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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
最終章 眠れる森の悪魔
461/469

47.エゴイスト


「お兄様は誰が勝つと思います?」

「お、賭ける? やっぱ最後は父上かな。シエルは遊んでるだけだろ?」

「いえ、餌だと思ってますね」

「じゃあシエル。僕が勝ったらシェリエルの一日を僕にちょうだい」

「アラ可愛いお願い。では、わたしはわたしに賭けます」

「ズル。……でも、そんな悠長なことしてていいの?」

「、?」

「もし今ユリウスの記憶が戻ったら高確率で殺されると思うんだよね」


 思いがけない言葉に、シェリエルはハッとディディエの方を向いた。揶揄っているような口元だが目は笑っていない。


「や、でも。ここは離宮とも離れていますし。……あ、そうか。わたしの魔力だけがキッカケになるとは限らない、のか……」

「うん。ここから先のユリウスは恩より情より優先するものがある。しかも、ある程度舞台が揃ってるじゃない? あいつならここからいくらでもシナリオを変えられるよ」

「計画…… をわたしが捻じ曲げてしまったから。それ以上に“良い事”を思い付けば簡単に奪われる、と」

「そういうこと。悪魔の死よりもロマンチックなものってないし」


 この時間が一番危険だった。

 刻一刻と状況が変化するこの戦場では、まともに話も出来ずに流れの奪い合いになるだろう。

 となれば、ユリウスの記憶が戻る前にすべてを終わらせなければならない。


「はぁ…… 賭けは無しですね、協力しましょう。今度こそ裏切らないでくださいね?」


 ディディエは「当たり前だろ」と言いたげにニコと笑って、左人差し指を耳に添える。

 スッと大人の顔になって一瞬で空気が変わった。

 世界を転がす人間はきっとこんなふうに笑うのだろう。


「ここからは僕が指揮をとる。全員僕に従え」

『了解』

「全隊、もう一キロ退がろうか。アロン、全員を転移させろ。対瘴気結界用意」


 アロンが残っていた戦闘員を全員転移させ、完了と同時にディディエの合図で結界の詠唱が始まる。


「突っ込めシェリエル」


 シェリエルが高く跳び上がり、空中に張った対物理障壁を思い切り蹴った。

 弾丸のように空を切り裂くシェリエルは黒の大剣を握っている。身長の伸びた彼女にもそれは少し大きい。

 が、勢いを殺さずに振りかぶった大剣とともに、結界が閉じる間際の隙間をギリギリ通り抜ける。

 ディディエが口元で「ドンッ♡」と呟くと同時に、シェリエルが巨大ムカデの腹を吹き飛ばした。


「チッ、虫ケラが」


 大ムカデはフシューと側部から毒霧を吐き散らしながら、ガチャガチャと毒爪を鳴らしていた。

 怒っているというより、脅威に対する純粋な生存本能だけで攻撃している。


「リヒト、シェリエルを補佐しろ。母上は結界から出てください。肌が荒れますよ」

「そう。なら後は任せたわ」


 ディオールはセルジオに腰を抱かれて転移で離脱し、離脱したそばから結界の外にいる魔物を燃やし始める。

 小型の魔物は食い尽くされ、勝ち残ったデカブツばかりが我が物顔で新たな獲物を求めて徘徊している。それをジェフリーが高い木の上から魔法で狙撃しているところだった。

 ジェフリーは一体潰すごとに木にナイフで線を掘って数を数えているらしい。あとでディディエに報酬を請求する気なのだろう。


 一方、運び屋セルジオは愛する妻の頬にキスをすると。

 ふたたび大ムカデの頭上に転移し、剣を垂直に構えたまま串刺しにしようと落下する。

 動きを見極め、体節の隙間にドンピシャの着地。

 しかし浅い、刺さらない。

 さらにシェリエルが天高く舞い上がり、急速落下してセルジオの大剣に踵を振り落とす。


「刺され!」

「わ、あぶなっ」


 ピキ、と割れる感触があった。

 ずぶりと沈むセルジオの剣は巨大なムカデにとっては針に刺された程度のダメージだ。

 シェリエルは後ろに回転しながらムカデの背に着地すると、即座に刺さった剣のガード部分を蹴り上げて剣を飛ばす。

 大ムカデがギュッと唸って二本の尾をシェリエルに向ければ、リヒトが間に入ってそれを跳ね返した。


「お兄様」

「よくやった」


——バン、バン、バン、バン、バン、バババババッ!


 いつの間にか結界内に入っていたディディエが動き回る小さな穴に連続で銃弾を撃ち込んでいく。

 先ほどセルジオとシェリエルがあけた穴は体節の隙間にあるため、瞬きひとつで見失う非常に困難な的である。

 しかし天才ディディエ・ベリアルド、恐ろしく正確な射撃精度で執拗に全属性の弾丸をぶち込んでいく。


「クソ、三発外した」

「さすがです、お兄様! シエル、そいつの頭を押さえて」


 シエルは「ぐる?」と小首を傾げながら右足で大ムカデの頭を踏みつけた。鋭い鉤爪が地面に刺さり、ムカデはビタビタと尻から生える長い触覚のような尻尾(足)を振り回す。

 

「デカい図体が役に立ったな、バカトカゲ」

「ヴ〜、ガルるるる……」

「このまま割るぞ。父上、もう一箇所お願いします」

「ふむふむ…… いえ、コツを掴んだ気がします」


 セルジオは飛ばされた大剣を空中でキャッチし、崩れかけた城壁に降り立つと、首をコキコキと鳴らして脱力する。

 次の瞬間にはシェリエルがやったように空間に物理障壁を張り、それを足場にして真っ直ぐに大ムカデに向かって跳んだ。直線で向かった方が速度が出る。

 セルジオはそのまま斬りかかるのではなく、斜めに身体を捻って刃の角度を固定。

 大剣は体節の隙間に上手く滑り込んで、斬撃の勢いを殺すことなく、そのまま巨大なムカデを分断する。

 瓦のように重なった体節に一切触れない、最速細心の調整をやってのけたのだ。


「ハハッ、天才怖ァ〜」

「穢れが流れ出ます、リヒトは退避!」


 弾け飛んだ半身を追ったリヒトは民家に落ちる直前、剣で弾いて落下地点を空き地に修正。

 そのあとは欲をかかず、慢心もせずに大人しく結界から離脱し、その足で結界外の魔物たちの討伐に向かう。

 やるべきことが分かっている人間の、迷いのない動きだった。


 シェリエルは足場を確認し、ディディエを一番見晴らしが良く射程範囲の広い塔に移動させる。

 ディディエはその間も大ムカデから目を離さず、やけに艶っぽい声で言った。


「これで終わりじゃないだろ? ……来いよ最厄」


 大ムカデに放った言葉ではない。

 人の器を離れたいつかのシェリエルに言っている。


——グチ…… バチ、バチ、バチバチバチ……


 分断されたムカデはそれぞれの体節から蜻蛉(とんぼ)のような翅を生やし、毒蜘蛛(タランチュラ)のような体毛で全身を覆い、口元の小さな顎が凶悪なクワガタのそれに変わる。

 それから、それぞれ命を得たみたいに、バチバチと羽音をさせて飛び廻りはじめた。

 死骸を喰らったということは、それぞれの遺伝子情報を取り込んでいるということだ。

 遺伝子情報から再構築されたこの魔物は、更なる進化を遂げたのである。

 まさに“魔物”。それ以外になんと表現して良いか分からない。


「想定外じゃないよね?」


 シェリエルの無意識下にある“あるべき”を考えればこうなって当然だった。

 これは絶望し、恨み、自分を否定された魂だけのシェリエルが求めた必然——

 この世に偶然など存在しない。誰かの選択がせめぎ合い、競り勝った結果が必然となる。

 それが部外者には偶然や奇跡に映るだけであって、自分自身も例外ではない。が、シェリエルはすでに己の純粋な欲望を理解している。


「もちろん想定内です。計画外ではありますが」

「ならいい。目は覚めたか、眠り姫」

「はい。やっと頭が働き始めました」




 民はこの様子を眺めることしかできなかった。

 目の前で進化していく魔物。

 醜悪で、悪夢でもこんなに酷い夢は見たことがない。

 膝を突き、目視できる者は視力をこれでもかと強化して、それ以外は鏡に齧り付く。

 目を逸らせない。息を吐く暇もない。

 祈る言葉も、祈る相手もわからない。


「……」

「…………」

「……だれか」


 それでも祈るしかなかった。

 バケモノの戦いに人の出る幕などないのだから。

 それに、自分たちの引き起こした最厄だという自覚がある。


 数多の視線の先で、二体の魔物が暴れ回っていた。

 半分になったことで個人としては戦いやすくなったらしい。

 セルジオが尻側を、シェリエルが頭側を相手にし、ディディエはふたりが動きやすいよう指示を出しながら自身も銃で加勢する。

 しかし密集した極細の体毛が衝撃を吸収し、少し割れてもすぐに外殻を補修してしまう。

 体毛と言っても人からすれば剣のように太くて鋭利なものだった。

 

 ドラゴンは翼を齧られて苛立ちのまま口から火を吹き。結界内の酸素を使い切る前にシェリエルが結界を一旦解除する。それを察したディディエが三秒後に結界の再展開を合図——

 凄まじい戦いだった。山のようなドラゴンと運河のようなムカデに悪魔が混ざって戦っている。

 けれどその悪魔にも体力の限界がある。


 セルジオが斬りかかろうとしたとき、突然フッ、と消えて、


「あ…… セルジオ様、が……?」


 まったく別の離れた場所に転移していた。

 腹と足に槍のような体毛が突き刺さっている。

 誰もが息を飲み。

 セルジオは「ゴフッ……」と、血を吐き出した。

 魔物が体毛を飛ばしたのだ。転移したが間に合わなかった。

 セルジオはゾッとするほど青い顔をしていて、水っぽい咳をするたびビチャ、ピチャ、と瓦礫を血で染めていく。

 ディオールが無言でセルジオを見つめていた。セルジオは一切そちらを見ず、光のない瞳でジッと大ムカデの動きを追っている。


「ヤ、まさか……」

「そんな」

「嘘だろオイ、どうする! どうなる……」


 シェリエルはちょうど黒の大剣で凶悪な顎を抑えているところで、ディディエは二体の魔物を挟んだ反対側にいる。

 間に合わない。どちらも手が離せず、そも、あれはどう見ても致命傷。


 ディディエがチラ、と片目でセルジオの状況を確認すると、素早く銃のレバーを引き、バラバラバラと弾を抜いてから。


——パシュッ! パン!


 セルジオに向かって躊躇いなく引き金を引いた。


「キャアァー!」

「なにをしているんだ!」

「楽にしてやるとかそういう問題じゃないぞベリアルド!」


 が、セルジオは避けるどころか一気に腹と足に刺さった体毛を引き抜き、それと同時に桃色の魔力弾がふたつの空洞にめり込んだ。

 血が吹き出すこともない。

 衣装に穴は空いているが、傷は塞がっているらしい。

 セルジオがディディエに片手を軽く上げると、ディディエも同じように片手を上げて弾を詰め直していた。

 どうやら「どうも」と「いいえ」で終わってしまったらしい。


「……」

「……いや、おかしいだろう」

「ぐぬぬぬぬ…… なんてことを考えるんだあの悪魔小僧……! いや、素晴らしい、どうしてこれまで考えつかなんだクソッタレ!」

「あれは、治癒か?」

「見て分からんか、それ以外になにがある」

「な、治癒には祈りが必要なんだぞ。あんな、銃で放った魔力で治癒が可能になるなど誰が、と…… え、賢者、様?」

「しかし現に彼はやってみせた。患部に直接叩き込んで内側から治癒したか…… しかもあれは洗浄も兼ねているようじゃの。術式を合わせて——ん、違うな。着弾時に洗浄魔法が発動するよう設定しておいたのか。威力の調整を間違えれば腹に風穴にあけることになっただろうに…… まこと頭のおかしい奴よ」


 やけに饒舌なその老人が賢者だと気付いた頃には、セルジオもディディエもすっかり戦闘に戻っていた。

 戦場は秒単位で展開している。

 見ているだけでも心臓に悪い。

 進化した魔物は手強く、シェリエルの息も上がっている。

 セルジオは血を失い、内臓にもダメージが残っているのだろう。ディディエの魔力もいつまで持つか……

 心なしか穢れが濃くなっている気がした。

 不安と恐怖心がさらに穢れを増幅している。

 そこにはこれまでにない罪悪感も存在していた。


「これが最厄……」

「ベリアルドは我々のために戦っている。どうすれば良い、なにが正しい」

「我々はまた犠牲を強いるのか」


 それぞれ危機を前にして自分にできることを探していた。

 正義でいたい。卑怯な自分のまま死にたくない。正しいことをしたいのだ。

 天才を食い潰す凡人の罪悪感。何もできない無力な自分への怒り。


「肉壁くらいにはなれるか……」

「私は継ぐべき爵位も領地もありません。撒き餌にでもなんでもなりましょう」

「儀式の人数を減らすわけにもいくまい」

「祓いを……」

「そろそろベリアルドも限界だ。ひとりでも欠ければあとは総崩れだぞ」

「どうする! 騎士団を呼び戻すか!?」

「あ…… ダメだ、間に合わない」



 アリシアはこの展開をディディエから聞かされていた。

「状況が悪くなると余計なことをする人間が出てくる」と。それから、「必ずベリアルドが正義になる。それで、散々煽られた彼らは正義に追随する」とも。

 アリシアとイザベラの役割はこのサロンを管理することだった。

 逃げることも加勢することも許さず、当事者として傍観させること。たとえ勝てる見込みがなく、全員が倒れようとも。

 それが、彼女たちに与えられた使命だった。

 最悪の展開も聞かされていたけれど、現状、それに近づいている。

 愛する者の死が忍び寄っていた。


 ディディエの頭を魔物の足が掠め、彼は片目を血で濡らしながらもそのまま寝転んで魔物の腹に銃を撃ち続けている。

 楽しそうだ。でも、死にそうだ。



「皆様、落ち着い—— ……え?」


 アリシアが感情を押し込めて凛とした声を発した直後、ズ……、とその場の空気が重くなった。

 覚えのある魔力が全員の視線を一点に集中させる。



「ユリウス、様……?」



 アリシアもイザベラも目と耳と全神経を疑い立ちすくむ。

 彼はもう、微笑ましく見守っていた無垢なユリウスではなかった。明らかに気配が違っている。

 二段になった漆黒の外套は黒銀の装飾で襟元を留めるのみで、彼が一歩踏み出すたびにコートの内側で精巧な刺繍と飾りが煌めき、コツコツと高級な足音が波紋のように広がっていく。

 表情、歩き方、視線の動かし方に魔力の纏い方、すべてが彼の存在を曖昧にする。

 畏怖と安堵。不安と……


 ——アレは何者なのか。


 この二週間を知らない貴族たちは尚のこと、言葉にならない感情に支配され、思わず跪いた。


「ここまでかな?」


 彼の穏やかな声に貴族たちの息が止まる。心臓を貫かれたような痛みが胸に走った。

 一瞬、期待してしまったのだ。

 ベリアルドでもダメならばまた彼に贄となって貰えば良いのではないか、それが無理でも彼は強い。戦闘に加われば助かる見込みが…… と。

 不安の裏側に卑しい期待があった。

 つい先ほどまで自分たちのために魂を削っていた相手に何を……

 この期に及んで助けてもらうことが当たり前だと思っていることに気が付いた。

 けれども望まずにはいられない。

 期待と自責がまざりあった苦悶の時間がゆっくりと過ぎていく。

 

「ユリウス殿下、我々は……」


 元老院ハインリが冷や汗で濡れた顔を上げ、謝罪の言葉を口にしようとした。

 が、ユリウスは片手でそれを制し、微笑んだ。

 カッと汗の吹き出すようなキレイな笑みだ。

 ホッとして、泣きたくなる。

 訳もわからず胸が熱くなって、彼ならなんとかしてくれるのではないか、と畏れ多くも目が潤んでしまう。

 ユリウスは無言でサロンをコツコツと歩いて破れた窓に向かった。

 庭園は荒れ果て、眩い虫の残骸と穢れの灰が積もっている。

 サク、サク…… と、庭園を踏みしめるユリウスはその先で戦うベリアルドを眺め、凪のような声で言った。


「君たちの選択を“正解”にするのが私の役割だ」


 ——神か悪魔か。善か悪か。


「さあ、新しい正義を始めようか」


 名前のない怪物が、此処に在るすべての感情を支配している。


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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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