薬草学と不可解
ガイダンス期間の中日一限目、シェリエルはどうしても授業に出たくなかった。
仮病を使うかギリギリまで悩み、今この瞬間にバカな大人が学院襲撃とかして休講にならないかなとジクジク考え、バカなのは自分だと思い直して嫌々部屋から出る。
「シェリエル様、おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう、シャマル、ジゼル。今日から新しい衣装なのね、とても良く似合ってるわ」
「あ、ありがとうございます!」
二人はシェリエルの衣装に似た型のドレスを色違いで揃えていた。
ノースリーブのワンピースドレスに薄手のシフォンシャツ。可愛らしい大きな襟が胸元を華やかに。
コルセットの代わりに太めのベルトでウェストを絞り、ふくらはぎ中程までのスカートから同系色のチュールが足首まで伸びて、しっかりスカートを膨らませている。
姉妹コーデだ…… かわいい! 妖精小隊みたい!
と、浮かれながらも「色違いにしたのね」と主人らしく落ち着いた声音に整える。
「はい、他は同色で型を少し変えたり、生地違いで型を揃えたりしてみました。デヴィッド様にたくさん意匠をいただいて…… 本当にありがとうございます」
「デヴィッド様、すごく張り切っていたものね」
デヴィッドはヴァルプルギスで完全燃焼したのか、夜会から城に戻ると呆けたように動かなくなっていた。
しかし三日ほど休んだら禁断症状が出た薬物依存患者のように城を徘徊し始めたので、シェリエルはディオールのところへ行くようにと言った。
ディオールは自身のドレスを吟味しながら、自領に広めるための意匠を考えろと命じ、無事デヴィッドは死ぬほど忙しい日々を取り戻したのである。
仕立ては各自で出来るようにシンプルな造りにしてパターンを卸すようにしたのでこれからこのタイプのドレスは増えるだろう。
シャマルとジゼルはその第一弾となったのだ。
束の間、着心地はどうだとか他にどんなドレスが出来たかなど現実逃避がてら話していると、とうとう教室に到着してしまった。
いつもより騒がしく、たくさんの視線を浴びる。
「おい、聞いたか? 今日の授業……」
「魔Ⅳの先輩がとにかく混乱するって言っていたが…… 大丈夫だろうか」
大丈夫じゃないと思う……
「ねぇ、アレ本当なのかしら?」
「気を付けて、聞こえるわよ。ああ見えて上位なのは間違い無いんだから」
稀におかしな囁きが混じっているが、もう全員揃っていて、皆がざわざわと囁き合いながら開け放された前方の扉に注意を集めていた。
依然として教壇は空のまま。
カーン、カーン、と二つ鐘が鳴った。
「はい、授業を始めまーす」
ガタッ! と椅子を引く音がして、ザッ! と全員が同じ方向を見る。
なぜか教室のど真ん中、シルバの生徒が座っているあたりにディディエが立っていた。
隣の生徒はひっくり返るほど驚いているし、周りの人間も誰一人彼の存在に気付いていなかったらしい。
ディディエは「失礼」と言いながら長机の真ん中から何人かの生徒の背後を通り抜け、ゆっくり教壇に向かって歩いて行く。教壇に立つとシェリエルに向かってパチ、と片目を閉じた。
それに応えるようにピク、とシェリエルの片頬が引き攣った。
「今期、薬草学Ⅱを担当するディディエ・ベリアルドです。早速だけど、どうして君たちが誰も僕に気付かなかったのか分かるかな」
「……」
「ンー、じゃあバクオウ、ゼンシャ、紫ヨモギ…… これでどう? ではシェリエルくん!」
「幻覚薬…… でしょうか」
「惜しい! 幻覚薬の一種ではあるけど、認識阻害薬と答えないと試験では不合格だよ。今日使ったのは幻覚薬のなかでも初級の、思い込みをより強くするものだ」
ディディエの種明かしを生徒たちは一言も発さずに聞く。まだ全部を理解しきれずに自分たちに何が起こったのか気になって仕方ないのだ。
「教師ならあの扉から入って来て教壇に向かうと思ってたよね。でも僕は教室の隅に転移で移動して、それから君たちと同じように席に座った。だから皆んな僕を生徒だと認識したし、違和感に気付けなかった。間者が敵の拠点で動きやすくするために使ったりもするよ」
だいたいは顔を引き攣らせて、一部はキラキラと好奇心に溢れた目で見つめる。
「まあ、軽いものだからこうして注目を集めたり些細な事で解けてしまうものだけど」
ディディエは雑草のような草を取り出し教卓に置くと、「これがゼンシャ。認識阻害薬の基本になる植物だ。これは薬草か毒草か」と、生徒を見回した。それから「じゃあそこのゴルドの緑髪くん」と手をあげた生徒を指す。
「毒草です」
「正解、だけど不正解。毒草でもあり薬草でもある。薬になるか毒になるかは調合方法、用法、用量、使う者の気分で決まる。例えばこの認識阻害薬、高濃度の煎じ薬を小瓶一本分服用するとすべてが止まって視えて目を瞑っても景色が視えて……、それから世界がぐちゃぐちゃになる。本当にすごいんだ、発狂しそうになるよ。でもね、幻覚症のある患者がほんの微量から始めて毎日少しずつ量を増やして行くと、逆に幻覚を抑える薬になる。面白いでしょ?」
「……」
それからディディエは教壇の上をコツコツ歩きながら「それで、いつ僕が君たちにこの薬を盛ったか……」と言って、扉の近くに座るディアモン生に視線を止める。
「わ、分かりません…… 香のような煙った匂いはしませんでしたし、全員が同じものを口にしているはずが……」
「うん、そこまで分かっていれば充分だ。毒、または薬の服用方法は飲んだり塗ったりするだけじゃない。今期扱う薬草はII級相当の物だけど、僕の講義では同じ植物を使ってそれを薬と毒にそれぞれ調合しようと思う。それと、いろんな摂取方法を君たちに教えよう。ちなみに、今日使った方法は僕が考えた新しいものだから楽しみにしておいて」
ディディエが話を区切ると教室は一気に色めき立った。「それってまだ未発表ってこと?」「ディディエ様って研究職では無かったわよね?」「え、本当に良いのか?」と。
シェリエルは下唇を仕舞い込んでぎゅーっと眉間から鼻まで皺にして、「物騒な授業になりそう……」と苦く思った。
ディディエは残りの時間で今期扱う薬草を予告したり、軽く毒薬小話をしながら少し早めに授業を終えた。
ガイダンスとしては申し分ない。絡まれたのも最初だけだったし思ったほど酷くは無かったが……
「お兄様……」
「シェリエル、学院ではディディエ先生だよ」
「ディディエ……、先生」
「ハァ〜、最高過ぎる…… シェリエルに先生って呼ばれたくて最上級まで取ったようなものだからね、僕絶対にユリウスより良い先生になるよ、ね、もっかい呼んで! ね!」
「気持ち悪…… あ、いえ、それでさっきの認識阻害薬ですけど、霧にしましたね? 蒸留を広める気ですか?」
「ふふ、よく分かったね。そうだよ、あの酒蔵でいろいろ試してるうちに思い付いて」
「いつのまに! ライナーも忙しいんですから邪魔しないでください」
「ちゃんと深夜に行ってるから生産は止めてない…… あ、それで何だっけ、蒸留を広めるかだよね。教えるときはそっちに意識が行かないようにするから大丈夫だよ。ま、そこから考え付く奴ならそのうち勝手に行き着くさ」
「それもそうですね……」
そうこうしているうちにアリシアがやって来た。ガイダンス中はどこも早めに授業が終わるらしい。
「シェリエル…… あ、Ⅱ級はディディエ様だったのですね」
「おはようアリシア。これから朝食?」
「はい」
アリシアは頬を染めることもなく、友人の兄とか教師にするような態度だ。しかし、ガヤガヤとする教室の一角からじっとりとした粘つくような気配が漂っていた。
なんだかおかしい…… 穢れの気配でも無い。集団になるとこういった空気が生まれることは重々承知しているが、それでも露骨というか何というか……
シェリエルはアリシアと薄く微笑んだままほとんど唇を動かさずに「アリシア…… これ」「ええ、わたしね……」と冷んやり確認し合う。
ディディエも同じようにして「あーあ、ごめんねアリシア、僕が色男なばかりに」と割り込んで来た。
「ええ……、本当に」
アリシアはニコリとした。それでディディエは黙った。
ついでに空気はよりドロッとする。
「で、では朝食に行きましょうか。ジゼル、サラに伝えてくれる?」
「はい、すぐに」
ジゼルは小さな板状の魔導具を取り出してカリカリと文字を書き込む。文通の魔導具はまた進化して宛先の登録と選択が出来るようになった。
携帯通信魔導具、通称文通の魔導具・改である。
「僕も一緒して良い?」
「ダメです、中庭で食べる予定なので人目に付きます」
「別にいいだろ? そんなことまで気にする?」
「少し様子を見たいのでしばらくは控えてください」
「えー、冷たいなぁ」
「ほら、もう行ってください」
ディディエは不満そうに唇を尖らせて教職員棟へと帰って行った。そのうち機嫌を取らないとまた変な遊びを思いつきそうでハァ……と、溜息が漏れる。
Ⅰ級の教室に差し掛かるとこちらもすでに授業を終えていたようで、扉は開け放されており中からぞろぞろと人が流れ出して来ている。
小さな女の子から大人びた少年まで新入生らしい期待感と緊張感が満ちていた。控えめに雑談をしているのは下位の二年生だろう。ちらほら見た顔がいる。
フレッシュな喧騒のなかにはまたおかしな囁き声が混じっていた。
「やだ…… こんなところで何してるのかしら」
「決まってるじゃない、あの方目当てよ。はしたない……」
「ね、言った通りでしょ?」
「本当図々しいったら……」
チクチクとした声の塊は教室の奥にあった。
一瞬なかを確かめ、足を止めずそのまま通り過ぎる。ユリウスはすでに教室を出た後らしく、「何のことかしら」という顔で通り過ぎようとした、が。
「ごきげんよう」
扉近くにいた上位の女子生徒たちから声がかかる。「ごきげんよう」と返すと、面白がるような笑いが起きた。アリシアが上位らしい薄い笑みのまま「何か?」と短く言えば、教室全体のヒソヒソは一度ぴたりと止まって、今度はより大きな騒めきへと広がる。
残っているのは百人程度。それが異様な一体感でうねっているようだった。
「ああ、いえ。何か御用があるのかと思いまして」
「無いわ、これから中庭で朝食の予定なの」
「そうでしたか。それは失礼致しました。てっきりそちらのシェリエル様に付いていらしたのかと」
またクスクスと笑い声が広がる。男子生徒も面白がるように視線をこちらに向けたまま「言ったな」「コレどうなると思う?」とあちらこちらでヒソヒソやっていた。
シェリエルが「はて?」という顔をしていると、声をかけて来た少女たちはやはり瞳をこっちに向けたまま口元に手をあて内緒話を始めた。
「やっぱりそうよ、あの不遜な態度。ディディエ様が溺愛されているからと無理やりあの方と取り持ってもらったのよ」
「ディディエ様もこれじゃ手を焼くわね。いくらベリアルドだからって」
「本当の家族じゃないくせに」
「それにアリシア様のために夜会のエスコートまでさせたのでしょう?」
「やはり通じるものがあるんでしょうね。アリシア様もアルフォンス殿下を捨ててディディエ様に乗り換えたって」
「節操が無いってこういうことを言うのね」
と、全部聞こえているが。
驚きすぎて瞳がぐるんとどこかへ行きそうだった。
……まさかこの距離で聞こえないと思ってる? 口元を隠して唇を読まれないようにしているけれど、上位のディアモン生がこんな距離で聞き逃すはずないだろう。いや、彼女たちも上位……、わざと聞こえるように話してるのか。
露骨な揶揄は集団では大きな圧力になる。やり方は稚拙だが全体の空気を作ることには成功している。
「もういいかしら?」とアリシアが言えば「はい、お引き止めして申し訳ありません」と何事も無かったかのように微笑んでいた。
「思った以上ですね」
「ええ、ここまでとは……」
中庭にある東屋で二人は初夏の風を感じながら重い口を開いた。
「アレは一体どういう事でしょう? いくら新入生と言っても……」
「そうね、早すぎるわ」
アリシアの言う通り早すぎる。
二人はヴァルプルギス以降、自分たちがどういう立場になるか予測し備えてきた。
アリシアはあの夜会の場では面子を保ち他家を牽制する事ができたが、それはあの場に限ったことだ。流れは作れても人の噂を細部までコントロールすることは出来ない。
夜会に参加できた貴族は少数で、まして学院に通う子女には「どこの領地と仲良くしろ」だとか「あそこには近づくな」とかざっくりしたことしか話されないのがほとんどである。
よって、まずひと月は噂を確かめるために口を噤み遠巻きにされると思っていた。
アルフォンスがマリアと拗れたことで、さっき彼女たちが話したように一定数は「アリシアがディディエに乗り換えアルフォンスを捨てた」と見ることは予想したが、流れがハッキリしないまま自発的にロランスを貶めるほどバカではないと思っていたからだ。
そして、その流れが確定する前にヴァルプルギスを知る上位の者が擦り寄って来て、批判に傾いた中位以下もそれに追従するはずだった。
「お兄様とユリウス先生のことがあっても、あと二週ほどは様子を見るかと思っていました」
二人が学院に来たことによって批判の流れは早まることも想定済み。夜会で惚けていた少女たちが居たように、中位以下は感情にも空気にも流されやすい。
「……上位があそこまで確信を持って動けるなんて誰かの意思を感じるわね」
「アルフォンス殿下は違いますよね…… そんな余裕無さそうですし」
アリシアも同じ考えのようで苦く笑う。
「それに、今日はⅢ級にも少し変化があったわ。あそこまで露骨じゃないけれど……、社交に慣れた誰かが意図的に流れを作っているわね」
「ではさっきの御令嬢の誰かではないのは確かですね。この三、四日で三年次までというと、動き始めたのは学院前です。そこまでの考えがあってあのように自ら瑕疵を作るとは思えません」
「そうなのよ。ディディエ様とユリウス様が学院に来る事はわたしたちでもあの日知ったわ。それでここまで短期間に流れを作れるというのは……」
「イザベラ様……、くらいですか」
「……でも理由が見当たらないのよ」
二人に怒りは無い。
あるのは喉に小骨が引っかかったような不快感。
今アリシアを蹴落としてイザベラが得るものが分からなかった。
「ひとつの意思ではないのかもしれませんね。あるいは親の意思が強いのか」
「そうね、もう少し様子を見ましょう」





