13.突然の負債
ディオールとのお茶会から数週経ったある日のこと。
食事の席でディオールから急かされるようなことは無かったが、あまり待たせるとまたいつメイドの腕を切り始めるか分からない。
そんな不安をよそに、珍しく夕食の席でセルジオに突かれる。
「ねぇ、シェリエル。最近なにか面白いことをしているようですけど、どうして僕だけ仲間外れなんです?」
今まで完全に放置だったのに、いまさら仲間外れも何もないだろう。
それでもやはり城の中の事は把握しているんだなと感心する。
「ただの子どもの実験です。お兄様とディオール様には少しお付き合いいただいてるだけですわ。ホホホ……」
ここぞとばかりに社交の成果を見せてみるが、セルジオの怪しい笑みは緩まない。
「でも見た事もない菓子を作り、商会を動かしているのは実験にしては大層だと思いません? そうそう、商会に渡した情報、かなりの利益になるみたいですけど、貴女それを使ってどこまで利益を出せます?」
「待ってください、まだ品も完成してないですし、わたしは五歳です」
「ベリアルド家の人間に年齢はありませんよ。経営の出来る文官を付けますし。実は領地としてもこういった事業は大事なんです。あ、別に面倒だからと押し付けている訳じゃありませんよ? ただシェリエルの為にもなると思っての親心なんです。僕ってとても良い親じゃありませんか?」
嘘くさい親の顔に本心が混ざっていますよ、お父様……
でも利益を出すなんてわたしには無理だ。何より面倒くさい。
だいたい、プログラミングもそうだけれど、こういうのは出来るかどうか試行錯誤して形になるまでが楽しいのであって、最後の調整や試験、修正なんかは苦行の域だ。正直好きじゃ無い。
「それでもわたしにはお勉強もありますし、利益なんて……」
「シェリエル、貴女をあの闇オークションで落札した価格、いくらか知っています?」
冷や汗が止まらない。それを言う? 義理の親でもそこまで言う?
セルジオが「たしか、ずいぶんキリの良い額でしたね……、二十でしたっけ」と眉を高くして視線を上げると、ディオールが声を震わせ「金貨、ですわよね? 中金貨でしょうセルジオ様?」とギロリと睨みつける。
「いえ、大金貨です」
「貴方ッ! 大金貨二十枚も使ったのですか? いったいどこから……!」
単位の分からないシェリエルよりもディオールの方が青ざめている。
二年ぶりのディオールの絶叫がもはや懐かしい。
「まあまあ、それはシェリエルが取り返してくれますよ。もう金貨の価値を習いました? 復習がてら簡単に説明してあげましょう」
聞きたくない。それ以上言わないで……
「この国では銅、銀、金の硬貨があり、銅と銀は小大、金は小中大と七種類の硬貨があります。単位は簡単、一桁上がるごとに硬貨も上がります。小銅貨十枚で大銅貨一枚というふうに。今の物価では小銅貨一枚でパン一個。大銅貨一枚で——」
育ち過ぎた脳はゴリゴリと単位を変換して行き、もはや信じたくない数字になってしまっている。
もっと恐ろしいことに、シェリエルは自然と日本円で換算してしまった……
どうも、二十億の幼女です。そう、二十億…… 二十億円だ。
とんでもないことですよ。
「いや別にね、それでもシェリエルを救えたなら安いものだと思うんですよ? ですがねぇ、我が家も財政に余裕があるわけではないんですよ。もし領民が困窮するような事になれば、元の場所に返してくるしか…… それに子どもが興味を示したことはうんと伸ばしてやりたいですし、それが利益に繋がるならねぇ? わかりますよね?」
「はい…… 精一杯やらせていただきます」
なるほどこれがベリアルド。
幼女にも平気で負債を突きつけて来るわけね。
「父上は良い買い物をしましたね。あの時は気でも触れたのかと思いましたけど、天使のように可愛いだけでなく領地の利益まで増やしてくれるなんて」
言い方……! 多少扱いがマシになり忘れかけていたけれど、この人たちにとってアレは買い物なのだ。
この悪魔! 人でなし! わたしが普通の五歳児ならグレていたところだ。
「お父様…… ちなみに闇オークションは合法なのですか?」
「いいえ、完全に非合法ですよ?」
「なぜ、そのまま落札したのです? 潰してしまえばお金を払う必要も無かったのでは……?」
全員の見開いた目が一気に集まる。
もしかして悪魔侯爵らしく、裏では手を引いていてとか? 領主公認の非合法だったのかしら。
「その手がありましたか……! 貴女、誰よりもベリアルドらしいかもしれませんよ。むしろ私の得意分野なのに、どうして気付かなかったのでしょうね。これも教育のせいでしょうか」
どうして悪魔と呼ばれる癖にそんなとこだけ律儀なのか。
これはセルジオが極端に考えることが嫌いなため、素直に支払っただけなのであるが、シェリエルはこの後も彼らの倫理観に頭を抱えることになる。
とまあ、そんなわけで。
その後は食事の味もよく分からないまま、胃の痛い食卓となった。
二十億か…… 流石にまだ他領との関係まで習っていないし売れそうな物を考えるだけで良いかな?
利益云々は文官に任せよう。ライナーに丸投げしてもそれなりにやってくれそうだし。
食事を終え、自室に戻ると少し食休みして寝支度をする。
普段は身体を拭いてもらうだけだが、最近は洗髪剤のテストを兼ねて頭も洗って貰っていた。
今日のは蜂蜜と塩が入っている。さてどうなるか。
「シェリエル様、洗い心地はどうですか?」
「気持ち良くて寝ちゃいそう…… 少し脂臭いけど、スッキリ感は増した気がする」
洗い終え、丁寧に布で水分を拭き取ってもらった髪を触る。
キシキシせず良い感じだ。風魔法で乾かして貰うと、つるんと艶のある仕上がりになった。
これならディオールも満足するはずだ。
と、シェリエルは満足げに指先でいつまでも髪の手触りを確かめていた。
翌日。
ライナーが城へやって来ると、セルジオに付けてもらった文官にも付き添って貰った。
ベルガルという二十代くらいのまだ若い文官だが、経理やお金に関することはベリアルド領で二番目に優秀で、一番はベルガルの父親らしい。
「こちらが依頼された品となります。どうぞご確認ください」
テーブルの上には大小二つの瓶が三つずつ並んでいる。
小さな小瓶の蓋を開け、顔の前でゆっくり回すとフレッシュなバラの香りが広がった。
今回、香草だけではなくバラでも作ってもらったのは正解だった。
花の香りはオイルに移りづらく、香油は香草系の香りしかないそうなので、ディオールの気を引けそうな気がする。
続いて大きめの瓶を開け、液体を手の甲へ伸ばす。
ほのかなバラの香りと共にスッと肌へと染み渡り、思った通りのフローラルウォーターが出来上がっていた。
「ずいぶん早かったのですね。もう少しかかるかと思いました。思った以上の出来です」
「シェリエル様のご指示が的確でしたので、ほとんど失敗が無かったのです」
五歳のわたしでも大丈夫なら大人はたぶん平気だろう。
本当は化粧水が欲しかったが、グリセリンが手に入るとは思えなかった。石鹸作りの過程で抽出できても、不純物を取り除くところの知識が足りないのだ。
とりあえず代用品でも充分だろう。
「今日の分は全て買い取りましょう。それで今後なのですが、利益の何割かをこちらの取り分とさせて貰いたいのです」
「そ、それは公共事業にしていただけると?」
違いが分からず、咄嗟にベルガルを見る。
「公共事業は直接動くのは平民ですが、領主が出資することで七から八割の利益を領主に、残りが商会の取り分となります。しかし納税が免除されますので、莫大な利益になるでしょう」
なるほど?
経営のことはよく分かっていないが、元々原料費や人件費は負担するつもりだったので、公共事業ということにしても良さそうだ。
「わたしにその決定権はあるのですか?」
「はい、お嬢様に割り当てられた予算内であれば、好きにして良いと」
わたしはまたプルプルと小刻みに震えるライナーに向き直す。
「では公共事業として運営しましょう。これからわたしの手となり足となりどんどんお金を稼いでください」
「はい! 仰せのままに!」
床の抜けそうな勢いで膝を付いたライナーが大型犬に見えてきた。尻尾をブンブン振り、早く次のボールを投げてくれと目を輝かせている。
「では、細かい利益配分などはベルガルに任せるとして、次に作って貰いたいものがあるのですが」
「何なりと!」
「石鹸を作って欲しいのです」
「石鹸ですか? 石鹸は既にありますが……」
途端にライナーの瞳から輝きが失せていく。侯爵家のご令嬢がよく石鹸なんて知っていたな、くらいの顔をしているが商人としてそれはいいのか。
「石鹸は何の油で作られていますか? 動物の脂や廃油では?」
「ええ、おっしゃる通りです」
やっぱり…… なんかそんな匂いしたもの。
事業にするにはリスキーだけど、とりあえずベリアルド家の分だけでも確保したい。
「これは事業になるか分かりませんが、お試しで良いので作ってみて欲しいのです。その代わり、精油の使い方をいくつか教えます。ああ、酒蔵は持っていますか? 出来ればどこか質の良い酒蔵を見つけて来てください」
「石鹸に精油に酒蔵…… まったくなにを仰っているのか分かりませんが、やってみましょう。それで石鹸も普通の物ではないのですよね?」
「はい。今香油に使っているような匂いの少ない植物油を使って、今回使った精油を香り付けに使ってください」
「承知しました。皆様は洗濯のあと香を焚くそうですが、洗濯だけで香りが付くようになれば大変な事になりそうですね」
あまりピンと来ていないけれど、輝きを取り戻したライナーが言うのだからそうなのだろう。
「そういえば、平民は洗濯などはどうしているのですか? 井戸の水では石鹸が使えないのでしょう?」
「井戸の近くに大釜があるのでそこで一度湯を沸かし、皆で集まって洗濯するのです。あと、川の水は石鹸が使えるので村や小さな町では川を使うのが一般的ですね」
へぇ〜、沸騰させればいいのか。あの時は温めるくらいだったから不十分だったんだ。
メアリも知らなかったようで、目を丸くさせている。庶民の知恵と言ったところだろうか。
この世界は不思議な事だらけで、前世の知識があっても使えそうなものは殆どない。
けれど、その違いがあるからこそ知りたいと思う。仕組みが気になるのはプログラマーの性質だろう。
「この謎はいつか解明しましょう」
シェリエルは精油の使い方をいくつか教え、石鹸と同じくお試しで作って貰うことにした。
いくら作ってみても売れなければ意味がない。
見切り発車で夢と浪漫を詰め込むと大抵大火傷する。
ということを、これまた前世のプロジェクトで学んでいた。
夜、寝支度をして寝台に入ると、またあの金額がチラついて眠れない。
目はシパシパして眠いのに、頭がジクジク回って眠れないというアレである。
シェリエルは寝るのを諦めパチリと瞼を上げた。
こうも神経が過敏になると、カサカサと庭を走るリスの足音や、屋敷のどこかで人が話す声まで聞こえるような気がするのだ。
「ナァーォ」
ん、なんの音? 気のせい?
近くから聞こえる音の主を探すが、怪しい物は特にない。
「ニァーォ」
外から聞こえる気がする。
寝台から這い出し窓の外を眺める。月の明るい夜だが庭には特に変わった様子はない。
また「アー」と小さく聞こえてふ、と目線を上げると、窓より少し上の枝に真っ黒な猫が座っていた。
前に見かけた子だろうか。部屋は結構高い位置にあるので、木を登って降りられなくなったのかもしれない。
「あらら、怖かったね、いま助けてあげる」
重い窓を静かに開け、腕を伸ばすと黒猫はヒラリと窓枠へと降り立った。
「こんばんは。ここらへんに住んでるの?」
「ナァ〜」
そうだよ、とでも言うように軽やかに返事をして、黒猫はしゅるりと部屋のなかへ入ってきた。
音もなくテーブルに飛び乗ると、しっかりとした肢体が艶々と月明かりを反射し、しなやかに伸びをしたあと呑気に顔を洗い始める。
「はわぁ〜かわいいねぇ〜!」
もしかしたらこれは前世での夢が叶うかもしれない……
「ネコちゃん、今夜一緒に寝ない? 抱っこさせて欲しいなぁ〜」
驚かせないよう、ゆっくり鼻先に手を伸ばすと、すりすりと顔を擦り付けてくる。
いける! なんて人懐っこいネコちゃん!
寝台に上がり小声で「おいで」と呼ぶと、黒猫が軽やかに布団へと飛び乗った。
「おぉ〜よしよし、ちょっと抱っこさせてくださいね」
ごろんと横になり黒猫に抱きつくと「抱かせてやるよ」と、言わんばかりに黒猫も大人しく横になる。
「わぁぁあぁぁ! デッカイネコちゃんッ、最高!」
まだ小さなシェリエルにとってこの立派な黒猫はとても大きく感じられた。
大人になると味わえない子どもの特権である。
シェリエルは犬も猫も馬でも何でも、大きければ大きいほど良い。という質である。
なぜなら大きな動物はカッコいいから。浪漫が詰まっているから。
シェリエルはしっとり詰んだ毛艶の良い身体にモフッと顔を埋め、思い切り幸福を吸い込んだ。
はぁ〜至福。
猫肌恋しい季節であった。
そして、あれだけ気になっていた負債についてはすっかり忘れて、いつの間にか眠ってしまっていた。