事業の拡大
少し広めの会議室。わたしとディオール、ディオールの侍女の三名が客人を待っていた。
「ねーぇ、シェリエル。わたくし、少し二の腕が細っそりしたと思わない?」
「そ、そうですね。引き締まってきたのでは?」
そんなにすぐ効果が出るわけない。
少ししてやって来たのはキースリング領、ハインリの妹でもあるクロエであった。学院入学前に会ったきりだったので、半年以上ぶりの再会となる。
「クロエ様、ジョン様、ようこそおいでくださいました」
「シェリエル様、お招きありがとうございます。ディオール様、ごきげんよう」
彼女は今、キースリング領と隣接するロランスの森で調香の研究をしてくれている。今日は事業拡大会議ということで、わざわざこちらまで足を運んでもらったのだ。
わたしたちは挨拶や近況報告などをし合うと、早速本題に入る。
「クロエ様、見せていただいても?」
「はい、もちろんです。ジョンお願いね」
ジョンが取り出した木箱には十を超える薬瓶が並んでいる。瓶の首には札が掛かっていて、ひとつひとつ説明しながら机に並べてくれた。
「こちらは初夏の薔薇を中心にしたもので、こちらは百合を…… ラベンダーに……」
花やハーブの馴染みのある名前が続き、それから樹皮や香木を使ったオリジナルの香りもあるらしい。
「シェリエル様に教えて頂いた通り、お兄様に様々な植物を採取してもらって自分なりに組み合わせてみました。配分や、揮発の差を調べるのに時間が掛かってしまいましたが……」
「少し試しても?」
「はい、もちろんです」
ディオールはまず薔薇の薬瓶を手に取り、蓋を開けると手で煽いで香りを確かめていた。
……危ない、直接嗅ぐところだった。
わたしは、後半に紹介された瓶を手に取る。
「そちらは“朝霧は遣らずの雨”という香りです」と、ジョン。
「名付けはジョン様が?」
「恥ずかしながら…… クロエ様と相談しながらですが……」
ふわりと鼻を擽ぐるそれは、湿った新緑の風に微かに花々や果実の気配が乗るような、爽やかで切なげな香りだった。
「素晴らしいです…… こんなに複雑な調香が出来るなんて。沢山の香りがしますがひとつに纏まっていて、なんというか…… すごいです!」
「ええ、本当に。この薔薇の香も刺々しさが無くて良いわ。何種か……、いえ、薔薇以外も混ぜているのね? 仄かに殿方の影を思わせる……、奥行きのある香りだわ」
「は、はい……、薔薇のツンとした香りを和らげるために、少し柔らかい香草や樹皮の香料を混ぜています。そちらは“薔薇色の恋衣”といいます」
クロエは机の上で震える右手をもう片方の掌で包んで微笑んだ。
「クロエ様、もしや例の研究も成功したのですか?」
「……はい」
「わぁ、ありがとうございます! まさかそこまで進んでいるとは!」
去年お茶をしたときは、複雑な香りにすると最初は良くても変な匂いになってしまうと言って、少しお疲れ気味だった。
トップノートからラストノートにかけての変化をコントロール出来ずにいたのである。
しかし、この半年と少しで揮発の時間をきちんと調べ尽くし、その上で調香出来るようになったらしい。
「これで、売り物になるでしょうか……」
「大儲けしてみせます!」
「シェリエル、はしたないわよ。まあ、そうね。これを売れないなら事業などやるべきではないわ。それくらい素晴らしい品よ。ただ……、出回ってしまうのが惜しいわぁ……」
ディオールはほぅ、と息を吐いてうっとりと眉を寄せる。その声色にクロエはハッと何かを思い出したようにジョンに合図した。
「実は……、これとは別に、お二人をイメージして調香したものがあるのです」
「……まぁ!」と、ディオールは甲高い歓喜の声で応える。
小さな薬瓶が目の前に並び、わたしたちは同時に自分たちの香りを確かめた。
「わ、これ…… とても好きです。澄んだ香りなのに、芯があって華やかで、秘密を思わせる…… 少し照れますね、あまりにも素敵で」
「うふふ、クロエ嬢は本当にこちらに才があるのねぇ。とても気に入ったわ、礼を言います」
ディオールの香りも試させて貰うと、本当に“ディオール”という香りがした。
苛烈で燃えあがるような気品に、濃厚で艶っぽさを感じさせる香りである。濃い緑と真っ赤な薔薇園の中心にディオールが艶かしく振り返る絵が浮かんだ。
「これはお母様以外に付けられる人はいませんね。もし他の方からこの香りがしたら少し心配になります」
「そうでしょう? わたくしだけよ、この香りに負けないのは。 ……あら、貴女の香りもなかなかね。少し幼さの残る不安定さも良いわ。今しか纏えない香りというのは時を楽しめるのも良いわね」
気付けばクロエは顔を真っ赤にして口元を押さえていた。目は見開いたままぼんやりしているが、ギリギリまで涙を溜めている。
「クロエ様……?」
「あ、ごめんなさい…… わたくし、こんなに誰かに喜んで貰えたのは初めてで…… いつも誰かにして貰うばかりだったので。初めて、なのです。役に、立てたのが」
「そんなことありませんよ、クロエ様が居るだけでハインリ卿は幸せのはずですから。シスコンとはそういうものです」
「シス……?」
「シェリエル、そういう事じゃないわ…… 貴女、本当に学院で大丈夫だったの?」
あれ、わたし今すごく良いこと言ったつもりだったのだけど……
「ふふ、ありがとうございます、シェリエル様。兄もきっと喜んでくれると思います」
「ですよね?」
とは言ったものの、ディオールの機嫌が傾く前に話題を変えよう。
「……クロエ様、こちらは原液として調香されているのですよね?」
「はい、香料としてと、香水としての配分もすべて記録しています。もちろん、洗髪剤や石鹸用の調香もしてありますので、そちらは……、ジョン」
ジョンが別の木箱から四つの瓶を取り出した。
薔薇、百合、ラベンダー、柑橘のシンプルな精油だった。これらは今の洗髪剤や香油に加えて新しく出す予定である。
「ありがとうございます。では、こちらを使って新しい商品を売り出したいと思います」
「あら、香水だけではないの?」
「はい、石鹸は入浴の習慣が無ければ広まりませんし、他領に出すにしても良くて整髪剤が売れるくらいでしょう。ですが折角なので使えるものは使おうかと」
と言っても大した物ではないのだけど。
……ギラギラと期待に満ちた視線を向けてくるディオールが怖い。
「まずは芳香蝋燭……アロマキャンドルですね。タリアの植物油が思ったより質が良いので、蝋燭に精油を混ぜて香の代わりにします。夜、寝所で焚くと雰囲気が出ると思いますよ」
一応それっぽい言い方をしてみたが、面倒なのでそのまま「アロマキャンドル」で良いか、と押し切った。
「あろ? はッ…… 寝所…… 夜……? 貴女、なぜそんな…… ああ、そうね。貴女が言うなら間違いないわね」
ディオールは一瞬物凄い形相で目を見開いたが、わたしが前世の記憶持ちだと思い出したのかスッと納得してくれた。
これはきっと紳士淑女の皆様にご満足いただけるだろう。知らないけど。
「あとは衣装箱に入れるサシェですが、これは招待状に香りを移したりもできます。安価で出しますし、香を焚くより新鮮さのある香りになるので、整髪剤や香水に手が出ない方は手に取りやすいかと」
「サシェ……? 香りを揃えないと大変なことになりそうね」
「サシェは蝋を使っても紙を使っても良いですね。新しい紙の宣伝にもなるので、両方用意しましょうか」
クロエはすでに社交的な笑みで若干の首を傾け、ディオールは眉を寄せて疑問符を浮かべていた。
商品についてはここで説明してもサンプルが無いと良く分からないらしい。
「商品は物が出来てから説明しますね。あとは……、ホテル事業をやろうかと」
「……ホテル?」
「あの、わたくしまでそのような領地の事業内容をお聞きしてもよろしいのですか?」
「はい、そのホテルの客室でアロマキャンドルやサシェを体験して貰おうと思っています」
正直、最後の最後までホテル事業は悩んだ。貴族が宿泊施設を作らないのにはそれなりの理由があるからだ。
領地といっても小国のようにそれぞれが独立しているので、他領とは平気で戦争もする。なので、好きに他領で宿泊し拠点を作ってしまうのは政治的によろしくない。と、最近学んだ。
夜会に招き屋敷に泊めるには、まず領地同士が転移門を繋いでいたり、招いた貴族が保証人になることで身元を担保している。
グリフォンやワイバーンでやって来て野営するなどもあるが、正々堂々乗り込まれては困るのだ。
「ホテルとは、平民で言う宿のことです。白薔薇の館の上階を客室にし、他領の貴族が自由に宿泊出来るようにしようと思っています」
「な、貴女…… 正気なの? そんなこと、出来る訳ないでしょう! 領地の関所自体は抜けようと思えば抜けられるのよ?」
「ですから、宿泊は今まで通り紹介制とします。身分の審査はきっちりやりますし、メイドや侍女の同伴は一名までとします。あと、殿方にはご遠慮願おうかと。女性限定の宿泊施設であれば、それほど危険は無いでしょう」
政治的リスクもだけれど、不倫の逢引に使われると厄介なので。
それに、白薔薇の館のスタッフは皆貴族なので、客の世話をするのにも問題がない。
「……それなら、可能かもしれないけれど。流石にセルジオ様の許可が必要だわ。いえ、ザリスね。ザリスに許可を取りなさい」
「はい、もちろんです」
「いつ開業できるの?」
「夏までには。元々客室だった部屋なので、改装などはそれほど必要ないはずです。調理場もありますから、夕食も問題ないでしょう。浴室は少し増やす必要がありますね。休館日が作れないので、職人たちには夜作業して貰うことになるかと」
「あら、案外早いのね。でも今でも予約が一杯なのよ? 宿泊までさせて大丈夫かしら?」
「自領の者は夕食までの時間ですから、宿泊のお客様には夜の時間に使っていただこうかと。自領の者も宿泊出来るようにすれば、少し分散しますし売上も跳ね上がります」
ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。ディオールはあまり利益には興味が無いと思っていたのだけど。
他領に優位を示せるからか……
「貴女、死人が出るわよ…… どれだけ働かせる気?」
「そちらでしたか…… 従業員は増やしますから大丈夫ですよ」
文官たちも仕事が効率化したし、紹介状の身分確認や顧客管理、スタッフ募集や人材管理も出来るだろう。
ディオールは自分の欲しい商品が香水だけで少し物足りないかもしれないが、化粧文化を発展させるとわたしが面倒くさいので嫌だった。
材料はあるので誰か気付けばそのうち勝手に開発するだろう。
「シェリエル様はいつもこのように事業を拡げていらっしゃるのですか?」
「……今回は特別です、急ぎだったので」
「いつもよ、いつも。この子ったら本当にいつも突然なんだから」
言われたからやっているだけなのに……
ホテルの話に満足したのか、ディオールは侍女たちに合図しすぐにお茶の用意を始めた。
クロエは持参した茶器を手探りすることなく優雅に持ち上げ紅茶の香りを楽しんでいる。
「クロエ様は今視覚の共有をしていないのですよね?」
「はい、こちらもシェリエル様に助言いただいた通りに、魔力で縁や手に装飾しているのです」
聞けば、魔鉱石を粉にしインクに混ぜているので魔力も補充出来るという。視線の動きも自然で、これなら目が見えないなど言われても信じられないだろう。
「クロエ様は学院には通われないのですか? 規定は確か、満十三歳以上ですよね? 自領からも遅れて入学した者がいるのですよ」
「学院に憧れはあるのですけど…… 兄の迷惑になりますから。このところ、あまり空気がよろしくないようなのです」
「中央で何か問題が?」
「近頃は土地の穢れが濃くなっていると言うでしょう? それに乗じて改革派の動きが何やら勢いづいているとか。正直なところ王宮も機能しておりませんし、最厄期に合わせて内戦が起きる可能性もあるのであまり弱みを作るのはよろしくないかと」
改革派、改革派…… 現行派閥の話はまだ授業ではやらないので、自宅学習での知識を引っ張り出す。
たしか暁の翡翠がそれに当たるんだっけ?
今の魔力至上主義に反して魔力量に関わらず身分を定めるべきという主張だったような。
「キースリングはロランスと同じ保守派ですよね? 最厄期こそ魔力量が物を言うのだと思っていましたが」
「それも人により意見は様々です…… 魔力が多ければそれだけ穢れを溜めたときの危険も高まりますから」
保守派は建国当時の志をそのまま受け継ぎ、魔力量の多い者が民を統治し、弱き者を助け導くべし。という思想だ。不死鳥の溜息がそれに当たる。
ベリアルドの方針もそれが元になっているが、行動が伴わないので歴史上では目の敵にされていた。
あまり政治には関心が無いので大人は大変だな、とディオールを見れば、ディオールも関心なさげな微笑みを返していた。
しばらくまったりお喋りした後、クロエを見送りディオールと城を歩く。
「クロエ様を見ていると学院など必要ない気がしてきました」
「あら、貴女もまだまだね。ベリアルドだから良いものの、外であれだけ中央の情報を話してしまうなんて情報管理が子どものそれよ。誰にどこまで何を伝えるかは一人ではなかなか身に付かないものよ」
「……知っていて黙っていたのですか?」
「他所の家門の教育方針に口を出す方が問題よ。それも学院で学んだのではなくて?」
仰る通りでございます。
結局、ディオールが中央の話に本当に関心がないのか、それとも関心がないように振る舞い情報を引き出したのか良くわからないままだった。





