3.ただいま、悪魔の巣
馬車の中は意外にも平和だった。
「僕はベリアルド家当主、セルジオ・ベリアルドと言います。あなたの父親ですよ、それであなたの母親はもう居ません。出産後に死んでしまったんです。でもこれから行く僕の屋敷には、妻と息子がいるのできっと寂しくないですよ」
と、楽しげに話すセルジオは完全に信用ならない大人の顔をしている。
無神経を極めたご丁寧な説明のせいで、初めての外の世界だというのに窓の外を眺めることも出来なかった。
「おふたりは、わたしを受けいれてくださるでしょうか」
「無理でしょうね。彼女はとっても嫉妬深いですから。それにディディエは少し育ち過ぎていますし」
「そうですか」
所謂、私生児。妾の子として引き取られたわたしが本妻とその息子に受け入れられるはずがない。
特にベリアルド一族はその血筋の特性上、家族の絆や執着が強い。
反面、他者にはどこまでも無慈悲で無関心であった。無関心であればまだ良い。むしろ関心を持たれる方が厄介というくらい。
家族として受け入れられない以上、自宅に侵入した邪魔者として必要以上に嫌われるのは仕方のないことだろう。
不安に揺られながら、屋敷というより世界遺産になりそうな城に到着した。
もう深夜も深夜、かなり深い時間。
あたりは真っ暗でせっかくの外の世界を空気だけしか感じられなかったのは残念だ、と思う程度の余裕はある。
意外にもセルジオお父さんが抱き上げてくれて、わたしは地に足を付けることなく馬車を降りた。
「おかえりなさいませ、セルジオ様。ディオール様とディディエ坊っちゃまがお待ちです」
抱えられたまま大きなエントランスを抜け、城の中を進んでいく。
前世で訪れたフランスの美術館みたいでやたら豪華でやたら広い。
「んふふ、一応子どもらしいところもあるんですね」
キョロキョロとあたりを見回していたわたしは少し恥ずかしくなって俯いた。
いや、三歳児としては普通では?
ある扉の前で立ち止まると、使用人が静かに扉を開ける。中にはあまり派手すぎない落ち着いた長椅子とテーブル。
そして、美しい顔を怒りで歪めた女性と、十歳くらいの男の子が座っていた。
「おかえりなさいませ」
紹介すらもそこそこに、早速養母となるらしいディオールお母さんが殺意に満ちた視線で射抜かれる。
「どういうことですの? 奴隷を買ってくるなんて。しかもこんな髪の…… これは一体何なのですか」
「奴隷ではありませんよ。僕の子ですから」
悪びれもなくセルジオお父さんが反論すると、燃えるように真っ赤な髪を振り乱し、彼女は更に目を吊り上げた。
「なんですって!? そんな色の子をいったい、いつどこで作って来たのです! 相手の女はどうしたのですか! 殺してやるわ……」
「この子の母はこの子を生んですぐに亡くなったので大丈夫ですよ。この子は三年前、乳母と共に我が家へ来る途中に賊に襲われ行方不明になってたんです。ね? 可哀想でしょう? ですから、必死に探してやっと買い戻したという訳です」
なにが大丈夫なのかは分からないけど、そういうことだったのか。
と、シェリエルはひとつ謎が解けて頭をスッキリさせた。
「……それで、この子をどうするのです?」
「僕たちの子としてここで育てますよ?」
「わたくしは絶対に認めません!」
刺すような痛みが胸を貫き、息が詰まる。
バサりとセルジオのローブに隠されると、すぐに痛みが和らいだ。どうにか心停止は免れたようだ。
勘弁して欲しい。普通に死ぬのでは? 大丈夫そう? 夢だとあと十三年は生きられるはずなんだけど……
「まぁまぁ落ち着いてくださいよ。ディオールも女の子が欲しいと言ってたじゃないですか」
「だからと言ってこんなのあんまりです! 他所の女が産んだ子など、わたくしは……」
……それはそう。
突然愛人の子がやってきたら誰でも怒る。しかも、おかしな髪色だし。変な記憶もあるし。たしか彼女は物凄く嫉妬深かったはず。
いまにも自身を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまいそうな彼女を、少し不憫に思ってしまった。
「母上、別にいいじゃありませんか。領主に妾の一人や二人、珍しい話ではないでしょう。我が一族としては珍しいことだとしても」
飄々と笑うのは、藤色の髪を緩く結んだ兄になるらしいディディエお兄ちゃんである。
胡散臭い笑顔と癖っ毛はセルジオに似たのだろう。この状況すら楽しんでいるように見える。
ベリアルド家だからこそこんな事が許されないというのは、ディディエにも分かっているはずなのだが。
これはマズイ、今夜四回目の死を経験することになるのでは?
「あ、あの…… ごあいさつ、させてください」
突然喋りだした幼女に全員の視線が集まった。
「はじめまして、シェリエルと申します。そ、その…… 邪魔にならないようにしますので、どうかよろしくおねがいします」
更に目を輝かせるディディエと、憎悪を募らせるディオール。
……うわ、ヤバい、失敗した。
「へぇ〜、一族の子というのは間違いなさそうだね。今の状況をよく分かってるみたいだ。それにしっかり呪われてるね」
ディディエは新しい玩具を見つけたかのようにケラケラと笑っていた。
まだ十歳前後のはずなのに、何もかも見透かされているような視線に底冷えがする。
「お黙りなさい! わたくしは絶対に認めないわ!」
ベリアルド家の血筋ということを認められた反面、養母ディオールには余計に憎まれてしまったらしい。
あした無事に目を覚ますことが出来るのか……
「困りましたねぇ。この髪色で奴隷にでもなったら、きっと酷い扱いを受けますよ? 可哀想でしょう?」
まったく同情心を感じさせないセルジオの訴えは、当たり前に少しも響いている様子がない。
ヒリ付く問答はしばらく続き、それから少ししてもう遅いからと話は打ち切られ、メイドに連れられて違う部屋に移された。
何度か廊下を曲がり、一人ではたどり着けないようなところまで来ると、古びた扉が開かれる。
部屋は綺麗に掃除されていてまるでわたしが来ることを知っていたかのように、小さめの寝台とテーブルセットが置かれていた。
「お嬢様、申し訳ありませんがしばらくはここをお使いくださいませ」
「すてきなお部屋です! ふかふかのお布団なんてひさ…… はじめて……」
素直に自分の部屋に喜んだ。
木箱で寝ていた三年間を思えば、天国のような部屋である。
設備としては科学の発達した前世の方が良いかもしれないが、まさしく城! というこの屋敷は信じられないような贅沢だ。
「お嬢様…… 失礼ですが、今までどのようなところでお過ごしになっていたのですか? これからお世話させていただく身として、ある程度のことは知っておきたく存じます」
お嬢様と呼ばれることに慣れず、居心地の悪さを誤魔化すように、下ろしてもらったベッドの上でふかふかの綿布団を堪能する。
「このお部屋の半分くらいのとこで子どもたちとくらしてました。十人くらい、でしょうか。布団はなくて、木箱とわらと古布だけだったので、こんなにふかふかのお布団、うれしいです……」
ウッと小さな嗚咽が聞こえてメイドを見上げると、彼女は目を真っ赤にして唇を噛んでいた。
「だ、だいじょうぶですか?」
「すみません、お辛いのはお嬢様ですのに……」
「わ、わたしはだいじょうぶです! 世話をしてくれるひとも親切でしたし、それに、子どもだから寝ているくらいしかすることもなかったですから!」
咄嗟に良く分からない言い訳をしてしまった…… 子どもが子どもを理由に言い訳するなんて絶対変に思われる!
と、あわあわしていれば、メイドはクスッと吹き出した。
「お嬢様はご聡明でいらっしゃいますね」
……そうだ、ベリアルドだからこれで良いんだ。
ベリアルド家は特殊である。血の呪いと言われる特性を持って生まれた子は世間で言う天才だった。
そして特別な才と欠落がある。
でも夢のわたしはその特別な才がなかったから欠陥品と言われてたんだっけ。あと髪色のせいか、魔力も無いし。
無い無い尽くしじゃないの、あるのは死の記憶だけってどういうこと?
それだけじゃない。魔術の授業を受けさせてもらえず、独学で勉強することもなかった。
わたしを殺したあの先生とやらも教えてくれなかったらしい。
教師としてどうかと思う。いや人としてどうかと思う、人殺しは良くない!
悶々と怒りを募らせていれば、「使用人には丁寧な言葉を使わないように」と教えられ、寝支度を手伝ってもらう。
お湯で濡らした柔らかい布で丁寧に身体を拭かれ、肌触りの良い服に着替えさせて貰えばさっきの修羅場も怒りも忘れてすっかりごきげんになっていた。
至れり尽くせり。最高だ。
願わくば一生このまま人に世話されてなんの責任も負わずにのんべんだらりと過ごしていたい。
しかし、初めて鏡に映る自分の姿を見てまた胸が重くなる。
綿のような艶のない白い髪は肩のあたりまで伸びっぱなしで。前髪の隙間からは白い睫毛に縁取られた青い瞳がこちらを見つめ返す。
吊り目でも垂れ目でもないがシュッとした目は、大きくなると冷たい印象を与えるかもしれない。
青白い肌に血色の悪いカサカサの唇。
枯れ木のような細っこい手足。
——せっかく良い服に着替えさせてもらったのに、なんてみすぼらしいんだろう。
それが自分に対する第一印象だった。