47.公開裁判
「ええ、はい。はい。そのように。こちらは問題ありません。はい、他の魔物が発生した様子もなく。ええ。幸いでした。……あ、失礼。ディルク様!」
小声で通信の魔導具に向かっていたオウェンスがパッと振り返って言った。
ディルクは少しのあいだ会議室を離れていて、いま戻ってきたばかりだった。
「全体の数が出ました」
彼はそれだけ言って数枚の紙を差し出す。
それは今回の被害状況を記したものだった。
王国に浸透しつつある新しい通信の魔導具により、元老院は事が起こってから随時各地の報告を受けていた。
ディディエが今日このまま公開裁判をやろうと言い出したのも、それがあってのことだろう。
貴族たちに疲弊はあるものの、意識さえあれば事足りる。
むしろ、冷静に事を判断できない状態の方が好ましい。
筆頭補佐官ディルクは主のやり口をよく知っていた。
彼は書を紙ファイルに挟むと、会議室を歩きながら次々と皆に指示をだす。
「そろそろ皆様が戻られる。バージルは軽食と湯浴みの準備を。アロンとモーゼスはロランスの補佐に回ってくれ」
「はい! ……? ロランスですか?」
「侍女見習いたちが混乱しないよう状況と段取りを伝えるだけでいい。夫人もアリシア様もそれどころではないだろうからね」
「は、ハイ!」
モーゼスは元気よく返事をしながらも、そわそわと扉の方に意識が向いている。
シェリエルを待っているのだ。
ずっと会議室から見ていたくせに、シェリエル大好きっ子のモーゼスは一刻も早く彼女に「すごかった」と伝えたくて仕方ないのだろう。
このまま帰って来なければいいのにとさえ思うディルクには理解し難い忠犬ぶりである。
まあ、本当に帰って来なければそれはそれで大変なことになるのだが。
「——もういいじゃん、機嫌直してよ。結果としては悪くなかっただろ? いや、ごめんって。悪かった。僕が悪かったから!」
「どうせわたしは同族ではないので? 理解しきれないのかもしれませんが?」
「あ、根に持ってる。ねぇ〜、違うんだって、だからぁ!」
「……知らない」
「はは、拗ね方は受け継いだようだね」
「先生?」
「なんでもない、忘れて」
聞こえてきた話し声にディルクはやれやれと首を振った。
世紀の大厄災から国を救った英雄たちは、なんでもない日常のようにダラダラと喋りながら会議室に入ってくる。
ディディエはシェリエルの背後から覆い被さるように引っ付いていて、彼女はそれを迷惑そうにしながらも、少し重いマントを引き摺るくらいの足取りで平然と歩いていた。
当初は数日、下手をすれば数ヶ月かかると想定した祓いを一日で終えてしまったためか、疲労は見えるもののまだ余力を残しているらしい。
それにしてもバケモノじみた魔力と体力だ。
「シェリエル様。シェリエル様! おかえりなさいませ!」
「ただいま、モーゼス。ありがとう、モーゼスの応援のおかげで頑張れたわ」
「いえ! 全然っ! そんな」
モーゼスは珍しくてれてれと恥ずかしそうにしている。
シェリエルとモーゼスは一歳差ではあるが、魔力量の違いからか成長速度に差があり、頭ひとつ半ほどモーゼスが小さかった。
その小さなモーゼスがさらに小さくなって俯くので、シェリエルは子犬を褒めるみたいに頭をわしわしと撫でてやっている。
ディディエはそれを面白くなさそうにシェリエルの肩越しに見つめていて、ついにはシェリエルの腕を強引に奪っていた。
そして、ディルクはそのディディエの腕を掴んで、先ほど受け取ったファイルを手に持たせる。
こうでもしないと無視されるから。
彼はチラと左の目だけでこちらを見て、シェリエルにおぶさったまま彼女の目の前でファイルを開いた。
「ふーん、まずまずじゃん」
「平民に負傷者は出ましたが、暴徒化する前に鎮圧できたため死者は出ていません。自殺者もいまのところは確認されていないとのことです」
「ねーねー、聞いた? シェリエル、これって僕のおかげだよね?」
「そもそもこんなことになったのは誰のせいでした?」
「ライアじゃない?」
「ハァ……」
たしかに彼は暴動に向かうはずだった熱量をお祭り騒ぎへと変えてみせた。
けれど、ここまで被害が少なかったのはすぐに駆けつけた騎士団や魔術士団が方々走り回ったからだろう。
現に、錯乱状態に陥った民は牢に留置されており、その数は王都だけで数百にものぼる。
シェリエルはわざわざ別の紙を取り出して声に出しながら「認知の歪み」と書いていた。
夜のお説教に使う資料らしい。
ディディエはシェリエルのペンを奪って自ら「過剰な承認欲求」と付け足し、半笑いのままこちらに向き直した。
「他に変わったことは?」
「そうですね、ヘルメス様が外部との通信を断たれたことくらいでしょうか。辛うじて王宮とこちらには繋がっていますが」
「え。あ、やっぱそうなるよね…… 怒ってた?」
「はい。それはもう。“ベリアルドの呪い持ちを使った精神再構築についてが余生の研究テーマになりそうだ”と仰っていました」
「こわぁ……」
普段ベリアルドに直接依頼できない者たちからも引っ切り無しに連絡が来ているらしい。
もちろん、緊急連絡用にヘルメスの通信印を外に漏らしたのはディディエである。
そのディディエはシェリエルの頭の上でヘナァ、と溶けている。が。
……これも、擬態なのだろうな。
ディルクはまた“やれやれ”と小さく息を吐いた。
いつものことと言えばいつものことであるが、今回は範囲が王国全土に及ぶため、補佐官たちは信じられないくらい膨大な仕事をこなしている。
ライアの証拠集めは当然として、勝手に処理してしまったノーラという令嬢の身辺整理。
彼女の不在を自然なものとするべく、おかしな噂が立っていないか調べ、必要があればそれらしい情報を流したりもした。
もしもの時に備えて不利になりそうなことはディディエの形跡ごと消さなければならない。
調査に関しては専門家を育てているが、それをどうするかは補佐官の仕事なのだ。
オウェンスやエリックも似たようなものだった。
そんなわけで、ディルクは「厳しめに叱られますように」と、ベリアルドの方角に祈りを捧げている。
「ゲランジットご夫妻が学院に到着しました。如何なされますか」
補佐官のひとりが通りすがりみたいに扉から顔を出す。
ディディエは「マデリン嬢のご両親だね。マデリン嬢ってどうするんだっけ?」と、シェリエルの肩に顎を乗せたままユリウスに軽く顔を傾けた。
「私としては罪に問いたくはないんだけど」
「アラ、お優しいのですね」
「子どものやったことだしね」
「けれど、ゲルルトを通じてイザベラお姉様を誘拐しようとした件は処罰すべきでは?」
「ああ、そんなこともあったか」
「いいんじゃない? べつに大した害も無かったんだし。むしろ無法者集団を一掃できて王都の治安は良くなったんじゃないかな」
「まあ、そうですね…… では隠匿しますか。マリアさんの外聞にも響きますし」
「すでに内々に処理したものだし、それが良いと思うよ」
ちょっとした問題みたいに言っているが、当然そんなことはない。
大仕事を懐かしむ間もなく、告発する場合にはどの証拠を出そうかと頭のなかで整理する。
少しでも可能性があるなら備えておかなければすぐに動けないから。
それで、ディルクは「ノーラ嬢の不在に目を向けさせたくないのだな」と、ユリウスの意図を理解した。
誘拐やその後の無法者抹消の件は、その後の調査によりノーラが誘導したものだと分かっている。
大祭司の真似事をしようとしたゲルルトは身寄りのないノーラを支援していたようだし、ライアがマデリンに目を付けたのもその線からだろう。
それらを詳らかにするにはノーラの存在が不可欠なのだ。
であれば、告発はあり得ない。
即座にディルクはこの件について考えるのはやめた。
「じゃ〜、マデリン嬢は放置で。あ、シェリエルは悪口とか言われてたけど、それはいいの?」
「ええ、それくらいは」
「不敬罪も私たちが未然に防いだことだし」
「善行みたいに言わないでもらえます?」
「え? 私たち、善いことをしたよね? アルフォンスは無事だったし、少女も罪を犯さずに済んだ」
「やり方が…… ひとり殺しておいてそれはないでしょう」
「結果は悪くないと思うけど」
ユリウスはコテと首を傾げて、なぜ責められるのか分からないみたいな顔をしている。
ひとりの命でふたりが救われた。
そう言いたいのだろう。そして、ノーラに対してもこれが最善であった、と彼は思っているらしい。
シェリエルはムッと眉を寄せたが、すぐに眉間の皺を解いて、なにかを察したようにまた「ハァ……」と息を吐いた。
「たしかに、ノーラ様はこの後の生活に耐えられなかったかもしれませんね。彼女がすべてを告白してしまえば、マデリン様も……」
「世の中には知らない方が幸せなことがたくさんあるからね」
「むしろ、先生の葬送で逝けたなんて羨ましいくらいです」
「ふふ、ありがとう。君の葬送ほどではないけどね」
シェリエルはフン、と得意げに眉を上げながら目を細めていた。
そういう問題ではないはずなのに。
相変わらず切り替えの早いシェリエルは次の瞬間にはすっかり機嫌を取り戻していた。
「そうだ、マリアはどうするつもり? 聖女ってなに?」
「あー、それはあの場のノリで……」
「アハハ、人のこと言えないじゃん」
「どうにかするしかないですね。もういっそ、本当に聖女にしてしまいますか」
「どういうこと? 神殿に入れるの?」
「いえ、神殿とは別に慈善団体を立ち上げるのはどうでしょう。マリアさんは人を集めるのにも向いていますし」
「ふむふむ。それいいね! 僕ちょっとやってみたかったことあるんだけど」
「ダメです」
「まだ何も言ってない!」
「いけません。公衆の面前で宣言してしまったのですから、クリーンで安全な団体でなければ…… まあ、資金は改革派あたりから寄付を募るとして、きちんと管理できる人間も必要ですね」
「ヘレン様とか?」
「ええ。あとは神殿と衝突しないように大祭司様に後ろ盾になっていただくのが良いかと。もともと大祭司様が支援されていたようですし」
「ねぇ、いまのところ僕の案と一緒なんだけど」
「左様ですか……」
シェリエルは嫌そうな顔をしてから、ディディエをペイッと両手で払い落とした。
支えを失ったディディエは不服そうに唇を尖らせるも、すぐにヴァルプルギスの前日みたいな子どもの顔になる。
パチと見開いた瞳にはキラキラとした無垢な邪心が揺らめいていた。
「じゃあ、そんな感じで。みんなよろしくね! 最後の大仕事だ。全力で楽しもう!」
◆
王宮の特別地下牢。
そこにライアは収容されていた。
王宮付きの魔術士たちが揃いのローブを羽織って牢に入ってくる。
転移で移送するつもりなのだろう。
馬車を使わないのは確実に送り届けるためだ。
そこまでしなくてもよろしいのに、大層なこと……
と、ライアは自嘲するように苦く笑う。
協力者も拘束されたし、ライアにはもう手札がない。これ以上どうするつもりもなかった。
敗北は自身の死を意味するが、それは拘束されたときから分かっていたことだ。
死なば諸共。
運が良ければ大逆転。
国が滅べば断罪だのなんだのと言っていられなくなるし。もし、彼らがあの最厄を討伐できたとしても……
ユリウスは悪魔として断罪される側に立つはずだった。
国王だって民意を汲んで動かざるを得ないだろう。
それなのに、彼らは禍玉に悪意や嫌悪を抱くどころか、親しみさえ感じられるほど丁重に葬送してしまった。
日を改めれば利害を勘定して横槍を入れようという貴族も居ただろうが、この短時間でそう冷静に頭を切り替えられる者は多くない。
けれどもまあ……
不思議とサッパリした心地だった。
やり切ったという自負があるからか、それとも、とうに諦めは付いていたのか。
「転移詠唱! 防護結界展開!」
魔術士たちが複数の呪文を唱え始める。
魔法には詠唱が必要だ。転移だけではない。すべての魔法には魔法陣を事前に用意しない限り、スペルや呪文、詠唱が必要であるのに。
当たり前のように無詠唱で転移する彼らに誰も何も思わないのだろうか。
自分だけが彼らの存在を疑っている。
自分がおかしいのか、世界がおかしいのか——
学院には多くの貴族が集まっていた。
祓いに参加しなかった者たちもあの中継を見て急いで馬車を飛ばしてやってきたのだ。
王都で走り回っていた騎士や魔術士たちの一部も大慌てで学院に戻り、いまや例年の学院戦くらいに人が賑わっている。
疫病よりも直接的で恐ろしい最厄のあとだからか、少しばかり危機意識が緩んでいるらしい。
中庭中央にある巨大な櫓の四面鏡には、ざわざわ、ひそひそと囁き合う貴族たちが映し出されていた。
それが各地で通信の魔道具を持つ貴族たち、そして平民の広場に設置された魔導具にそのまま転移されている。
当然、ほとんどの者が見ているだろう。
王国中から注目が集まる公開裁判が始まろうとしている。
——ゴーン、ゴーン。ゴーン……
低く重たい鐘の音を合図に、最上階のバルコニーに宰相チャールズと元老院ハインリが並んで姿をあらわした。
元は王城であったため、学院のバルコニーも最上階中央だけはちょっとした舞台のように広く作られている。
階下のバルコニーにも上位貴族が学院戦のように席を構えて虫ケラを見るような視線を下ろしていた。
ライアはそれを見上げるように、本館正面口の広場になっているところに後ろ手に縛られて地面に膝を突いている。
両側には騎士がひとりずつ。
送還を担当した魔術士は少し離れたところでライアたちを囲むように四点結界を張っていた。
「ではこれより、先日の公開裁判を再開する」
訴状の読み上げは淡々としたものだった。
アルフォンスが告発した内容に今回の禍玉の件が追加されたくらいで、昨日の時点でもう判決は決まっていた。
公開裁判は民意がすべてだから。
後々民が不服を訴え蜂起しないよう皆が望む罰を与える。もしくは、無罪とする。
ライアの場合は満場一致で——
「この場で処刑しろ!」
「家門も潰してしまえ!」
「まだなにか企んでいるかもしれないぞ! 早く処刑してくれ!」
皆が口々に処刑しろと叫んでいた。
よくお茶をしていた派閥の貴婦人たちも前から嫌いだったというような顔で眉を寄せているし、必死に擦り寄ってきていた中位の男たちも唾を飛ばしながらがなり散らしている。
怒りと恐怖。
これに、ライアは悪い気がしなかった。
「ンフフフフ…… いいわ、殺しなさい! 殺しなさいよ! かわいそうな人たち…… すっかり悪魔に誑かされて。ンふふ。何も知らないまま阿呆のまま生きていくがいいわ!」
「おい、あの女まったく反省してないぞ」
「ふざけるなよ、貴様のせいで国が滅びかけたのだ!」
「疫病もお前が運ばせたと言うじゃないか! 俺の大叔父は後遺症が残ったんだぞ!」
ライアはアハアハ笑って皆の呪詛を聞いた。
心地よくて堪らない。
これまで取るに足らない女だと自分を小馬鹿にしてきた人間たちが、簡単に怒り狂って叫んでいる。
貴族の仮面を外して取り繕う必要がなくなったためか、腹の底から笑いが込み上げてくる。
「みんな馬鹿ばっかり! アーはっはっはっはッ!」
大口を開けて笑ってやった。
悔しさが無いと言えば嘘になる。
が、自分は間違っていないという自負があった。
己の幸福のために力を尽くして何が悪い。
元はと言えば、王が悪魔を我が子として育てようとしたのが悪いのだ。
——わたしは自分と、息子の幸せを守ろうとしただけよ。
人は皆なにかを失うことを恐れている。
人望であったり、名声であったり、財産であったり、愛であったり、費やした労力であったり。
そして、命を失うことを一等恐れている。
けれどライアにはすでに失うものが残っていない。
守りたかったものはすべて失くしてしまって、あとは本能的な死への恐怖が僅かに残るだけであった。
それも、もう終われるのだという安堵の方が勝っていた。
だから、こんなにスッキリした気持ちで最期を迎えられる。
恨みはあれど、後悔はない。
悔しさはあれど、反省はない。
あの王妃オフィーリアでさえ、国葬もなく密葬の告知だけで終わったのだ。
稀代の悪女として華々しく散るならば、上等の終わり方ではないか。
ライアはそうやって自分を慰めて、残り少ない人生を精一杯謳歌していた。
最後に残ったのは自尊心だけ。
否、最初から自尊心しかなかったのかもしれない。
「ふふ、いいね。実に人間らしくて…… 私は良いと思うよ」
晴れ晴れとしたライアの心中にドス黒い感情を掻き立てたのは、どこまでも凪いだ闇色の声だった。