25.青い死の画面
「あぁあぁあああぁぁ遅い! ちょっと前のDocker for Macよりコンパイルが遅い!」
彼女はいつものように全方位にキレ散らかしていた。
エンジニアとはそういうものだ。常に独りで喋っているし、基本的に「クソが」「死ね」「殺すぞ」などという物騒な語彙力しか持ち合わせていない。
殺意を高めることで脳をアドレナリン浸しにして、複雑な整合性と戦っている。
いわゆる、殺意駆動開発である。
シェリエルはこれでも大いに楽しんでいた。
精霊界に戻ってから、内在世界のなかにもうひとつの次元(ローカル環境)を構築し、統合開発環境を再現。おまけに馴染みのあるテキストエディタまで開いている。
いまはライブラリ化した既存の魔術を新規ファイルで読み込んで、自由に使えるか試しているところだった。
「あーん? 引数が違うってこと? 足りない? あ、これか。待って、これ命ライブラリか。importしないとダメなやつ。これをこうして、こうするじゃろ? よし、これでどうよ!」
彼女は椅子の上で胡座をかき、ゆらゆらと左右に身体を揺らして実行結果を待っている。
「っしゃあ! 天才! 見たか神め!」
大きく叫びながらも拳を上げるようなことはしない。彼女はすでに次のコードを書いている。
凄まじい集中力だった。
空腹感も肩や腰の痛みも、生きるために必要なあれこれも、時間の概念すらもない。
ただひたすらロジックに向き合っている。
実行環境はオラステリア王国。
実行に必要な魔力量の計算。どこから魔力を調達するか。なるべく魔力コストを削るために効率の良い設計をしなければいけない。
要件定義と詳細設計、実装を同時進行で進めている。
集中すれば知らず知らずのうちに時間が経っていた。
とうに人の理を外れた存在である。
シェリエルはだんだんと自分が何者であるのか曖昧になっていった。
疲れることがないため、集中力も途切れない。
雑念が入り込む余地がないゆえに、ヒトであった感覚が薄れているのである。
そんなある時、それは突然に起こった。
「は?」
世界が青く染まり、そこに白のテキストが映し出される。
————————
:(
A problem has been detected and world has been shut down to prevent damage to your system.
————————
「おおおおお…… 嘘でしょ。待って、え。えええ! そんなことある!?」
ご丁寧にテキストの中央で虹色のカーソルがクルクルしている。
内在世界にシェリエルの大絶叫が虚しく響いていた。
まさか自分の創った世界が処理落ちするなど夢にも思っていなかったから。
常に魔力の限界値を計算してそれを超えないようにしている。
ではなぜ……
ログを見ようにも完全に沈黙している。
仕方なくローカル環境から出て内在世界全体のログを探した。
「あ、あのバカ兄……!」
見つけたのは大量のエラーログ。
物理世界に残してある肉体が至近距離で強烈な弾丸を受けたために、急激な負荷がかかり一部がクラッシュしている。
ディディエの心中チャレンジが原因であった。
なにより驚いたのは兄の暴挙ではなく、すでに一年以上経っていたことである。
幸いにもすべて魔力産なのでこれまでの成果が消えるようなことはなかったが、これでは作業が進まない。
シェリエルはすぐさまクラッシュした箇所を修復し、どうせまたやるだろうと備えることにした。
向こうに干渉できないので、こちらで負荷を吸収する。
そしてふと、自分はどうしてあの器にこだわるのか、と手を止めた。実装を優先するなら器など捨ててしまえばいい。
器に戻ることができないのは理解している。人も獣も、魂ある生物すべて、魂の強度に合った器にしか入れないから。
ただでさえシェリエルやユリウスは精霊の加護がなければ器が耐えられないほどに魂が強すぎるというのに。
それでも、シェリエルはどうしても器を残しておきたかった。
「そっか…… そうだった。わたし、もう一度お兄様に、みんなに会いたいんだった」
精霊ではなく、人としてみんなと生きていきたい。
思考のみで存在するいま、あまり集中しすぎると存在自体が変質してしまう。
ディディエの心中チャレンジはシェリエルをギリギリのところで人の生に繋ぎ止めることになった。
器に戻れるかどうかは分からないけれど。
とりあえず、あとでなんとかしようといまは放置している。
◆
昼も夜もない内在世界に引きこもり中のシェリエルは、だいたいの実装を終えてテスト工程に入っていた。
しばらくのあいだ時報のように連日撃ち込まれていた弾丸も、少し前から音沙汰がない。
お兄様はもう興味を無くしてしまったのかしら……
そんなふうに思うくらいには、余裕ができていた。
そろそろ元に戻る方法を考えなくてはいけない。
あまり留守にしていると身体を燃やされてしまうかもしれないし。
「ネージュさん。そういえば、器に残した魂はこちらを認識しているんですよね?」
すぐにネージュが隣に現れ、「そうだね」と返事をする。
同質の魂であるために、磁石のように引き寄せられているらしい。
「けれど、あれは意図して残したわけではないよ。精霊は自らの意思で生物を殺すことができない。だから魂を抜くしかなかったのだが、器と魂は強く結び付いている。それで、完全に抜けきれずに少し残ってしまったというだけだね」
「ね、ネージュさん? わたしのこと、殺すつもりだったのですか?」
「君は魂を自ら傷付けすり減らしていた。契約した我々にとっても苦痛であったし、魂を失うよりは器を手放した方が良いと思ったのだよ」
「な、なるほど……」
声も考え方もユリウスみたいで、人外思考に目を回しつつも、なんだか嬉しくなる。
とにかく、魂をどうこうするのは神の領域であり、精霊であってもどうにかできるものではないらしい。
育てるか朽ちるかという、自然のものであるから。
「全属性の魂はみんな精霊一歩手前という感じなのでしょうか?」
「そうだね」
「じゃあ禍玉ちゃんも?」
「元はそうであったようだが、あの一件でかなりすり減らしていた。そうでなければ葬送するなど不可能だっただろう」
禍玉はネージュが精霊になるより前から存在していた魂だ。仮の器に押し込められ、洗礼も受けずに中途半端な状態で物理世界にとどまることになってしまった。
穢れを浄化するにはヒトとしての思考が足りず、かといって発露する方法も無く、長いあいだ魔力を溜め込み続けたのである。
穢れを浄化することで魂は研磨されるが、そればかりでは磨耗してしまう。人の心と同じで、苦楽の釣り合いが取れていないと成長できないということだ。
それは、あの神樹の結界も同じなのだろう。
ある時までは研磨し、限界を超えると摩耗する。
「神樹の結界に取り込まれた魂が限界を超えたときに、最厄期が始まるということですか」
「そうなるね」
「じゃあ、わたしがあの結界にお邪魔しても魂が削れるまで数百年はかかるということですね」
「その前に壊れるだろう。君はすでに器を持たず、器に戻れば神樹の一部になることができない。あの棺が肉体を保存するのは魂の形を固定するためでもある」
魂だけの存在になってしまうと変質しやすい。
ネージュが神樹で棺を守っていたとき、魂源が削られていたのも器を持たない精霊であったから。
だから、精霊は魔力で実体を作っているのかもしれない。
なぜネージュが人ではなく猫の姿なのか気になったが、それよりもだ。
魂をどうやって削るか。壊れないように程よく削る方法が見つからない。
「下手に穢れに触れても壊れるか、逆に鍛えられてしまうかもしれないってことですよね」
「ああ」
「削ることも、分離することも無理、と……」
「うむ」
「あ! 閃いた!」
「またろくでもないことを……」
「どうして! まだなにも言ってません!」
ネージュはやれやれと首を振ってしゅるりと姿を消した。
呆れていたが、ダメとは言わなかった。
シェリエルは「理論的には可能」と結論を出し、あとは戻るための方法を考える。
……そういえば、お兄様の自殺未遂はどうして感知できたんだろう。
器はこちらを認識しているが、こちらは器を認識していない。ともすれば、あのエラーも起こるはずがなかった。
生命に関わることだから?
となると、どこかでまだ繋がっているはずだ。たぶん、本能とかそういうところだろう。魂だけになっても、自分のことをすべてを知っているわけではない。
シェリエルはテストをしながら自分探しの旅に出た。
と言っても、やることは同じである。
ひたすらgrepをかけてそれらしいファイルを探していく。
もしくは記憶領域にSELECTクエリを投げてそれらしいデータを探してみたりもした。
きっとどこかに手掛かりがあるはず。
すると、自分の知らない記憶があることに気がついた。
「ん? これは…… アリシア?」
物語のようなテキストファイルであった。
シェリエルが肉体を離れたあとの学院の様子、季節のこと、サロンのこと、イザベラの婚約、ディディエの狂っていく様子。
どれもシェリエルが知り得ない情報だ。
「……っ」
感情に伴う痛みは切り離したはずなのに、読み進めるほどにシェリエルの胸に温かい痛みが再現されていく。
「ああ、マリアも、マデリン様も。ジゼル、シャマル…… モーゼスも。ずっと、話しかけてくれてたのね」
膨大な量のお話が溜まっている。
こちらがマスターDBとするなら、器にある実体の脳がスレーブとして機能しているのだろう。
よくよく調べてみると、定期的に同期をとって情報をこちらに送っているようだった。
ディディエの自殺未遂はその疎通をも狂わせるくらいの大変な情報量だったというわけだ。
シェリエルは彼らの話を一から読んでみた。
それから、ふたつのDBを同期しているところを探す。
「あ、あった……」
辿り、辿って、器の処理まで行き着いた。
記憶を保存する箇所からさらに先に進むと……
『——です。ウフフ、見てください! この香水瓶、とても可愛らしいでしょう!』
『本当ですね。ベルティーユ様によくお似合いです』
『こちらもディオール様のデザインなのですって』
『まあ! ディオール様が……』
リアルタイム中継に繋ぐことが出来たのだが。
「え、ベルティーユ様!? なぜ? え、どう見てもベリアルドのサロンだけど。しかも、アリシアまでいる。なに? どういうこと?」
シェリエルはモニター越しにこの光景を見ている。器は一ミリも動かないので監視カメラのように画角は固定されたままだが、大人っぽくなったアリシアとベルティーユが楽しそうにお茶をしていた。
画面の下の方にどう見てもディオールのイメージとは正反対な、小さな小花を散りばめた可憐でかわいらしい香水瓶が半分だけ映っている。
「ズルい! なに!」
あまりのことに思ったまま叫んでいると、そこにげっそりやつれたジェフリーと、信じられないくらい凶悪な色気を纏ったディディエが入ってくる。
ディディエは真っ直ぐこちらに歩いてきて「ただいまシェリエル」とおでこにキスをして、慣れた仕草で隣に座った。
彼の姿は見えなくなったが、声はASMRくらいリアルに響いている。アリシアやベルティーユに挨拶をしたあと、ちょっとした会話が聞こえて、長椅子の背にもたれかかったのかギ……、と軋む音がした。
『はぁ、疲れた…… シェリエル、今日のお土産だよ』
ディディエの手元が映り込む。彼が宝物を見せるみたいにゆっくり手を開くと、土色の指が三本、そのまま並んでいた。
「おおおおお…… なにをしている…… ディディエお兄様!? 正気か!?」
当たり前にベルティーユが悲鳴をあげ、ジェフリーが『だから後にしてって言っただろ!』と怒鳴っている。
向かいの席でアリシアが『ディディエ様』と氷のような冷たい微笑みを浮かべていた。
『あー、ごめんね。すぐに見せてあげたくて。夕食の時にすれば良かったね。でももう出しちゃったし。シェリエル、はいどうぞ』
「渡すな渡すな! そんなものもらっても嬉しくないが!」
『うーん、やっぱりこれでもダメかぁ。あ、でも誰の指か知らないもんね。これはね、ベリアルドに戦争を仕掛けようとしてた奴の指なんだけど』
「どうなっているベリアルド! なに! どういうこと!? え!?」
『まあ、これは僕が招いたことでもあるから、命だけは取らないでおいてあげたよ』
『ねぇ、その話あとにしてくれない? ベルティーユの前でそういう話をしないでって何度も言ってるよね!』
『仕方ないなぁ。じゃあ、また夜にね』
「夜にってなに! 聞きたくないんですが!」
シェリエルの声が届くわけもなく、その後も物騒な話が飛び交っていた。
これはいけない……
早急に戻らなければ!
いや、たしかに、裏切ってしまったとか、病んではいないだろうかとか、いろいろ考えたけれども。
何をどうしたら嬉々として戦利品を見せられるようなことになるのか。
「も、戻らねば…… これ以上、あの兄を放置してはおけぬ……」
シェリエルは武士のような気持ちで決意した。
決意して、その意気込みのままテストに戻る。
たぶん、器に戻ると二度とここには戻れないから。
改修することも新しく作ることもできなくなる。
だから、テストがすべて終わるまで、思いついたものはすべて作っておきたかった。
◆
一方その頃ジェフリーさんは。
「うぅ…… ねぇ、これ本当に大丈夫なの? たぶん、もう無理だと思う。ボクもさすがに命が惜しい」
「うんうん。そうだね。大変だよね…… やれ」
「うっ……」
相変わらず一日一回シェリエルチャレンジを続けている。
彼はシェリエルが精霊と契約しているために、間接的に精霊の魂に触れているのではないかと考えていたが、実際はシェリエルが精霊になっていた。
ダイレクトに精霊の魂に触れようとしているのである。
そして、シェリエル自身も器と疎通が困難であったくらいなので、当然ジェフリーも彼女の魂を掴みきれない。
しかしである。
彼はシェリエルの器に残った僅かな魂ではなく、シェリエルの本当の魂に触れようとしていた。
さすがは魔術の才だけですべての欠点を帳消しにしているだけはある。
彼もまた、天才なのだ。
そして、シェリエル自身、器に戻りたがっている。
シェリエルが目を覚ますまで、あと一歩のところまで来ていた。





