」
「僕からシェリエルを奪うつもり? 許さないけど」
「先生はもう少し社会のことをお勉強した方がよろしいのではありませんか?」
「僕はお前にも居なくなってほしくはないよ」
彼女は背中で、彼は冷めた目で、そう言っているような気がした。
「先生はわたしを殺すつもりですか」
分かっている。
分かっているから計画を修正した。
分かっているのに、どうしても止められない。
繰り返すたび、ふたりの憎しみと悲しみが増していく。
宝物をこの手で壊してしまう感覚がより濃くなっていく。
一度だけ、シェリエルを棺に納める前に彼女が目を覚ました。
そして上半身を起こした彼女はこちらを向いてふわりと微笑んで言った。
「先生、愛しています。だから、これでいいんです。置いていかれるよりよっぽどマシよ」
違う。違う、これは最善ではない。自分では彼女を救えない。ただの贄である自分はその役割を全うできない。配役が違うのだ。
——いや、これも違う。本当に言いたいことは……
たとえ偽物でも彼女から発された言葉が嬉しかった。嘘でもいい。その思いにこたえたかった。
「……」
普段は敢えて口にしないことが多いが、この時は言いたい言葉が出てこなかった。
発言の自由すらない牢獄に閉じ込められたのだと理解した。
講堂の中心で少女が床に組み伏せられていた。
観衆が彼女を取り囲むようにきれいな円を作っている。
もう一度彼女と言葉を交わせないかと期待した。
もう一度彼女と話せるなら、この悪夢が続けば良いのにとさえ思った。
しかしそれは叶わなかった。
あれは自分の願望だったのかもしれない。
狂うこともできず、淡々と後悔を繰り返していた。
そのうち、他の夢も見るようになった。
相変わらず自分の意思で動けるわけではないが、様々な地獄を見た。
戦争、疫病、飢饉、世界の不幸や個人の不幸。
どれもありきたりな負の感情で、愚かな人間の選択を見続けることしかできない。
自分ならこうする。自分ならこうできる。
この苛立ちは存外相当なストレスであった。
しかし、不意に例の講堂に引き戻されることがあった。
そうなると、自分もあの愚かな人間と同じかそれ以下であることがより深く実感できてしまい、殊更心臓の具合を悪くするのである。
ここには自分の理解者は誰ひとりいなかった。
同じ視座で同じ方向を見つめる同族がいない。
それは生まれたときから分かり切っていたことなのに、なぜだかとても寂しい気持ちになった。
「先生、先生……!」
答えたい。応えたい。彼女の声に、なんでもいいから。
「先生ッ! 起きてください、ユリウス先生!」
「ッ……」
フッと目の前が真っ暗になり、頬に触れる温かい感触に気が付いた。「?」と思った瞬間、薄く視界が開けた。
「あ、良かった。うなされていたので」
「シェリエル?」
「キャア」
夢に見た美しい少女が銀糸の髪を垂らしていた。頬に添えられた手を掴んでそのまま抱き寄せると、彼女は愛らしい悲鳴をあげてモゴモゴ暴れていた。
温かく、程よい筋肉がついた柔らかな身体はすっぽりと腕に納まってしまう。
——いや、しかし力が強いな……
並の男であればこのまま肋骨を折られるだろう。簡単に腕からすり抜けて片手で首を押さえつけるくらいはする。
そう。これがシェリエルだ。やっと本物のシェリエル・ベリアルドに会えた。
「も、もう。寝惚けてますよね? せんせッ! くるし」
「ふふ、うん。寝惚けているみたい」
「わ、」
「シェリエル」
「?」
「シェリエル……」
「はい?」
何か言いたいことがあったはず。
あんなにも切望したのに、いざ自由を手にしたらその言葉がなんだったのか分からない。
「ワッ、え。せんせ? ふふっ、くすぐったいです」
だから彼女を強く抱きしめ、肩に顔を埋めてすりすりと頬を擦り付けた。
「シェリエル、ごめんね」
「あ、また悪いこと考えてますね? それかもう悪いことをした後ですか? 白状して」
「あはは、そうだよね。そうでなくちゃね、君は」
あまりにもシェリエルがシェリエルで嬉しくなった。
それから少しして回り始めた脳は、先ほどの夢を棺の後遺症だと結論付けた。
棺から出た直後にはたびたびこういった悪夢を見ることがあったが、いまだその余韻が続いているらしい。
マァしかし棺での経験も悪いことばかりではない。あの悪夢は“棺”の極一部であり、重要な知識を得ることもできたので。
それに。
「……もしかして、また嫌な夢でも見ましたか?」
「さあ? 忘れたよ」
「穢れの気配はなかったのですが……」
彼女を抱きしめる腕に力を込めると、今度は何の抵抗もなくキュッと抱きしめて返してくれる。
「これは、祓いなので」
「うん」
「先生が悪い夢を見ないように、穢れを祓っているだけなので」
「そうだね」
「先生……?」
「——」
ご無沙汰しております。
久しぶりの更新になりましたが……
本日2025年02月25日より『眠れる森の悪魔』第2巻が出ます。
グッズやフェアなど盛りだくさんの2巻発売となっております。
1巻に引き続き、基本的に文章を整える形で全編改稿しており、新しいシーンを加筆したり、視点を変えたりと読みやすくなっていると思います。
表紙や挿絵も最高なのでぜひお手に取っていただけると嬉しいです。
特典や詳しい情報は活動報告にまとめたのでご確認ください。
一応トピックだけ▼
1)各書店の特典情報
2)『眠れる森の悪魔 2』発売記念フェア(書泉)
3)サイン本(書泉)←本日2/25(火)昼12時から販売開始(数量限定先着)
4)コラボカフェ
5)短編更新しました





