薬草学と顔合わせ
薬草学の授業は一限目に設定されている。
外での採取や実験が必要な教科は一限に集められているらしい。
植物の種類は多岐にわたり、前世で馴染みのあるものから魔力によって進化したらしい奇天烈な植物まで、様々な品種が存在する。
薬草学とは言え、薬と毒は元は同じで用法容量によって効果が変わること。そして、誤って毒として摂取しないようにまず毒から学ぶことになっていた。
わたしは特に薬草学には興味は無いけれど、試験や今期の授業は問題無さそうだ。
脳のスペック云々の話ではない。
Ⅰ級で扱う毒草はだいたいベリアルドの庭園や温室に咲いていたからだ。
お爺ちゃん先生の穏やかな心地良い声に癒される。
「ダチュラは紅茶と共にこのオラステリアへと輸入され、それから長い時間をかけ自生するまでに至りました。主に麻痺薬として使われますが、痛みの酷い場合や錯乱状態にあるときなどは薬と使用することもあります」
ベリアルドに引き取られてすぐのころ、ダチュラが飾られたディディエとのお茶の時間を思い出す。
メアリが真っ青な顔をしてメイドが注ぐ紅茶を見つめ、そしておもむろに普段はしない毒見した瞬間、ディディエが腹を抱えて笑い出したのだ。
もちろん紅茶に毒は入っておらずメアリも無事だったが、種明かしされたときにはぶん殴ろうかと思った。
デヴィッドに盛られた薬もダチュラを元にした麻痺薬である。
こうした小さな思い出と共に、初級の毒草はしっかりと頭に入っているのだった。
特に感謝はしていない。
ふと、前の方で嫌な気配を感じる。
工事現場の埃っぽい空気のようで、運動場の乾いた空気のようで、それでいて…… 湿り気のある土のようなカビた臭い。
窓は開いて居ないし、他の生徒が気にしている様子もない。
なんかこの感じ前にもあったような……?
感覚の記憶は呼び出しづらく、覚えはあるがハッキリとしないモヤモヤに包まれる。
結局、すぐにその違和感は消え、朝食の時間にはすっかり忘れてしまっていた。
「シャマルは薬草学は満点に近いのでしょう? やはり伯爵から直々に教わったの?」
「はい! 小さいころは良く森にも連れて行ってもらいました! わたしは薬草学で点を稼いでいるようなものです」
明るく無邪気に笑うシャマルは本当に楽しそうだ。女であるシャマルが当主になることはないが、婿を取って研究の手伝いをすることは出来る。
Ⅱ級の授業では森で薬草採取が出来るのだとウキウキと話してくれた。
「採取に行くならドレスはどうするの?」
「そうですね、高位の方はあまり奥まで入られませんし、下位の者は元より手入れの楽な丈夫な布地の衣装ですから朝食の時間に着替えれば問題ありません」
ドレスと言っても学院では破れやすい薄いシルクやシフォンのドレスを着る者は居ない。
そういったドレスはお茶会やパーティのときくらいらしい。が、高位になるとかなりフリルや布を重ねた重装備となるので、調合や採取のときは大変そうだなと他人事な思いが過った。
「——貴女一体何を聞いていたの!?」
突如一年生のテーブルに響く上級生の金切声も、すでに慣れたものである。
マリアがうるうると煌めく瞳で教育係となった五年生の女子生徒を見上げていた。
最近の変化と言えば、周りがフォローに入るようになったくらいだろうか。
「マリアも悪気があるわけじゃないんです」
「そうです、作法がまちがっているわけでもありませんし、そのように声を荒げる方が如何なものかと思います」
教育係より僅かに髪色の鮮やかな一年生のご令嬢が、マリアの肩を慰めながら抗議していた。
隣のテーブルの二年生たちはマリアに同情する者と、教育係と同じく軽蔑の色を見せる者、あとは聞こえていないか無関心な者がほとんどだ。
そうこうしていれば、教育係の友人らしいもう一人の上級生がやって来る。何やらヤイヤイと言い争う声が食事のBGMとなっていた。
以前騎士学科の授業でツインズの上級生に「我がツインズの者に余計な真似をしたらしいな」と突っかかられたが、今すぐここへ連れてきて「お前にアレが救えるか?」と恫喝……いや意見を聞きたい気分だ。
まあ、今連れてきたところで擁護側に回り、摩擦力を上げることは目に見えているけれど。
そもそもなぜ今までマリアを放置していたのか……
テーブルの端から視線を流していけば、鼠のように人影に隠れ様子を覗き見ている男子生徒を見つける。
彼はツインズの生徒だが、ああして影から見ているだけで、自分に火の粉が降りかかる事を極端に避ける人物らしい。
気持ちは分かる。
「アレでは教育を請け負ってくださった御令嬢も大変でしょうに……」
シャマルの心配は、批難の視線に晒されぐぬぬと口を噤む教育係に向く。
「でも少しは良くなったわ。挨拶は練習の成果が出てるもの」
一度、わたしのところにも貴族らしい挨拶をしにマリアがやって来たことがある。
貴族教育を受けた者は脊髄反射のように、そして礼儀としてそれに見合った挨拶を返すので、マリアはそれが嬉しくて仕方ないように事あるごとに丁寧な挨拶を繰り返すようになったのだ。
花が咲くような可愛らしい挨拶に気分を害する者はおらず…… が、それは挨拶を受ける者は、という話で……
今もその件で怒られているらしく、「誰彼構わず声をかけるな」という先輩と、「挨拶は良いことでしょう? 皆さん喜んでくれますもの」と困惑するマリアの声が漏れ聞こえる。
擁護しているのは皆、挨拶は無作法ではないという意見らしい。
「そういえば彼女、リヒトのところにも来たそうですよ」
「え、そうなの? 聞いていないわ。……リヒト?」
「はい…… シェリエル様のお耳に入れるほどのことではないかと思い」
聞けば、わたしが統治の授業を受けている間に件の挨拶マシンと化したマリアと寮で会ったらしい。
リヒトもきちんと挨拶を返し、それで終わるかと思えば「神殿に入れて貰えなかったのですね? 良かったら紹介しましょうか? わたし、伝手があるんです」と手を握られたらしい。
リヒトは「間に合ってます」と返しそのまま離れたそうだが、それを見ていたヒューゴがモヤモヤと一人で苛立ちを抱えきれなくなり、シャマルにまで伝わったそうだ。
わたしは途端に血の気が引く。
「リヒト、大丈夫……? その、アレなら、わたしから……」
他の者はリヒトが神殿で育ったこと、長年虐待を受けていたこと、わたしが殺したことになっているなど知らない。
父であるガルドも神殿の人間から酷い扱いを受けていたというので、リヒトにとって神殿は鬼門のはずだ。
「いえ、私などのためにシェリエル様のお手を煩わせるわけにはいきません」
「リヒト、まだその癖治ってないのね? わたしはそれほど甲斐性のない主人かしら?」
「そういうつもりでは…… 本当にお気持ちだけであと三年は生きられます。それに…… 彼女の言葉を覚えていられるほど私には余裕がないのです。あの後に乗算の表を見たら忘れました」
ん……、本当に大丈夫そう?
自虐的な自己肯定感の無さが気になっていたが、ある程度割り切れるようになったのだなと安堵する。
いや、それほど勉強でいっぱいいっぱいなのか……?
「何かあったら言うのよ? シャマルも。あなた達に害が及ぶならディルクを借りて来るから」
「それはどういう……」
「まだ後処理できる人間がいないでしょう? ディルクならお兄様で慣れているから、きっと綺麗に片付けてくれるわ」
シャマルは「そ、そうですね、ハハ」と片頬を引き攣らせ、スンと真顔になって前を向き直した。
セルジオは斬ってしまえば良いと言っていたが、それは優秀な補佐官が事後処理をして隠蔽出来るからというだけだ。
学びの場である貴族学院で物理的な制裁に出ると、あっという間に塔に送還されるだろう。
ま、しかし。配下の者の穢れを管理するのは主人の務めなので、それなりの対応は必要である。
それから数日。
その日もマリアは授業前に中位の男子生徒に挨拶を仕掛けていた。
「初めてお目にかかります、マリアと申します。ピート様、はご挨拶がまだでしたよね? せっかくですから、こちらの席よろしいですか?」
「あ…… ははい、マリア様。ご機嫌うるわしゅう…… どどうぞ」
よく名前を知っていたなと感心すると同時に、ポーッと頬を染めるピートに乾いた笑いが漏れる。
彼に婚約者が居ないのならば、特段問題はない。居たとしても、挨拶くらいならば……まあ。
マリアの明るく初々しい姿はやはり愛らしく、周りの者まで笑顔にするらしい。
最低限の礼儀を身に付けわたしに拘らなくなったマリアは、人と仲良くなるのが得意と自称していただけあってすぐに周囲に賑やかな空気を作った。
「あら、ピート様ったらそれほどマリアを見つめては無作法ですよ」
と近くの女子生徒がピートを揶揄う。
マリアの周りはワイワイと盛り上がり、「もう、マリアったら今日は一緒に座ろうって言ったじゃない」と後から来た友人らしき女子生徒が拗ねるまであった。
友人が出来たようでなにより。
ふと、またジメッとした嫌な空気を感じ、その原因を探る。
人数は二百人程度だが、令嬢のドレスを考慮して机の配置は充分余裕が取られ、前世の大学であれば五百人入る大教室以上の広さがある。
結局その日も原因は分からず、喉に小骨を引っ掛けたような気持ち悪さが残った。





