【番外編】ディディエ・ベリアルドの憂鬱【夢IF】
シェリエルが見る「死の夢」のディディエ視点です。
「シェリエル・ベリアルド、貴様との婚約は今日をもって破棄する」
講堂にはアルフォンス殿下の声が響き渡る。僕は今、そのアルフォンス殿下の隣で、腹違いの妹が断罪されるのを眺めている。
死刑になるのは確実だろう。なにせ、この僕が証拠を集めたのだから。
床に組み伏せられたままこちらに向ける感情の無い目は、初めて会った時と変わっていない。
シェリエルはある日突然、父上が闇オークションで買ってきた妾の子だ。そんなもの、母上が許すはずないのに。
案の定母上は嫉妬に狂い、数年後不治の病によって亡くなった。後を追うように父上も戦で……
それからたった二人の家族になった僕たちだけど、人形のようなシェリエルには興味が湧かず、そのままここまで来たというわけだ。
「諸君らも知っての通り、私は王国のため、この女と婚約関係にあった。しかし、この女は怠惰で無能なだけでは無かったのだ。ここにいるマリアに数々の嫌がらせをしていた事は皆も承知のことだろう」
無能、確かにベリアルド一族からしたら無能だ。だが、お前たちよりは遥かに賢いはずだぞ?ベリアルドは天才なのだから。ろくに教師も付けられず、やる気も感情も全て抜け落ちた人形のようなあいつでも、アルフォンス殿下の執務をこなす程度には能力があった。
それにマリアを害していたのはシェリエルではない。殿下とマリアの仲に嫉妬するような感情はシェリエルには無いからな。
シェリエルは周りから悪魔令嬢と囁かれていたが、それはベリアルド侯爵家に対する畏怖のようなものともまた違う。上位の者を蔑めるまたとない機会に、嬉々として便乗した低俗な貴族の侮蔑だ。
はぁ…… どうして僕はこんな茶番に付き合う気になったんだっけ。
「それだけではない!この女は婚約者の立場を利用して国家機密を逆賊共に流していたのだ。よって、この後国王陛下から正式に処罰されるだろう。まぁ、死刑は確実だろうな!」
そうそう、これこれ。この為に僕があれこれ動いたんだから、もう少し詳しく披露してもいいと思うんだけど。
ほんと、バカなやつ。
「キャァアアァアァァ!!」
令嬢の悲鳴で人の群れが二つに割れると、その間を元凶となった男が歩いて来る。
「先生……」
反論も抵抗もしないシェリエルの小さく呟いた一言が僕の耳に障る。
いつも先生、先生、先生、先生……
誰にも愛されなかったからか、シェリエルはあの男に傾倒していた。魔術も教えてくれないただの家庭教師。けれど、教師を付けて貰えず、学院でも制限のあったシェリエルにとって、あの男が世界の全てだったのだろう。
久しぶりに姿を現した男は何でもない素振りでシェリエルの背に剣を突き刺した。
「な、何……!?」
それは誰の声だったのか。てっきり助けに来たのかと思えば、なぜか男はシェリエルを殺した。
ああ、シェリエルは死ぬのか。遅かれ早かれそうなるとは思っていたけれど、ここでか。
「ハハハッ…… 何それ…… 」
唯一人を殺しても穢れを知らないベリアルドを、僕の腹違いの妹を、お前が殺すのか。シェリエル、お前は信じた人にこんなところで殺されるのか。
退屈ではないけれど、楽しくもない。嫌な気持ち、なのかもしれない。
それからは阿鼻叫喚の地獄絵図。学院の生徒たちは次々に気を失い、アルフォンス殿下はうろたえて護衛騎士の後ろからギャンギャンと喚くだけ。
騎士たちもただ剣を構えるだけで、その場から一歩も動けず、そこかしこから悲鳴と怒号だけが聞こえる。
くだらない。本当に、人生ってなんて退屈なんだろう。
男はそれから一瞬で殿下の隣に移動し、耳元で何か囁くと、シェリエルの遺体を抱えてどこかに消えた。まあ、研究材料にでもするんだろう。
それから数日、領地で執務をしていると、王宮からの通信を知らせる魔術具が光る。
鬱陶しいな。
渋々魔導具に魔力を注ぐと、ギャンギャンとアルフォンス殿下の声が響く。
『ディディエ、なぜ王宮に出てこない!』
「殿下、僕も忙しいんですよ。領主ですから、領地のことをしないと」
『そんなこと補佐官に任せればいいだろう!こちらは執務が回らなくて大変なんだ。お前の妹があんな事をしでかしたせいで、そっちの処理に追われている!』
そんなわけないだろう。あの件に関しては事後処理まで僕が一通り手配しておいたし、人だって置いてきた。単純に、今までシェリエルに押し付けていた仕事を捌けていないだけだ。
「マリア嬢に任せてみては?彼女を王妃にするのでしょう?シェリエルがやっていたのですから、マリア嬢にも出来るはずですよ」
『そ、それはそうだが…… マリアはこれでも頑張っていると……』
なんだ、もうマリア嬢にもやらせていたのか。殿下に才があるとすれば、他人に押し付ける能力だろうな。だが、まぁ、予想通りというか何と言うか……
シェリエルのこなしていた執務を回すには、上位の文官を数名使わないと無理なはずだ。しかもシェリエルはどれだけ仕事を回されようが、何の抗議もせずただ黙々と処理し続けたせいで、アルフォンス殿下の領分以上の仕事量になっていた。
「殿下、もしかして僕にそっちで執務の手伝いをしろという御命令ですか?ご存知だとは思いますが、領主は領地を最優先にしなければいけません。殿下の執務は殿下のものですよ?今まで何をしていたのです?」
『無礼な!それくらい分かっている!だが、マリアの実家となるバルカン家は中位貴族の中でも爵位を持たない貴族だ。バルカンから人員を補充することが出来ない以上、そなたに何とかしてもらわないと……』
「なぜです?」
『え? それは、今までベリアルド家が私の後ろ盾と……』
「それは形だけでもシェリエルが殿下の婚約者で、シェリエルが僕の妹だったからでしょう?あの日、殿下は婚約を破棄し、シェリエルも死にました。殿下と僕は、第二王子とベリアルド家当主という関係でしかないのです。他の領地を持たない上位貴族にでも頼めば良いんじゃないですか?」
あはは、今まで何でも自分の思い通りにしてきて、これから先もそうだと信じ切っている男の焦り、笑えるね。
実は誓約によって結ばれた婚約を正式に破棄する前にシェリエルが死んだので、正確には婚約は破棄されていない。
もし今もシェリエルが瀕死のまま生き続けていたら僕にも一応補佐の義務があっただろう。あれだけの傷を治癒する事は不可能だから、結局無意味な仮定だけど。
『では、オラステリア王国第二王子として命を出す。ベリアルド家当主、ディディエ・ベリアルドよ、一時王宮へ参れ』
「いや、だから、王子にそんな権限は無いですよ?さっきの話、聞いていましたか?」
本当にどこまでバカなんだろう。こいつに惚れ込まなかっただけ、シェリエルはマシだったかもしれない。流石にベリアルド家の血をひいていてこんな男に惚れていたら、僕がこの手で殺してた。
『な、ななぜだ!これは王子としての、王太子としての命令だぞ!』
「だから、領地優先は殿下よりも上の、国王陛下からの命だからですって。もっと言うと、現国王陛下だけでなく、歴代の国王が守ってきた国の決まりなのです。どうしてもと言うなら殿下が即位して法を変えるしかありませんよ」
まぁ、戦や大規模討伐など優先される事案もあるんだけど、いちいち僕が教えてやる義理もない。今は関係ないし。
『お前には人の情というものがないのか!』
「ありませんよ、ベリアルドですから」
何を今更…… 本当にバカ過ぎるだろ。ベリアルドは情や罪悪感がないからこそ、穢れに耐性があり魔物の討伐や戦争に向いているのだ。この家門の特性すら忘れているということは相当に逼迫しているのだろうな。
まあ国がどうなろうと知った事ではない。
「ではこちらも執務が溜まっているので切りますよ。一応妹に関わる件なのでお手伝いしましたが、そのために領内の執務が溜まってしまったのです。ああ、ベリアルド家の特異免罪はご存知ですよね?」
『…… 一族のうち誰がどのような大罪を犯そうとも、個人の罪とし、家門としての罪は問わない』
おお、知っていたのか、偉いぞアルフォンス殿下!
まぁ、こんなもの爵位のない下位貴族だって知っている常識だけどね。
「ええ、そうです。仕方ないんですよ、うちの家門、たまにそういう人間が出てしまうので。まあ、これからはマリア嬢と仲良くお楽しみください。では」
魔道具を切ると、筆頭補佐官のザリスが大きなため息を吐いた。
「ディディエ様、アルフォンス殿下を相手に少々お言葉が過ぎます。途中からずいぶん対応も雑になっていたようですが?」
「仕方ないだろ? バカを相手にするのは疲れるんだ。けど、あれは本当に救いようのない愚か者だよね。あのまま上手くシェリエルを使っていれば、殿下の無能も多少は補えたのに」
「シェリエル様をそのように仰るのはおやめください」
「なに? お前だって別に可愛がってたわけじゃないだろ? まぁ、ぼくたちの意向に反するからって見て見ぬ振りしてただけだろうけどさ」
ザリスは目を伏せたまま口を噤む。ザリスってこの話題には弱いんだよね。
「はぁ〜退屈だ」
「執務が溜まっているのでは?」
「そんなの嘘だってザリスも知ってるだろ?」
結局、妹が死のうが、僕の人生が退屈な事には変わりない。父上のように剣術にでも興味を持っていればまだマシだったのに。
翌日、またも王宮からの通信が入る。
学習能力が無いのか?しかし、どれほど愚かな内容か気になりついつい魔術具に魔力を込めてしまう。それほど退屈なのだ。
『あ、あの…… マリアです』
ほう、マリア嬢か。これはまた予想を斜め上に突き抜ける愚かさだ。
「ご機嫌よう、マリア嬢。なぜ貴女がこの通信を?」
『えっと、殿下が執務の為にとわたしにも色々と権限をくださって…… いただいた鍵でこの魔術具も使えたので、つい』
「そうですか。で、ご用件は?」
『あの、一度王宮に来てくださいませんか?殿下に渡された執務が殆ど分からなくて……』
ああ、ここにも居たぞ、本物のバカが!
「なぜ僕が?」
『え、だってこれまでも色々とわたしたちの助けになってくれたでしょう?わたし本当に困ってしまって。書類は外国語の物も多くて何をどうすればいいのかも分からないんです』
「何か勘違いしてるようだけど、例の件で手助けしたのは、ベリアルド家の罪はベリアルド家が拭うという掟に従っただけで、お前の為じゃないよ」
『そ、そんな……わたし、本当に困っているのです。どうか助けていただけませんか』
もっと他に頼む相手がいただろう。
ああそうか、こいつの周りは涙一つで正義に燃える頭に花の咲いたやつしか居ないんだったか。少しばかり頭の働く人間はこいつらに構うわけもないしな。
「お前が困っていようが僕には関係ないんだけど?それでどうやって王妃になるつもり?うちのシェリエルは罪人とはいえ、それを全て一人でやっていたんだけど。その座を奪ったのはお前自身だろ?それに、お前が居なければ、シェリエルはあんな罪犯さなかったかもしれないのになぁ」
『もしかして怒っているのですか。そうですよね、大事な妹君ですもんね。わたしったら無神経にごめんなさい。ディディエ様もお辛いですよね、わかります。わたしもあの事件から夜も眠れなくて。だってあんな事になるなんて辛くて辛くて……』
ここまで僕の神経を逆撫で出来るのはある意味才能だな。すごいよ、マリア嬢!目の前に居たら思わず首をはねてしまうところだった。
「あのさ、もしシェリエルがあの場で死ななくても、あのまま死刑になったんだから同じ事だろ? 何が辛いの?自分がそうしたんでしょ?」
『それは…… わたしはそんなつもりなくて……』
あれ、僕はなんでこんなにイラついているんだろう。いつになく気分が悪い。
一度呼吸を整え、彼女に見えるはずもない笑顔を作る。
「あと一つだけ教えてあげよう。中位貴族のお前が上位貴族である僕にこうして直接通信を繋ぐのは許されていない。王妃どころか貴族としても足りていないようだね。一度、きちんと勉強し直した方がいいんじゃないかな?まだ僕に何か望みがあるのなら、ベリアルド領まで直接おいで。その使えない頭、切り落としてあげるから」
息を飲む音が聞こえたかと思うと突然通信が切れた。謝罪も挨拶も無しに最後まで無礼な女だ。
シェリエルだったらどうしただろうか。「ええ。ええ、そうですか。はい」とただ相槌を打ち、その後何事もなかったように自分の執務に戻るだろう。
シェリエルが死んでから、シェリエルが生きていた時よりもシェリエルの事を考えている気がするな。
面白い人間ではなかったけれど、嫌いではなかった。ただ、興味が無かっただけだ。
この気持ちは何だろう。僕の知らない感情だ。
それから数日して差出人のない一通の手紙が届いた。
『シェリエル・ベリアルドは悪魔の森で眠る』
たったそれだけの一文を読み終えると、手紙は燃えて灰となった。
そうか。最後まで悪魔と呼ばれる侯爵家に認められなかったシェリエルが、誰も踏み入る事の出来ない悪魔の森に……
生まれてから死ぬまで、そして死んでからも孤独なんだね。
可哀想な僕の妹。
ゆっくりお休み。





