兄妹というものは
城に戻ると想像以上に酷い状態でサロンの入り口で四人一列に並んで呆けてしまった。
なぜユリウス先生までこの場にいるのよ……
ルイス様、ツヤツヤピカピカ肌に死相を浮かべるなんて器用な真似をするわね……
などと考えている間、他の三人もそれぞれ何かしら思うところがあったのだろう。誰ひとり言葉を発せず沈黙を落とした。
「やあ、おかえりシェリエル。早かったじゃない」
と、呑気に長椅子から立ち上がりわたしの手を取りにくるディディエ。
「ただいま戻りました……? ええと、なぜ先生まで?」
「いつもユリウスだけ仲間外れにしたら可哀想だろ?」
いや、別に良いんだけれど。お兄様の友人ということで? 他の貴族に顔を繋ぐのも大事な社交なわけだし? でも今? この悪魔がどうとか神殿がどうとかしている今なの?
「……ルイス様の顔色も優れないようですが」
「初めての入浴で緊張したんじゃないかな。ねぇ、ルイス様。そうですよね?」
「は、はい…… 少し休めば良くなるかと……」
いやいや、どう見ても全身を出来るだけユリウスから遠ざけているし、視界にも入れたくないみたいな顔の動きだし、この場にいる限り良くならないタイプの体調不良ですよね?
「お兄様、本当に浴場で失礼なことをしていませんよね?」
「たとえば?」
「湯船に突き落としたり、無理やり湯に沈めてギリギリのところで引き上げるを繰り返したり、足を持って湯船を引き摺り回したりですよ」
「そんな遊び方があったのか……、さすがシェリエル勉強になるよ!」
「なりません!」
小声で話していたはずがルイスの顔色はさらに酷いものとなり、カタカタ震えて無言のアリシアを見つめていた。
……無言の? あれ、アリシア様?
「二人とも、馬鹿なことをしていないできちんと紹介なさい。自領だからと気を抜き過ぎですよ」
「……申し訳ありませんお母様」
「失礼しました、キャロライン様、アリシア嬢。こちら僕の友人でシェリエルの家庭教師をしているユリウスです。敵意を向けなければ害は無いので…… おや?」
ディディエは一瞬で貼り付けた優等生スマイルからひょこっと片眉を上げ、ポーッと頬を染める二人に首を傾げる。
「……黒騎士様…………」
「実在、していたのですね……!」
ああ、アリシア様は愛読者だものね。キャロライン様にまで貸していたとは…… それにしても大丈夫だろうか。これ、家庭崩壊や婚約破棄の危機にならない?
「おやおや…… そのように見つめられては私も瞬きひとつ緊張してしまいますね。美女の視線には魔力が宿る……、私が勘違いしてしまったらどうするのです?」
「ハッ……、し、失礼しました。キャロラインと申します。以後お見知りおきを」
は? なに? どこからそんな馬鹿みたいなセリフを仕入れてきたわけ? ……ディディエか! 本当に余計なことしかしない!
「アリシア様! しっかり、しっかりなさってください! 彼は黒騎士様ではありません、おとぎ話の方を思い出してください!」
「あ、えっ、と……」
「君が書かせた話だろう? それで良いのかい?」
「クッ…… それは……」
たしかにこれはわたしが望んだ結果だけれども!
……無性に腹が立つのはこの“したり顔”のせいだろう。本当に性格が悪い。
と、アリシアの視界を遮るようにディディエが割って入り、特上の微笑みでユリウスの美麗を上塗りするように顔を近づけた。
「かわいそうに、いま正気に戻してあげるからね……」
アリシアはピンと背筋を伸ばして目を限界まで広げて硬直する。ディディエはその反応に柔らかく微笑んで、スッと長椅子の方へ手を引いた。
「彼はただ髪が黒いだけで物語の素敵な騎士様とは違うよ。ここにもっと良い男がいるだろう? さぁ、兄君のとなりへお座り。それとも僕の隣が良いかな?」
「……ッ!」
アリシアは首まで真っ赤にしてストンと長椅子に腰掛けると、ルイスの隣でキュウと小さくなってしまった。ふるふる震えてなるべくディディエが視界に入らないようにしている。
兄妹というものはこういった仕草まで似るんだなぁ、なんて思っている場合ではない。二人を部屋から出すべきか迷っていると、呆れ顔のディオールがハァと小さく溜息を吐いた。
「ユリウスはずいぶん社交が上手くなりましたね。あまりディディエを手本にしてはいけませんよ」
「ああ、心得ているよ、ディオール」
ディオールは最近ユリウスに対する態度が柔らかくなった気がする。むかしはなるべく距離を取っていたというか……、嫌ってはいないけれど関わりたくない、くらいの距離感だったのに。
普段は即座に拗ねた声をあげるはずのディディエはアリシアで遊ぶほうが楽しいらしく、テーブルの端の席に座って斜め前から顔を覗き込んだり囁いたりとちょっかいを出していた。
「キャロライン、わたくしたちはヨーガに行きましょう。ではシェリエルお願いね、後は任せたわ」
「え、そんな……」
抗議する間もなくまだぽやぽやしたキャロラインを連れ、ディオールはヨーガの間へ向かってしまった。
ヨーガの間とはお茶会用のサロンをひとつ潰し、壁一面に大きな鏡を取り付けたヨーガ専用ルームである。ベリアルドは自身の欲に忠誠を誓っているので欲しいと思ったものはすぐ作らせるのだ。
「で、では…… 朝食にしますか……」
返事の代わりにユリウスがサッと手を出して長椅子までの数歩をエスコートしてくれる。普段はこんなことしないのに? と首を傾げると「ハハ、拗ねているのかと思ったから」と爽やかな笑顔が返ってきた。
……もう帰りたい。
結局、ルイスの向かいにはユリウスが。アリシアの向かいにはわたしが。そして、わたしとアリシアの間となる短辺の一人席にディディエが座り、ベリアルドとロランスの朝食兼お茶会が始まった。
サロンで出しているアフタヌーンティーのセットには蒸し鶏やパストサラミの薄切りを挟んだパンが多めに盛られている。
「こ、これは……! ベリアルドの朝食は変わっていますね」
「こちらはサロンで出している軽食の盛り合わせなのです。午後はもう少し量が少なく甘いものが多くなります」
「ふむ、女性には喜ばれそうだ」
ルイスは恐怖よりも興味が勝ったらしく、まじまじと皿を見つめて馴染みのある鶏肉を挟んだパンを手に取る。
しゃくりと上品に齧ると目を丸めて一時停止し、それからパクパクと優雅にすべて胃におさめてしまった。
「お口に合いましたか?」
「う、うむ。うまい…… アリシアがシェリエル嬢との茶会を楽しみにする理由が分かった気がする」
「お、お兄様……! わたくしはそのような理由で浮かれていたわけでは!」
アリシアの顔は先ほどからずっと赤くなりっぱなしだった。
まあ、朝の曇り顔よりは良いか……
さすがアリシア、中位貴族ならすでに三回は気絶していそうなくらい息が浅いのに何とか持ち堪えているらしい。
ちまちまと食事を始めたころにはディディエも静かになっていて、やっと気が済んだのか…… と思ったのも束の間。
「ルイス様、先ほどの話ですがシェリエルたちに聞かせても?」
「政治の話を女性にですか? アリシアには事が済んでからと……」
「彼女ももう立派な当事者なのでは? それに、女性だからと理解力が劣るわけではありません、彼女には充分素質がありますよ」
「……それは、そうですね」
ルイスは一度紅茶で唇を濡らし、不安そうに眉を寄せるアリシアを見て小さく息を吐いた。了承の合図である。
「お兄様、わたくしが聞くべき話ということは神殿についてですね」
「うん、どこから話そうかな…… 例の祭司ゲルルトの反乱だけど、どうやら裏に殿下の母君ライア様が絡んでいるらしい。ゲルルトとライア様は旧知の仲だそうだよ」
「うわぁ……」
「ふふ、分かるよ。半端者が馴れ合うと愚行に磨きがかかるよね」
「そこまで言ってませんが……」
ライアは中位貴族であり、アルフォンスの出産には本来耐えられない魔力量である。その為、出産前から祭司が付き魔導具で魔力を逃しながら出産に臨んだというのだが、その祭司がゲルルトだったらしい。
「ゲルルトを指名したのはライア様だというから、その前から親交があったのかもしれないね。中位と言っても王の妾で次期国王の母となると厄介だなっていう話だよ」
「それはたしかに厄介ですが……」
ディディエは上手く言葉を選んで悪魔の封印や国王の穢れについて避けながらも、アリシアに分かるようにここ最近の神殿の出来事を話して聞かせた。
しかし、なぜルイスからその話を聞くことになったのだろう。言うなれば、これはロランスには関係のない話だ。アリシアだってこれを聞いたところで……
と、アリシアがまた泣きそうな顔になっている。
「アリシア様……?」
「……申し訳ありません、祭司様とそのようなことになっているとは知らずにわたくしは自分のことばかりで……」
「いえ、大した被害は無かったのでわたくしたちは大丈夫です。それよりアリシア様も何かあったのでは?」
アリシアはこくりとたっぷり黙ってから、痛々しい微笑みを浮かべて小さく息を吸い込んだ。
「……わたくし、殿下にヴァルプルギスの夜の同伴を断られてしまいました」
「え、それは…… 殿下は正気ですか?」
「ハハッ、あれが正気だったことなんて一度もないじゃない」
「お兄様は静かに!」
婚姻、婚約した者は必ず夜会に同伴するのが慣例であり、実質次代の王であるアルフォンス殿下ともなれば公式の場で隣に立つ女性は将来の王妃であると貴族たちに宣言するも同義である。
去年の夏に婚約したアリシアは今年のヴァルプルギスが公式での初お披露目となるはずだった。
「……もうどうしたら良いのか。仮病を使って欠席するか、家族と夜会に出席するか。最後まで淑女として振る舞えるのか…… 何が貴族として正しい姿なのか…… 分からなくなってしまって」
「あ、の…… 殿下にはいつ何と?」
「二月の頃でした…… “ヴァルプルギスの夜はマリアをエスコートする”と……」
「うわぁ……」
またもや貴族らしからぬ間抜けな声が漏れてしまった。
アリシアに向けられるであろう視線は実際に見てきたように分かる。
同情と好奇の目に晒らされ、婚約者を盗られた負け犬のような惨めな気持ちになるのだ。そこにどれだけアルフォンスに対する怒りや落胆があったとしても、彼が魔力や権威を覆してでもマリアを選んだという女としての負けがそこにある。
欠席しようものなら完全に敗北宣言と見做されるだろう。
ま、わたしのように断罪されるようなことはしていないので身の危険は無いだろうけれど。
「……我々も最初は信じられない気持ちで、何か裏で政略があるのではと手を尽くし調べたのです。いくら殿下がマリア嬢を気に入っていても、元老院や陛下がお許しになるはずがありません。そして、陛下がお篭りになっていることと、ライア様と祭司ゲルルトの関係に行き着いたのです」
「祭司ゲルルトとマリア様にも何か繋がりが?」
「それなんだけど、大祭司がマリア嬢を援助していたからそこから繋がりがあったのかもしれないね。ライア様としてもアリシア嬢に王妃になれたら困るんじゃないかな」
アリシアは何かを思い出すようにジッと目を伏せ拳を握る。
「以前、ディディエ様の仰られたことを、わたくしは殿下の女性の好み程度に考えておりました。しかし、甘かったのです。その嗜好はライア様の意向でもあり、お二人の生き方にわたくしは邪魔なのでしょう」
重い空気のなか、ひとり我関せずと黙々と食事を続けていたユリウスがふぅ、と満足そうに口元を拭いて……
「話は終わったかな? もし婚約を解消するなら、その前に少し頼みたいことがあるのだけど」
と、アリシアを見る。
「先生…… こんな時に何を……」
「おや、読み間違えたかな? 彼女はアルフォンスに大した執着は無いようだけど…… それなら婚約を解消すれば済む話だろう? 見たところ王妃の座にこだわる野心も無い。馬鹿の愚行に振り回された怒りと今後降りかかる他者からの視線に対する憂いというところでは? いや、失礼。民を想う責任感らしきものもあるのか。結構なことだ」
アリシアは目を丸くして「あ、え、」と呟くのみだ。
たしかにそうかもしれないけれど! これだから情緒の育ってない人間は!
「ですから、その馬鹿の愚行と他者の視線が大きな問題ではありませんか! 婚約を解消するにしてもヴァルプルギスの夜には一戦交えなければなりません!」
「あ、いや、シェリエル嬢…… 一戦というのは…… アリシアはいま殿下に裏切られたと傷心で……」
アリシアに並んで目を丸くするルイス。ロランスの二人は寄せていた眉を開き切って、おろおろ視線を漂わせている。
「あーあー、お前たちは本当に人の心ってものを分かってないなぁ。色と一緒に心まで母胎に置き忘れて来たんじゃないのか?」
「お兄様に言われたくありませんが」
「……アリシア嬢、いまはとても傷ついていると思う。ヴァルプルギスの夜が怖いよね、誰が微笑んでもその裏にある真意を探ってしまう。五感を強化してずっと気を張って、常に表情を取り繕わなくてはいけない。でも心配ないよ、僕がエスコートしてあげるから」
「え、あ……の…… ディディエ様?」
「お兄様?」
「ディディエ様⁉︎」
ユリウスだけは良く分からないなという顔で焼き菓子に手を付けていた。
……いやいや、待て待て、いまさっき偉そうに説教していた人間の自信満々な提案がソレ?
「え、だってそれしかないだろう? 考えてごらんよ、アルフォンス殿下にあるのは次期国王という身分だけだ。能力も容姿もユーモアだって僕の方が勝ってる。ま、王太子程度の身分なら総合して僕の方が上だよね。その僕にエスコートされて夜会に出席するんだよ? 誰が同情の目を向けられるのさ」
やはりベリアルドに人付き合いは早すぎたのだ。このナルシストを早くどうにかしなくてはいけない。
「いいえ、お兄様。それは色んな意味で同情の的になります。いくらお顔がよろしくても嗜好も思想も最悪なのをお忘れですか?」
「アハハ、シェリエル、それは身内だからさ…… 僕の擬態は完璧だから。殿下と僕なら百人が百人僕を選ぶよ。ね、アリシア嬢?」
「……ィェ、ハイ……」
「ハイ⁉︎ ハイじゃありませんアリシア様! ベリアルドですよ! わたくしで慣れてしまったかもしれませんが、わたくしはベリアルドのなかでも特別なのです、兄に騙されてはいけません」
「ハハッ……君たち、本当に似た者兄妹だよね。そこまで自己評価が高いと呆れを通り越して心から感心するよ」
「先生ッ!」
アリシアはキュッと涙目でディディエを睨みながらも若干頬を染めているし、ユリウスは一件落着かと寛いでいるし、ルイスは大変なことになったと口元を手で覆いオロオロしているし、もう勘弁してほしい。
「落ち着きましょう。まず、お兄様が同伴するとアリシア様の瑕疵とされる可能性があります。例えあちらが先でも他者からどう見えるかは別問題です」
「そこでだよ。ロランスと友好領として同盟を結ぶのはどうだろう。今シェリエルとアリシア嬢の友情が政治的にどういう意味を持つかは理解しているだろう? それを明確なものとして示すんだよ」
「……ディディエ様、それは我々には有難いお話ですが、本当によろしいのですか? ベリアルドは何者にも干渉されない家門であると……」
「ええ、支配下に置かれるわけではありませんし、あくまで同盟というだけですから。元より転移門も繋いでいます。不可侵だった両者が互いに手を取り合うというだけですよ」
これはベリアルドの歴史のなかでは初めての試みである。現当主のセルジオを完全に無視しているが、たぶんセルジオは戦争の機会が増えるので喜ぶだろう。
ルイスは当主に相談しますと保留にしたが、回答としては了承であった。ベリアルドが攻め込まれる可能性は低く、自領が紛争となった場合はあの戦闘大好き人間が喜んで駆けつけるのだから、軍事的にはプラスしかない。
あとは、対外的な印象の問題である。
「で、でもですね…… その、これは殿下のロランスに対する裏切り行為です。心象として、被害者の立場を保っていたほうが何かと有利なのでは?」
「被害者も何も無いさ、相手は腐っても王族だよ? アルフォンス殿下がバカ娘を娶ったからと言って、過半数の領地が結託して反乱を起こすと思う?」
まあ、たしかに。実際、今も王妃不在で国はまわっているので、特にいまの世代は王妃がマリアになったところで命をかけて戦おうなどとは思わないだろう。
「では、本当に婚約が解消となった場合…… お兄様とアリシア様が、その…… そういう仲だと勘繰られるのでは……」
「ん、そうだね」
「そうだねって…… え、お兄様? え?」
ディディエはスンと黙って意地悪く笑い、チラとアリシアを見るが、アリシアは威嚇する子猫のようにフーフー顔を赤くするのがやっとのようだ。
「……アハハ、シェリエル今日は頭が鈍いな。だからさっきの同盟が必要なんじゃない。印象操作なんて後で何とでもなるさ」
「……で、でも、わたくしは? わたくしはヴァルプルギスの夜どうすれば?」
別に婚約者もいないので大した問題ではないが、両親はすぐに二人の世界に入るのでジゼルかシャマルを呼ばなければわたしはポツンと一人置き去りにされる。
ま、それも良いか。
「ルイス様にエスコートして貰えば良いだろう?」
「兄妹揃ってそのようなご迷惑をおかけするわけにはいきません! ……る、ルイス様? 顔色が…… 大丈夫です、わたくしはひとりでも何とかなりますから、お気遣いなく」
「あ、ああ……、申し訳ない」
ルイスは顔面蒼白で固まっていたが、命拾いしたというふうに胸を大きく上下させる。
分かるけれど…… これでもわたしだっていくつも縁談はいただいているのに。
好意が無いからこそ安心出来るという反面、そんなに嫌がらなくても、と唇を噛み締める。
何故かディディエがクスクス笑っているが、誰のせいでこうなったと思っているんだろう。
「シェリエルには私が同伴するよ」
「はい?」
「お気に召さないかな?」
「いえ、その、先生…… ヴァルプルギスの夜というのはですね、王宮で開かれる貴族の夜会で……」
「知っているが?」
「もう人は平気なのですか?」
「私を人馴れしていない珍獣みたいに言ってくれるな」
「あの黒衣で?」
「デヴィッドに仕立てさせる」
「悪いこと考えてます?」
「さぁ?」
ユリウスのニヤリと吊り上がる口端を合図に、ディディエがパンと手を叩いて「決まり!」と決着を付けた。





