38.ベリアルドの戦い
「リヒトはシェリエル様に付いていなくて大丈夫なのですか?」
「問題ない。シェリエル様の方がお強いから」
「とても不服そうです」
「行ってくる」
モーゼスはコクと頷いてリヒトを送り出す。彼は治療を終えたばかりだというのに寝坊した新人騎士のように駆け出していった。
ここはベリアルド領の郊外。領地の境界に近い平野である。
広大な土地を持つベリアルドは境界に近づくほど森や平野ばかりになるので、攻め入られても途中に戦地を構えることができて民の被害が少ない。
はずなのだが……
「困りましたね。これ以上増えたら収拾がつかなくなります」
周辺の都市や村から続々と人が集まってきていた。
やれ「シェリエル様をお守りしろ」だの、やれ「侵略を許すな」だのと叫びながら農民や職人たちが詰めかけている。
彼らが貴族の騎士に太刀打ちできるはずがないので、半分は野次馬だろう。
タチの悪いことに、彼らを止めるべき貴族たちも「今こそ立ち上がるときだ!」と張り切って引率していた。
順応力が高すぎてお上の言うことを聞かないのである。
「シェリエル様がお戻りになったことで民も興奮しているんですよ」
そう答えたのはセルジオの補佐官ザリスである。
ザリスはコポコポと紅茶を淹れながら久々の休暇を楽しんでいるようにも見える。
当主をマルゴットに預けることができたので、お利口な騎士や学生の面倒を見るなど瑣末な仕事なのだろう。
ふたりは熱い紅茶で身体を温めながらワイワイと盛り上がる人の群れを眺めた。
「でも、これで少しは落ち着きますかね」
「ディディエ様も見せ物にするのが一番だと仰っていましたから」
「ふふ、たしかに見せ物です」
何をしているかというと。
それは一時間ほど前のこと。
まず、マーサが暴れた。行軍中の隊列に「ドン!」と降り立ち、それはもう盛大に。
地面は少しめり込んでいたし、モーゼスは怖くてちょっとだけ泣いた。
敵軍もさぞ困惑したことだろう。大きなドレスは山のようで、魔物になりかけた禍玉にも少し似ていたから。
蜘蛛の子のように散った敵軍。それを追いかける学生たち。向こうの騎士たちも追いかけてくるのが未成年ばかりなのでなかなか反撃してこない。
一時間ほど追いかけっこをしただろうか。先に境界に向かった騎士たちは別のところで交戦している。
そんな折、ちょうどシェリエルから通信が来てベリアルドの男たちは静かに闘志を漲らせていた。
そして、モーゼスはザリスと合流してある作戦を立てる。
広範囲に渡って設置した拡声の魔導具を使い、遊撃戦の戦場と化した森にこう宣言した。
『各地からお集まりの皆様、ここより少し西にある平野でお待ちしております。正々堂々戦いましょう!』
これだけでよかった。
なにせ彼らはベリアルドの陰謀を暴こうとやってきた“正規軍”であり、侵略者ではないからだ。
正義であることがなにより大切な彼らは宣戦布告もしてないため従わざるを得ない。
そして、彼らはベリアルドの騎士を引きつけるために敢えて軍を編成している。
無理に侵攻する必要はないため、この誘いに乗ることは目に見えていた。
ともあれ、平野に集まった連合軍とベリアルド騎士団。
城の守りに人手が必要なくなったのでほとんどの騎士たちがこちらに集結し、ついでに学生や卒業生も集まっているのでかなりの数になっている。
朝から交戦していた本隊の方も合流し、領地間戦争らしい合戦の図ができあがる。
開戦の宣言はモーゼスだった。
彼が一番幼く見えるから。後ろに立つマーサがあまりにも大きくて、本当に小さな子どもに見えたという。
『これより第一回ベリアルド杯を始めたいと思います! 騎士による決闘で勝敗を決めたいと思うのですが、いかがでしょうか!』
「は?」
「決闘?」
「戦争は?」
ざわざわとした声はほとんどがそのような呟きで、向こうの指揮官も困惑していた。
まあしかし、死者を出さないためにはこれが一番だ。
お互い当たり前に死にたくないし。
『騎士を順番に出して戦いましょう!』
この子どもの提案を、彼らは呑んだ。
平野で対面していた騎士たちはぐるりと円を作り、即席の闘技場が出来上がる。
審判なし。ルールなし。どちらかが戦闘不能になれば自然と次のマッチメイク。
突如始まったお祭りにワイワイと大盛り上がりの野郎ども。
ここに、援軍よろしくやってきた平民たちが加わり、「あれ? 戦争じゃないの?」という顔をしてから先の説明を受け、観客として円を大きくしていく。
モーゼスとザリスは指揮官としての仕事はほとんどなかったが、後からやってくる平民たちの整理に追われているのだった。
「おや、あれはワイバーンでは?」
「あ、ゲルニカですね。わあ、参ったな……」
「きちんと説明したのですよね? 援軍は必要ないと。そもそもゲルニカには待機命令を出していたはずですが」
「はい…… ただ、その。たぶん、普通に観戦しに来たのではないかと」
「ハァ、遊びではないんですよ」
「面目ないです」
モーゼスはしおしおと頭を下げて、チラと前髪の隙間から空を見上げる。
ジュールがニコニコと手を振っていた。完全に遊びに来た顔だった。
「ちょっと行ってきます」
「帰してくださいね。あまり大事になるとセルジオ様が来ますから」
もっともである。決闘なら殺しすぎるようなこともないし、セルジオが戦っても良いはずで。
彼はそれを知った瞬間、絶対に飛んでくる。
そうなるとセルジオが秒で一人ずつ処理してしまい、結果、処刑の順番待ち状態になってしまう。敵もバカではないので決闘は終わりにして乱戦となるだろう。
そうなっては意味がないのであまり目立ちたくはないのだ。
「も、もう! どうして来ちゃったんですか!」
「や、近いし。ちょっとだけ見に行こうってなって。あれ? モーゼス怒ってる?」
「怒ってます! セルジオ様に気づかれたらどうするんですか。ワイバーンは目立ちますから、城に報告が行くかもしれないでしょう」
「あー、そっちかあ。たしかに。ごめん、帰りは低めに飛ぶから」
「ちょっとだけですからね。もう少ししたらリヒトが出るはずですよ。もう三戦目ですけど」
「え、すご。モーゼスも一緒に見ようよ。ワイバーン乗せてあげるから」
「わ! いいんですか!」
モーゼスはもう十六歳だというのに、キラキラと目を輝かせてジュールの背に飛び乗った。
彼は身長が低いのでまだ一度も決闘の様子を見れていない。
ゆっくりと低く旋回するワイバーンに乗って、男たちの野次が集まる円を眺める。
「おおお、すごい。本当に決闘大会だ」
「賭博まで始まってますからね。他領から援軍に来てくださった方々に説明するのが恥ずかしかったです」
「アハハハ、それは恥ずかしい。えー、でもいいなあ。俺たちもう学院戦とか無いし」
「そうですよね。こういった催しがあれば良いのですけど」
「ね。シェリエル様にお願いしてみようかな。シェリエル様、戻られた…… んだよね?」
「はい。先ほど、お言葉をいただきました」
「そっか。良かった…… なんか、まだ信じられなくて。あの放送も、ちょっと人っぽくなかったでしょ? だからさ、なんか」
「早く会いたいですね。そうだ、今夜ジュールも……」
「いや、俺はもう卒業しちゃったし。側近でもないし。今はアロン様に仕える身なのでね!」
ジュールの背中は誇らしげで、少し寂しげだった。
アロンはセルジオから都市を任された地方地主のような立場である。一族に仕えるわけではないため、その部下のジュールはシェリエルとはもうなんの関係もない。
彼は兄の治めるゲルニカを愛してくれているし、兄を心底慕ってくれている。
アロンと兄弟として繋がり、シェリエルの補佐官であるモーゼスはなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。また自分だけが恵まれ過ぎていると……
「ジュール、あの」
「お、リヒト様が出るみたい! 三戦目とは思えないくらい元気だな」
明るいジュールの声にモーゼスも「今のところ全勝ですよ」と、笑って言った。
下では先輩の騎士たちがリヒトに「いけるぞ!」「ぶちかませ!」「殺せ殺せ!」と声をかけている。
リヒトは無言で相手の騎士にお辞儀し、剣を抜く。
「は? もう終わっちゃった。俺もリヒト様に賭けよ〜」
「あ、リヒトはこれで最後ですよ。これだけ人数がいるので……」
「そっかぁ」
かくして、第一回ベリアルド杯は日が暮れるまで大いに盛り上がり、夜は互いに酒を持ち寄って大宴会となった。
敵の指揮官もこれには大満足である。
バカなベリアルド民がバカな提案をしてくれたおかげで死者はゼロ。しかも、想定以上に兵や騎士が集まり、損害無く彼らの役目は果たされたのだ。
対して市街地での作戦は半分失敗に終わった。
ゴロツキがいくら死のうが構わないが、むしろ殺されなかったことが問題だった。これではベリアルドを責める手札が揃わない。
しかしこちらもあくまで陽動。本命は別にある。
市民を巻き込み平民兵が大暴れしている間に、密偵の訓練を受けた者がベリアルドの秘密を探っている。
聖水の秘密。突然盛んになった製紙業。印刷、出版。菓子の発展。
これらはベリアルドの呪いがもたらす才では片付けられない悪魔の知恵に思えた。
ベリアルドの悪魔はひとつの執着しか持たないはずだから。
以前、利権を目当てにベリアルドを探っていた者はことごとく潰されている。
そこに来てあの宣告である。異端であると考えるには充分だった。
なんとしてでも悪魔の陰謀を暴き、王に処刑命令を出させる。そして、あの白い悪魔を葬ることができれば……
◆
「——みたいなことを考えてると思うんだけど。お前、探りに来たの? 殺しに来たの? どっち?」
ベリアルド城のある一室で、三人の男が天井から吊り下げられてる。
殴られた痕はひとつもないが、三人とも異様に足の爪がピカピカだ。
「ふっ、ふぅ…… ハッ、は……」
「良かったねぇ、これでぜんぶ綺麗になったよ。あ、待って。この小指、変な癖が付いてるのかな? ちょっと曲がってる。やり直そっか」
「ヒッ、い、いやだ、やめ……」
「お前たち相当訓練されてるよね。まあ、一枚剥がされても喋らない奴は何枚やっても喋らないんだけど」
「ンッ、ンンンンン! あ゛がッ」
「あー、よしよし、うまい具合に生えてきた。アハハッ、良かった」
ディディエは爪を剥いでは生やし、剥いでは生やしを繰り返していた。全員の爪が綺麗になったところで血まみれの手を洗浄する。
ただの趣味だった。
彼らはひと言も計画を漏らさなかったが、反応で知ることができたので。
「おともだちはあと何人くらいいるのかな〜?」
「ック、殺せ……」
「いや、殺すけど。こういう仕事してる人間は消えても証明できないからね」
「い、ぎ」
そこに、「バン!」と大きな音を立ててシェリエルが入ってきた。彼女は吊り下げられた男たちを見て、大声で叫ぶ。
「お兄様ッ! 殺してはいけません!」
「わ。もうちょっと静かに入って来てよ、みんなビックリしちゃった」
「失礼しました、以後気をつけます」
「で、なんだって?」
「その者たち、わたしを暗殺しに来たのでしょう? ならばわたしに決定権があっても良いと思います」
「見つけたのは僕だ。だからこれは僕の」
「じゃあひとり…… ひとりだけ譲ってください」
「何に使うの?」
「生きたまま解剖したいのですけど、さすがに倫理的に不味いかと思って…… ですが命を狙われたとなればそれくらいは許されるかと!」
「えー、じゃあ仕方ないなあ。ひとりだけだよ?」
これに、宙吊りにされた三人はサーッと血の気が引いていく。
解剖は噂には聞いていた。というより、内一名はそれを探りにベリアルドの城に忍び込んだのだ。
だが自分が解剖されては意味がない。しかも生きたままなんて……、と一気に青ざめたのである。
「わた、私は、バリトア領の——」
「聖水の秘密を探りに——」
「異端の儀式を、悪魔の——」
「あー、いい、いい。もう必要ないから」
「殺す気はなかった、んです。許し……」
「でも貴方、浄水樽に毒を混入しましたよね? これは大量虐殺、テロですよ? そもそも、わたくしが口にする前に他の者が口にする可能性が高いでしょうに、なにを考えているのですか。指導員は誰です、説教してやるわ」
「それ、は私ではな」
「まあ、一斉にメイドや従者たちが倒れたら城も混乱するしね。その隙に、みたいな感じでしょ」
「この外道が!」
シェリエルは珍しく激怒していた。
浄水樽には錬金術による浄水機能が設置されているので毒はなんの意味もないのだが、警報が鳴ったことでユリウスとイチャイチャするチャンスを逃してしまった。そんなところだろう。
ディディエはさすがにそれはどうなの? と思ったが、まぁ自分もかなり怒るなと思って黙っておいた。
「生きたまま解剖って、シェリエルまた新しい実験始めるの?」
「はい、落ち着いたらになりますけどね。それまで生かしておいてください」
「仕方ないなぁ…… 可愛い妹の頼みを嫌とは言えないよね」
「ふふ、大好きです。お兄様」
「僕も!」
キャッキャと盛り上がるベリアルドに、三人は矢継ぎ早に計画を喋り出した。後半は家族がいるとか、老いた母を養うためとか、お決まりの身の上話である。
が、ディディエはこれらの告白からあと五人はネズミが紛れ込んでいると確信して、 シェリエルを連れて部屋を出た。
彼らには顎に一定以上の力が入らない麻痺薬を打っているので、舌を噛み切って自殺することはできない。
毒騒ぎで夕食も遅れるようだし、その間に残りも捕まえようとご機嫌である。
「可哀想ですけど、彼らを帰すわけにはいかなくなりましたね」
「解剖はまだ御法度だからなぁ。ここで民意が極端に傾くのは避けたいしね」
「ま、覚悟の上でしょう。下手をしたら数百人が死んでいましたからね。許せない、本当にどういう教育を受けているのかしら」
「ユリウスとどこまでいったの?」
「へぁ、や、べつに。なにもありませんが」
「え、キスもしてないの? アハハ、童貞に磨きがかかってる」
「ほっぺにキスはしてくれました!」
「なに、かわいー!」
「しかも顔を真っ赤にして」
「えー、僕にもしてくれるかな?」
「日課だったと言えば意外と素直に聞いてくれますよ」
「アハハ、バカすぎ!」
大笑いしながら廊下を歩く。
そして、ディディエは深々と頭を下げて端に寄るメイドの腹を蹴り上げた。
グハッと空気が漏れる音がして女がその場に蹲る。
「ひとり見ーっけ」
「っ……ディ、エ様、なにを……」
「僕、メイドも全員顔だけは覚えてるんだ」
ディディエはそれだけ言って女の後頭部を引っ掴むと、ずるずる引きずりながらシェリエルとの会話に戻る。
「で、なんだっけ」
「ユリウス様をどうするかですけど…… その運び方なんとかなりません?」
「僕、シェリエルとアリシアしか担がないって決めたから。アリシアに浮気だと誤解されたら困るし」
「わたしも担がれるのは嫌ですよ? 女の子はお姫様抱っこがいいと思います」
「次からそうするね。あ、そういえばこいつも帰せなくなったな。ユリウスのこと聞かれちゃった」
「あと何人です?」
「四人くらい?」
「火をつけられたら困るので早めに探しだしましょう。お父様を放します?」
「あー、あの人なら勘で見つけそうだよね。元気有り余ってるし」
そんなわけで、残りは父に任せることにした。
たぶん大丈夫だろう。
それからベリアルドの城内を当主が走り回ることになるが、非常時ということもあってベリアルドの使用人たちは誰も気にしなかった。