ヴァルプルギスの対戦
ジェフリー・ドアンラック、彼は自分を世界一不運な人間だと思っている。
それは生まれや容姿、これまでの経験、今置かれている状況を指してではなく、隣りで微笑む天使のように愛らしい女を妻にしたことで来々世くらいまでの幸運を使い切った、という確信である。
それもあり今ジェフリーは「ああ、やっぱりこれくらいの不運はあって然るべきという事か、なるほど納得糞食らえ」と内心毒づきながら極限まで瞳を上にあげてほぼ白目で必死に現実逃避していた。
「ジェフリーセンセ、生徒さんがお困りのようだよ」
「今は勤務外デース」
「そういえばセンセーのお隣さんなかなか品があって良い物件だね。あの老夫婦も善い人そうだから追い出すのは心が痛むけど」
「明日燃やしときマース」
「え、ほんと? じゃあ僕の趣味に合わせて新築することになるのか」
「あ、某ユリウス王子殿下、以前見せてくださった本物の悪魔祓いまた見てみたいナー、と思ったりしているんですが。あ、はいダメですよね。あ、すみません。帰っていいです?」
マリアの斜め後ろで親友の顔をしていたテトラという少女はこのジェフリーとディディエの軽口を見つめ、トクンと胸を跳ねさせた。
……藤より濃い紫の影を見て。
まだ十四、五の中位の娘と言えば、多少の教養があっても中身はただの女の子である。多感な時期であり容姿や権威、ちょっとダークな空気にすぐにコロッとやられる年頃ということだ。
よって、この会場を極寒の流刑地に変えたなにかとんでもなく凄くて美麗な二人…… と親しそうに戯れ合う悪魔の眷属みたいなハンサム…… が実は自分の良く知った人間だったと知った瞬間、トクンとキてしまった。
他の少女たちも多少の差異はあれ、マリアとジェフリーという見知った人間を介して自分たちが特別な女の子になったような気分でポーッと頭を痺れさせる。
なにせ会場中がそれとなくこの場に意識を集中させているのだから。
「お二人ともジェフリー先生とお友達だったんですか?」と割って入るマリア。
間髪入れずに「違うだろ見て分かんない?」と吐き捨てるジェフリーと「そうだよ」と笑うディディエの声が重なると、彼女はすでにここはすっかり自分の舞台だというふうにコロコロ笑った。
「うふふ、皆さん仲良しなんですね。ビックリしちゃいました」
「や、でマリア嬢はなんでこんなとこに? 物好きにも程があるよ頭おかしいの? アルフォンス殿下は?」
「……えっと、そのことでお話聞いて貰いたくて」
「アー、んん、なるほどなるほど。クッソ……」
ジェフリーは上機嫌のユリウスとディディエを見て自分がなぜ呼ばれたのかを把握した。いや、呼ばれるのは分かっていたのでなぜ“今”なのかを察したというべきか。
彼らはこのマリアという女子生徒を消すだか壊すだか、とにかくどうにかしたいと思っている。とは思っていたが実際に肌で感じるそれは“天敵”のような相性の悪さだった。
そして彼らは自分を玩具か下僕だと思っているので、地下闘技場で魔獣と奴隷を戦わせるようにこうして自分を投げ込んだのだと理解した。
使えるものは使えるだけ使うってコトね……と。
ジェフリーはただ性格が悪いだけではない、世間では天才の類であり常に人目を気にしているので場を読むにも長けている。
そしてその天才的な頭はこの混乱のなかである閃きを得た。「え、これもしや彼女こそ退魔の女神なのでは?」とパッと希望に目を輝かせてから、すぐに自分も彼女が最悪に苦手だということを思い出して、キュッと瞳孔を閉じこの夜を呪った。
「ジェフリー先生、今期は優しくしてくださいね?」
「や、ボク今期級上がるから」
「エッ、そうなんですか? 残念…… やっと先生とも仲良くなれると思ったのに」
ユリウスとディディエはというと、ジェフリーの混乱から閃きを経て絶望に着地するまでを読み取って、それから嫌々ながらもマリアの相手をする彼を見て「やはりこの男は最高だな」と揃って満足そうに高みの見物を決め込んでいた。
ジェフリーのお察しは当たっていて相手をさせるならこの男しか居ないと決めていたので。ついでに自分たちの見立てが正しかったことにも自画自賛する。
「そうだ、後でダンス踊って貰えませんか? わたしあまり知り合いが居なくて…… ユリウス殿下とディディエ様も…… キャッ」
「ァー、無いかなボクはベルティーユとしか踊らないって決まってるから」
「えー、誰がそんなこと決めたんです? ダンスは社交ですよ?」
自分たちの名だけを聞き流し、ニコニコとこの対戦を見守るユリウスとディディエ。……に、怒りの炎を燃え上がらせたのは周りで鑑賞していた貴婦人御令嬢方である。
男たちとは違い、貴婦人たち特に保守派の者は当たり前にマリアを認めては居なかった。そうなるのであれば仕方ないと流れに乗ろうとしたが、妾ならまだしも中位の娘が上位のアリシアから王太子を奪うなど到底許せるものでは無い。
そしてその娘が色男三人に囲まれてダンスの相手をおねだりする光景は逆毛立つほど腹立たしく、ギリギリと奥歯を噛み締めてハンカチを握る。
「まさかあの娘、アルフォンス殿下から心変わりしたのでは?」
「……それは流石に」
「いえ、あり得るわ。今後どう転ぶか分からないけれど、場の空気はすでにユリウス様とディディエ様のものだもの…… 復権まで見越していなくてもあの年頃の恋心なんて単純なものよ?」
「たしかに……、ですがお二人は今夜お相手がいらっしゃいます。しかもディディエ様はあのアリシア様…… そこまで恥知らずな真似、いくら中位でも出来るものでしょうか」
「恥を知っていれば彼女いまここに居ないわよ」
「アリシア様は友好同盟、シェリエル様はベリアルドとの関係示唆として受け取っているのかも」
「いえ、友好同盟はまだしもそこまで読めていたらやはりこの場に居ないでしょう」
黙り込む貴婦人たち。マリアが何を考えているのか分からず怒りと不快感をグツグツと激らせる。
それに混じって大変なことになったと青ざめる御令嬢たち。マリアのことは大人より学院生の方がまだ知っているので、それが杞憂でないことを予感して血の気が失せたのである。
「……クッ、忌々しい。ベルティーユの存在なんて一切目に入ってないわ。いくら学院生だからと……」
ちょうどマリアが「もう、ジェフリー先生の意地悪ッ!」と頬を膨らませているところだった。
後ろで控えるマリアの友人たちには上位の御令嬢も含まれているが、誰一人マリアを止めようとしない。彼女たちもまた一時の非日常に脳がやられて、あわよくば二人に見初められてこの後突然ダンスに誘われたりしないかしら、と夢見ているので。
誰にもどうにも出来ない。あの光景をアリシアとシェリエルに見せるのも憚られ、アルフォンスが参戦すれば更なる地獄が生まれる。
ヴァルプルギスの夜とは一晩特別楽しい気分で内の穢れを落とし、朝の祓いの儀式に備える夜会である。この日穢れを溜めることだけは許されないのに、これは一体どういうことか。
「わたくし行ってくるわ…… 何かあったら息子に“愛してる”と伝えてくれる?」
貴婦人たちはコクリと頷き戦地に赴く妖艶な彼女を見送った。
彼女は第二のディオールと称されるほどたっぷりと色気を纏わせてゆっくり特別危険区域に歩いて行く。
失敗は許されない、もし自分があの薄く微笑む美男子二人の意から外れれば命はない。それに、一歩間違えればアリシアとシェリエルにも泥を塗ることになる。
そして、そういった緊張は一切顔に出さずに、ベルティーユの前に、マリアを軽く弾くように——。
「あら、失礼」
「キャッ……」
マリアがよろめいた瞬間、ディディエはサッと腕を伸ばし…… ジェフリーの腕を引いた。ちょうどポスッとジェフリーがマリアを受け止める。
貴婦人は青ざめ、ジェフリーは「クソッ」と短く発し、ベルティーユは「わ、ミラーナお姉様!」と陽だまりのような笑顔をほころばせた。
そしてマリアは泣きそうな笑顔でジェフリーを見上げている。
「あ、これは…… ごめんなさいね、その……」
ミラーナはなぜか失敗した、と思った。確かに分かりやす過ぎる忠告だった。これで察してマリアたちが引いてくれれば、自分はユリウスとディディエに無礼を詫び、ベルティーユをその場から連れ出せば良い、と思っていたのだが。
「いいんです、慣れっこだから……」
ベルティーユに似た庇護欲を唆る柔らかい笑顔に哀しみが混じる。しかしベルティーユとは何かが違う。遠目で見るよりも彼女は強かだ、と確信した。
「うわっ、」と一拍遅れてジェフリーがマリアを押し退ければ、ディディエはポンポンとジェフリーの肩を叩いて「お疲れ」と良い笑顔で笑った。
「マリア嬢、大丈夫ですか? あ、ユリウス殿下、ディディエ様、こちらわたくしがお姉様とお慕いしているミラーナ夫人です」
ベルティーユはこの一瞬の出来事を意に介さず、にこにこと嬉しそうにミラーナを紹介する。彼女は普通に何も気にしていなかった。マリアと同じ、いやそれ以上に呑気な性格をしているので。
「ミラーナ夫人、お初にお目にかかります。ベルティーユ様からお噂はかねがね。もしよろしければ今度僕の妹シェリエルにも助言を頂ければ嬉しいのですが」
「は、はい。わたくしで良ければ喜んで……」
これにミラーナは混乱した。突然割り込んで歓談中の御令嬢に肩を当てた自分に、何故かディディエが礼儀正しく挨拶し、妹君まで紹介したいと言うのだから。
これはどういうこと……自領はたしかに中立(正確に言えば貴族をより豊かにしようという派閥である)。それらを取り込みたいということかしら? いいえ、きっとただの社交辞令。などと考えを巡らせる。
が、ディディエはまったく別のことで機嫌を良くしていた。
「もうッ、ディディエ様ったらどうしてわたしには声をかけてくれないんですか?」
この拗ねたマリアの声も笑顔でやり過ごせるくらいに。
「あー、うん。それで?」
「え、わたしが転びそうになったのに、なんとも思わないんですか?」
「うん」
「……なんで、そんなのおかしいです。あ、もしかして、ユリウス殿下に遠慮して? 気持ちを隠して…… ヤダ…… そうだったんですね」
マリアは頬を染めてユリウスを見つめた。
ユリウスは青ざめてマリアを見下ろした。
「……私は関係ないと思うよ」
マリアはそれを聞いているのかいないのか、わたしって罪な女ね、とまた頬に手をあてうっとりしている。
大して変化は無いようだが、マリアにはすでにジェフリーのギフトが効果を発揮していた。
ジェフリーのギフトは潜在的な意識、本性とでもいうべき自身の人格の基盤となる性分を表に引き出す能力である。
マリアは今なけなしの恥や外聞、周囲にどう見られるかをすべて捨て、本能のままに喋っていた。
そうなるとディディエはどういう差異があるかに興味津々なのでマリアの善意や思い上がりに当てられることはない。
だがユリウスはそもそもこの手の女性が死ぬほど苦手、かつ少し感情を自覚し始めたこともあって生理的な嫌悪感をこれでもかというほど煽られていた。
「マリア嬢、ご無礼ですよ…… 少し頭を冷やしなさい」
「あ、ミラーナ様、でしたよね? あの、嫉妬されるのも分かりますが、それではミラーナ様が傷付くだけです……」
「はい?」
「わたしっていつもこうなんです。男の人はみんな可愛がってくれますけど、それで女の人からは嫌われるんです。でも嫉妬で意地悪するのって結局は自分に返るんですよ? 幸せになんてなれません、だからみんなで仲良くするのが一番良いんです」
「……」
ミラーナはその正論をどこから訂正すれば良いか分からず呆然と立ちすくんだ。
そのミラーナにそっと手を添えるベルティーユ。
「マリア嬢はとっても優しい子なのですね。ひとつ誤解があるようですけれど、ミラーナお姉様がマリア嬢に嫉妬することはありませんよ? だってわたくし貴女とおしゃべりしていないもの」
「……え?」
「お姉様、旦那様と御子息の次にわたくしのことを大切に思ってくれていますから。ジェフリー様は使い終わった雑巾の次くらいです。ふふ、そうですよね、お姉様?」
「その通りよベルティーユ」
馴染みのある頭の悪さにやっと冷静さを取り戻したミラーナはこの場にまともな人は居ないのかしら、と改めて周りを見る。
ジェフリーはベルティーユの辛辣な評価にもデレデレニコニコと目尻を下げているし、ディディエは観察に夢中で、ユリウスは青白い顔で微笑みを浮かべ固まっている。
早々に退場しようと心に決めた。
二人の会話をプゥと頬を膨らませて聞いていたマリアは、「でも、ユリウス様って素敵だし…… おかしいわ」とぶつぶつ呟いている。
この場でわざわざそれを拾う人物はディディエしか居ない。
「何がおかしいの?」
「今、わたし胸がキュンッてしたんです」
「それで?」
「それって、運命の恋が始まるってことでしょう?」
「また始めるの? 君もうアルフォンス殿下と始めてるだろ?」
「……でもアルったら約束も忘れてるみたいだし。運命じゃなかったのかも」
「んー、で、どっちに新たな運命感じたわけ?」
「え、それは…… あの、ディディエ様、ごめんなさいね?」
と、マリアは頬を染めてユリウスをジッと見る。
ユリウスは一瞬意識を飛ばし、ディディエは腹を抱えて笑い、それから真顔になって「いや、すごいな」と呟いた。
それを遠くの方から視力と聴力を強化して眺めていたシェリエルは、「は?」と短く声を漏らした。
隣ではアリシアが自己最高記録くらいに眉間の幅を狭めている。
そして、上階ではアルフォンスが全てを失った男の顔で一人膝から崩れ落ちていた。
今回暫定一位はベルティーユさんです。
次点でマリア。
ジェフリーとユリウスが最下位争い中。
ディディエはジェフリーが来た時点でプレイヤーから外れました。
次回、「新たなる挑戦者! 」お楽しみに☆





