宰相
「ようこそ、大神殿へ。お待ちしておりました」
「ごきげんよう、大祭司様」
「さあさあ、どうぞ。天気が良いので庭にしましたが、シェリエル様には日除けをお持ちしましょうか?」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
大聖堂の二階から外に出ると、広い芝の庭になっていた。
バルコニーというより、広いテラス。グレイの滑らかな石床。鉢植えの植物。浮き島や空中庭園のようだった。このテラスは惑星リングのようにドーム屋根をぐるっと一周しているらしい。
「二階にこんな広いお庭が……」
「はい。土地は穢れを帯びていますから、なるべく触れないようにと、こういった造りになっているのです」
木々の向こう、少し影になったところにテーブルがセットされ一人の男性が待っていた。
シェリエルたちに気づいた男がガタ、と立ちあがりキチキチした動作で振り返る。
「こちらはシェリエル様で、ベリアルドの姫君でいらっしゃいます」
「お初にお目にかかります、シェリエル嬢。チャールズ・ロランス。この国の宰相をしております」
「お会いできて光栄です」
ロランス侯爵の弟でアリシアの叔父にあたる人だ。チャールズはヴァルプルギスでユリウスと挨拶していたらしく、「ご無沙汰しております」と固く握手していた。
「チャールズ様、お忙しいところをお呼び立てして申し訳ありません」
「いえいえ、これ以上に重要な仕事などございません。それに王宮からは転移門で直接来ましたので、こうして外でお茶もいただけて生き返る心地です」
チャールズはしっかりした太眉をゆるっと垂らして人好きのする笑みを浮かべた。ロランスの家系は厳しく厳格な人ばかりなのかと思ったが、物腰が柔らかくて少し雰囲気が違うようだ。
「陛下はお加減いかがですか」
「近頃は食もお戻りになって順調に回復されていますよ。お言葉にはされませんが、ユリウス様が戻られてお喜びのようです。代わりにと言いますか、シェリエル様のお話をよくされますね」
「……ッ⁉︎」
席に着いた直後、ユリウスがカタ、と茶器を鳴らす。
シェリエルも驚いて一瞬固まっていると、チャールズは慌てて「あ、ヘルメス様から毎回シェリエル様のお話をお聞きになるそうで……」とフォローした。が、何のフォローにもなっていない。
ユリウスの舌打ちと同時にシェリエルもヒッと息を飲んだ。
ヘルメスはたしか週に二、三度王宮に通っている。どんな話をしているのかも気になるし、なぜ孫娘の思い出話を国王に垂れ流しているのか…… 近所の茶飲み友達じゃないんだから……
と、シェリエルは少し泣きそうになりながらギュウと顎にシワを寄せた。
「……ご心配なさらずとも、お食事の話や菓子の話などがほとんどです。シェリエル様は食の才がお有りだとか」
「ユリウス様、お爺様を王宮出禁にできませんか……」
「廃嫡されてなければ出禁にした……」
シェリエルは学院に戻ったらすぐに手紙を書こうと思った。
どんよりする二人にチャールズはほろほろ笑い、それからスッと役人の顔になる。
「例の件、詳しくお話聞かせていただけますか」
ユリウスはシェリエルに視線で合図し、自分はコンと黙してチャールズと大祭司を観察しはじめた。まだ完全には信用していないのだろう。
「はい、まず…… 新たな祭司への引き継ぎを急いでいただきたく存じます。それから次回の有識者会議で枠をひとつご用意いただきたいのです。あと……」
シェリエルはつらつらと提案という名の要求をすべて並べる。
宰相であるチャールズを呼んだのはこのためだ。この国の宰相は国王の政治専門専属補佐官のようなもので、元老院と政策を協議し、国王に直接進言できる立場である。
「大祭司様、祭司の後任が決まったとのことですが……」
「ええ、彼…… 本日案内を頼んだマティアをと思っています。まだ若いですが、祭司ゲルルトよりも魔力量は豊富で覚えも良く、きっと素晴らしい祭司となるでしょう」
あ、と思って振り返ると、マティアは軽く視線を下げて緩く微笑んでいた。ゲルルトも上位並の魔力を持つが、老齢のため衰えがある。
シェリエルの記憶の片隅——古代ギリシアを思わせるゆったりとドレープの多い衣装を身に纏ったマティアは、若々しく鮮烈な牡丹色の髪を靡かせていた。
ユリウスが「少し話しても?」と席を立ち、マティアに庭を案内するよう言っていた。またいつものアレをやるらしい。
「大祭司様、どれくらいで引き継ぎは終わりますか」
「彼の頑張り次第では今年中に祭司に任命出来るでしょう」
「あと四月……」
「本来は数年かけるのです、これ以上はどうにも」
初めて大祭司にゲルルトの話をしたあとから候補者の選定をしてもらっていた。すでにマティアにも祭司になるための研修(祈りの練度を高める修行のようなもの)が始まっているというが、これほど短い期間での任命は例がないらしい。
執務関係は補佐がいるので後回しにできても、儀式ができてこその祭司なのだ。
大祭司は席を立ち、「こちらへ」とシェリエルを手招く。ガラスのはめ込まれたドーム屋根の側まで歩くと、円形の大聖堂が一望できた。
「なぜ神殿が丸い形なのかご存知ですか?」
「神殿そのものが祭壇なのですよね?」
「はい、少し段になっている中央の祭壇、あれが建国前から受け継がれるこの国で最も古い祭壇になります。昔は野ざらしだったところに人が集うようになり、こうして周りを囲むように建物が後からできたのです」
「小神殿も最初からあったのですか」
「ええ、神々は不思議なことをされるものです。小神殿の祭壇にも似たような魔法陣が施されていますが、魔力を込めるだけだと治癒のみ、祝詞を重ねると祓いの効果を持つのです。そして、壱式大祓いの祝詞によりすべての神殿を繋いで国全体の祓いを行うこともできるのですよ」
「国全体…… そんな大規模な祓いが可能なのですか」
「はい、効果は薄くなってしまいますが。そのために命の加護を持つ者は神殿に集められるようになったと言われています」
神殿や儀式について語る大祭司は清廉で神聖な空気を纏っていた。シェリエルは自然と敬虔な気持ちになって、思わず手を合わせたくなったがさすがにそれは我慢した。
それよりも、さっきからドキドキと鼓動が高鳴って仕方ない。頬も熱を持ち始めるし、どうしようかとモジモジ迷い、でもこの流れなら…… と、意を決した。
「あの…… 魔法陣を見せていただくわけには……」
「ふふ、ご覧のとおり、いまは真っさらでしょう? 祭壇の魔法陣は魔力を込めなければ発現しないのです。いま祓いをしてしまうと皆が驚いてしまいますから、今度儀式の際に見学にいらしてください」
「良いのですか!」
大祭司は子どもを甘やかすような笑顔で「特別ですよ?」と声を細くした。この規模の魔法陣となると視力を強化しなくても陣が見えるらしく、本来は神官しか儀式には立ち会えないそうだ。
どうしても見たい。この規模の魔法陣はまだ見たことがなくて、心臓がはち切れそうになって息の仕方まで忘れそうになる。
恋をしたみたいにハフハフ息が浅くなっていた。
「つ、次はいつ……」
「壱式大祓いの儀は晦日祓いのときだけで、季節の大祓いでは使いませんから年末になりますね」
季節の大祓いとは二月、五月、八月、十一月の初日に行われる祓いの儀だ。ヴァルプルギスや学院戦の後に行われる祓いがそれである。
神官全員が魔力を使い切ることになるので、壱式という中央大神殿全体を繋ぐ祓いは空白の祝祭前にしか行わないという。
「今年中に壱式をお願いするようなことにならなければ良いのですが……」
いつのまにか後ろに立っていたチャールズが心配そうに声を落とした。厄災が酷くなれば国が壱式を命じるのだろう。そのためにゲルルトの処罰が保留にされているのだ。
「あと四月持ち堪えれば、晦日祓いで春までは持つでしょう」
「厄災を迎えずに最厄期が終わることはあるのですか?」
「残念ながら…… 神殿の教典にはそのような事例は残されていません」
「だからと言ってただ見ているわけにもいきません。貴族は飢饉対策や魔物の討伐で民を守り、神殿は祓いや治癒によって民を癒すのです。組織や名称が変わっても、魔力を持つ者の義務は変わらないのですよ」
チャールズは穏やかに目尻を緩め、コクリと大祭司と頷き合う。やはり彼もロランスの人なのだ。貴族としての義務や矜持を重んじるロランスらしい信条だった。
「君、晦日祓いは見学できないよ?」
「え、なん…… 何故ですか! そんなことがありますか⁉ 今年十五なのでこれが最後の機会なんです!︎」
戻ってきて早々に酷いことを言うユリウスに噛み付くように言い募る。
マティアとの話は終わったらしく、シェリエルたちの会話も聞いていたらしい。
「ディディエが釈放されなければセルジオたちだけでは厳しいだろう? ベリアルドはただでさえ穢れが濃いんだから」
「お兄様は絶対に釈放してもらいます!」
「ふふ、なんてね…… 大丈夫、晦日祓いの前に壱式をやることになるから、そのとき見学すればいい」
軽い冗談みたいに言うユリウスに、チャールズと大祭司がギョッと固まり、シェリエルはワクワクと目を輝かせた。大変不謹慎なのですぐに表情を整えたが。
「ゆ、ユリウス様、どういうことです! それは疫病が今年中に広まると⁉︎」
「たぶんね。魔物の被害が出てないのは私たちが原因だ。そのせいで予測が狂っているようだが、すでに中期の中頃に差し掛かっている。それに、この最厄は史実にあるものより進行が早い」
「何を根拠に……、魔物とユリウス様にどんな関係が……」
チャールズは“悪魔”が頭を過ったのか、途端に警戒するように声も身体も強張らせた。どう説明する気だろう…… シェリエルまで不安に思っていると、ブワッ、と魔力を揺らめかせてノアが現れた。
チャールズはヒッと喉を絞って後退り、大祭司は……
「の、ノア様〜! お久しゅうございます〜! あぁ、ノア様なんと神々しい…… 少しばかり触れさせていただいてもよろしいでしょうか…… あ、はい、申し訳ありません。ところでこちらは…… まさかシェリエル様の⁉︎」
少し遅れてネージュも来ていた。大祭司から距離を取ってお利口に座っている。
大祭司の乱れ方に若干仲間意識を感じたシェリエルは「はい、ネージュさんです!」とダラっと目尻を落として困惑するチャールズを置き去りにした。
「はぁ〜! ネージュ様、お初にお目にかかります、なんとふわふわで荘厳なお姿でいらっしゃる…… 感激です、これほど高揚したのは初めてかもしれません。もうそのお姿を拝見できるだけでこれまでの人生が報われた思いです」
「チャールズ、大祭司を解任した方がいい」
「や、待ってください…… 黒の、精霊…… そんな…… では魔物は……」
「チャールズ卿! 何を仰るのです、ノア様から満ち溢れる神々のご威光が分かりませんか⁉︎ 黒が悪魔の色などというのはまったくのデタラメです。もしそれを認めてしまえば、神々をも否定することになる…… そうでしょう!」
「だ、大祭司様……」
大祭司がどうしてユリウスをアッサリ受け入れたのか不思議だったが、ノアのおかげだったらしい。大祭司は猫という動物を知らないらしく、それからしばらくいかにノアの造形が素晴らしいかとか、仕草が愛らしいだとか、毛艶が美しくて触れたらどんな心地だろうかと蕩々と語り続けた。
精霊への信仰や敬意はもちろんだが、どうやら猫自体に惚れ込んでいるらしい。
「大祭司様、神殿に猫ちゃんをお迎えしてはいかがです?」
「猫ちゃん……?」
「はい、精霊でなくともノアとネージュさんにそっくりな動物がいるのですよ」
「ハ、そんな…… 猫ちゃん…… いけません、気が乱れます。考えさせてください」
「あ、はい」
「チャールズ、やはり次の大祭司を選定し始めた方がいい。これは異常者だ」
「ッ、は、え…… あの…… 本当に、ユリウス様の精霊なのですね⁉︎ では魔物の害が出ていないというのは」
「このノアとネージュが悪魔の森に住む魔獣たちを森ごと眠らせた。その際に土地の魔力もかなり使ったようだから、目に見えた影響が出るのが遅れたんだ。だが厄災自体は進行している」
ふつうの森からも魔物は発生するが、それは騎士団やセルジオがせっせと討伐している。
悪魔の森は息もできないくらい濃い魔力が満ちているので、ベリアルド産の魔物が増えなければ通常運転で行けるということだ。
「なるほど…… では、晦日祓いでは間に合わないと……」
「ああ、そこで提案なんだが…… ジルヴェスター卿の元老院就任式典、その日に壱式大祓の儀をしてはどうだろう」
シェリエルは聞いてないことを聞かされて「ああ、またお兄様と二人で何かしてる……」と瞼を半分ほど下ろして頭をクラクラさせた。
だがここで聞けたので良しとする。
というより、その日ならばゆっくり見学できるので年末まで待つよりずっと良かった。結局は自分に都合が良いので機嫌が良いのである。
「後任も決まったことだ、晦日祓いを前倒せばマティアも猶予ができてゲルルトもそれで用無しになる」
「ですが、晦日祓いは一年の区切りに行うことに意味があるのです」
「心配ならば年明けにもう一度やればいい。祓えれば良いんだ、細かいことは気にするな」
「そんな……」
そのとき、ノアがするりと大祭司の足元で身体を擦り寄せた。「ァー」と小さく鳴いて華麗にターン。尻尾を絡ませるようにもう一度頬を擦り付けると、大祭司は拳で口元をかくしながら「はわわ……」と口をわなわなさせ、瞳孔の開き切った目で「やりましょう! 就任式で!」と力強く言った。
マティアが遠くから「大祭司様……」と心配そうな目で見つめている。シェリエルも少し心配になった。
「……ンンッ、失礼しました。ではユリウス様、後任はマティアでよろしいのですね? 先ほど何やら試験されていたようですが」
「問題ない、おかしな思想は持っていなさそうだ」
「あの、先生、大神殿の神官をすべて確認することはできますか?」
と、シェリエルはコソッとユリウスに聞いてみた。
大祭司には毒検知の魔導具を渡したりと護身対策はしてもらっているが、ゲルルトが大祭司を狙う以上安全対策はできるだけしておきたい。
この歩く嘘発見機であるユリウスが全員調べれば危険が減るのではないかと思ったのだ。
「できるけれど…… あまり意味はないね」
「どうしてです?」
「人を殺すのには殺意は必要無いからだよ」
「……?」
「例えば、大祭司を慕う女神官がいたとする。その彼女にこう言えばいい。“この薬は滋養に良いが副作用があって神殿では使えなかった。燃えるように身体が熱くなったかと思うと、その時見た異性に欲情してしまうんだ。勿体無いが捨てるしか無いね”とね。そして彼女に見えるようその小瓶を捨てる。その手の仕掛けをいくつか仕込んでおけばどれかは引っかかるものだよ」
「毒の検知はして貰っています」
「致死性の無い薬寄りの毒で腹痛でも起こし、医者に扮して潜り込めば治療と言って毒を盛れる」
「……この時期にそんな大胆な人がいますか?」
「この時期だからだよ。まあ、そこで知恵比べを始めるより即死だけ避けて後手に回る方がいい」
シェリエルはそれで納得した。
ユリウスやディディエは自分の予期せぬ不測の事態を一番に嫌う。それは好奇心を唆る喜びでもあるが、何か目的があるときは邪魔されたという感情が強くなるようだ。
なので彼らは相手の道をすべて塞いでしまうより、分かりやすく食い付く道を残すことが多い。
そのために医術の発展にも協力的だったし、襲撃を予期したってシェリエルですら餌にするのだ。
「……だそうなので、大祭司様、くれぐれもお気をつけください」
「ええ、心得ておりますよ」
この国で大祭司が引き継ぎなしに死ぬことは滅亡を意味する。シェリエルは壱式大祓いという儀式の存在を知り、改めて彼の重要性を頭に刻んだ。
■チャールズ・ロランス(宰相)
ジェームズ・ロランス(ロランス領領主)の弟。アリシア、ルイスの叔父。
温和で物腰が柔らかい。でも意外と頑固。国王と元老院の繋ぎ役。王の代理人。
渋みのある葡萄酒が好き。
■大祓い
【季節の祓い】
王都や各領地で季節ごと(末日)に夜会があり、そのまま夜明け(翌月の一日)に儀式をする。
ヴァルプルギスは晦日祓いから一番遠いため季節の祓いのなかでも規模が大きい。
二月:————の夜会明け(冬)
五月:ヴァルプルギスの夜会明け(春)
八月:入学式典後の夜会明け(夏)
十一月:学院戦後の夜会明け(秋)
※学院戦の三日間は王都ではお祭り(ハロウィン)しています。
【晦日祓い】
年末の大祓い。夜に行い空白の祝祭に入る。
壱式大祓いという中央大神殿総出の大規模儀式があり、各領地でも同じ時刻に祓いをする。一年の大掃除。
季節の大祓いでは中央神殿は小神殿のみで儀式して王都を集中的に祓う。
(ゲルルトがヴァルプルギス明けの祓いに居なかったのは、神殿に戻って祓いをしていたからです)





