朝と夜 —3—
やっと落ち着いたらしいクロエが申し訳無さそうに、こちらに向き直った。
「クロエ・キースリングと、申します。大変、失礼致しました。お客様になんて失礼を……」
わたしたちも挨拶を返すが、まだ緊張した様子のクロエは黙り込む。
「あの、お気になさらないでください。確かにわたくしどもはおかしな色をしているので…… クロエ様は色が分かるのですか?」
我ながら不躾だとは思うけれど好奇心が勝ってしまった。盲目の少女がわたしたちの何に怯えたのか。
「はい、わたくし目は見えませんが、魔力の…… 属性の色だけは分かるのです。ぼやりと形はハッキリしないのですけど…… それで、初めての色とその魔力の……」
魔力は出来るだけ抑えているが、それでも感知出来るというのか。言葉を濁すあたり、あまり良い印象では無いらしい。
しかし、魔力感知で属性色が分かるというのは面白い。本来、魔力は空気のようなもので髪や鉱物といった物質に宿らなければ、その色さえも目で見ることは出来ないのだ。
「わたくしの色は白で、ユリウス様の色は黒というのです。一応悪いものではないのでご安心ください」
「ふふ…… 先ほどは取り乱してしまいましたけれど、とても美しいお色ですね」
小さな鈴のような声色は可愛らしく揺れ、少し赤くなった目尻が緩やかに下がる。色を褒められることは滅多にないので、純粋に嬉しい。
「なんだか、緊張します。こうしてお客様とお茶をするのは初めてで……」
「これまでどなたも?」
「ええ…… わたくしの目のことはキースリング家の弱みになりますから、誰にも知られるわけにはいかないのです」
おお…… それは、なんというか。
妹思いのお兄さんかと思ったけれど、そういうところはしっかり貴族だ。伊達に十家門入りしていない。それより、その弱みであるクロエとわたしたちを引き合わせたのは、同情を誘うためか、それとも脅迫のお詫びか……
クロエはとてもほがらかで良い人そうだけれど、手放しで会話を楽しめないのが残念だ。
「どうかなさいました?」
言葉に詰まるわたしにクロエがコテリと首を傾げる。
「とても所作が美しくて魅入ってしまいました」
「まぁ……! とても嬉しく存じます。粗相無く動けるのはこの屋敷内だけなのですけどね」
ふふっと笑うクロエに卑屈さは無く、どうにかして治療してあげたいというハインリの気持ちも分かる気がした。
ユリウスはシレッと優雅に紅茶を飲むだけで、会話に混ざる気は無いようだ。
代わりにハインリはわたしたちの仲を取り持つように会話を運んでくれる。
「家具や食器、この屋敷にあるものすべて、十五年間ずっと同じ配置で整えているんですよ。ですからクロエは花瓶を倒す事も、階段から落ちる事もなく安全に暮らせるんです」
ハインリは自慢げに、そして少し切なそうにクロエの為に整えた屋敷と、クロエの努力を話して聞かせてくれた。
屋敷内だけで人生が終わることを惜しむように。
「貴族であれば、一応誰が入ってきたかも分かるのですよ。シェリエル様とユリウス様も覚えましたから、また遊びに……」
そこでクロエは口籠もり、遠慮がちに「もしよろしければ」と付け加えた。
「わたくしで良ければいつでもお呼びください」
パッと華やぐ笑顔に癒される。
ジゼル様の髪色にも似ているし、地の加護を得た女の子はみんな穏やかな癒し系になるのかな?
わたしはいつの間にか気負うことなく、普通にお茶会を楽しんでいた。
「シェリエル嬢、良ければ…… 一応、診て貰えないだろうか」
折角仲良くなれそうだと思ったところに水を刺したのは妹思いのハインリだ。シスコンは空気が読めないという特性でもあるのだろうか。
「お兄様? もしや、シェリエル様を治療のためにお招きしたのですか?」
「お前にも分かるだろう? シェリエル嬢、それにユリウス様は類稀な魔力をお持ちだ」
「おやめください! 同情をひき、利用するなど…… わたくしはただ、普通にお友達に……」
声を詰まらせるクロエの気持ちは良く分かる。兄の厚意は迷惑なものが多々あるのだ。
どこかの生首をプレゼントしようとした兄を思い出し、うんうんと頷く。
「クロエ様、ご安心ください。ベリアルドは同情出来ない性質なので、気にしていませんよ」
「シェリエル嬢、やはり君も呪いを?」
「多分ですが……」
「そうか……」
呪いの有無もある程度は予測していたようだが、同情はしないと宣言したわたしに、ハインリは肩を落とす。
わたしも、出来ることはしたいと思うけれど。
「一応、やってみますが、理論的には不可能です。期待しないでくださいね?」
「……!!」
驚きと期待に満ちたハインリに断り、クロエの側へ寄る。クロエの両目に手を当てて、治癒魔法を展開した。
魔力を注いでも特に反応は無く、どこをどう治せば良いのか分からない。
医療研究で一番の発見は、正常な状態を知りそれをしっかりと頭にイメージすることで治癒の効果が上がるということだった。
これは他の魔術と同じ原理なので、何も不思議なことでは無いのだが、解剖が禁忌のこの国では「驚くべき発見」と言える。
しかし、眼科医ではないわたしには失明の原因が分からないし、元の構造も神経に関わることならば正常な状態を知りようがない。
そういうわけで、わたしはやるだけ無駄だと思っていた。
「やはり無理そうです。クロエ様、何か変化はありますか?」
「あの…… 魔力がハッキリと形を……」
え? なんて?
クロエは両手を使い、必死に説明してくれる。
「いままでは、こう、もやもやと色が漂っているだけだったのですけど、今ではシェリエル様の形が、ハッキリと…… 何か、動いてみてもらえますか」
わたしが片手を上げると「右手を上げています」と答え、三本の指を立てると「三ですか?」と当てた。
「凄いぞ! クロエ! では私の顔は分かるか!?」
「いえ、顔までは……」
「そ、そうか! でも少し、進歩した! のか?」
進歩と言えば進歩だろうか…… 目が見えるようになったというより、特殊な才を伸ばしただけになったが。
今まで沈黙していたユリウスが興味を示したようだ。
「ふむ、面白いね。陣は発動していないからギフトでは無いようだし、ただ感覚が優れているというだけのようだが…… クロエ嬢は他の感覚も優れているのかな?」
「はい、匂いや音には敏感だと思います」
「なるほど」「なるほど」
ユリウスとわたしの声が重なった。
たぶん、考えていることは違うけれど……
わたしは俄然やる気が出て来た。さて、どうしたものか。
「一度きりになりますが、それでも良ければお力になれるかもしれません」
「あの、それは…… わたくしに世界を見せてくださると?」
「はい、それが良いことかどうかはわたくしには分かりませんが、もしクロエ様が望まれるのであれば」
クロエは両手で顔を覆うが、指の隙間からは朱に染まる頬が覗いていた。
「シェリエル嬢! 一度でも良い! 私はクロエに見せてあげたい!」
「わ、わたくしも、見てみたいです……」
隣を見ると若干こめかみに青筋を立てるユリウスが視線を外して黙していた。
「お願いしますね、ユリウス先生」
「君、こないだアレは破廉恥だと言っていただろう?」
破廉恥という言葉にハインリとジョンがピクリも反応する。二人が止めることを期待しての言葉選びに、ユリウスがあまりに乗り気じゃないことがひしひしと伝わってきた。
「視覚だけなら大丈夫です」
この流れでも断れてしまうのがユリウスなので、念話を繋いで押すことにした。
「(連れてきたのは先生でしょう? こうなることを予測していたんじゃないですか?)」
「(流石にこれは予想外だったよ。君がまた拗ねると思ったから私は手を出すつもりが無かったんだ)」
「(わたしは一度も拗ねたことなどありませんが? それより! いつも動物相手に同調してるじゃないですか。少しくらい人の為に使っておいた方が、良いと思います)」
普段は他者の視界を借りているユリウスだが、感覚共有の際に自分から他者への共有していたので、視覚も同じはずだ。
「(なぜ私が?)」
「(先生がギフトの魔法陣をくださるのなら、わたしがやりますよ?)」
「二人で見つめ合って、どうしたのですか?」
ハインリの言葉にユリウスがはぁ、と深い溜息を吐く。
「一度だけだよ? 対価はそうだね……」
「先生、それはわたしからのお誕生日の贈り物ということで、対価はわたしに請求してください」
「よろしい、ならば問題ない」
即答じゃないの。最初からお願いではなくて交渉すればよかったのか。
訳が分からないと言いたげなハインリを前に、ユリウスがスッと笑顔を引き締めた。
「私は他人と感覚を共有することが出来ます。この能力を使い、私の視覚をクロエ嬢にお貸ししようという話です。このことは他言無用です。よろしいですか?」
「まさか、そのようなギフトまで……!? え、ええ! もちろんすべて内密に。後ほど、契約書を交わしましょう」
ユリウスはその言葉に満足したのか、クロエの方へ歩き出した。「少し触れるよ」と言い、座ったままのクロエの頭に手を乗せると——
うつろな瞳で真っ直ぐ前を見据えていたクロエがツーっと一筋の涙を流す。
「なんて、美しいの……」
「クロエ様、見えますか?」
コクコクと頷くクロエは、口元を押さえ振り返る。ユリウスがそれに合わせてジョンに視線を移すと、クロエは立ち上がろうとしてそのまま床に崩れ落ちた。
「ああ、他人の視界だと距離感が狂うので、あまり動かない方が良いですよ」
身体を支えるジョンの腕を押さえ、クロエは頻りに何かを伝えようとしていた。
「え、ジョン……! お兄様! これは何と言えば良いのかしら…… 世界は色で出来てるのね…… ジョンも、お兄様も! なんて美しい配色なの!」
「お嬢様!」「クロエ!」
気付けば、ジョンも、ハインリも泣いていた。
「お嬢様…… 今朝の花を見てやってください……」
嗚咽を堪えるジョンにクロエは声にならない頷きを返し、そっと身体をハインリに預けられる。
「お兄様、わたくしの知らない色がたくさんあります」
「ああ…… そうだろう? ずっと見せてやりたかったんだ」
ユリウスはハインリの視線を追うように、ゆっくりと部屋を見回し、そしてテーブルの上の食器ひとつひとつまで丁寧に眺めていた。
「何もかもが美しくて、たくさんジョンに言葉を教えてもらったのに、表現する言葉が出てこないのです」
「今はしっかり、記憶に刻むと良い……」
息を切らしたジョンが、水の滴る大きな花束を持って戻って来ると、蹴躓きながらもまっすぐクロエに向かい、その胸に花束を抱かせる。
ユリウスは後ろから覗き込むように、クロエが触る花を追った。
クロエは触れた花々を丁寧に味わうように、ゆっくりと香りを吸い込んだ。
「これはロランスの薔薇。これは、ミズリの薔薇、ラネアの薔薇にアネモネ…… 想像以上に複雑な色をしているのね…… 薄い命の色がだんだん濃くなっていくみたい。ジョンの言葉通りね、美しいわ……」
はたと、わたしの方を向き直したクロエが、めいいっぱい両手を伸ばす。
呼ばれているのかと思いそちらに近寄れば、細く折れそうな両腕がしっかりとわたしを抱きしめた。
「ありがとうございます、シェリエル様…… 本当に……!」
ユリウスの視点で見るわたしと、クロエの手が触れるわたしを照らし合わせるように、丁寧に髪に指を通し頬に触れた。
「お礼はユリウス様に」
「ユリウス様、本当になんとお礼を言っていいか……」
「彼の視界と繋いであげるから、少し外を歩いて来るといい」
あれ? そんなことも出来たの?
よくよく思い返せば似たようなことをしていた気もする。
驚き言葉を無くすクロエたちを無視して、ユリウスはジョンの視界をクロエに与えた。
ジョンは「ユリウス様、この御恩は必ずお返ししますので!」と勢いよく頭を下げると、クロエを抱き上げゆっくりとあたりを見回しながら部屋を後にした。
「ハインリ様は一緒にお散歩しなくてよろしかったのですか?」
「ええ、ジョンに任せておけば問題ありません。それに、ユリウス様は私と話すためにクロエを外にやったのでしょうし」
そういうことならわたしも一緒に行けば良かった。
また腹の黒そうな人たちとの話し合いに逆戻りだ。





