ヴァルプルギスの社交
賑わいを取り戻した会場では貴族たちがせっせと社交に励んでいた。
「あの様子、ハインリ卿はユリウス殿下と懇意のようだな」
「ええ、となると保守派は第一王子の復権を望むでしょう。しかしベリアルドの考えが読めません。彼らに何の利が……」
「ロランスには農耕領も多く付いている。飢饉の対策、もしくは内戦の準備」
「内戦、まさかこの最厄期に…… 陛下がその可能性を見過ごすはずがないでしょう」
「分からんぞ? アルフォンス殿下の婚約解消を承認なされた。どうにも読めんな」
話に夢中になり自然と声に力が入る侯爵領領主たち。と、見せかけてわざと周りに聞かせている。
誰がどのような反応をするか。餌に食い付くのはどこか。向こうの方で空気がおかしいので今ベリアルド侯爵はあちらにいるらしい。などと周りを見ながら今夜の流れを地道に探っている。
他でも似たような会話があり、探りだと理解して一切の反応を見せず、後でそれとなく挨拶に行き「いやいや参りました。我が領ではすでに田畑が枯れ始めまして……」と深刻な顔をする者も。だからと言って下手に出ているわけではない。食糧を担保でき、かつ主流となるならば賛同すると暗に伝える。
本来ならすでに夜会が始まるまでに流れは出来ているはずだった。が、駒を薙ぎ払うどころか盤面をひっくり返す事態となったので、こうして正解を探し求めているのだが。
「……どういうことだ」
「分かりません……」
会場の特別危険区域。
美しい彫刻の大柱には藤色髪を高く結ったディディエが片肘を付けるように寄りかかり、漆黒の王子殿下は柱に背を預けてグラスを傾けている。
談笑、にしては妙に艶がある。
ディディエがユリウスからスッと視線を外して肖像画のように一瞬だけ静止すると、近くで集まっていた御令嬢が「はぁ……」と恍惚の溜息を漏らした。
さっきからこれである。
段々と危険区域の周りではそれとなく歓談する女性たちが増えていた。そしてそれぞれの集まりは彼らの仕草に指揮されるように、揃って桃色の吐息を揺らすのだ。
「今、目が合いましたわ……」
「そんな訳ありません、今わたくしと……」
「あ、あの…… あのお方は、黒騎士様で間違いありませんわよね……?」
「……ええ、きっと」
「黒騎士様?」
「あ、はい…… 詩や御伽噺ともまた違った演劇の脚本のようなものなのですけれど…… 黒騎士様の物語というのがありましてそれが本当にうっとりしてしまうくらい美麗な方なのです。ええもちろんお姿を拝見したことはありません、ですがわたくしには分かるのです涼やかな目元に漆黒の髪艶、薄く開いた唇は僅かばかり口端を上げてそれが黒騎士様の精一杯の愛情表現、不器用なあのお方が何故そうなってしまったかを説明しなければならないのですがそれはぜひご自身の目で確かめていただきたく存じます」
「は、はぃ……」
「そうですわ、きっと身分を隠して放浪の旅に出ていたユリウス殿下の記録があの……」
衣ずれほどの囁き声は「今夜のドレスとても良くお似合いです」と言う時の顔でなるべく口元を隠して交わされる。何人か瞳孔が開ききった貴婦人がいるが、他も異様さは似たようなものであった。
彼女たちはこれまで培ってきた社交の技術をすべて注ぎ込んで、謎多き二人を覗く。
しかし、悪魔を覗くとき、悪魔もまたこちらを覗いているのである。
そのような注目を集める二人の男はそれらをしっかり把握していた。
「思ったより反応がいいね」
「デヴィッドは良い仕事をするね。で、君はなぜ動いた? まだ時間をかけると言っていただろう?」
ディディエはグラスを軽く唇に付けたまま「ちょうど月が明るかったから」と言い、ふッと笑ってそのままコクリと葡萄酒を流し込む。
もちろん他に彼らの声は聞こえていないし口元も読めないが、その仕草だけでキュと胸が鳴るほど様になっていた。
「そう。ま、あの時点で“王太子の元婚約者”という認識は無くなっていたしね」
「案外早く転んだよね。ユリウス何かした?」
「ん? ハインリに手を出すなとは言ったが」
「それか。というわけで多少狂いはあったけど僕は満足。で、そっちの狂いは? やけに緩んでたけど」
ディディエは片手でユリウスの胸をトンと叩きながらグラスを煽って空にすると、給仕係を探すように視線を彷徨わせて途中で要らぬ溜息を誘っていた。
「ん…… あの子、私に懸想しているようなんだ」
「ブッ、ちょっとなに」
あわや濃い赤を吹き出しかけ、コホコホと引っ掛けるように咳き込んでから無防備な笑顔で身体を起こす。遠目では友人の冗談に笑う無邪気な少年に映る。
「え、なに、シェリエルはなんて?」
「愛してはいない、と言っていた。だがあれは間違いなく執着だ、自分でも気付いていないんだろう」
「あ、うん。まあ執着はあるだろうね。……あと刷り込み?」
「ああ、私もそう思う。彼女、思い込みが激しいからね。しばらく私のことを猫か何かだと勘違いしていたくらいだし、そこから気付かぬうちに感情が変化していたと考えるのが自然」
ユリウスは眉を寄せ考え込むように一度黙る。それは今から大陸の大帝国が攻めて来るのかというほどに凛々しさを滲ませた。
その憂いを帯びた険しい瞳に貴婦人御令嬢は「くぅ……」「ほぅ……」と声にならない吐息を漏らす。
「あ、うん。お前自分の感情も分からないのに良く言い切るね」
「まあ、その手の感情は分かりやすい」
「じゃあアレは何だと?」
ディディエがチラと遠くの御令嬢に視線を移せば、ユリウスもそれを追う。ピタ、と二人の瞳が揃った時、「ッ……!」とその集団は息をするのをやめた。
そして、軽く目を細めたユリウスはサラリと下に視線を落としてしまう。視線の交わりは刹那的で、キュンと胸を締め付けるほど色っぽい。思わず手を伸ばしてしまいそうなほどに。
ユリウスはほとんど唇は動かさずに「青髪とその隣は私に別のものを重ねている。例の黒騎士がどうとかいうやつだね。その奥の三人は危険を前にした緊張感に美しい者への憧憬が混ざっている。後は似たようなものだが周りが惚けているから雰囲気に流されただ見入っているだけ。かな」とボソボソ喋っていた。
「うん。僕の見立ても同じだけど。ユリウス良くそれで自分の感情を知らないでいられるね」
「いや、知っているが?」
「ん、じゃあシェリエルのことは?」
「……困ったなと」
ディディエは不敬にも思われるほど軽くユリウスの顎を人差し指で持ち上げ、少し目元を赤くした彼を見て「バカなの?」と眉を寄せてそのまま顎を弾いた。
「あー、いや。まあ、そういうこともあるだろうけど。うん、他人からは学べないって事か」
「? ではどう学ぶ?」
「実践……?」
「君、そのうち刺されるよ?」
「それは僕も思うしシェリエルにも言われた」
ハッ、フッ、と空気を解くように二人は笑って、しばらく肩を揺らしていた。
顔を真っ赤にして惚ける女性陣。
若い御令息も一緒になってボーッとしているが、これに冷や汗をかくのは政治に明るい男たちだった。
「不味いな、家門の縛りや利害でないらしい」
「ベリアルドはユリウス殿下を支持する気だ。これは…… どうなる」
「若い者、特に女性はそのうちあのお色も認識を変えるでしょうね」
「いや、もう既にだ。しかしユリウス殿下は復権を望まないと」
王位に興味が無いと言ったユリウスが何を目的として姿を現したのか分からず、頭をこねくり回す。
さっきのアルフォンスに対するユリウスの様子は異常。魔力も底が知れない。しかもベリアルドが絡んでいる事から、彼らの本意から外れればまず命はない。
「そうか、我らがユリウス殿下を“望む事”を望んでおられるのだ……」
「……うむ、恐怖で縛ったとて先がないことを良くご存知なのだろう」
「しかし学院も卒業していらっしゃらないはずでは」
ふむ、とまた首を傾げて、とにかく彼を“王国の第一王子”と定めて動かなければならないと意思を共有する。
彼を悪魔として排するには危険が多過ぎる。
そんな緊張感のなか、その特別危険区域に近付いていく数名の若い御令嬢たちがいた。
男たちはヒッと息を呑み、女たちはキッと目元を鋭くする。
「ユリウス様、ディディエ様。先程はきちんと挨拶出来なかったので…… そのぉ、お久しぶりです」
「やあマリア嬢、お祝いの言葉はまだ早いかな?」
「もぉ、ディディエ様には何でもお見通しなんですね。でも…… 分かりません。何だかアルが冷たくって……」
マリアはシュンと眉をさげて片手を頬に添えると、アルフォンスが一人で篭ってしまったので友人と軽く食事をしたりお喋りしていたと言う。
二人は何も言わずにニコニコそれを聞いていた。
「ユリウス殿下が羨ましいです…… 王族ってとっても大変なんですね、わたし今たくさんお勉強しているんですけど」
「そう……」
ユリウスは素早く会場に視線を巡らせ、それからチラとオウェンスを見る。
隣ではディディエが良い人の顔で「それはそれは。マリア嬢は頑張り屋さんですね」と青筋を浮かべていた。
「でも自信が無くて…… 少し相談に乗って貰えませんか?」
「……僕たちには王妃教育は専門外ですね」
「あ、その貴族としての嗜みや…… えっと、個人的なことを」
「ふふ、そういったことはそちらのお嬢さん方が詳しいと思いますよ」
ディディエの視線に晒されたコマドリたちはカッと顔を赤らめ俯いてしまう。
「みんなにも相談してるんですけど、男の人の意見もお聞きしたくて。それに、ユリウス殿下はアルのお兄様ですから、アルのこと良く知ってるでしょう?」
薄く微笑むユリウスとディディエ。
後ろにいた御令嬢たちはそこで何かおかしいなと思い始める。
というのも、彼女たちはマリアを慰めている最中、「マリアったらあのお方が怖くないの?」と素直な疑問をぶつけてみると、彼女が「前から知ってるもの。一緒にお茶をしたわ」と言うので、その交友関係に感激したのだ。
誰も、アルフォンスすら知らなかったユリウスの存在を知り、ああして兄弟の争いに飛び込み、ユリウスを黙らせた。
だが大祭司様からも可愛がれ、誰からも愛される聖女のようなマリアならば不思議はない。
しかも、「アルのことで相談してみようかしら?」などと言い出すので余程仲が良いのだと思って付いて来たのだ。
が、どうやら空気がおかしい。なんだが落ち着かず鳥肌が立つような居心地の悪さがある。
「ま、マリア…… そろそろ……」
「え、でも。まだ全然」
そこへ、一組の男女がカツカツとやって来た。
暗い紫の髪を下の方で一本にして垂らし、前髪はきっちりと上げたどこか影のある長身の男。死刑執行人と言われれば納得するし、吸血鬼だと言われても信じるだろう。
湿った地下室の暗いところから這い出たような空気を纏い、それは陰影のはっきりした肉の無い顔を色男に化粧する。
隣にはふわふわの金髪を揺らす天使のような微笑み。彼女は太陽から生まれた妖精のようにほろほろ笑ってピッタリ影に寄り添っていた。
「呼びました? ご挨拶遅れて申し訳ありまセン、王子殿下」
「おや、ジェフリー。どこに隠れていた?」
ジェフリーはクッ、と片眉を思い切り寄せて嫌そうに顔を逸らす。後ろではオウェンスがヨシという顔をしてまた少し離れた場所へと下がって行った。
「え、えッ! ジェフリー先生⁉︎」
悲鳴をあげるように彼の名を口々に発したのはマリアとコマドリたちだった。
近くにいた学院生はギョッとしているが、貴婦人方は「あら、いらっしゃったのね」「相変わらず良い男……」「やはりあの陰険男にベルティーユは勿体ないわ」と横目で見る。
普段はただでさえ猫背であるのに顔を隠すように髪をボサボサと自由にさせていて、クマの酷い目元と尖った鼻先、血色の悪い薄くて大きな唇がチラチラ見えるだけだった。
当然不気味であるし、何となく汚らしいし、性格もねじ曲がっていて最悪の教師である。
それが今夜は影の君と呼ばれそうなほど格好良く現れたので、生徒たちはキャアと驚いたのだ。
「ジェフリーセンセ、隠れるの上手いな」
ディディエがチラとオウェンスを振り返れば、彼はニコリと笑って気配を消した。
対してイライラと爪の先を弾くジェフリーは呪いの儀式でもするようにボソボソと喋り始める。
「や、本当やめて貰ってもよろしいです? ボクもう帰りますんで、はい、忙しくて。実は前、お忍びの某王子殿下に悪魔祓いを仕掛けた事があるんですよ。ね、馬鹿でしょう? それでさっきまで残りの人生指折り数えてベルティーユと何しようか考えて最後はどこで首括ろうかってとっておきの場所を探してたんです。そういうわけで忙しいんですよ良いです?帰って。イヤ、知らなかったんだよ分かるわけないだろ何がしたいんだよクソッタレ!」
最後ガッと言い切ると、大きく舌打ちして不貞腐れた男の子のようにフイと真横を向く。
それに二人は大変満足して細かく肩を揺らし、マリアを筆頭に御令嬢たちは目をまん丸にして黙り込み、ベルティーユだけが「ふふ、拗ねたところも可愛いッ」と微笑んでいた。
要するに、十数人集まってまともな人間が一人もいないという統計学者も真っ青な一幕が上がったのである。
すみません、まだ続きます。
次回、異種混合異常者頂上決戦!(※ただワイワイするだけです)





