蠱と毒
「ベネデッタ、今度一緒に茶会に参加しないか?」
ベネデッタは耳を疑った。
婚約者として扱われ喜ぶべきなのに、これまで刷り込まれた自意識のためか、疑念が先に来たのだ。
婚約者であるオリバーは面白くなさそうに片眉を寄せ、「何とか言ったらどうだ?」と組んだ足を小刻みに揺らしている。
「喜んでお供致します。どちらのお茶会でしょうか……」
「マリアのお茶会だ。上位貴族とお茶会をしてみたいと言うのだが、婚約中の俺が一人で行くのも外聞が悪いからな」
その言葉にドッと心が重くなった。
彼女とは既に何度も会う機会があり、その度に気持ちが乱れるので出来れば会いたく無かった。
学期が始まって少し経ったころ、オリバーはツインズを侮辱されたと酷く苛立っていたことがあった。
元々ベネデッタの前では機嫌の良い時の方が少ないのだが、その日は特に酷かったように思う。
なんでも、そのマリアが他領の貴族から指導を受け、教育係を探すまでされたらしい。
領主一族がいない領地であってもそれは大変不名誉なことで、本来なら領内で収めなくてはいけないことだった。
『マデリン様や他の上位の方々ではいけなかったのですか?』
ベネデッタはせめてツインズで教育係を見つければ良かったのに、とその時はオリバーの怒りに同調した。
『ああ、そのマリアという子はツインズでも顔の知れない貴族で、身元の確かで無い者を庇護するのを嫌がったらしい』
どこに向いているか分からない苛立ちを刺激しまいと黙ったが、数日後には「マリアはとても心の清い良い子だった。ベリアルドの欠陥品と我が領のお嬢様方は嫉妬でもしているんだろう」と怒りが二方向に絞られたことを理解した。
其の実、オリバーは女性に甘い笑みで丁寧に対応する。
冗談を言って笑わせたり、常に紳士的に振る舞っていたので、ベリアルドの姫君に無礼を働いたと聞いたときは驚いたものだ。
そういった態度は自分の前でだけだと思っていたので。
マリアには会いたくないが、婚約者を異性のお茶会に一人で出席させるわけにもいかず、ベネデッタは苦々しく了承したのだった。
「それよりお前、最近ベリアルドの集会に参加しているらしいな? どういうつもりだ?」
「あ、それは……」
「あの小娘に俺が何をされたか知っているよな? まさかお前まで俺を馬鹿にしているのか?」
「いえ、絶対にそんなことはあり得ません! ただ、本当に素晴らしい集まりなのです。心身共に軽くなって……」
「あ? 一体何をしているんだ? 変なものを口にしていないだろうな?」
オリバーの心配はベネデッタ本人よりも、自身の外聞に向いているようだった。
けれど、ベネデッタはもうあのヨガ教室なるものが無ければ安心して日々を過ごせないほどになっている。
何があっても週末になれば救われる。
それがあるから今もこうしてオリバーの前に立っていることが出来ると思うようになっていた。
「衣装をいただいて、皆で身体を動かし体操をしているだけなのです。アリシア様もいらっしゃいますし、キースリングのメヒティル様も……」
「それで心身が軽くなるなど、おかしいだろう」
「心が安らぐ音楽や、自己に向き合うため室内は暗くしていますが、香などは炊かれていません。シェリエル様に触れられると本当に心が解きほぐされる心地がして、頭もスッキリするのです」
オリバーはいよいよ怪訝に眉を寄せ、洗脳された哀れな子羊を見るような目でベネデッタを睨め付けた。
「もうその集会には行くな。後でベリアルドが事件でも起こしてみろ、俺が婚約者の管理も出来ない無能だと言われるのだぞ」
「それだけは…… 何でも致しますから、それだけはどうかお許しください」
「ダメだ。参加したくば婚約を解消してからにするんだな。この縁談はお前の家の強い希望でまとめたもので俺が望んだものじゃない。お前が両親を説得できるなら俺としても喜んで受け入れるさ」
ハンと鼻で笑い、冷たい視線がベネデッタを射抜く。
ベネデッタもできることなら婚約を解消したかった。家門のためにはなるが、ベネデッタにとっては生贄にも等しい縁談だったからだ。
「お願いします、オリバー様」
「お前……、俺に口答えする気か? もう完全に調教出来たと思ったんだが…… 頭の悪い婚約者を持つと苦労するな」
オリバーはひとつ大きな溜息をついて「脱げ」と短く命令した。
途端に身体が固まり、息が止まる。
苛烈な記憶が一気に呼び起こされ、思考は停止しているのに身体は勝手に動き始めた。
ドレスにしまわれた腰紐を解き、ホックを外せばばさりとスカートが床に落ちる。
膝下まであるシュミーズと中途半端に露出されたコルセットが、滑稽さを際立たせた。
「尻を出せ、仕置きだ」
知っている。分かっている。
ベネデッタは黙って腰を突き出すように壁に手を突き、舌を引っ込め奥歯を食いしばった。
ひゅんひゅんと空打つ鞭の音を聞き、やがて来る痛みに身構える。
バシンッ!!
「うっ……んぐ……」
乾いた音が響き、一瞬遅れて火が付いたような熱が下半身に広がった。息が止まり、膝に力が入らない。
「ハッ! この畑女が!」
オリバーは愉悦に浸ったような声で何度も鞭を振るう。
ぶわりと全身から汗が噴き出て、頭の先まで痺れが走る。
「ギッ……」
「身の程をわきまえろ!」
ベネデッタは襲い来る痛みを必死で耐えた。
それから一週と少し過ぎ。
まだ痛む腰を庇いながら、短い歩幅でゆっくりと移動するベネデッタ。
今朝と先週のヨガ教室は結局行けなかった。オリバーの言い付けを守る為でもあるが、どのみちこの痛みではまともに座れずヨガのような大きな動きは出来ない。
「そのみっともない歩き方はやめろ」
「はい、申し訳ありません」
例のマリアの茶会に向かう途中だった。
片手は軽くオリバーの腕に添え、本館のサロンへと入室する。
「わ! オリバー様! 来てくださったんですね、嬉しいです!」
「あはは、ちゃんと行くと返事したじゃないか」
「でも、本当に来てくれるか心配だったんです…… へへ」
「本当に心配性だな、マリアは」
隣のベネデッタの存在など忘れたかのように、二人の世界が出来上がっていた。
ベネデッタはというと、そんな事に心が痛むわけもなく、あわよくばマリアに乗り換えてくれないだろうかと期待していた。
そして、少しの罪悪感に駆られ目を伏せる。
「ベネデッタ様! お久しぶりです! 今日はお姉様がたくさんなのでとっても嬉しいです!」
「マリア様、本日はお招き……」
「もう! マリアって呼んでください、わたしのお姉様じゃないですか!」
無論、“お姉様”になどなっていない。
が、初めてオリバーに紹介されてから、度々話す機会があったマリアはずっとこの調子だった。
明るく陽花の咲いたような笑顔は可愛らしく、オリバーが目をかけるのも納得の庇護欲を唆る仕草である。
けれど、ベネデッタはどうにも彼女と仲良くなれる気がしなかった。
「あ、マデリン様です! ちょっとご挨拶して来ますね!」
「ああ、行ってこい。アレらは礼儀に厳しいから、気を付けるんだぞ!」
キラリと星を飛ばしたような台詞は、恋人か兄妹のような親しみを感じるものだった。
中央の丸テーブルに案内された二人は、周りを取り囲む一年生たちの視線に少し身構える。
ほとんどが下位貴族で、全員が無言のまま同じような微笑みを浮かべているのだ。
それにはオリバーもギョッとしたように紳士らしい笑みを崩していた。
席につきテーブルを見回すと、普段のお茶会と変わらないのにどこか色褪せて見えて、また少し自分に落胆する。
シェリエルのお茶会と比べてはどれも色褪せて当然で、ガッカリするなど失礼だと内省した。
少ししてやって来たマデリンとお付きの二人は、薄く怒気を纏っていたように見える。
が、オリバーと目が合うとパッと頬を赤らめ女の顔になっていた。
「まあ、オリバー様! 本当にいらっしゃったのですね」
「ええ、マリアにも言われました。そんなに私は不義理な男に見えますか?」
「いいえ、そんな滅相もない。オリバー様がお優しいのは良く存じ上げております」
その艶っぽい声に、オリバーも紳士の顔に磨きがかかる。
「マデリン様のような美しい方に褒められると、意気地のない性分で良かったとすら思います」
「うふふ、意気地がないだなんて…… 自領の為に悪魔に立ち向かった勇敢な騎士様が、何を仰るのですか」
「ハハハ、騎士様だなんて気が早いですよ。騎士を志す者、ツインズを守るのは当然です」
オリバーは相手の望むよう空気が作るのが上手いので、すぐにこうして甘い空間が出来上がる。
ベネデッタはもう慣れたこともあり、マリアとマデリンが同席した際はどういう空気になるのだろうかと、小さな好奇心が疼いた。
それくらいしか、このお茶会で楽しめそうな事が無かったので。
マリアは当然の如く中央の席にやって来て、六人でテーブルを囲むことになった。
お茶会は端的に言えば、気持ち悪いの一言だった。
マリアが可愛らしいことを言えば全員が同じように目尻を下げ、マリアが耳触りの良いことを言えば周りの一年が拍手する。
ベネデッタはその奇妙な集団の輪に入っていることに現実味がなく、どこか他人事のように眺めていた。
「マデリン様はツインズの高貴なお嬢様だって聞きました。こんなにキレイな方がお姉様だなんて、感動です」
「そうだろう? マリアは可愛らしく、マデリン様は美人だ。対照的だがツインズは見目の良い御令嬢が多くて幸せだよ。マデリン様もこんなに可憐な一年が入って来て、良かったと思いませんか?」
「え、ええ…… お姉様になった覚えはないけれど……」
マデリンは何か思うところがあるのか、片頬を引き攣らせながら、意見していいのか喜んでいいのか分からないと言った様子だった。
ああ、両方持ち上げるのね、と感心していたベネデッタだが、マリアとマデリンの相性の悪さを察知し、絶対に関わりたくないと視線を逸らす。
しかし、マリアは優しいのでベネデッタにも話題を振る。
「ベネデッタ様は甘い物がお好きですか? シェリエル様のお茶会に呼ばれたんですよね? 今菓子を用意してもらってるので、期待しててください!」
「は、はい……」
これには少し驚いた。まさかベリアルドとロランス以外であの菓子を食べられると思わなかったからだ。
しかし、運ばれて来たのは皿に油の滴るパンの切れ端と、蜂蜜が入った壺である。
新手の嫌がらせかと思いこっそり周りを見渡すと、一年たちは慣れた様子でそれぞれ蜜を回して皿にかけていた。
「マリア嬢、これは何なのかしら?」
「マデリン様は知りませんか? えっと、菓子です! パンを揚げたものに蜂蜜をたっぷりかけて食べると美味しいのですよ!」
「わたくしを侮辱するおつもり!? こんなもの、目に入れるのも不快だわ!」
「え…… でも上位の方も喜んで食べると聞きました…… シェリエル様もこういう菓子を食べると……」
唖然としていたオリバーは、しゅんと眉を下げるマリアを慌てて慰めに入る。
「何てことだ、ベリアルドの悪魔がマリアを騙したのだろう。マリア、これは上位の者には向かない食べ物だ、その…… 申し訳ないが……」
「そんな…… でも、すごく美味しいのに……」
ベネデッタはさすがに黙っていられなくなった。
「シェリエル様の菓子はまったくの別物です。誰からお聞きになったのか存じ上げませんが、彩りも形も美しいまったく新しい菓子であり、パンを使った卑しい食べ物ではありません」
「ベネデッタ様まで…… ひどい、そんな風に言わなくても……」
「そうだ、ベネデッタ! 言い方を考えろ!」
周囲の視線はすべてがベネデッタを責めていた。
そうだ、この子に腹を立てると、途端に自分が悪者になってしまうのだった、といつもの憂鬱を思い出す。
ベネデッタは彼女といると心が縛られる気がして、いつも心が重くなるのだ。
「もういいです、わたしたちだけで食べますから…… ね、みんなは気にせず食べて? これ、好きでしょう?」
「マリア、元気を出してください、わたしは大好きです!」
「はい、今日をずっと楽しみにしていました」
慰めや励ましの声があがるとマデリンは魔物でも見たかのように表情を失くし、両側の二人も何とも言えない顔で沈黙する。
マリアは拗ねたように軽く口を尖らせ「食べなきゃ後悔するんですからね」と言いながら、蜜を絡めた揚げパンを指で摘み、かぷりと口に運んだ。
オリバーを横目で見ながらチュパッと指を舐め取ると、オリバーは熱に浮かされたようにボーッとその光景を眺めていた。
マリアは尖った舌先でもう一度指先を舐め取り、悪戯な笑みを浮かべ……
「ふふ、食べたくなったらいつでもどうぞ」
と。
……何を見せられているのか。
早くこの場を去りたいとすら思う。
「わっ、ドレスに垂れちゃった…… あの、ごめんなさい、少し汚れを落として来ますね」
「あ、ああ。俺も一緒に行こう。女性を一人歩きさせるわけにはいかないからね」
二人が去ってくれたおかげでやっと息が出来た気がした。
本来なら、婚約者を置いて他の女性を追いかけるなど怒るべきところなのに。
「あれは、なに……?」
「マデリン様、早く退席しましょう。関わると良くない類の者です」
「ダメよ、いくら相手がアレでも途中退席なんて無作法だわ」
きっと同じ気持ちだろうけれど、マデリンたちは味方ではない。そのことがベネデッタを一層孤独にさせる。
「ベネデッタ、貴女がちゃんとしていないから、オリバー様があのような女を気にかけるのではなくて?」
「……」
「畑女だからと言って、婚約者の義務を放棄して良いわけではないのよ!」
そんなことを言われても、ベネデッタにはどうしようもない。
マリアはツインズの貴族であり、まず上位のマデリンが彼女を教育すべきだと思いつつ、それを言えずにただ黙って俯く。
「ほーんと、貴女って何の役にも立たないのね。そんな者がツインズの子を産むなんて嫌になるわ。意地汚い親からロクな子が産まれないのは貴女で証明されたもの」
「…………」
「でも安心なさい、貴女の産む子が成人することはないんだから。わたくしが後妻に入れば、綺麗に始末を付けてあげるわ」
マデリンは他のテーブルには聞こえない程度に声を落とした。
周りのねっとりした視線が肌に纏わりつき、目の前からは辛辣な言葉が胸を刺す。
しばらく経っても帰ってこない二人に痺れを切らしたマデリンが、様子を見て来いと言い始めた。
探すフリをして外の空気を吸ってこようとサロンを出れば、角から男女の声がした。
「どうして皆さんマリアに怒るんでしょう……」
「あれは…… その、貴族はそういうものだから…… ええと」
「オリバー様もマリアを礼儀のなってない子だって思ってるんでしょう?」
「そんなことはない! 見惚れてしまったくらいだよ。前にも言ったが、俺はマリアが好きだ。君と結婚したい」
その言葉に、ベネデッタは心の中でヨシと拳を握った。調教と称する折檻や、自分の前でだけ暴君になるオリバーには嫌気がさしていたので。
それは、やっと手にした“正気”だった。
シェリエルのお茶会に参加し、ヨガ教室で心を休めているうち、何かがおかしいと思い始めたのだ。
諦めていた普通、いや普通以上の幸福に浸って、日常が地獄になった。
それで余計に心を重くしても、週末になればシェリエルが癒してくれる。
もう、ベネデッタの心にはシェリエルしかいなかった。
「でもオリバー様はベネデッタ様と婚約しているじゃないですか」
「アレは畑女だと言っただろう? 子はベネデッタに産ませて、その後マリアと結婚する」
「それじゃあエベ…ベネデッタ様が可哀想です」
ズンと絶望に襲われた。
彼は、ベネデッタを放すつもりなど無かったのだ。
女性の方が魔力が少ない場合、胎児の魔力に耐えられず母体は出産と共に命を落とす。
それを防ぐための魔導具は存在するが、高価でなかなか手に入らない為、そのまま死なせる事も一部の領地で珍しくない。
そういった出産のための女を、この国では畑女と呼んだ。蔑称である。
死の恐怖と使い捨てられる屈辱に穢れを溜める者が多い為、本来は出産まで隠されるものだ。
甘い言葉で妻を騙し、子を産めば放置するのが普通だが、オリバーは折檻と洗脳により、ベネデッタの心を閉じさせた。
外面の良いオリバーだったが、ベネデッタの様子から周りも自然と悟ることになる。
そう扱って良いのだと理解したマデリンたちにも、同様に扱われることになったというわけだ。
「だが、上位の者と結婚すれば、マリアを妾にしなくてはいけない。マリアはそれでいいのか?」
「……妾なんて、いやです。それにわたし、やっぱり……」
「この話は今度ゆっくりしよう。早く戻らないと怪しまれる」
足元が凍りついたようにその場から動けずにいると、角から出てきた二人と目が合う。
オリバーはすれ違いざま「盗み聞きとは卑しい真似を」と囁き、目も合わせずサロンに入って行った。
「オリバー様ったら酷いですよね。ベネデッタ様はそれでいいんですか? 子どもを産んで死んでしまうなんて、やっぱり放っておけません」
マリアは元からベネデッタが畑女であることを知っていた。
知っていて、いつもこうして憐れみの言葉をかけるのだ。
けれどオリバーには優しい方ねと可愛く甘える。その二つがどうしても結び付かず、会うたび腹の底に重い物を抱えるようになっていた。
「貴女には関係ないことです」
「でも、マリアが頼めばオリバー様も考え直してくれるかもしれません。その、魔導具か何かがあるんですよね? きっと用意してくれますよ。だって、本当にそんな酷いことが出来る人なんて、いるはずないでしょう?」
弾けるようなマリアの笑顔は何の慰めにもならなかった。
人の善性を信じる者を否定する自分は悪なのだろうか。
彼女の思想は正しいように思うのに、何故自分は救われないのか。
冷えた指先を震わせ、振り切るように背中の扉に滑り込んだ。
誰もが笑顔で指の蜜を舐め取る、異様な空間に。
頭がおかしくなりそうだった。
マリアに入れ込むオリバーも、心酔するように笑みを絶やさない一年も、何もかも自分の知る世界と違っていて。
テーブルではオリバーも何食わぬ顔で「蜂蜜はなかなかしつこいな」などと笑っていた。
マリアはパンと一つ手を叩き、何かを思い出したかのように顔を輝かせる。
「今日は新しい方がお友達になった日でもあるんです、皆さんに紹介してもいいですか?」
「ん? お友達? まあマリアの茶会だからな、好きにするといい」
「よかった、やっぱりオリバー様は優しいんですね! アリー、こっちに来て!」
アリーと呼ばれた小さな少女は低い鼻にぱらぱらとソバカスを散らし、もじもじ周りを気にしながらマリアの隣に立つ。
周りのテーブルの一年生たちは椅子ごとこちらに身体を向けていて、四十人ちかい視線を一挙に集めた。
「アリー、ここで自己紹介をして、みんなと仲良くなりましょう? ね?」
「は、はい…… あの、ガーランド領の…… カブル寮所属、アリーと申します」
すると一斉に「ごきげんようアリー」と周りの一年が声を揃えた。
ギョッとしたのはベネデッタだけでなく、オリバーもマデリンも同じように目を見開いていた。
「アリーはずっとひとりぼっちだったのよね? もし悩みや心配ごとがあればみんなに話してちょうだい。一人が悲しいと、みんな悲しいもの」
「あ…… えっと……、わたしは、顔に自信がなくて……、魔力も少ないので、その、自信が」
詰まり詰まりの言葉に全員が真剣に耳を傾け、うんうんと頷いている。同じような境遇の者が多いのか、一部ではハンカチを目元に当てていた。
「……で、いっつも人に隠れていたので、おともだち、も出来なくて……」
と、ガタリと勢い良く立ち上がったマリアは、アリーをふわりと抱きしめた。
「ああ、可哀想にアリー、顔立ちはアリーのせいじゃないのに…… 今まで酷いことを言われたこともあったでしょう……?」
「うっ…… はい、顔が汚いとか、穢れの印だとか……ヒクッ……」
「つらかったわね…… でももう大丈夫。ここにはそんな酷いことを言う人はいないわ。自信を持って! みんなアリーのお友達よ!」
「うぅ…… ありがとうございます…… こんなに、たくさん……」
どこからともなくパチパチと拍手が鳴り出せば、それはサロン中に響き渡る大喝采となっていた。
ふと隣を見ると、オリバーも目元を赤くしマリアを見つめている。
この場で顔色を失くしているのは、やはりマデリンたちと自分だけである。
いつも畑女と罵り、魔術の練習台にされたこともあった。身体も心も存分に虐め抜くあのマデリンが正しいなんて思いたくない。
これが普通なのか。
自分がおかしいのか。
もう何が正しいのか分からなくて、耳に響く笑い声と、漂う油の臭いに、吐き気で胃の中のものが込み上げて来る。
そこからの記憶は曖昧だった。
なんとかお茶会を終え、気付けばカッパー寮へと早足で向かっていた。
臀部の痛みもある種の気付けとなり、許されるなら走り出したかった。
「シェリエル様…… シェリエル様はいらっしゃいますか……」
駆け込んだ談話室では数人のカッパー生が談笑していた。
人前だというのに膝から崩れ落ち、なんとか近くの柱につかまる。
「な、なんだ……」
「どうしました?」
すぐに駆け寄って来た一年生らしき男子生徒に、「シェリエル様を……」と繰り返すが、吐き気と嗚咽が混ざり合い上手く言葉が出てこない。
知らぬ間に、涙が流れていた。
「休日は姿を見かけないので、すぐには無理かもしれませんが、ベリアルド生を探して来ましょう! 立てますか? 良ければ椅子に」
その男子生徒は親身に気遣ってくれたが、決して手を取ろうとはしなかった。
「みんな、部屋に戻っていてくれ!」
すぐに談笑していた男子生徒たちは姿を消し、その男子生徒も勢いよく階段を駆け上がって行った。
「ベネデッタ様! どうなさいました」
すぐに駆け降りて来たのはシャマルだった。
「シャマル様…… ごめんなさい…… 突然、押しかけて、でも、もうどうして良いか……、混乱、して」
「大丈夫ですよ、すぐにリヒトがシェリエル様を連れて来てくれます。大丈夫ですからね」
背中をさすられ、やっと安心出来た気がした。
自分がなぜこうなっているのかすら分からない。
恐怖か不安か不快感か怒りか、感情を上手く掴めず、それでもぼろぼろと涙が溢れた。
シャマルはゆっくりとベネデッタの背をさすりながら、さっきの男子生徒に礼を言っていた。
「ロバート様、ありがとうございます」
「はい! では私はこれで!」
それから間もなく、シェリエルが優雅に階段から降りてくると、ベネデッタはまた安堵の涙を流した。





