10.【1日目】藤の遊撃【遊撃戦】
『こちらディディエ。月夜波にアルフォンス殿下が紛れている。シェリエル行けそう?』
「位置は」
『右手上四〇というところかな』
「了解」
シェリエルはさすがに息を切らせて「一旦止まれ」と短く指示を出した。
「シェリエル様、まさかアルフォンス殿下を襲撃するおつもりですか」
「位置が悪かったわね。左手は不死鳥だったし、本体を叩けるのはもう月だけよ」
「ですが、さすがに……」
「いえ、削るべきよ。他も気付いているなら月を攻撃できないし、だとしたら月が最短で登山することになる」
シェリエルたちはだいたいの位置を掴んでいた。
罠のついでに目印を付けておいて、映るか映らないか分からないその膨大な目印をアロンとディディエはすべて把握し、一瞬でもそれが映れば各陣営の場所を割り出した。
いま、シェリエルたちは左手を不死鳥、右手を月夜波に挟まれてる。
不死鳥はゆっくりではあるが隊列を組んで罠を解除しながら進んでおり、戦闘になると足場もしっかりしているので不利だった。
月夜波がアルフォンスを参加させたということは……
シェリエルはユリウスのやりたいことを察して不味いと思った。
少数精鋭で最短距離で学院を目指している。去年、藤の雫が取った行動で、撃破数は稼げないが一番に学院に辿り着く可能性が高い。
今年藤の雫は翌日以降を考えて蛇行するように登っていた。
大所帯の陣営は小隊を横に伸ばして妨害してくる。それを潰したり、先ほどは不死鳥と少しだけ接触した。
ルイスの指揮による不死鳥はまさに軍だった。
どんなに挑発しても個の感情が削ぎ落とされ、ひとり倒しても陣形が崩れることがない。
罠を利用しようとしても、そこら一帯はすでに解除済み。
とは言っても五人ほどは削ったのでなかなかの成果だろう。
それで、一度進路を戻しながら斜めに上がってきた。このまま少しペースを上げれば月夜波に追いつく。
それに。
「いま月を叩いておかないと学院では不利になるわ」
「分かりました。行きましょう!」
「わたしが先行します。罠は無視するわよ」
「ヒッ……」
少し身体を休ませたシェリエルたちは装備を確認した。
クレマンは槍をしまいライアンと並んでシェリエルの後ろに付く。
それから、シェリエルは跳ぶように走り出した。
コンマ数秒の着地で足の裏の感触を確かめ、右に魔法陣が発現すればライアンたちの通過するタイミングを計算してそこに魔法障壁を張る。
粘度の高い泥の罠を踏みそうになればノールックで地面を凍らせた。
ライアンとクレマンはシェリエルと必ず一定の距離になるように死ぬ気で走っている。たとえ、時間差で発動する矢が降ってきても、盾で弾きながら遅れないよう速度を保った。
乱れればより危険な罠を踏み抜く可能性があるからだ。
深い山中の全力疾走。
当たれば即離脱の罠の数々。
長時間このような移動ができるはずもないので、この地獄の障害物競争は月夜波に追い付くまでの突発イベントである。
◆
〈ほう。藤の雫はなにか指示があったか。監視員が振り切られるぞ〉
〈大丈夫ですって〜、うちの優秀な魔術士が生徒相手に置いてかれるなん…… て〉
〈見失ったな〉
監視員は嘘だろ! と冷や汗をかいて一度上空へ出た。藤の三人は獣道からそれ、木々の生い茂る方へと駆けて行ったのだ。
ほとんど跳ぶように、木の枝まで使って移動している。小型の有翼種に乗って移動する魔術士たちは枝葉の入り組んだところは思うように飛べない。
普通は生身の人間だって足場を確かめながら登るのだから、彼が特別不出来なわけではないのだ。
藤の雫担当となった時点で想定外は想定内だったため、すぐに近くにいる別の監視員に連絡する。
『藤を見失った。そっちに行ってないか?』
『いや。それらしき反応はない。魔力探知はしたのか?』
『してるが、罠の解除時しか魔力反応がないんだ』
『厄介だな。あ、居たぞ。引き継ぐ』
『助かる!』
やっと肩の荷が降りた彼は自身の従魔を撫でて「ちょっと休憩しようか」と休める大木を探した。
が、そこに。
一本の細い煙が上がる。判定要請だ。
急いでそちらに行くと、小さな男の子が血溜まりのなかに立っていた。
「藤の雫です! 採点よろしくお願いします!」
「お、おお……」
採点て…… するけど……
倒れていたのは翡翠の小隊だ。横に伸ばした遊撃部隊がちょうど不死鳥が罠を解除した安全地帯を越えるように藤の進路に迫っていたらしい。
そこをこの男の子が殲滅した、と。
全員意識があり、簡単な応急処置がなされていた。一年の坊やにやられた九名はボロボロ泣きながら撃たれた脚を押さえていた。
「ひ、卑怯だ…… こんな」
「一年にこんなことさせやがって!」
彼らは脚以外は無事だった。こうして姿を現した一年を魔法で攻撃でもすれば倒せないことはないだろう。
撃破数を稼ぐため、残った味方のため、倒すべきである。が、小さな男の子を九人で攻撃するなど出来なかった。
狙撃犯を一年に限定したのはディディエだ。とりわけ小さく無垢で可愛らしい子ばかり集めていた。
◆
月夜波の登山組は極限の緊張状態にあった。
なにせ、罠だらけの山中を王太子を護衛しながら歩いている。
彼らはべつに王太子の護衛騎士でもないし、正式に叙任された騎士でもない。
殿下はひと言も喋らず、たまに「ゔ……」とか「おあ!」とか声を漏らすだけで、足元もおぼつかなかった。
こんな切迫した状態で護衛されることに慣れてないのだろう。それでも守り通さなければならない。殿下が万一怪我でもすれば、派閥無所属の自分たちは後ろ盾が家門だけなのだから。
「止まれ」
「敵襲か?」
「音が止んだ。なにかいる」
彼は騎士学科でも特に優秀な六年生だ。
一番落ち着いていて、さっきも横から突っ込んできた金獅子の遊撃隊にいち早く気づいた。
金獅子は少し交戦しただけですぐに退いたが、本当に王太子を連れた敗走のように思えて緊張感が増している。
「で、殿下、お気を付けを。いま罠を調べます」
ひとりが集団から抜けて罠の探索をはじめる。残った本隊は全方位魔法で盾を張って、罠の発動に備えていた。
「あったぞ。大丈夫、ただの物理——」
「——パンッ!」
「ッんガァ」
「どうした! なにがあった!」
「くッ、狙撃だ、狙撃手がいる!」
「クソ、やはりユリウス様の仰った通りになった……」
かなり前に藤の雫が狙撃手を用意していると聞いて、進路は少しズラしていた。
なのになぜこうも的確に場所が割れたのか。
しかし、ここに狙撃手がいるならまた進路を変えれば良い。銃撃戦に発展することはないらしいので、退けば追って来ないだろう。
「退くぞ。一度退いて迂回する」
「追って来ないか」
「相手が動けば叩けば良い。場所が特定できない時点でこちらの分が悪い」
と、そこに。
『右手四五のティドの木の上だね』
「え」
『確実に討ち取れるなら攻撃してもよい。そうでないなら迂回しろ』
「ハッ!」
『それと、まだあるよ。油断しないようにね』
「ハッ?」
ユリウスは最低限の指示しか出さなかった。
本番では外部の情報を交えて誘導してくれる味方がいるとは限らないからだ。なので、これは今日三回目の通信だった。
あまりにも孤独で、あまりにも不安。
負傷者を残し、全員で殿下のまわりを囲むようにゆっくり後退する。
「ッ! クソ!」
「敵襲!」
「お守りしろ!」
「どこだ、ウッ!」
「ベリアルドだ! 敵は三名! 固まれ!」
あっという間の出来事だった。
ふわ、と風に乗った葉が鼻を掠めたと思ったら、もう枝葉に遮られたまだらな空を見ていた。
足の感覚はなく、痛いような熱いような。心臓が大きく鳴って、だんだんそれも静かになっていく。
ハッ、ハッ、と小さく短い息をしながら周囲の怒号が膜を張ったみたいに薄れていった。
◆
その少し前。
「目標発見! そのまま攻撃に入ります!」
シェリエルは一度通信で報告を上げてから空を裂いて剣を取り出す。最近はあの黒の大剣に慣れていたので玩具みたいだ。
クレマンとライアンはさすが六年生だけあって、シェリエルにしっかりついてきており、それぞれ剣を構えていた。
正面の木を蹴り方向を変える。
矢の如く、集団の背後から切り掛かった。
背中を斬りつけたが、まあ生きてはいるだろう。右で硬直した男の肩を蹴って反対にいた男を下から斬り上げた。
これで三人。意外と彼らは冷静で、散り散りに逃げ出すようなことはなかった。
だが、一角が崩れたことで反対側の生徒たちの意識がこちらに向いた。
そこをライアンとクレマンが叩く。
小さな集団を三方向から攻めた。
大きな魔物を討伐するときもこのような戦い方をする。ベリアルドの騎士ならば訓練しておいて損はない。
ついに蕾が開くように集団に緩みができた。これなら、その中心に届く。
『シェリエル、なにかおかしい』
「なんです!」
『まあいいや、全力でやりな。じゃないとシェリエルが危ないかも』
本当に? と思いながら、手加減をするのも失礼かなと思って、シェリエルは中心で護られているアルフォンスの首を狙った。
ギリギリ頭じゃないからセーフかなと。
避けたところで脚を狙ってやろうと。
その刹那、周囲は「嘘だろ!」と泣きそうな顔でアルフォンスを見た。もう魔法も剣も追いつかないが、「王太子殿下の首を狙う奴がどこにいる!」と。
半ば嘘であってくれと祈るように、もうすっかり主君として命を賭けていたアルフォンスを瞳に焼き付ける。
——ガキンッ
シェリエルは「え、」と僅かに目を見開く。
止められたのだ。彼の斜め後ろから全力で斬りかかった剣が止められた。
これを止められるのはユリウスとリヒトくらい。
はらりとフードが落ちて、輝くような黄金の髪が揺れる。
「オウェンス様ッ!」
「はは、残念でしたね。シェリエル様」
アルフォンスによく似た金髪で、ユリウスによく似た笑みを浮かべたオウェンスはシェリエルの斬撃をすべて弾いて反撃してきた。
オウェンスの剣筋は静かで正確だった。
普段は短剣を好んでいるのかもしれない。
ディディエの戦い方によく似ているが、ディディエのように変な楽しみ方をしないのでその分理性的で隙がない。
軽やかで速い。身のこなしも補佐官とは思えない。
オウェンスは長い間たったひとりでユリウスに仕えて来た。ユリウスがいくら人外めいた男だろうと、彼にも幼少期はあって、十の頃から外界に出ていた。
護衛も付けず、良からぬことをするなかでユリウスを護り、ユリウスの邪魔になる者を消して来たのはオウェンスだった。
彼は魔法が不得意だった。
ならば——
シェリエルは剣を弾いて近くの男の肩を足場に集団の外へと跳び退いた。
クソッ、と思わず呟いていた。
「はぁ、せっかくここまで走って来たのに」
「退いてくださいますか?」
オウェンスはサラリと髪を靡かせて挑発的に笑った。糸目で笑う彼は何を考えているか読みづらい。
月夜波の面々も安堵と驚きがぐちゃぐちゃになったみたいな顔で剣を構えていた。
ライアンとクレマンはこの全力登山が無駄になったと思って呆然としている。
束の間のこう着状態。
『シェリエル、退け』
「でも…… このままわたしたちも学院を目指します?」
『いや、殿下はそこより後方にいるはずだ。退きながらそっちを叩こう』
「ッ、調査不足では? ちゃんとしてください」
『はぁ? お前僕がどれだけッ』
ジリジリと陣形を整えていた月夜波は交戦の構えだ。オウェンスならば勝機があると、全員士気を高めている。
だって彼は成人で、ユリウスの補佐官で、いまシェリエルと対等にやり合って、公爵家相当の髪色をしているから。
「おや、退いてくださるのですね」
「退いて欲しいのではなかったのです?」
「シェリエル様ともあろうお方が私相手に退くというのが…… ふふ、少し意外だっただけですよ」
ディディエの予想が当たったらしい。
彼はシェリエルたちをアルフォンスのところに行かせまいとしている。
けれどどうする。アルフォンスを叩いてもオウェンスが学院に直行すれば結局は月夜波が有利。
「はぁ……」
シェリエルは大きく息を吐いた。
大人げないなと思いながら。大人じゃないからいいかと思って。
左手を軽く上げてハンドサインを出す。
クレマンとライアンが地を蹴った時。
「ごめんなさいね」
ドン、という大きな音と共に月夜波の足元に巨大な穴を開けた。
「わ!」
「うっわ! おい!」
「ギャ」
余波で崩れた石や土を防ぎながら男たちが落ちていく。転移で抜け出せばその時点で失格。魔法で足場を作りながら自力で登るしかない。
「わー! 派手にやりましたね」
「自然破壊だわ。後で直さなきゃ」
「どうします? 学院を目指しますか?」
「いえ、少し休憩しましょう。殿下を待つわ」
「ッうし!」
ライアンはガッツポーズしたままその場にひっくり返った。もう昼を過ぎていて、ここまでろくに休憩を取っていない。最後の爆走登山がとどめになった。
「ライアンはチョコレートがお気に入りだと聞いたけど……」
「ファッ!」
「ふふ、特別よ? 新作を持ってきたわ」
「一生の忠誠を誓わせてくださいッ!」
「あー、シェリエル様。あまりこいつを調子に乗らせないでいただけると……」
例の如く、この様子はディディエにしっかり届いている。クレマンは後で絞られるぞ……と思って自分は失言しないように口を閉じた。
◆
「ほう。替え玉だったか。ユリウス様も人が悪い」
「お兄様、なにかお手伝いすることはありますか」
「いや、今日は社交に励め。お前のおかげで藤を落とせそうだ」
「あら」
藤の雫は確実に内部分裂を起こしている。
それでもあのふたりは個々の能力が高く、アロンが指揮に入っているため目立った問題は無いように思われるが、それでも。
「シェリエル嬢の撃破数が少ないのはそのせいだろう」
「あの大穴に落とした方たちは換算されないのです?」
「時間までに出て来なければ討伐数に入るが、ただの時間稼ぎだ」
鏡の向こうではシェリエルが大穴のそばで昼食を食べていた。たまに穴を覗き込んで下に向かって魔法を撃ち込んでいる。
ディディエとシェリエルが上手く噛み合ってないとはいえ、ベリアルド全体の撃破数はルイスの計算でもかなりの数になっていた。
あの狙撃が効いている。
不死鳥も小隊がやられ、陣形の変更を余儀なくされた。
翡翠が最も狙撃の被害を受け、交戦も多くすでに半数を割っている。あとは金獅子だが、今年はやけに動きが地味だった。
いくつか遊撃に出しているのは確認したが、本隊にそれほど大きな動きはない。
毎年、互いに妨害しあって正面からやりあっていたのに。
「ほら、もう行け。女は社交が本分だろう」
「え、ええ……」
アリシアは口籠もって、小さな溜息を残すと静かに部屋を後にした。
アリシアはどうしようかしら…… と行き先を迷う。
先ほど、イザベラが母と一緒にいると聞いてサロンに顔を出したところ、大変な騒ぎになっていて、黙って扉を閉め見なかったことにしたのだ。
あの母が金貨を握りしめて賭け事をしていた。
お酒を飲んでいたようで、いままで見たこともないくらいはしゃいでいたのだ。
アリシアはショックだった。厳格で、人生で一度も間違いを犯したことがないような人だと思っていたから。
けれど、少しだけ安堵したのも確かだ。
誰にだって意外な一面はある。
ディディエに恋をして、自分の知らない一面を知って、家門を裏切っているような気さえしていたから。
「でも、あそこには混ざれないわ…… わたし、お酒はまだ飲めないし……」
そのとき。
ふわりと甘い花のような香りがして心臓が鳴った。
「はぁい、ごきげんよー……」
「ヒッ……」
「あれぇ? どうしたのかなぁ、そんなに震えて……」
「ディディエさま……」
「寂しかったなぁ、ずっと僕のこと避けてたよねぇ?」
「や、それは…… 忙しくていらっしゃるから…… ディディエ様が」
「ふぅん。顔見せてよ。ねぇ、アリシア」
さらさらと髪を指先で弄ばれ、首筋から背中にかけてゾワゾワと鳥肌が広がっている。
甘くとろけるような美声だが、この胸の高鳴りはトキメキと——恐怖だ。
「怖がらないで…… お話ししよう?」
「わたくし…… わたくし……」
「アハッ…… アハハハハッ!」
ディディエは弾けたように笑ったあと、「あーあ……」と吐息混じりに声を落として、アリシアを後ろから抱き上げた。
キャッ、と思わずディディエの肩を掴むと、彼の笑っているのに笑っていない仄暗い微笑みが視界に入る。
薄いグレーの瞳には翡翠のようなグリーンが差していて、それがゆらゆら揺れていた。
あ、食べられる……
捕食者を前にした草食動物の気持ちでサーーッと血の気がひいた。





