明鏡止水
※ほのぼのですが少し残酷描写があります
目を覚ましたユリウスは暗闇のなかで目を開けることも出来ずに「ン?」と首を傾げた。
酷い夢を見た……、さっきの穢れに残っていた記憶のせいだろうか。と、夢の余韻に浸りながらゆっくり記憶を辿る。
たしか、王宮で神官を祓い(祓ったのはベリアルド兄妹だが繋ぐだけでも結構な消耗である)、最後の転移でほとんど魔力を使い心身ともに疲れ果ててしまったのだった。
そう、それで何者かが部屋にいて……、とぼんやり桃色髪の男たちを思い出して納得する。
神殿からやってきた者だろう。
魔力はいまの間に少しは回復しているらしい。
まだ四人の気配は近くにあり、緊張した心音とコソコソと今後の相談をする声が聞こえた。
「……どうする、このまま連れて行くか」
「ゲルルト様に指示を仰がねば」
「急ごう、すぐにベリアルドが帰ってきてしまう」
ユリウスはこの段になってもとくに焦ってはいなかった。さてどうしたものかと悩んではいるが、それは手に入れた素材を魔導具にするか装飾品にするか悩むのと同じようなものである。
瞬時に何通りか案は浮かんだものの、ここはディディエの管理する屋敷であり後のことを考えると選択肢は限られる。
自分で掃除すれば文句も言われないか。
いや、あまり散らかすとシェリエルが嫌がるな。
このように普段は情緒が無いだの常識が無いだの散々な言われようだが、ユリウスだって何も思わないわけではないし、ちゃんと考えてはいる。
ただ少しそれが鈍いかズレているというだけの話であった。
とにかく、シェリエルに怒られると面倒だし、泣いていると心地が悪い。そして、喜ぶ姿は春風のように安堵する。
それをいつまでも飽きの来ない自身の感情を揺らす希少な存在、と思うくらいの心はあるのだ。
「お、おい…… いま動かなかったか?」
「それより、下の使用人たちはどうする! もう顔も髪色も見られたぞ」
「……し、始末するしかないだろう! これも、大義のためだ」
「俺はあの女を絶対に犯すぞ!」
ふむ、使用人は捕らえられているのか。特に思い入れはないがこれもシェリエルが怒るな。
それはさておき、どうにも身体が痛む。寝違えたか、縄がキツ過ぎるせいか…… 同じ姿勢で座っているのが良くないのか。
我慢しようと思えば出来るが、我慢する理由が見つからない。
顔や腹部の痛みは散々殴られ蹴られたせいだったが、彼はそのときほとんど眠っていて記憶になかった。
一応、ディディエに聞いておくか、後で文句を言われるのもな。とディディエの印を探す。が、彼の印は見つからず、そうなると座標も特定できないので通信を繋ぐことができない。
二人はちょうどそれぞれ結界の張られた部屋に通されていたのである。
ま、良いか。日頃から報連相とやらを口酸っぱく言いつけられていたが今回は仕方ない、不可抗力だ。
切り替えの早いユリウスはすぐに肌と衣服の上にピタリと沿って結界を張る。これは単純な結界とちがって対象の感覚を捉えづらいのでとても難しい操作である。
露出した肌や衣服、髪に魔力を這わせ、自身を拘束する縄の内側を縫うように隙間なく纏わねばならず、魔力操作の良い訓練になるので今度シェリエルにもやらせようと思った。
全身の保護が終わると、ユリウスはボッと自身に火を放つ。
突然燃え上がった悪魔、もといユリウス。
人の形をしたソレが一言も発さず黙々と焼かれる姿を見て、神官たちは声もあげられずに立ちすくんでいた。ここで冷静に対処できるほどの判断力や胆力を備えていれば、いまごろこんなところには来ていない。
ユリウスは炎を消すと、立ち上がってパンパンと燃え残った縄や布を払い、「おや」と保護し損ねて焦がしてしまった衣装飾りを指で摘んだ。
だから装飾は要らないと言っているのに、本当に聞き分けのない……
デヴィッドの仕立てで唯一気に食わないのがこの装飾だった。彼はこうして文句を言いながらも最終的には着るので、デヴィッドは装飾を減らすどころか少しずつ増やしている。
「……ヒッ、イァ……!」
「あ、悪魔……、が!」
「どうやって……」
逃げようとしたのか、立っていられなかったのか、神官たちは足をもつれさせてドタドタ腰を抜かし死にかけの虫のように手足をバタつかせていた。
ユリウスはマジマジ彼らを見下ろしてハァ、とひとつ憂いの溜息を吐く。神官にではない、自身の焦がした床を見てゲンナリしたのである。
ここの床材は血液が染み込まないように特別な蝋が塗られていて、継ぎ目も職人が丁寧に溝を埋めて仕上げているので、大変手間がかかったものなのだ。
これはディディエに小言を言われるな、と床にも防護結界を張らなかったことを悔やんだ。
「怒られないように一人は生かして証人にしなければ……」
「た、たす……けて」
「おや、私を殺すのではなかったのかい? いきなり命乞いとは骨のない。少しそこに座りなさい」
ユリウスは焦げた椅子に腰掛け、ガクガクと怯えて手足に力の入らない神官たちを座らせた。
「そうじゃない。両膝をついてそのまま座るんだ。そう、足の甲も伸ばして。背筋もね」
これはシェリエルに教えられた正座という座り方だった。彼女を怒らせるとたまにディディエと二人で正座の刑に処される。
ディディエは「絶対にこれをマルゴットに教えないでくれ」と泣いて懇願するので、ユリウスも文句を封じられて結局揃って正座させられるのだが、これが地味につらい。
足は毒を受けたように痺れ、魔力もおかしな流れになるし、そもそも平民が平伏するときのような格好なのでいくら感情が薄いと言っても気にならない訳ではない。
神官たちは泣くことしかできなかった。
恐れか、屈辱か、ただの足の苦痛か。
ほとんどが死に対する恐怖からの涙であったが、感性に問題のあるユリウスは「この罰はやはり効果的だな」と感心するのである。
「さて、君たちには二、三聞きたいことがある。まず、誰が生き残る? 君たちで決めるといい」
神官たちは一言も発せずただ汗と涙と鼻水を流して黙り込んだ。
ユリウスは早くしてくれないかな、とコキコキ首を鳴らしながら凝り固まった身体をほぐしている。どうでも良いのだ、誰が残ろうが。自分たちで決めさせることに意義があると思っているので。
「ハハ、そう緊張しなくていい。なにも魔物に変えると言っているわけじゃない。君たちは私の命を奪いに来たんだろう? お互い様じゃないか」
「わ、我々は…… 大義のため…… 民のために……」
「大義……、分かるよ。行動に意義は無いよりあった方が良いに決まっている。でも君たちでは無理だ。例え私の心臓を突き刺したって世界は救えない」
「そそそ、それは! ゲルルト様がなんとかしてくださると! 秘術が…… そうだ、お前はすぐに倒される、必ず、必ずだ!」
「お、調子が出てきたね。ふむ、ゲルルトとやらの秘術か、それは興味深い。君が一番詳しいのかな? どうする? 君が残るかい?」
ユリウスはスッと詠唱もなく空間を裂き、そこから真っ黒な剣を取り出した。夏の夜空の煌めきを閉じ込めたような、ドラゴンの鱗から切り出した剣。
ユリウスはこの剣を作るのにわざわざ全属性の道具を揃え、砥石まで用意した。鍛冶屋に頼むわけにもいかず、せっせとチマチマ手作りした自慢の逸品だった。
「ッ…… 悪魔が、本当に……」
「悪魔は聞き飽きたな…… それより、この剣で人を斬るのは初めてなんだ。記念すべき、と言っても良いね。何事も最初というのは特別な意味を持つ。私は初めてを大切にしたい。大切にするというのは忘れないということだと思う。人はね、繰り返せばそれだけ記憶が定着する。何度も斬れば良く憶えていられるだろう。君たちの誰でも構わないよ、差別はしない主義なんだ」
にっこりと良い笑顔のユリウスに、神官たちは音がするほどガチガチと震え上がった。何を言っているのか半分も理解出来ていない顔で、ただこれから先地獄が待っていることだけは肌で感じているらしい。
とっくに戦意など喪失しているのだろう。残るは生への未練と、底なしの恐怖だけである。
「こ、こいつが! こいつはここのメイドを、犯そうとしていました! こいつが!」
「おい…… う、嘘だろ…… 俺を売るのか……」
ついにギュッと目を瞑って隣を指す神官。その指の先では信じられないという顔で鼻の潰れた男が呆然としていた。
「ふむ、ならシェリエルも喜ぶだろうね。彼女、女性を虐げる男が特に気に入らないらしい。共感力のないベリアルドがだよ? 面白いと思わないかい? 彼女は共感ではなく、自身を“女”という分類で見て他者も同一視しているんだろうか、それとも」
ユリウスは目の前の男には一切意識を向けずに凪いだ声で考察を披露する。シェリエルの思考回路が完全には把握できず、たまにこうして考察するのが趣味となっていた。ディディエの癖がうつったとも言うが。
そして、何の予備動作もなく鼻の潰れた男の腕を切り落とした。
「……っふ、んぐッ! あガァァ!」
「切れ味はどう? 鋳造ではないけれどそれなりに良い剣に仕上がったと思って…… おや、神官の癖に自分で止血も出来ないのか。祈りはどうした? 鍛錬が足りていないね。限りある命を大切に。血液は有限だ。あと五回は斬っておきたい、そうすれば忘れないだろうから」
男は言葉にならない獣のような呻き声をあげるだけで、一向に止血する気配がない。
ユリウスはやれやれと男の途切れた腕に止血の錬金術を仕込み血を止めてやった。
痛みが消える訳ではないので、ただ苦痛に喘ぐ時間が延びただけなのだが。
「ふむ、少し落ち着くまで待とうか。そのうち慣れるよ、次は自分で止血するようにね。その間に次を決めてしまおう。私も今日は疲れているし、なるべく早く終わらせたい」
明確な手本を見せられれば覚悟も何も消し飛ぶらしい。神官は「あいつが料理人を!」「責任者は彼です」「私は騙されたんだ」と口々に仲間を売り始める。
これにはユリウスも満足気に口端を上げた。
「お、お許しを……! 我々はただ命令に従って、捕らえ……、捕らえに来ただけなのです! 命を奪うなど! 決して!」
「そう。殺す気がなかったのなら、私も捕らえるまでに止めておいた方が良いかな? でも、その秘術とやらで私は死ぬよね。これは何が適切か……」
ユリウスは少し間を置いてもう一度シェリエルの印を追った。微弱だが辛うじて補完できるくらいの印を捕まえて、座標を特定するとシェリエルに通信を繋ぐ。
「(先生、珍しいですね。何かありました?)」
「(ああ、大したことは無いんだけれど、自分を拉致しようとした人物に対して死は妥当だと思うかい? ちなみに私は結果的に殺害を目的とした拉致ならば、運搬役であっても死が相応しいと思っている)」
「(何の話ですか! え、襲われたのです? ちょっと、待っていてください! もうすぐ王宮を出るので、すぐ戻ります!)」
プツ、と通信は切れてしまった。
叱られたら嫌だなと思いつつも、まだ大したことはしてないので早めに聞いて良かったなと自身の成長を実感した。
シェリエルは稀に理解不能な理論で他人を生かすことがあるので、今回も少し自信が無かったのだ。
きっと数年前なら相談もせずに殺していただろう。他人と意見を交わすと新たな発見があったり、自己の解釈にも深みが出ることを知ったのはディディエのおかげである。
気を取り直して正座する神官たちを改めて見る。腕を切った男は泡を吹いて前に倒れ込み、他の者も嘔吐したり失禁したりと盛大に床を汚していた。
「はぁ、私は掃除夫ではないのだけど」
と、血液は避けて軽く洗浄をかければ、その無音の奇跡に神官たちはまた青くなって全身を震わせた。
「それで、さっきの続きだけれど。ゲルルトの秘術とやらで封印でもしようと?」
「なッ⁉︎ ふう……いや!」
「ふむ、やはり封印か。前時代の経典までは手に入れられなかったから、何が書いてあるのか興味はある。ま、どうしても必要というわけではないけどね。……でもね、こうして私の計画を邪魔されると困るんだ。人生計画というやつだよ。私は今日死ぬつもりではなかったんだけど、君は今日を予定日にしていたのかい?」
端でヒグヒグとしゃくりあげる神官に視線を向けると、目が合った男は途端に顔をくしゃくしゃにして膝の上で拳を握る。真っ赤になった顔で「死にだぐ、ありまぜん!」とめいいっぱい声を張り上げた。
「うん、死にたくないよね、私もだ。でも人はいつか死ぬ。私のいつかを勝手に決めておいて、自分は死にたくありませんというなら、それなりの努力はしないと……、そうだろう?」
ユリウスの声に怒りや苛立ちはない。
幼い子に言い聞かせるような穏やかさすらあった。
ユリウスはこれでも虐めてやろうなんて気持ちは一切なかった。魔力や戦闘経験の差などに拘らず、互いに命を奪い合うという同じ目線に立っているのである。
残念ながら神官たちがユリウスの意図を理解できるはずもなく、ただ人から外れた道理で存在する悪魔としか認識出来ないのだが。
「な、んでも、します…… 命だけは……」
「はぁ、これだから素人は…… 殺る気もなければ殺られる覚悟もない。まったく、神殿ではどういう教育をしているのやら」
「ゔぅ……、死の覚悟は、して来たつもりです」
「そうだよね、安心した。君たちはそのゲルルトの秘術を信じて今日を命日に定めたんだね。ん、違うか。我欲か……? しかしまあ、何にせよこの作戦の成功を信じてやって来たわけだろう? それなのにその秘術について、知らないなんてことがあるのかな?」
「それは、本当に…… 禍玉、という言葉しか……」
「禍玉…… 聞いたこともないな。神殿は独自の文化があるから面白いね」
元より殺意などなかったユリウスの澄んだ声と、男でも見惚れるような美しい面立ち。物思いに耽るときのフと目線を下げる仕草などは、神官たちの心を原型が分からなくなるくらいぐちゃぐちゃにした。
ユリウスは声を荒げることも、怖い顔をすることもない。ただ問いかけ、肯定と否定を繰り返し、自分の意見を述べるだけ。話の意味はよく分からない。唐突に始まる謎の理論。彼の呆れた吐息ひとつで首が飛ぶかもしれないし、死に前触れなど無いかもしれない。漆黒の艶髪に音もなく繰り出される魔法。何もかも常軌を逸していた。
と、その時。ユリウスの隣に一人の白髪の少女が現れた。
焦げた椅子、傷を作ったユリウス、正座する神官たちと落とされた腕を見回す。
「先生、何して…… 神官……? 貴様ら先生に何をしたッ!」
悪魔のように突然現れたシェリエルは、悪魔のような恐ろしい顔で四人に殺気を向けた。
ユリウスは自分が怒られるかと思っていたので、その獰猛な叫びに目を丸くして、また新たな自身の感情に気付く。
“驚き”は常である。ではなんだ? ディディエの気遣いを察した時ともまたちがう。自分のために誰かに殺意を向ける彼女が、珍しく冷静さを欠いたその姿が、どうしてか美しいと思えて、ほぅ、と目を細めた。
今はそれどころではないのだが、それも今更というものだった。





