21.貴族教育
「シェリエル様、改めまして祝福を降ろされた事お祝い申し上げます」
「マルゴット先生、ありがとうございます」
十日間の休暇が終わりいつも通りの授業が始まると、やっと日常へと戻って来た気がする。これからは剣術と魔術の授業も加わるので、以前よりは忙しくなるが、誕生日から始まった怒涛の日々を思えば平和なものになるだろう。
ディディエは最後まで文句を言いながら学院に戻り、ヘルメスはリヒトの診察があるのでしばらくこちらに残る事となった。
「では、早速ですが。シェリエル様も七歳になられたので、上位貴族としての振る舞いをしていただかなくてはなりません。まずは使用人への態度を改めるところからですわね」
「先生、お父様は良いのですか」
ずっと気になっていたのだ。セルジオは誰に対しても同じ口調だった。メイドに直接話しかけているところは見た事がないけれど、ザリスに対してもわたしに対してもマルセルに対しても同じ喋り方をしている。
「セルジオ様は特別ですわ。理由はわたくしから申し上げるわけにはいきませんから、ご本人にお尋ねくださいまし。とにかく、シェリエル様はただでさえその容姿から侮られる可能性があるのです。しっかりと上位貴族の意識を持っていただかなくては」
マルゴットが話せない理由というのが余計に気になってしまう。マルゴットの授業は厳しくはあるが、理由を明確に説明してくれるので分かりやすい。自分に仕える者たちは、確実に階位が下の者になるので敬ってはいけない。他貴族の前で使用人に遜ろうものなら、自分が使用人より身分が下だと宣言している事になるらしい。
「けれど、品のない言葉はいけません。そして、一から十まで命令しなければ動けない使用人も困るのです。上品に、かつ威厳のある淑女になるため、声色や表情で女性らしさを出すのです」
「難しいですね、子どものわたしがお母様の真似をするわけにはいきませんし」
「いいえ、ディオール様をお手本になさってください。洗礼の儀を終えた貴族はその振る舞いが許されるのですよ」
なるほど、道理であの夢の記憶がありながら、慣れないわけだ。夢のシェリエルは洗礼の儀が失敗に終わったので上位貴族としての認識が薄かったのだろう。それに、こうした教育を受けていたかも怪しいところだ。
その後も、貴族相手の対応の分け方、貴族独特の言い回しなど、社交術を口頭でどんどん詰め込まれる。お茶会が一ヶ月後に迫っているので、最後の詰め込み教育というわけだ。幸い、わたしより高位の家門は公爵家と王族だけ。しかも現在公爵家は四家門しかないので、実際に会う事は殆ど無いという。けれど、下位貴族と中位貴族では若干扱いが変わるのが厄介だった。セルジオは相手によって振る舞いを変えるのが面倒で、あのような話し方をしているのでは、と思い始めていた。
「次のお茶会は貴族へのお披露目に近いものになります。くれぐれも他家に侮られる事などないように」
「女の子だけではないのですよね? お茶をしてお喋りするだけで良いのですか?」
「ええ、御子息もいらっしゃいますが、彼らは最初に顔を合わせた後は大人の茶会に参加する事になります。お茶会自体は御令嬢のみで行われるので、しっかりと気を引き締めませんとね」
だったら何故ご令息も招くのだろう。今回は行ってみたら大人数でした、みたいな事がない様に事前にどう言った子がどれだけ来るのかマルゴットに確認しておく。
次の授業からは使用人を交えて模擬茶会をしながらの授業になるそうだ。彼女たちもこういった茶会に参加しながら育って来たので、練習相手にはちょうど良いらしい。メアリによると洗濯や掃除よりも楽しいのでメイドたちはこぞって参加したがるのだとか。
マルゴットの授業を終えると次は剣術の授業だった。これまでは一日に一科目しかなかった授業が、剣術だけ毎日座学と並行して行われる事になった。本来学ぶ予定がなかったので無理やりねじ込まれた感が否めない。だが、小学校でも体育の授業はあるので、一日二科目と考えれば緩いカリキュラムではあった。
「さあさあ張り切って行きますよ! 本当は帯剣状態からの剣技を学ぶんですけど、シェリエルは空間魔法が使えるのでそちらで訓練しましょう」
セルジオは刃を潰した短めの剣を差し出し、ニコニコともう片方の腕で自分の剣を振っていた。ブンブンと飛んでくる風に煽られながら、いきなり実践形式の訓練が始まった。普通は姿勢や素振りからでは無いのだろうか。前前世の記憶がほとんどないのでどうやって訓練したか覚えていないが、何かがおかしい。
「お父様、その基礎訓練のようなものは…… 準備運動とかあるでしょう」
「必要です?」
「必要です」
これまで殆ど運動をして来なかったので筋とか痛めそうで怖い。芝生に座り込み、簡単にストレッチしながら先ほどマルゴットに濁された話を聞いてみる。
「お父様はどうして補佐官や下位の貴族にも同じような話し方なのですか?」
「ああ、僕、考えるの嫌いじゃないですか。こうしてそれっぽく話していると、常に何か考えていそうな雰囲気が出るでしょう?」
「え? 頭良さそうに見えるからって事ですか」
「ま、そうですね。実際頭の出来は良いんですよ、使うのが嫌いなだけで」
わぁ、思っていた以上にくだらない理由だった。なるほど、マルゴット先生が言いたがらないわけだ。セルジオは学院時代に策略家の友人と出会い、その人の影響で喋り方を真似し始めたらしい。並んで前屈をしていると、ピタッと身体を折りたたんだセルジオが顔だけこちらに向けていた。
「使い分けが面倒なのかと思っていました」
「それもありますよ。あと、僕これでも王国で一番強いですからね。どんな態度でいても侮られる事がないんですよ。最近一人居ましたけど、釘は刺してきましたし」
「とても納得出来ました」
わたしは大人しく社交術を学ぼうと思う。マルゴットの言うとおり、侮られるのは目に見えている。わたしだけならばいいけれど、わたしの教師や親が恥をかくのだから。力で捻じ伏せるような凶悪令嬢になるわけにもいかない。
少し肌寒く感じていた外気が気持ちよく感じるほどに、徐々に身体が温まってきた。早く剣を振ろうとセルジオに急かされる。
「剣術の授業ですけど、先に空間の作り方からやりましょうか。剣を収める空間は綿のようなものが詰まっているというイメージで作るのが最適です。そうすると何本入れても好きな武器が取り出せますから」
「どの剣を取り出すかは指定できるのですか?」
「んー、入れる時に、コレを入れたなと認識していれば、アレが欲しいなと思いながら手を突っ込めば出てきますよ」
ユリウスとは正反対の感覚的な説明だった。セルジオは空の加護があり空間魔法を一番得意とする。そして感覚型の天才だ。けれど本人がそのイメージで出来るというなら、わたしは信じて従うしかないだろう。
綿では突き刺し辛そうだったので、ウレタンのスポンジのようなものを想像する。そして心の中でスペルを唱えた。ゾワっと魔力が動く感覚と共に、目の前に手の平サイズの次元が出来ている。スッと剣を差し込んでみると半分くらいで止まってしまった。
「ふむ、もう少し魔力を使った方がいいですね。あと、何本も入れるには中級の呪文が必要になるのでそちらはユリウスに習ってください」
「剣は何本も必要なのですか?」
「ええ、途中で折れたり斬れなくなったりしますからね、槍や短刀なんかも入れておくと良いですよ」
わたしは一体どんな戦場に送り込まれる想定なんだろう。だが備えあれば憂いなし。せっかくの全属性なので一応中級で作れるようになりたい。言われた通り、先ほどの倍くらいの魔力を溜め、もう一度空間を作り直すと、今度は剣がすべて収まった。
「じゃあ、剣の入っている空間を思い浮かべながらもう一度空間を…… あ、取り出しはスペル違うんでした。《ウーヴィル》ですよ。さ、どうぞ」
わたしは今閉じた空間と中に入っている剣を思い浮かべながら、《ウーヴィル》と唱える。イメージがしっかり出来ていたようで、入り口から少し柄頭の覗く空間が現れた。スッと剣を引き抜くと、少しして空間が閉じる。
「出来ました! どうですか」
「うん、シェリエルは筋が良いですね。剣を引き抜きながらそのまま次の動きが出来るように、空間を出す位置や向きを変えながら訓練して行きましょう」
身体が剣の重さを覚えたのか、わたしは既に無意識に強化を使っているようで、特に苦労する事なく剣を振る事が出来た。足捌き、剣筋の読み方なんかも、ある程度覚えているようだ。
「お父様、剣術には魔法を使わないのですか」
「並行詠唱が出来る器用な人は風で盾を作りながら戦っていますね。でもどちらも中途半端になるのであまり勧めませんよ」
そう言ってセルジオは透明の盾を出し、わたしの剣を軽々受けた。結局、無詠唱と言っても心の中で詠唱が必要ならば、剣技に集中した方が良さそうだ。セルジオは「これくらいの盾ならば簡単に貫通します」と言うが、わたしは簡単に押し返される。
淑女の護身術ではなく、本格的な戦闘訓練が始まっているような気がしないでもないが、剣術の授業は楽しかった。終わる頃には手がビリビリと痺れ、この後の食事できちんとフォークを持てるか不安になるくらい頑張ったと思う。
夕食の席にリヒトの姿は無かった。儀式の期間が終わるまでは派遣された神官として扱われていたけれど、これからベリアルド家に仕える事となるので、侍女や補佐官たちと一緒に夕食をとるそうだ。あまりお茶にも誘わないよう注意を受ける。ディディエも学院に戻ってしまったので、急に静かになった食卓は少し物寂しい。
「シェリエル、明日は衣装合わせがありますから、そのつもりでね」
「お披露目会のドレスではいけないのですか」
あのドレスならあと二年くらい着れそうだと思うのは根が庶民だからだろうか。けれどディオールの答えは少しベクトルが違っていた。
「お茶会には少し派手よ? 先日は身内だけでしたから、あと二回くらいは着ても良いけれど、お茶会には向かないわ」
そうか、夜に行われたお披露目会とお昼に行われるお茶会とでは衣装も変わるのだった。今日マルゴットから教えられた事なのに、すっかり忘れていた。決して衣装合わせが面倒でそちらに意識が向いたなどというわけではない。決して。
「ありがとうございます、お母様。あのドレスはとても気に入っているので、また着たいです」
「ええ、ヴァルプルギスの夜には子どもも夜会に参加出来ますから、そのときになさい」
次夜におでかけするのは半年後というわけか。それくらいなら着れなくなるほど成長することもないだろう。ディオールにお茶会での話を聞いたり、剣術の授業の話をヘルメスに聞いて貰ったりと、穏やかな夕食を楽しんだ。





