白薔薇の館
イルメラ(シャマルの母)
『93.真紅の飾りの招待状』で出てきた没落寸前の伯爵夫人
「イルメラ様、おめでとうございます」
「白薔薇の館のご利益は本物なのね」
こうなることは予想していたけれど、いざこうして行く先々で慣れない称賛を浴びれば、イルメラは誇らしい気持ちと気恥ずかしい気持ちで、社交的な笑みを貼り付けることしか出来なかった。
二年前に出来たこの美の聖地は、いつしか貴族の間で白薔薇の館と呼ばれるようになっていた。
いまだ領内の貴族に限定しているにも関わらず、常に予約はいっぱいで、最近では入会制限が設けられたほどだ。
自身が初期会員として入会出来たことだけでも一生分の運を使い果たしたと神々に感謝する日々だったというのに……
「まさかこんなことになるなんて……」
偶然鉢合わせた貴婦人方と別れ、困惑の声が漏れるイルメラに、同じく初期会員のジョゼットがクスクスと微笑ましいという様子で笑いかける。
「これまでの努力を神々がお見過ごしになるはずがないもの。当然のことだわ」
「お引き立てくださったのはシェリエル様よ…… わたくし最近では神々よりもシェリエル様にお祈りすることの方が多いくらい」
同じ年頃の娘を持つジョゼットとは仲が良く、今日は同じ馬車に乗り合わせてここまで来た。
今日は季節に一度、初期会員のみが集められる特別なお茶会の日だった。
「皆様ご機嫌よう」
最後に入ってきたのは白薔薇こと、領主一族のシェリエルだ。十一歳になったばかりとは思えないほどの落ち着きに、まだ成長し切っていない幼い身体、そして唯一無二の銀糸のような髪色が一層その神秘的な雰囲気を際立たせていた。
一斉に立ち上がり、各々貴族式の挨拶をすれば、シェリエルはゆっくりと頷いて着席を促した。
「早いもので二年、これも皆様のご助力あってのことです。来年には入浴室を増設することになりました。ーー」
淡々とした中にも気遣いと慈しみが感じられるシェリエルの挨拶に、めいめいうっとりと聞き惚れる。
本来、夫や父親から又聞きになる領地の報告などが続く。ついにイルメラは自身の名があげられた時には心臓はドクンと高鳴り、高揚と緊張に背筋を伸した。
「皆様もご存知の通り、今年イルメラ様の夫君、プラントン伯爵が魔花…… シフヨウの栽培に成功されました。これにより我が領地の事業も大きく発展することになるでしょう」
イルメラはそれまで夫の研究には無関心だった。美しい花々であればそれなりに興味を示しただろうが、植物研究というのは奇怪な魔木や魔花、薬草などを扱うことが多い。
しかし、娘のシャマルは違った。父親に懐き研究にも付いて回っていたシャマルは、シェリエルの前でも良く父の研究が凄いのだと話していたらしい。
『イルメラ様、今度プラントン伯爵の研究所にお邪魔したいのですけど、イルメラ様から伯爵にお話を通していただけませんか』
それはイルメラにとっては青天の霹靂で、もちろん二つ返事で了承し、夫共々恐縮と緊張に震える視察日を迎えることになったのだ。
以前、植物油の生産について依頼を受けた時は失敗してしまっている。また期待に沿えなければ…… と、家門の取り潰しをも覚悟し、研究所とは名ばかりの古い山小屋と、近くの森を案内した。
シェリエルは「ティッシュみたいですね……」と不思議な感想を漏らしていたが、それこそが紙の材料となるシフヨウだった。
くしゃりと柔らかい紙をふわふわと何枚も重ねたような、人の頭ほどあるその魔花は、花弁を板で押さえ、伸ばして乾燥させることでピンとした紙になる。
しかし土地を移すと握り拳ほどの花しか咲かない為、人工栽培するのが難しい植物だった。
研究所近くの自生地帯を訪れたシェリエルは、いくつか夫タブルに助言した後、土地を用意してくださり、結果、タブルは半年で人工栽培に成功したのだ。
イルメラは、「あれはまるで神のお告げのような…… 人智を超えたものだ」と感嘆する夫を思い出す。
すでに需要は失われたと思われた夫の研究に日の目が当たり、そして、それに応えて見せた夫を誇らしく思う。
視察が行われた頃から、サロンの雰囲気は一変した。
これまでお茶会の話題といえば、噂話や流行について。あとは力を示すための遠回しな家業の自慢などが主だった。
それが、今やどこでどう家門の利益に繋がるか分からないと、皆が積極的に情報交換を始めたのだ。
三つしかない紹介枠も、上位者に取り入る為に使うだけでなく、地方の農地管理をしている貴族を引き立てる者まで出てきた。
もはや、このサロンは第二の政治の場として機能し始めている。
シェリエルはそれを見越していたのか、定期的にサロンや貴婦人間の様子を把握するため、こうしてお茶会を開いていた。
「わたくしからの報告はこの辺に致しましょう。皆様のお話もお聞かせくださいませ」
定例報告とでもいうのだろうか。事業の報告などは正式に領主やシェリエルに届いているので、ここではもう少し噂に近い貴婦人目線の話が求められる。
数回目ともなれば、皆自然とそれを理解していた。
「先日、近くのお屋敷で他領の貴族を招いたお茶会が開かれたそうです。主催もサロン会員では無いので偵察を目的としたものでは無いかと……」
「浴室はカーテンがあるので大丈夫ですが、ティーサロンは危険ですね。読唇の心得があれば会話を拾われる可能性もありますから、こちらで対応致します。コリンナ様ありがとうございます」
噂話に精通するコリンナは緩みそうになる頬を必死に引き締め、恭しく頭を下げる。
間を読みジョゼットが口を開けば、今一番が関心が高まっている話題へと移った。
「方々で医療事業についての話を耳にします。神殿に敵対することになるのではないか、怪しげな研究が行われているらしい、というような懸念の声や、到底治癒が不可能に思えた重傷者が綺麗に傷を治し、その後口を噤んでしまったなど…… それもあって不穏な噂が絶えません」
このように、批判に取られかねない話もシェリエルは好むため、最初の頃ならば躊躇していたような話題でさえも気兼ねなく口にする。
「シェリエル様、聖水は本当に存在するのですか」
「聖水…… では無いのですけど、疫病が伝染するのを防いだり、治療に役立てることが出来ると思います」
「それは、まさに聖水ではありませんか……」
少し困ったように言葉を濁すシェリエルに、皆が息を呑む。これまで、菓子も美容品も積極的に広めてきたシェリエルが、慎重に事を進めているということは、それだけ重大な何かがあるのだろう。
大きな何かが動いているようで、それ以上誰も掘り下げることは出来なかった。
「わたくしからも、よろしいでしょうか……」
「ええ、もちろんです」
「娘が…… 禁書について他の御令嬢と話しているのを聞いたことが御座います。シェリエル様の側近候補のみが貸し与えられる書だとか…… その、子どもの言うことですからあまり真に受けてはいなかったのですけど、どうやら事情をご存知の方々もいらっしゃるようなので……」
ちらりと窺うようにイルメラとジョゼットに視線が移り、イルメラは「あっ……」と小さく声を漏らしてしまった。
つい先日、彼女から禁書について尋ねられた時に、思わず濁してしまったことを思い出したのだ。
それはジゼルの母であるジョゼットも同じだった。シェリエルと三人、苦い顔で顔を見合わせる。
シェリエルは隠すつもりも無いらしく、恥ずかしそうに口を開いた。
「あれは、禁書などではありませんよ。一冊しかない為、順番で争いが生まれぬようあまり話題に出さないよう言っておいたのですが、噂になっていたのですね……」
隠せば隠すほど人は興味を持ってしまうものだ。そして、禁書と噂される理由に、イルメラ自身、心当たりがあった。
娘のシャマルがシェリエルに借りたという本は、まだ真新しく王族に納められる歴史書や語学書のようにしっかりした装丁が施されていた。
自分から勉強することなどなかったシャマルが数日に渡り寝る間も惜しんで読み耽っているので、何があったのかと聞いてみたところ、勉強ではなく御伽噺のようなお話が書かれていると言うではないか。
御伽噺は母や乳母から口伝で継がれる、短いお話だ。それが学術書に似た厚い本に集められているのだと思い、少し見せて貰ったのが終わりの始まりだった。
あれは、一つの世界……、一人の人生……。
気付けばイルメラも数日間、寝食を煩わしく思うほどに読み耽り、途中、読み終わっていたシャマルがつい先の展開を口走った為、久しぶりに本気で叱り付ける事態にまで至る。
そのせいで子らの間では《物語については読み終わった者としか語り合ってはならぬ》という規則が出来たらしいが、それも禁書と噂される所以なのだろうと冷や汗が流れる。
読み終わった後の余韻に浸り、何度か読み返したため今度はイルメラがシャマルに怒られ、シャマルも読み返していたので返却が遅くなってしまった。
それが各家庭で起こっているならば、他の子がまだ読めていないのも当然だろう。
そして、ジョゼットとは語り合ったが、本について聞かれてもどこまで話して良いか分からず、二人して濁す羽目になったのだ。
「申し訳ございません。わたくしも読ませて頂いたのですが、どう説明して良いか分からなかったもので」
シェリエルが「ネタバレになりますものね」と小さく笑い、皆に説明を続ける。
「あれは御伽噺よりももっと長い一つの物語を書いた本なのです。知り合いに頼んで書いて貰ったのですけど、そのうち皆様にもお貸ししますので是非読んでみてくださいませ。結末や展開を先に聞いてしまうと面白くないので、今後も未読の方がいらっしゃるところではお話は避けてくださいね」
「そうだったのですね…… てっきり、医療事業に関するものかと。楽しみにしております」
イルメラはまだ引かぬ冷や汗をこっそりとハンカチで押さえ、ホッと胸を撫で下ろす。
不穏な噂もタネを明かせば案外ただの勘違いだったなど良くある話だ。当事者となって改めてそれを実感し、医療事業もきっと中身は素晴らしいものに違いないと一人懸念を払拭するのだった。





