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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第五章 学院一年生・前期

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兆候と密談


「アリシア様、急な訪問で申し訳ありません」

「いいえ、只事では無さそうですね。挨拶は略式に致しましょう」


 アリシアにディアモンの小さなサロンを用意してもらい、わたしはシャマルやジゼルを退室させる。訝しむアリシアにも人払いを頼み、念のため防音の結界を張った。


「単刀直入に申します。エミリア様が穢れを溜めている可能性…… 兆候のようなものがあります」

「そんな…… いくらシェリエル様でも口して良い事と悪い事がございます。第一、穢れなど神殿で調べがなければ……」

 

 アリシアの声はいつに無く厳しいものだった。


「わたくし、穢れが目に見えるのです。信じていただけないかもしれませんが、ベリアルドは穢れに一番近い家門だと自負しております。今はそれで納得していただけませんか?」


 アリシアは表情を失くし、ただ顔を青くした。次第にキツく眉を寄せ一度ギュッと目を瞑る。


「し、信じます…… たしかにエミリアは近頃思いつめている様子で、情緒も安定せずわたくしも心配してはいたのです……」

「まだ、間に合います。以前わたくしのメイドが同じような状態になっていたのですが、その時は穢れだと気付かなかったくらいで…… その後何事もなく過ごしていましたから」


 アリシアは「ほ、本当ですか……」と小さく唇を振るわせた。

 カップを持とうとした手は震えていて、普通の御令嬢がどれほど穢れを恐れているのか改めて実感する。


「エミリア様を呼んでいただけます? まだ確信は無いので、確かめさせて頂きたいのです。本当はわたくしの祖父に預けるのが一番なのですけど……」

「それはエミリアが頷かないでしょう…… ですが、一度シェリエル様にお任せします」


 自ら部屋を出たアリシアはハンナにエミリアを呼ぶように指示した。

 しばらくしてエミリアがやって来ると、案の定わたしの姿を見た瞬間眉を寄せる。途端に薄く積もった茶色い粒子がぶわりと舞った。

 北部の森で魔物を討伐したときに感じた、空気の重さや嫌な気配も薄っすらとある。


 でもおかしい。

 ベリアルドは穢れに耐性があるからここまで敏感に感じ取ることは出来ないはずなのに……

 わたしは以前、常人が立っていられないほどの穢れですら、言われてみれば程度しか知覚出来なかった。

 人より鈍いわたしが気付いて、どうして誰もこの気配に気付かないのか。

 しかも、教室では微かにではあるが異臭のようなものも感じた。いや、あれは気のせいか? 気配に引き摺られた?


 逡巡するわたしを置いて、アリシアはエミリアを席に着かせる。


「エミリア…… その今日は」


 アリシアはわたしが穢れの話をしたからか、それとも実際にエミリアから漏れる穢れに当てられてか、一層顔色を悪くする。

 エミリアは上等の笑顔を貼り付け優雅に挨拶した。


「シェリエル様もいらっしゃったのですね。高位の方のお茶会に呼んでいただき光栄にございます」

「エミリア様、突然ごめんなさい。わたくしがお誘いしたのです」


 社交的な笑みのエミリアに、わたしも作り物の笑みを返す。互いに腹の内を探らせまいという、実に貴族らしいお茶会が始まった。


「例の体操…… のお誘いでしょうか? まだ続けていらっしゃるそうですね」

「ええ、特に御令嬢には評判が良いんですよ。呼吸を整え自己と向き合うので、精神調律にもなるんです」


 ピクリとエミリアのこめかみが動き、トクと僅かに心音が跳ねる。わたしの強化された感覚はエミリアの微細な変化を察知した。

 本人に穢れの有無を問うわけにはいかない。

 ヘルメスならともかく、素人のわたしが下手に本人に穢れを自覚させると、そこから何かあった場合対応できないのだ。

 

「そう聞くと余計怪しく感じるのですけど…… 本当に怪しい儀式では無いのです?」

「ふふ、形は違いますけれど騎士たちも集中を高めたり気持ちを落ち着けるための儀式のようなものがあるんですよ。それに似ていますね」

「騎士様が……?」

「はい、ベリアルドの騎士であれば、魔物の討伐前は()()に呑まれないよう、全員で集まって声を出しながら足を踏み鳴らし士気を上げますね。魔物を目前に気が落ちると細かく息を吐きながら心臓を叩くんです」

「フフ、まったく別物に聞こえます。単に痛みで誤魔化しているのでは?」

「あら、本当ですね。わたくしとしたことが」


 ふむ、穢れの自覚は無いのか。けれど精神不安の気はあるようだ。あとは、原因か……

 ユリウスに教わった会話術は案外難しく、どうしても頭の悪い会話になってしまう。

 しかし、エミリアの空気は少し落ち着いたように見えた。不意にエミリアがしっかりとした眼差しで身体ごとこちらに向き直した。


「以前の教室でのこと、お詫び致します。詳しく調べもせず、聞き齧った情報だけで上位の方を糾弾するなど分不相応な真似を致しました」

「はい、その謝罪お受けします。こちらこそ誤解を招くような事をしてしまって申し訳なかったです」

「エミリアは、わたくしの立場を案じてくれたのよね? それでも失礼な行為……ですよ、シェリエル様はわたくしの大事な友人なのだから」


 アリシアはしっかりと怯えを隠し、硬さの残る面持ちでエミリアを叱る。

 いつも通りにしてほしいとお願いしていたので、普段なら絶対にこうするという自身の像に沿って振る舞ってくれているのだ。


「はい…… 本当に反省しております」


 エミリアは目を伏せ反省の色を見せた。鼓動は細かく刻まれ脂汗を滲ませている。少し、呼吸が浅い。緊張状態だ……

 アリシアに怒られる、嫌われるということを極端に恐れているらしい。


「エミリア様が警戒するのも当然ですよ。たしかに外から見れば夜に集まって何をしているのかと思うでしょうし、わたくしの家門が家門ですから、実際怪しい事をしていても不思議ではありませんものね」


 ハハと笑って見せれば、エミリアは若干引いた目でわたしを見返した。また滑ったらしい。

 だが、ベリアルドに忌避感があるだけで恨みや禍根のようなものは感じない。

 うん、本当にただ嫌われているだけみたい。

 

「……近頃はジゼルも参加しているのでご興味あれば是非。休日の午後にでも」

「他領の方も誘っているのですか?」


 エミリアの声は少し硬い。


「いいえ、今のところアリシア様とエミリア様だけです」

「そうですか…… アリシア様が参加されるならわたくしもお邪魔させていただきます」


 やはり、マリアを気にしているのだろう。もう少し踏み込むことにした。


「わたくしもお詫びすることがございました。ロバート様とご婚約されていたとは知らず、その、粗雑な扱いをしてしまい申し訳ありません」

「そ、粗雑…… いえ、そんな滅相もありません。ロバート様は武芸に秀でたお方なので、その、真っ直ぐな方なので…… 失礼があったようで、わたくしからもお詫び申し上げます」


 乱れた言葉と朱を増す頬。

 分かりやすい動揺にこちらが驚いた。政略的な婚約かと思っていたのにエミリアはロバートを慕っているらしい。

 失礼な話だが、なぜエミリアがあのロバートを? という疑問が拭えない。

 と言っても、ロバートは頭が悪いだけで貴族階位はエミリアと同じ中位ではあるし、剣の腕も同年代から頭ひとつ抜けているので、貴族として劣るわけでは無いのだけど。


「……たしかに真っ直ぐな方ですね。ロバート様はよく皆を代表して動いてくださるので、近頃は他の寮生たちも学院に馴染んで来たようです。随分と賑やかになったと思いません? 騒がしくて申し訳ないのですけど」


 強化された耳にドクンとエミリアの鼓動が響いた。カッパー寮の賑わいを思い、負の感情が刺激されたようだ。


「そうですね、本当に、賑やかでいらっしゃいますね」

「マリア様も最近は教育してくださる上級生を見つけて作法もお勉強中なんですよ」


 ずわりと全身から霧のような薄い穢れが溢れる。

 マズイ、と思い適当に言い訳を見繕ってエミリアの背後に回った。


「エミリア様、少し触れますね? 構いません?」

「は、何を……!?」


 肩や腕に纏う砂を払うように軽く叩いていく。サラの時は砂埃だと思って払ったのだが、後でスッと楽になった感覚があったと聞いたことがある。


「少し姿勢に癖があるようですね、最近身体が怠いなどございません? やはり、一度あの体操を体験していただきたいわ」


 息をするように適当な言葉を並べ、あらかた目に見える穢れを払い除けた。


「あ…… 本当に身体が軽くなりました…… ありがとうございます」


 疑問符を浮かべたような顔のエミリアに、先程までのヒリつく空気は無い。

 晴れやかとまでは行かなくても、相手を緊張させるような触れてはいけない何かのような雰囲気は消え去っている。

 コクリとアリシアに合図を送ると、アリシアはそれらしい言葉で自然とエミリアを帰した。



「あの、エミリアはどうでした? やはり穢れを……?」

「そうですね、少しその気がありました。アリシア様への強い忠心と、マリア様への負の感情が原因のようです」

「マリア様…… わたくしからも一度お話させていただいたのですけれど、あまり効果はなかったみたいで。殿下とも交友があるようで、わたくしが殿下に叱られてしまいました」


 うわぁ…… 最悪過ぎる。

 マリアとロバートは二人きりで居ることは無くなったけれど、集団で仲が良いので一緒にいてもある意味自然に見えた。


「本当は休学させて神殿に入れるか、ベリアルドに預けていただければ良いのですけど」

「……もう少し、様子を見させてください。休学や神殿での療養は貴族にとって大きな傷になります。病を理由にしてもすぐに噂は広まってしまうでしょう」

「ええ、そうですね。わたくしが口を挟む問題でもありませんから、アリシア様にお任せします。ですが、完全に堕ちれば最後は魂ごと消滅させるしか無くなります。それだけは避けなければ」

「はい、もちろん、です…… そんな恐ろしいこと…… でもどうして…… エミリアはそれほど心の弱い子ではありません。それに、学生の嫉妬や恨みで穢れを溜めるなど、聞いたことも……」


 たしかにおかしい。

 人によっては家庭環境や性格から穢れを溜めやすい者もいるが、エミリアはそういったタイプには見えないし、何よりアリシアが言うのだからこれまでもそのような気はなかったのだろう。

 アリシアから聞くエミリアという人物は、少し勝気だが賢く伝統を大事にする、ロランスらしい御令嬢という印象だった。

 精神的な問題を人と比較することは難しいが、それでもこれまで学院で穢れが出たなど、聞いたことも無かった。

 

「アリシア様もあまり思い詰めないでくださいね。穢れは伝染しますから、溜め込むと危険ですよ」


 穢れはこれが厄介なのだ。流行り病のように上に立つ者は神経を尖らせ、周りの者は自分も侵されているのではないかと不安になる。

 その不安や緊張、恐怖心がまた穢れを呼び込み、自身の内で穢れを育ててしまう。


「ありがとうございます、シェリエル様。本当に……」


 これから対処に頭を悩ませ心を痛めるだろうアリシアに、気の利いた慰めの言葉は見つからなかった。

 

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