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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
最終章 眠れる森の悪魔
462/469

48.名前のない怪物



 命を削り合う結界内。

 シェリエルは嫌な予感がして背筋に悪寒が走る。

 魔力はまだ残っている。が、これといった打開策がない。じわじわと魔力と体力を削られている。

 死を予期しての身震いなのか。

 しかし、彼女はその予感の正体をすぐに知ることになる。


「ッ!」


 シェリエルがサロンに目をやった刹那。

 うしろから甘い香りに包まれ、耳元でゾッとするような低い声が響いた。


「はは…… 会いたかったよ、シェリエル……」

「ヒ…… ゆ、ユリウス、先生……?」


 とろりと蜜を垂らすような、害悪が発する重たい声音だった。

 シェリエルは後ろを振り返ることもできず、ドクドクと心臓を鳴らして剣を両手で握ったまま硬直する。

 

「あの、」

「どうした? 喜んでくれないの? そんなに震えて…… 酷いな、傷付くよ」

「それは、その」

「ああ、あの厄介な魔物が気になる? 貸しなさい。これはね、こうやって使うんだよ」


 シェリエルの手にユリウスの手が優しく重なり、そのまま黒の大剣を抜き取られる。

 ア…… と、剣の行方を目で追い、視界の端に魔物が飛び込んで来るのに気づいて、一瞬そちらに視線を動かしたとき。


——バシュッ……


 魔物は縦に割かれていた。

 灰色の穢れを撒き散らしながら地に落ちていく。


「え…… うそ」

「私は嘘を吐かないよ」


 ああ、お終いだ。キラキラした少女漫画みたいな夢物語は終わったのだ。


 ディディエは「クソッ……」と悪態をつきながらもセルジオのフォローに向かう。

 セルジオは散々手こずった魔物をユリウスが瞬殺してしまったからか、修羅のような顔つきで剣速を上げていた。

 ディディエも相手が一体になってセルジオの補佐に集中することができ、父子の連携が的確に魔物を追い詰める。

 が、ディディエの顔色は悪い。とても親友に再会したとか、強力な助っ人を得た人間の顔ではない。

 彼を中途半端な舞台に上げてしまったことに焦りを覚えているのだ。

 まだ如何様にでもシナリオを変えられるから。



「あちらはセルジオとディディエに任せよう。横取りするとあとが面倒だからね」

「……先生、怒ってます、よね?」


 魔物と戦えても彼の顔を見る勇気はない。

 ひんやりした声がシェリエルの熱を奪っていくようだった。


「怒られるようなことをしたの?」

「や、それは」

「たとえば、無知な私にあることないこと吹き込んだとか」

「う……」

「そういえば、私たちは恋仲だったかな? あいにく私には覚えがないのだけど、これはまだ記憶が完全ではないのだろうか?」

「ちが。その」

「毎日一緒に入浴して? 毎日一緒に眠る? 君と私が肌を合わせ、指を絡めて、甘い口付けを交わし、互いの魂を縛って、愛を誓う、か。……ハハ、素敵だね」


 甘く囁かれる女殺しの口説き文句は、地獄の入場案内のようだった。

 不穏で恐ろしく、それでいてとびきりセクシーな声音に、寒くもないのに身体が強張って奥歯がカタカタ鳴っている。


「なにか言うことは?」

「ごめんな、さい」

「それだけ?」

「あ、会いたかった……」

「私も」


 シェリエルは思わずガバッと振り返った。

 目の前のユリウスは柔らかく目尻を下げ、木漏れ日のように煌めく瞳で微笑んでいた。

 会いたかった。言葉を交わしたかった。

 怒っていた。愛していた。

 愛している。

 強烈な感情が胸の内側で湧き立ち、彼の腕のなかに飛び込んでいた。

 ギュッと抱きしめられ、ユリウスの体温がシェリエルを包み込む。


「せんせ、先生。大好き」

「左様か」

「うぅ……」

「まだやることがある」

「?」

「君の結末を見せてくれるんだろう?」

「……あ」


 口角を少しだけ上げる整った笑い方。隙のなさが無意識に相手を緊張させ、期待に応えたいと思わせる。

 彼は元より抜群に人との距離の取り方が上手いのだ。懐に入りたければ親近感を与え、強制したければ圧倒的な差を作る。

 そうやって人を支配して自分の好きなように動かす人間だった。

 シェリエルとて例外ではない。この一瞬で無垢でかわいいユリウスも、情けなく放っておけないユリウスも書き換えられ、自身の存在意義を握る絶対的な存在になる。

 故に——

 

「最高の結末にして見せます」


 嗚呼、やはりユリウス・オラステリアは最悪だ。





 ユリウスはこれでも極めて愉快な心地でいる。

 棺に入るまでの記憶と目覚めてからの記憶が合わさり、瞬時に状況を理解した。

 シェリエルが何をしたのか、これからどうしようというのかもだいたいの予想がつく。

 と、言うより……


 彼は誰にも知られず、誰にも望まれず、誰にも感謝されず、誰にも恨まれず、ただひっそりと魂を削るために生まれた存在だった。

 おとぎ話の黒い悪魔は自分であって自分でない。

 いかに黒が忌み嫌われようと、悪魔だなんだと恐れられようと、誰にも会わなければ存在しないも同じだった。

 けれど父の情で、母の愛で、他人の間違いで、猶予を得た。

 シェリエルを見つけ、ベリアルドに出会った。

 ユリウスにとってシェリエルは“可能性”だった。

 彼女は唯一、ユリウスの想定外だった。

 そして、彼女がおとぎ話を終わらせてくれた。


「君はなにを望む。なにが正義でなにが悪か、私に教えてほしい」


 ユリウスがスーッと漆黒の大剣で結界を裂いた。

 閉じ込めていた穢れと毒霧が放たれ、ジェフリーが足場にしていた大木もみるみるうちに朽ち果てて行く。

 鳥はこの地を避け、ネズミもリスも逃げたあと。

 ここに残るは罪悪感に縛られた人間と、それを強いた悪魔だけだった。


「バッカ、お前! ジェフリー、網! 魔物を逃すな!」

「無茶言うなよ、ボクはいま死にかけてる!」

「全員退避! 疫病が広がるぞ!」


 魔改造された魔物がバチバチと羽音を立てて旋回している。ジェフリーは文句を言いながらも長杖をそちらに向け、パシュ、と魔力を放って網状に広げた。

 粘着質の魔力は魔物を捕らえたが、穢れの権化は彼の魔力を墨色に染めていった。セルジオがかなり削ったために穢れが漏れ出している。


「ちょ、待っ、どうするの! 三秒で片付けて!」

「父上ッ!」

「はいはい、分かってますよ」


 セルジオは足を止めて一瞬考えるフリをしたあと、片手で剣を持ってダラリと切先を地面に向ける。

 それから、もがく魔物に向けてブン! と下から剣を振った。

 それはユリウスと同じ動きだった。ほんの一瞬、目の良い人間でなければ追えないくらいのモーションを完全に理解したうえで、武器と魔力の不足を技術で補う至高の一撃。

 セルジオはジェフリーの魔力ごと魔物を一刀両断した。

 外殻が削れ、強度が落ちていたことを踏まえてもバケモノじみた剣技である。


「わ、助かった…… 死ぬかと思った」

「ジェフリー先生、これからですよ」

「はぇ?」


 シェリエルが指をパチンと鳴らした。すると、雲は厚さを増し、急速に黒ずんでいく。

 ゴロゴロと鳴る雨雲。シエルが共鳴するように喉を鳴らす。

 ポツ。ポツ。と大きな雨粒が落ち、薄墨のような黒い雨がふたたび世界の彩度を落としていく。

 そして、パラパラパラという雨音に混じって、嫌な羽音が上の方から聞こえてきた。

 黒い雨雲に似た影が近づいてくる。

 子どもの腕くらいある巨大バッタの大群が。


「新しい魔物です」

「な、んで……?」


 ジェフリーは唖然として天を仰いだ。

 ……いまラスボスを倒したじゃないか。ユリウスが現れ一気に状況が好転して討伐完了。それで終わりだろ。いつまで続くんだよ。もしかして、終わらないのか、コレ。

 と、嫌気がさしている。

 貴族たちも同じだった。不安と歓喜と安堵を繰り返して疲れ切っている。

 

「終わりそうで終わらないって、心の耐久性を試されますよね」

「分かる。拷問の基本だしね。で、あれで最後なの?」


 ディディエが血と雨で濡れた前髪を掻き上げながらシェリエルの方へと歩いてきた。視線はシェリエルより少し上の方、ユリウスを見ていた。


「どうでしょう。とりあえず雨を降らせたので、これ以上穢れが濃くなることはないと信じたいです」

「なるほどね?」


 ディディエはユリウスの方まで歩みを進め、無言で彼を見つめた。ユリウスもジッと見つめ返し、どちらともなくフッと笑って肩の力を抜く。


「悪くないよ。いまのところはね」

「あっそ」


 それだけ言ってディディエはスタスタとサロンへ向かった。

 そこらへんに魔物の死骸が落ちていて、それぞれカラフルな煌めきを灰に潜めている。

 ディディエは「あー、疲れた」と誰に言うでもなくぽつりと呟き、黒のショートケープを脱ぎ捨てた。

 シンプルな黒シャツに銀糸の刺繍が入った細身のパンツというシックな装いであるが、シルバーのアクセサリーが妙に色っぽい。

 荒れた庭園を突っ切り、割れた窓ガラスを踏みながらサロンに入る。


「皆さん。ご覧の通り、最厄は終わりません。結界を失ったのですから、当然と言えば当然ですが」

「……や、でも」

「我々はどうなる。こんな環境で生きていくしかないのか」

「アハハ、もうこの国のおとぎ話は終わったんです。悪魔が魔物を生み出すんじゃない。そんなの皆さんもご存知でしょう。だったら?」

「はら、祓いの儀を……!」

「そうだ、祓うぞ! 我々で!」


 ディディエは生徒の回答に花丸を付けるみたいに笑って、「よろしくお願いします」と、丁寧に頭を下げた。

 あのディディエ・ベリアルドが好青年に見えるほど、真摯で清涼感のある完璧な所作だった。

 これに、貴族はみるみる頬を紅潮させ、「ワッ!」と歓喜する。

 ずっと見ているだけで、何かできないか、どうにか役に立てないか、と腹を弄られるような心地でいたのだ。

 無力な自分に役割を与えられ、根拠のない自信が湧き上がってくる。


「僕は皆さんの選択が間違いであったとは思いません。いや、思いたくない。こんなことになっても、こんな世界になっても、ユリウスは僕の大事な友人なんです。あいつを解放してくれてありがとう。もう一度会わせてくれて、ありがとう。それに——」


 ディディエはゆっくり貴族たちを見渡し、サロンに設置された鏡ひとつひとつにも視線を送った。

 全員が彼と目が合ったと錯覚するような、人を誑かす視線の使い方だ。

 それから、一度足元に視線を落として、純真無垢な笑みで言う。


「初めて誰かと感情を共有できた気がします。もう、僕の正義とみんなの正義は一緒でしょう?」


 彼があまりにも嬉しそうに言うものだから、皆が「ああ!」と強く頷いていた。


「そうだとも! 最厄がなんだ、自分たちの穢れくらい、自分たちで祓うべきだ!」

「お任せください、どんな穢れも祓ってみせます!」

「我々はもう諦めない!」

「誰かを犠牲にする平穏なんて、もう御免だ」

「儀式の準備をしよう」

「神殿は? 機能しているのか?」


 活気を取り戻した貴族たちは、散々煽られ弄られたことなど忘れたみたいに盛り上がっている。

 どんなに嫌っていても、警戒していても、自分のために命をかけて戦ってくれた人間に好意を持たないわけがない。

 ついさっきまで戦っていたディディエは救世主であり、英雄だった。

 それは、ユリウスとて同じこと。長らく結界に身を投じ穢れから守ってくれた黒い悪魔。彼は目覚めてすぐにひとつも嫌な顔をせず、あの醜悪な魔物を打ち滅ぼしてくれた。

 感謝と感動と、親愛に似た感情が生まれている。

 この男は“共感”さえも作り出す。


「では、壱式大祓いを始めましょうか。季節の祓いでは間に合わないでしょうから」


 ゆるくカールした藤色の髪からぽたりと雫が垂れた。

 爽やかな笑みに反して、床には黒いシミを作っていた。






「彼は本当に人の心が無いんだね」

「兄も先生には言われたくないと思いますよ」

「おや、心外だな。私はとても繊細な心の持ち主だよ。知らなかった?」

「ふふ、もう。あ…… 先生、剣を……」

「私の贈った杖は使わないの? 気に入らない?」


 ユリウスはニコと首を傾けてシェリエルを覗き込む。

 シェリエルは少し気まずそうに長杖を取り出し、自信なさげに空に向けた。

 撃ち抜くには使いやすいが、雲に重なる大群は広範囲に及ぶ。


「気に入ってます。けど、アレにはちょっと不向きかなと」

「オウェンスに使い方を教えるように言っておいたはずだけど。まあいい。杖を魔力で飽和させてみて」

「あ、それは。はい。さっきも何発か撃って……」


 シェリエルはなにだか緊張している。

 ヘマをすれば殺されるかもしれないとか、先生との会話が久々だとか、幻覚でも記憶の残滓でもなく本物の先生と喋っているんだとか、精神年齢だけでこんなに色っぽくなるのかとか、さまざま考えながら杖に魔力を込めた。

 クリスタルローズをしゅるりと囲む黒銀の茨に、少し照れてしまう。


「先生は意外とロマンチストですよね。こ、これはもう恋人ということで良いのでは」

「? シェリエル、そこで止めないで。もう少し、グラスの水が表面張力で弧を描くように、限界まで魔力を込めるんだ」

「え?」


 シェリエルは言われた通り、すでに爆発寸前みたいな杖にじわじわと魔力を流していく。すると、大輪の薔薇がクワッと花弁を返し、茨は葉を付けて開き切った。

 そういえばユリウスはディディエの銃も発射口のサイズを調整できるようにしていた。


「あ、なるほど?」

「ね?」


 シェリエルは納得したような、ガッカリしたような心地で杖をバッタの大群に向け、思い切り魔力を放った。


——ドンッ!



 庭に出て儀式の準備をしていた貴族たちは空を見上げて「あ……」と気の抜けた声を漏らした。

 まるで洗礼。

 扇状に広がる巨大な光の柱が、祝福を返すように天に向かって伸びていく。


「嘘だろう……?」

「こんなことって、」

「はは、ははは…… すごいなあ……」


 感嘆はそのまま儀式に必要な高揚へとつながる。

 いつのまにかロランスの女たちが踊っていた。顔を布で隠した彼女たちは個を捨てて神降ろしの巫女である。


「残骸を寄せろ、適当でいい」

「洗浄するか」

「ゴホッ…… ゴフ、空気が悪いな」

「この場は公爵家が祓おう。魔力に余裕がある者がすべきだ」

「閣下、お足元にお気をつけを」


 各地で集まっていた貴族たちも自ずと儀式の準備を始めていた。

 シェリエルはそれを見て満足げに口角を上げる。


「シエル、残り食べちゃって」

「グルルルァー」


 シエルはブンと垂直に飛び立ち、小魚をさらう鯨のように、彼にとっては小さなバッタを大口を開けて腹に収めていく。

 ほろ苦くもしっかりと地の魔力でコーティングされたおやつである。シェリエルの魔力結晶には劣るが、美味と言えなくもない。

 魔力がそのままエネルギーとなるドラゴンにしてみれば、人で言う砂糖菓子——ほろ苦いキャラメルを絡めたアーモンドをさらに砂糖でコーティングしたコンフィズリー、みたいなものだろうか。


 シエルが雨空を旋回しながらバッタたちを掃除しているあいだ、シェリエルは討伐から儀式へと頭を切り替える。

 ついでに表情も聖女らしく整え、信仰と親愛を集める女の顔をした。


「先生、一緒に来てもらえますか?」

「喜んで」


 ふたりはパッと転移で姿を消した。

 その様子さえ、人々には神々しく神聖な現象として映っている。



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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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by オーバーラップ ノベルスf
― 新着の感想 ―
ドラマツルギー、ヴィラン、エゴイスト、名前のない怪物 、、、他に曲名何かあるのかな?
[気になる点]  エゴイスト…名前のない怪物…ハッ!サ◯◯◯ス!? [一言]  いつも楽しく読ませていただいてます!  いよいよ最終局面ですが、全力で追いかけていきたいと思います!  推しキャラはシエ…
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