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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第八章 学院二年生
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失恋

マリアとアルフォンス


 マリアは知らない寝台からガバッ、と飛び起きて心臓をバクバクさせた。

 恐ろしい夢をみた。

 怖い男の人に舌を切られ、それから檻に入れられてどこかに売られる夢だった。顔のない無数の人間に囲まれて、喋ろうとしても言葉にならなくて。

 ゆ、夢でよかった…… と額の汗を拭ったが、昨夜のことを思い出して今度は身体の芯から冷えた。

 本当にそうなってもおかしくなかったし、あのとき死んでいたかもしれない。

 たくさん人が血を流してた。

 シェリエルが怒っていた。

 グルグルと頭の中で怖いこと嫌なことが暴れ回ってカタカタ身体が震える。

 ……ヤダ、楽しいこと、考えなくちゃ。

 

「あら、起きたのね。少し待っていなさい」


 急に衝立の向こうから知っているけど顔は思い出せないくらいの声がして、パッとそちらに意識が向き、やっと「ここはどこかしら?」と頭が動きはじめる。


「ま、マリア……」

「キャッ、殿下! あ、わわ! まだ身支度が……!」


 寝巻き姿…… じゃなくて昨日の泥や血が…… そう思って自身の身体を見下ろせば洗浄してもらったらしくキレイになっていた。それでも少し土と鉄の臭いがする。

 男の人に寝起きを見られたことで顔が真っ赤になって、さっきまでの嫌な気持ちが吹き飛んだ。

 爽やかな朝ならまだ良かったが、昨日はたくさん泣いたし額は汗でベチャッと前髪が張り付いている。

 パパっと髪を手櫛で整え両手で頬を覆ってチラとアルフォンスを見ると、彼は難しい顔で立っていた。


「そのままで良い。昨夜のことを…… 話しに来た」

「はぃ…… あのぉ…… 昨日は、ありがとうございました。危ないところを助けていただいて……」

「ああ……」


 ちょっとだけ気まずい。

 あんなに怖い思いをして、あんなに期待して、それなのに来てくれたのがユリウスじゃなかったから、気付いたら心のままに叫んでいた。

 アルフォンスはずっと寝台の足元あたりを見て、目を合わせてくれない。

 彼はいつでも熱の籠った瞳で真っ直ぐに見つめてくれたのに。


「えっと、殿下……」

「……マリアは昨夜、散歩の途中、体調が悪くなって救護室に運ばれたことになっている。いいな? 誰に何を聞かれてもそう言うんだ」

「……? みんなに嘘を吐くんですか?」

「お前の為だ。貴族の娘が無法者に拐われたと知れれば…… お前はもうまともな縁談は望めない」

「縁談……?」

「その話は後でエンジャーに聞け。とにかく、昨日の件はすべて…… 無かったことになった。だから、忘れるんだ」

「そうなんですか? 悪い人たち、みんな捕まったんですね」

「あ、ああ……」

「わぁ、すごい! 殿下はやっぱり頼りになりますね!」


 昨日切り取られるところだった舌は思ったことをするりと言葉にして——アルフォンスの顔を更に曇らせた。

 ……? 最後に二人きりで話したときも、こんな顔で……


「殿下……?」

「マリア、もう危険なことはするな。それが誰かのためでも、お前が危険を冒すことは誰のためにもならない」

「そんな! だって、わたし、昨日は失敗しちゃいましたけど…… でも無事だったし」

「それはベリアルドが尽力してくれたからだ。そうでなければ助からなかっただろう」


 そういえば、シェリエルも「迷惑だ」と言っていた。

 ……ユリウス様はどうしていたんだろう?

 聞いてみようかと思ったが今度は飲み込んだ。アルフォンスは痛いのを我慢しているみたいに眉にずっと力が入っている。

 明らかに、褒めてくれたり喜んでくれるような空気ではない。

 なんだかこれまでキラキラしていた気持ちがしおしお萎んでしまった。

 揶揄や嫉妬ではなく、悪い子だと叱られているみたいで嫌な心地がするし、ユリウスも思っていたような完璧な王子様ではないみたいだ。

 それには正直ガッカリした。

 そして、たぶんアルフォンスも自分にガッカリしているんだなと思った。


 ……こんなの違う、こんなの嫌。

 今までありのままの自分で“素敵な女の子”だと信じていた。

 それはすごく誇らしかった。財や身分が足りなくても、両親が居なくても、花畑しかない田舎で育ったって、自分自身の中身が人に認めて貰えるってことだから。

 それを、誰かのためにしたことまでも否定されて…… 悲しい。

 報われなくて、悲しい。

 それで、アッ、と思ってもう一度アルフォンスを見た。

 アルフォンスは悲しんでいた。

 不思議なくらいにすんなり理解できた。

 自分が傷付けてしまったんだと思って、そう思ったらもっと悲しくなって、鼻の奥がツンとしてキュウと胸が痛くなった。


「あ……、殿下。あの……」

「なんだ……」

「あの…… わたし、殿下のこと……」


 声が震える。息が詰まって、ぼろぼろ涙が溢れてくる。

 誰かにこんな思いをさせているのが自分だなんて……


「ああ……、お前の気持ちは分かっている。今回は、俺が勝手にしたことだ、もうこれで…… 最後にする。もう会わない」

「ち、ちが……」


 そうじゃなくて。

 謝りたかったけれど、言葉が出てこない。人を傷付けたという事実がどうしても、耐えられないくらいつらくて、きっと殿下の方がつらいのに、また傷付けてしまったらどうしようと思って言葉にするのが怖い。


「ま、まあ…… ゆっくり休め。熱病で倒れたということになっている。二、三日は休んでいた方が良いだろう」


 アルフォンスはそう言って何かを振り払うように部屋から出ていった。

 去っていく背中に手を伸ばしそうになって、また胸がキュッとして引っ込める。

 最後まで目が合わなかった。

 これまでのことが一気に頭を駆け巡る。

 ヴァルプルギスでユリウスに恋をしたこと、それをアルフォンスに嬉々として語ったことを。

 そっか、あの時も傷付いてたんだ……

 アルフォンスのことを考えると胸が裂けそうになって、彼の言う通りもう会えないと思った。

 自分が人を傷付けたことも、その罪悪感による胸の痛みもいま知ったばかりで、どう償えば良いのか分からないのだ。

 だからアルフォンスのことを考えるとつらくて悲しい。

 

 マリアにとって恋はふわふわ柔らかい綿のようで、とろとろ甘い蜂蜜みたいなものだった。

 皆んな自分を好きになって、そうなると皆んな幸せで、ちょっとした嫉妬はあっても自分を取り合って喧嘩するなんてことはなかった。

 それは村の男たちが皆平民で、マリアに本気で恋をしているわけではなかったからだが、マリアはそれが恋だと思っていた。

 だからアルフォンスだって恋するだけで幸せだと思っていたし、自分もユリウスに恋しているだけで幸せだった。


「あぁ…… 恋って…… 胸が、痛いんだ……」


 マリアはその日、恋を知って、失った。



 アルフォンスは部屋の外の補佐官たちに囲まれ、そのままトボトボと寮室へと向かう。

 が、一人になるのが嫌で、授業に出る気にもなれず何となくシェリエルの部屋へと向かった。

 補佐官とシェリエルのメイドが何やらやり取りしてなかに招かれれば、シェリエルは露骨に迷惑そうな顔をしていた。


「おはようございます、殿下」

「あ、ああ。少しいいか」

「はい……」

「お前、そういうときは表情に出るのだな」

「……失礼しました。まだ少し眠くて……」


 親しいわけではないが、昨夜の一件からシェリエルは信用が出来る気がした。迷惑そうにしていてもディディエのように揶揄って来ないし、アリシアほど距離を感じない。

 敬意の無さがこの時ばかりは有り難かった。


「……頼みがある」

「まだ何か?」

「マリアのことを…… 頼めないだろうか。あいつには導いてくれる人間が必要だ」


 最後にマリアのためにできること。

 それがシェリエルに託すことだった。自分では導けない。もう完全に決別するつもりで、それでも心配で頼ったのがシェリエルだ。

 しかし。


「嫌です」

「……友として良くしてやってくれとは言わない! ただ見守って叱ったり…… そう、叱るだけでも良い!」

「嫌です」

「なッ、なぜだ…… お前ならそれくらい、簡単だろうが」

「労力の問題もありますが、個人的感情で関わりたくありません」

「……王太子に貸しを増やせるぞ?」

「その貸しも回収出来るか怪しいではありませんか」

「ハッキリ言うな……」


 たしかに自分はいつ廃嫡されてもおかしくないし、王太子の権限を使っても出来ることなど限られている。

 役に立たないと言われているようでまた胸がジクジク疼いた。

 愛した女をこの手で守ることも、環境を整えてやることも出来ないで、本当に自分は……

 

「殿下はなぜそこまで彼女のことを?」

「マリアは……愛らしいだろ」

「容姿の好みは重要ですね」

「感情が豊かで、見ていると自分まで嬉しくなったり悲しくなったりする」

「ふむ、」

「それに…… 王妃の座などではなく、俺自身を求めてくれた。権威を目当てに群がってくる女とはちがう」

「まぁ、ある意味権威に靡いているように思いますが……」

「うッ…… マリアは、お前たちみたいに難しい話をしない!」

「あぁ〜……」


 シェリエルは心底納得したという顔でゆっくり何度も頷いていた。

 言葉にすると至極マヌケで、ジワジワ首元から熱が上がってくる。これじゃ、無能を宣言しているようなものだ。が、それも自分だと認めている。


「……俺はこういう人間なんだ、弱く、何も出来ず…… 昨日のマリアは俺だった。ただ子どもみたいに泣いて理想を叫ぶだけの、何も知らない…… 役立たずなんだ」

「や、殿下…… だ、男性は女性に癒しを求めると言いますし…… 有能な人間の側で劣等感を感じてしまうのは仕方のないことだと思いますよ! それに昨夜は頑張ってました!」

「お前はなんでも出来るだろ…… 俺の気持ちなど分かるわけがない」

「わたくしだってアリシアやお姉様といると自分はなんてダメなんだ、と思います。殿下は人の上に立つ方ですから、そこで義務と矜持が余計に葛藤を生むのでは?」

「そうだ、とくに最近は…… 誰かを凄いと思うたびに焦る。お前は…… その二人といて嫌な気持ちにならないのか?」

「はい…… わたくしは二人ができないこと…… 戦ったり魔術を改変したりができるので。他のことはお任せしようかなと」

「……人の役割というやつか。兄上が言っていた」

「役割、と言えるほど自分の使命みたいなものは見つけられていません。ただ、得意なこと好きなことを知っているだけです。王族ともなればそう簡単なことでは無いと思いますが……」

「ああ、なんとなく分かる」


 シェリエルの話はユリウスのようにこの世の真理を語るみたいな高尚さは無く、気持ちに寄り添おうとしてくれているのが伝わる。

 ところどころグサグサ心に来るが、もう不敬などと言う気はない。


「じゃ、そういうことなので…… わたくしは授業に」

「おいおいおい! お前には人の心が無いのか! もう休め、俺が許す、今日は自主休講にしろ」

「ええ……」

「授業に出る気分じゃない…… 友もいない俺を憐れだと思わないのか……」

「はい、そこは別に」

「クソ、ベリアルドめ…… とにかく今日は嫌だ、何もしたくない!」

「うわ、面倒くさ……」


 シェリエルはそう言いながらもメイドに何か言い付けたり、ゴソゴソとなにかしていた。するとそれから少ししてゾロゾロと部屋に人が集まってくる。


「リヒトは授業が無いものね。殿下のお相手して差し上げて」

「……」

「あ、そう…… お喋り苦手だったわね……」

「……申し訳ありません」


 コクンと頷いたリヒトはそれでも部屋の隅で賑やかし程度に立っていた。

 迷惑そうな顔を浮かべたイザベラに、怒った様子のアリシア。

 ウキウキと跳ねるように入ってくるディディエと、静かな微笑みを浮かべたユリウス。


「またなの? 学院は子守をするところだったかしら?」

「殿下、わたくしは昨日の騒ぎがどうなったかもこの目で確認したく……」


 嫌な女たちだと思っていたが、もう気にならなかった。アルフォンスは開き直ったのだ。今日はどこまでも馬鹿な王子でいようと思えば気が楽になって昔のように、いや、昔より素直にわがままを言えた。


「いいから付き合え! 楽しいことがしたい……」

「アハハハ、なに? 殿下幼児退行? どしたの? ねねね、何があったの?」

「あー、先ほどマリアと話してきたらしく…… 傷心のようで」

「へぇ、僕は今日授業ないから付き合いますよ!」


 どれだけ揶揄われようが馬鹿にされようが、この賑やかさが擦り切れそうな気持ちを紛らわせてくれるようだった。

 話に入れなくても、彼らの声をずっと聞いていたいと思うくらいに。


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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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― 新着の感想 ―
[良い点] アルフォンスやマリアのようなキャラクターって大抵悪役として惨めに終わることが多いから物語の中で人として成長していくのは感慨深い
[良い点]  マリアちゃんとアルフォンス殿下。恐怖と一緒に恋愛の期待を高め、同時に破れた結果の気まずさと対応。殿下はマリアちゃんと距離を置くと決めてシェリエル嬢に後を頼みに。マリアちゃんはユリウスさん…
[良い点] 殿下、ホントにこの人たちの前でカッコ悪いの平気になったな… 何かいつのまにか普通にイザベラ様も混ざってて 一番ハッキリウンザリ顔してそうなのが可笑しい [気になる点] マリアさんは変わるか…
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