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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第八章 学院二年生

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心酔


 その日マデリンは自室で爪を噛みながら反対の手でもう何杯目かの紅茶をカタカタ揺らしていた。

 数日前に決行された誘拐計画が失敗に終わったことは確かだった。祭司から連絡もなければ何故かカッパーでマリアが居ないと騒ぎになっていたのだ。

 そしてイザベラの部屋に向かわせた気の利かないお節介でお喋りな少女二人は何事もなくイザベラに花を届けディアモン寮から出て来た。

 その時点で人違いでマリアを拐ってしまったと察し、翌日にはマリアも救護室で寝ているところを何人かが見ているので彼女たちに処理されたのだと確信した。

 この計画はマデリン自身も危険な賭けであり失敗は許されなかった。

 依然として祭司とは連絡が付かず、後援者にはこちらからの連絡を禁じられている。


「……マデリン様ぁ、大丈夫ですぅ?」

「うっさいわね! ちょっと黙ってなさいよ!」

「はぁい……」


 マデリンはノーラがそれでも退室しないことに少しばかりホッとしながら、飲んでも飲んでも乾いて仕方ない喉をちょっとずつ紅茶で湿らせた。


 ……どうしよう、どうしよう。

 もう後に引けないところまで来てしまった。

 でも、もし誘拐が未遂に終わったのなら逆によかったかもしれない。

 でもでも、もしあいつらが全員捕まっていたら?

 それで祭司様からわたしの名前が出たら?

 いいえ、大丈夫。あいつら、絶対に依頼人の名は吐かないそうだし。そうじゃないと貴族はあんな下賤なやつら使わないもの。信用って大事よね。

 じゃあどうして祭司様から連絡がないのよ。

 ああ、なんてこと…… このままだとお父様もお母様も、弟や妹たちだって処刑されてしまう。


 マデリンの焦りはどんどん悪い想像を膨らませて「うぅ……」と呻きながら獣のごとく取り乱した。


 この時、同じく学院の別の部屋では祭司はディディエたちに軽い拷問を受けながら呻いていたが、そんなことを彼女が知るよしもない。


「ノーラ、もし、わたしたちの名が出るとしたら…… どこだと思う?」

「そーですねぇ、神殿は無いでしょう。だって自分たちの罪を確定するようなものですし。イザベラ様に花を届けさせた子も手紙で誘導したので誰にも辿られないと思いますよぉ」

「そう、そうよね。大丈夫よね?」

「あとはぁ、アタシ無法者の一人と直接喋りましたぁ」

「ああ…… あいつら全員死んでてくれないかしら…… どうしよう、こんなはずじゃ……」


 マデリンは自身の破滅が目の前にぶら下がって胃が痙攣するほど震え上がった。


「コンコンッ」


 突然鳴った扉にビクッと手が震えて紅茶が跳ねる。ゴクリと喉を鳴らしてノーラを見ると、彼女は「出ますねー」と言って扉へ向かった。

 誰かが捕らえに来たのでは…… イザベラだったらどうしよう。祈るように身を強張らせて、もうほとんど蹲るように身体は丸まっている。


「マデリン様! 王宮からご招待ですって! ライア様ですよ!」

「ら、ライア様が⁉︎」


 パッと弾けるように顔を上げるとノーラも嬉しそうに笑っていた。


「い、急ぎで支度しなくちゃ。礼装じゃなくてもいいわ、優しめの色で用意して!」

「はい!」


 これで何とかなる。たぶん、彼女なら何とかしてくれる。



 マデリンがライアと初めて会ったのは今年の初夏の頃だった。ヴァルプルギスが終わり、これからどうしようかと改革派で集まりお茶会をしていたときのこと。

 王宮からの馬車が来て、一瞬アルフォンスかと期待したが出て来たのがふわふわとした少女のような貴婦人だったのですぐにそれがライアだとわかった。

 親世代でライアに最上の礼をするのは中位より下の貴族だけ。マデリンの親も簡単なお辞儀でライアを迎え、マデリンもライアに軽くお辞儀するだけだった。

 王太子の母であろうと中位の妾であり、本来ならこちらが傅かれる立場である。彼女は生粋の貴族派で浪費癖が激しく、外交など公務には一切関わらないただの愛人だ。


 改革派——身分制度の撤廃、平等な社会を謳っていても、実情はこんなものである。

 身分の意識は強くいつだって目下の者を見下している。

 平民に爵位を与え政治に参加させるという改革だって利益目的であった。改革が実現した折には主権を改革派が握っており、爵位を求める富裕層から莫大な資金が流れる。

 平民といえど富裕層ならば中位貴族と同等の資産を持ち、そこと癒着することで永続的に金を巻き上げるのだ。

 領地に限定せず王国内の平民富裕層から一挙に資金が集まれば、それは自領を栄えさせるより数倍の利益になる。

 そんな派閥の思惑は公然の秘密であり、上位や政治に明るい者ならば誰でも知っていることだった。

 マデリンもとくに「目下の者にも敬意を払いなさい」とか「身分はそのうち無くなりますからね」なんて言われたことは無い。

 よって、当然の如くライアのことも中位出身の薄汚い妾と思って見ていた。

 

 そのライアはもう四十近いというのに春のような華やかさがあり、どこかマリアを思わせる。ライアがマリアを王太子妃に望んだと聞いているので「同族嫌悪しないかしら?」と思ったほどだ。

 成人してから貴婦人の席に招かれることが多かったが、この日は学生はすべて排除され大人たちは何やら難しい顔でテーブルを囲んでいた。


「マデリン様、あちらの会話聞こえます?」

「ええ、少しだけ……」


 よく耳を澄ますとキンキンとした母の声が微かに聞こえた。


『ライア様、あれはどういうことですの! 改革派を潰すおつもり?』

『そんなまさか…… わたくしだってマリアさんのことを信じていたのに、よりにもよってあの悪魔に懸想するなんて…… わたくし裏切られた心地でしたのよ?』

『アレは……』


 それからもヴァルプルギスでの責任の擦りつけ合いが続いた。

 が、それを聞いてマデリンはライアの認識を改めた。ふわふわほわほわと弱い女の空気を出しているが、弱者の立場で相手を絡め取るような上手い会話の運び方をしている。

 貴婦人が怒れば怒るほど、男性陣が「まぁまぁ」と宥め、ライアがホロっと語気を弱めるとまた貴婦人が怒りだす。

 今日は夫婦揃ってのお茶会で女の園ではないのだ。

 中位ながら王宮に入り王太子を産んだだけはあるわね、とライアの社交術に目を見張った。


「……これで貴族派との繋がりは切れたわね」

「貴族派といってもライア様だけでしょう? アリシア様を王太子妃にしたくなくて、それで改革派に助けを求めたのではなくて?」

「案外、上手くいけば貴族派も流れに乗ったはずよ」

「そうねぇ、あんなことにならなければわたくしたち今ごろ王宮でお茶会をしていたでしょうに」


 はぁ、と揃って落胆のため息を落とした。

 もう破れた夢の話だ。マリアの姉として王宮に出入りする夢は潰えたのだから。

 

 そんなお茶会が終わりに近づいたころ、マデリンが一人控え室で身なりを整えているとライアがやって来た。


「ごきげんよう、マデリン様」

「ライア様、お初にお目にかかります」


 ほわほわとした笑顔に反射的に身構える。

 この笑顔に騙されてはいけない。母は上手く煽られていたが、それがこの女の狙いなのだから。


「急にごめんなさいね。マデリン様と少しお話ししてみたくて」

「何の御用件でしょう」

「ねぇ、聞いてくださる? マデリン様はマリア嬢と親しかったのでしょう? 彼女、どうしてうちのアルフォンスを裏切ったのかしら? 酷いと思わない?」


 その気さくな物言いに一瞬ドキッとした。親しげだが見下しているのではなく、友のように親密な声音だった。

 本来ならマデリンの方が身分が上でありそれに苛立つはずだが、彼女は年上で王宮から来ていて、しかも王太子の母としての話が最初に出たことで無意識に彼女を上に見たのだ。

 ライアはこうして相手の立場やコンプレックスに合わせ、それを上手く刺激して気分を良くさせることに長けていた。


「マリアは…… ヴァルプルギスという大きな夜会で混乱してしまったのだと思います」

「マデリン様までそんな社交辞令仰らないで。良いのよ、二人だけだもの。女同士の秘密にするから、気を遣わないで」

「アッ……」


 ライアはするりとマデリンの頬を撫でて悪戯っぽく笑った。それは無邪気な姫君のようで、妖艶なニンフのようで、同性のマデリンも思わずドキッとするような仕草だった。


「お姉様と慕われていたのよねぇ?」

「は、はい……」

「優しいのね、こんなことになってもマリア嬢を庇って」

「……いえ」


 ライアの指先は優しくマデリンの髪をすき、遊ぶように垂れた髪を耳に掛けるとそのまま爪先が引っ掻くように耳のはじをカリカリ滑る。

 ハッ、と息が漏れ、それが恥ずかしくて息を小さくした。余計に心臓が鳴ってもう少しで弾けそうだった。


「可愛い…… はぁ、マデリン様がアルフォンスのお嫁さんになってくれたら良かったのに……」

「え、」

「アルフォンスもいま気落ちしているから、優しい女の子に慰めてあげて欲しいの」

「あ、の…… ライア様、それはわたくしが王太子妃に…… という?」

「そう! どうかしら? でも派閥の問題って難しいでしょう? だから親御さんには内緒で、うちのアルフォンスと仲を深めたらどうかしら?」

「それは…… 政略的な縁談ではないと?」

「政略結婚より恋愛結婚の方が優先されるもの。家門だとか派閥だとか大変な思いをしても愛には勝てないのよ? それなら面倒な政略を整えるより愛し合った方が早いじゃない」


 たしかにそれは一理ある。

 貴族間の政略結婚は多いが、それでも幼少期から一緒に過ごさせて当人同士で関係を築かせるし、完全に親の意思で決める政略結婚は稀である。

 そしていくら親が縁談を決めても本当に愛する人がいればそちらを優先することが多い。愛は無理に引き裂くと穢れとなるからだ。


「……わたくしに、機会をいただけるということですね」


 ライアは花のようにパァ、と笑顔を咲かせて、


「マデリン様がその気ならわたくしは喜んで手を貸します! 元老院もマデリン様なら大喜びで迎え入れてくれるでしょう」


 と言った。それから急に「あ、でも」と顔を曇らせる。


「なにか?」

「……こんなご時世でしょう? このままだとイザベラ嬢がアルフォンスにあてがわれそうなの。アリシア嬢とマリア嬢で失敗してしまったから、元老院は次こそしっかりした御令嬢をと必死なのよ。困ったわ…… あの子、貴族派だけれど性格がねぇ…… マデリン様なら申し分ないけれど、やはり利権が絡むとねぇ」


 これにマデリンはドクドクと鼓動を速めて一気に全身を熱い血が駆け巡る。

 マデリンはずっと目障りだった二人の上に立った気がして気が昂ぶり、クラクラとライアの声に酔ってしまった。

 もうなにを言われても気持ちが良い。

 ライアは自分のことだけ「マデリン様」と呼び、他の御令嬢より自分が王太子妃に相応しいとトロトロ甘やかして来る。

 マデリンはこれまで中位の妾とバカにしていたライアにすっかり心奪われて、「ライア様、わたくし何でもします…… 必ずイザベラ様に勝ってみせますわ」と目をとろんとさせていた。


「嬉しい、じゃあ邪魔者が居なくなったらアルフォンスとゆっくりお茶の機会を設けましょう? 噂が立ったらイザベラ嬢のことだから意地悪して来るかもしれないもの。そうそう、マデリン様を助けてくれる方をご紹介するわね」


 それから別室に連れて行かれ、そこで紹介された紳士を見て、マデリンは自分が未来の王妃になることを確信した。

 彼が助力してくれるならば負けるはずがない、そう思ったのだ。




 それからまだひと月ほど。

 その間一度もライアとは会っていない。指示はすべてその紳士から手紙か通信で受け、言われたとおりにやってきた。唯一独断で進めたのが今回の誘拐計画だ。


「ふふん、きっとライア様なら何とかしてくれるわ」


 憧れるような相手ではないはずなのに、もうすっかりライアにメロメロなのだ。


「そんな甘い方ですかねぇ……」

「目をかけた者にはとことん甘い方よ。アルフォンス殿下を見れば分かるでしょう?」

「たしかにぃー!」


 ノーラと二人キャッキャと笑って手早く身支度を済ませると、王宮からやって来たという印の無い馬車に乗り込んだ。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ライアの若作り描写を読む度に「でも白塗りメイクなんだよね?」と思ってしまう。
[良い点]  マデリン嬢、イザベラ嬢にやろうとした誘拐と同じパターンに嵌ってるような…。ライアさんの方が両親より上手と認識して、両親に知らせずライアさん達と繋がってたマデリン嬢。失敗した時の命綱がライ…
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