24.職業体験
わたしは今、調理場で石臼と格闘するリヒトを眺めている。
お茶会の準備のためお預けになっていたチョコレートの改良実験にやっと取り掛かることが出来たのだ。前世で本物のカカオなど見たことがないが、見せてもらったカカオの実は写真で見るよりずっと大きく、わたしが両手で抱えるほどの大きさだった。
手のひらサイズの豆は発酵させ一度炒ってあり、バキバキと砕いたあと風の魔法で殻を飛ばし、後は石臼でひたすら擦り潰していくらしい。
「リヒトはもう城に慣れましたか?」
「はい、皆さん良くしてくださいます」
コルクとも既に顔を合わせていたようだし、城で働く者たちとは上手くやっているようで一安心だ。リヒトがひたすら回し続けている石臼は、ハンドルの付いた丸餅のような石が、深皿になった石の台に乗っているシンプルな造りだった。深皿部分には一箇所注ぎ口が付いていて、液状になったチョコレートの素が少しずつ流れている。色は黒に近い濃い茶色で香りは前世で食べた市販のチョコレートよりも遥かに良い。わたしはつい味見をと手が伸びていた。
「ウッ、酸っぱ…… 流石に苦いで、苦いわね」
甘いチョコレートの香りには素気無く裏切られ、酸味が強く舌の上でザラっとした苦味がいつまでも残る。
「チョコレートの元になった丸薬は更に青臭さが酷く、飲み込んだ後もしばらく気分が悪くなるほどでした」
コルクはそう言って笑いながら、リヒトと交代して石臼を回し始める。同じ速度で淀みなく回す姿をリヒトが尊敬の眼差しで見つめていた。
「味は、ミルクと砂糖の配分でなんとかなりそうなのだけど、雑味やザラ付きが気になるわね。石臼を少し改良して、あとはたしか長時間練ればいいはずなのだけど」
一通り挽き終わったものを今度は大きめのボウルで練っていく事にした。普段はこのまま砂糖と混ぜて固めるだけらしいので、今出来そうな改良は全て試したい。たしかチョコレートは数日間練らねければいけなかったはずだが、練る事で少しでも変わるのかの実験だ。
「ここから更に練るのですか?」
「三つに分けて実験してみるわ。一つはこのまま。一つは半日、一つは二日間交代で練り続けて欲しいのだけど、人員は集まりそう? 別途手当てを出すからメイドや下男でも良いわ」
「それでしたらきっと応募者が殺到して大変な事になりますね。こちらで数名声をかけてみましょう」
「助かるわ、コルク。あとは、いつもの細工師は石の加工も出来るかしら?」
コルクは「新しい器具ですね」と二つ返事で細工師に連絡を約束してくれた。練るのは調理補佐に任せ、今日作る分の調理に取り掛かる。少し色のついた砂糖と人肌に温めたミルクを入れ、湯煎しながら混ぜていると、細かい粒感はあるが見慣れたミルクチョコレートの色になってきた。テンパリングは温度の見極めができないので省略だ。
「おお、これは随分とまろやかになりましたね! とても食べやすいです!」
「本当ですね! 出来上がりが楽しみです!」
少しだけ皆で味見をし、とりあえず型に流し込んで冷やし固めることにした。これでもまだえぐみがあり、ざらりと舌にまとわりつく。
わたしたちは固まるのを待つ間、お茶を淹れてもらい一息ついた。
「リヒトは何か興味のあるものは見つかった?」
「いえ、その…… 職を選べるなど考えた事もなかったので自分に何が出来るのか……」
「魔法は使えないのよね? そしたら料理人か、庭師、あとは騎士と、文官かしら」
補佐官の中でも執務補佐に特化した文官であれば、魔法を使う機会が殆どないらしい。リヒトは初級のスペルならば使えるが、中級以上の呪文が必要な魔法が使えなくなっていた。元の名を唱えようとするとパニックになり最後まで詠唱出来ないのだ。
「私は頭が悪いので、料理人や文官は……」
「嫌いなものを職にすると後々辛いものね。せっかくだからこの後の剣術の授業、リヒトも一緒にどうかしら」
「セルジオ様に直接教えを請うなど! 恐れ多いです」
リヒトはひっくり返りそうなほど仰け反り、首をブンブンと振っているが、体験入学みたいなものなのでそれほど気にする事はないと思う。セルジオの教え方は独特なので、逆に心配ではあるけれど。
「いきなり騎士の訓練に混ざるよりは気が楽じゃないかしら。お父様は元気が有り余っているから大丈夫よ、きっと」
「リヒト! こんな機会滅多にないぞ! シェリエル様のご厚意なのだから有り難く頂戴するのが家臣というものだ!」
「……では見学だけ…… お邪魔させていただきます」
コルクの後押しもあって、リヒトが一緒に剣術の授業を受ける事になった。お茶会で菓子が評判だった事や、城内での出来事などを話しているとチョコレートは型から外せるくらいに固まっていた。
「色が薄いですね。ですがやはり今までのものよりずっと甘く感じます」
一度食べたこちらのチョコレートよりは食べやすいが、まだまだお菓子というより薬に近い。改良出来そうな点をいくつか伝え、チョコレート研究は二日後に持ち越しとなった。
「というわけで、今日はリヒトも一緒に稽古を付けていただきたいのです」
「構いませんよ。そろそろシェリエルにも護衛が必要ですしね」
そうだった。髪色のせいか、出自を怪しまれているのか、わたしの護衛をしてくれる人がまだ決まっていない。その為、わたしは未だ城の外へ出る事もできず、相変わらずの日々を送っていた。
準備体操をした後、リヒトにも刃を潰した剣が渡される。ここへ来てから随分と身体もしっかりして来たのでそれほど重そうにはしていないが、やはりこのスタイルで行くのかと心配になってきた。セルジオの訓練は実践あるのみ、本能で感じ取れ、というスパルタ方式なのだ。
「では、とりあえずリヒトはシェリエルの真似をして剣を構えて。シェリエルの動きをしばらく見ていてください。その後、同じように僕に打ち込んでもらいますからね」
思った通り見て盗めという指示が飛び、わたしはなるべく基本的な動きを繰り返しながらセルジオに打ち込んで行く。最近はセルジオも立ってわたしの剣を受けるようになり、それに合わせて跳んだり脚を狙ったりと試行錯誤している。セルジオを一歩でも動かすことが出来れば、次の段階に移ると言われているが、これがなかなか難しかった。
「おや、今日はリヒトに気を遣いましたか? まあいいでしょう。次はリヒトの番です」
決してサボっていたわけではないのだが、セルジオには物足りなかったようだ。ゼーゼーと荒い息を整えながら、リヒトの初訓練を見守ることにした。リヒトは「お願いします」と頭を下げ、躊躇なく打ち込んでいる。わたしの動きをそっくり模倣するように、初めてとは思えない剣捌きを見せた。
普段の自信無さげな雰囲気は完全に消え、ただ無心に剣を振っているように見える。
セルジオもこれには驚いたのか、一瞬目を丸くしたかと思えばニコニコと嬉しそうにリヒトの剣を受けている。
「神殿では剣術も習っていたのですか?」
「い、いえ。神殿では…… 練習台になっていただけで」
「男の子はやっぱり剣術に憧れるものですよね」
甲高い金属音の合間に交わされる会話はあまり噛み合っていないようだが、リヒトが初めて剣を振ったというのは本当らしい。
不思議に思いながら観察していると、セルジオが一瞬剣速を上げ、リヒトの頬ギリギリを掠めるように突いた。
ーー危ないっ!
けれどリヒトは身を引く事無く、更に踏み込む。セルジオは体勢を崩しそうになったが、器用に手首を返しカンッとリヒトの剣を弾き飛ばした。
「お父様! 危ないではありませんか! リヒトも無茶し過ぎよ! 頬が切れて」
リヒトのそばに駆け寄ると、リヒトはスッと頬を撫で、赤く塗れた指先をただ眺めていた。既に止まったらしい血はそれ以上流れる事も無く、細い一本の線を滲ませるだけだった。
「ふむふむ、リヒトは死や痛みに対する恐怖心が無いようですね。騎士に向いてますよ。命の加護があるからか治癒力も高い。あと、模倣が得意なのですかね? ギフトでしょうか?」
「私のはただ…… 神殿では、私に何かを教えてくださる人は居なかったので、真似るしか能が無いのです」
仕事も魔術も覚えなければ罰を受ける。そういった環境で必死に他人の術を見て学んで来たからこそ、身に付けた特技のようだ。セルジオは嬉しそうにリヒトの肩を叩き、顔を上げさせた。
「あなた、騎士になるといいですよ。向いてますね。シェリエルを守れる力、欲しくないです?」
「欲しいです……!」
「うんうん、そうですよね。身体能力が追いついていませんが、成長途中なので訓練していれば何とかなりますよ。ここには僕もいますし、どんどん強くなれます」
そんな理由でいいのだろうか。恐怖心が無いというのも心配だし、わたしの為にと職を決めてしまうなんて後で後悔しそうだ。それに、セルジオの期待の眼差しに少し複雑な気分になる。
「わたしの方が先に習い始めたのに……」
「ふふ、良いライバルが出来ましたね。次は出し惜しみせず全力で来ないと、すぐにリヒトに抜かされますよ」
なんて事だ。こっちは前前世チートやら生後間もなく使い始めた強化まで使って何とかやり繰りしているのに。あっさり抜かされてはベリアルド家の一員として立つ瀬がない。
「簡単には抜かされません」
「そう来なくては。ディディエが帰って来たらどんな顔をするか楽しみですね」





