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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第一章 ベリアルド家
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10.微かな不穏


 翌日もディディエが遊びに来たが、わたしはまだ怒っていた。


 人を食いしん坊だと涙が出るほど笑って……

 わたしは天才なんかじゃない。

 ちょっと前世の記憶があって、なぜか未来の夢を見て、少し人より早く脳みそが動きはじめただけ。

 料理にしたって前世の記憶で、わたしが考えたわけでも、そこまで執着があるわけでもないのに。


「まだ怒ってる? ほら、昨日の菓子をまた作らせたんだ。一緒に食べよう?」


 形は歪だが、昨日よりもサクサクしていて舌触りも良い。


「そういえば、絞りやら泡立て器がどうとか言ってたけど何だったの? お詫びに僕が用意するよ?」


 一応ディディエなりに機嫌を取ってくれているようなので、気を取り直して簡単に説明する。

 この世界でビニールやゴムを見たことがない。

 実際に使っている使用人たちに話を聞かなければ分からないので、また使用人の控室に行くこととなった。

 連日押しかける厄介な子どもになっている。


「——という訳で、水を通さない袋と口金が必要なんですが、そういう器具はありますか?」

「水を通さない袋は、袋の内側に青蜂の蝋を塗れば作れますが、そのクチガネ? というのは細工師に作らせるしかありません」


 なんとか理解はしてくれたようで、細工師にツテがあるというコルクが発注してくれることになった。

 ついでに泡立て器も頼んでおく。

 ディディエはこれもお詫びだと言いながら、まだお金を持っていないわたしの代わりに支払いをしてくれるらしい。


「出来上がったら使い方を教えますね。また一緒に作りましょう」

「はい、楽しみにしております!」


 コルクは新しい菓子作りが楽しかったようで、訳の分からないわたしも快く応じてくれた。

 このまま信頼を得て、いつかクリームシチューを作ってもらおう。

 この世界の料理は基本的に塩と胡椒でしか味付けされていない。たくさんのバターや油が使われ、たまにならいいけど毎日となると正直胸焼けしそうなのだ。

 そんなことを考えながら控え室から出ようとしたときだった。


——ドサッ……


「キャッ!!」


 可愛らしい悲鳴をあげたのはメアリである。

 わたしは驚きすぎて声も出なかった。そして一拍遅れてやっと理解する。

 一人のメイドが部屋へと倒れ込んで来たのだ。

 

「大丈夫? 生きてる? 具合が悪いの? 顔色が悪いようだけど」


 咄嗟に声をかけると、すかさず別のメイドが前に立ち謝罪する。


「申し訳ありません、ディディエ様。シェリエル様もお見苦しいところを失礼致しました」


 そんなことより倒れるほどの病気って早く医者に見せないと…… 

 ディディエは黙って倒れたメイドの手のあたりを見ていた。

 なんだろう? 包帯? 血が……

 すぐにディディエが視界を塞ぎ、メアリに抱き上げられると足早に部屋を出ることとなった。


「あの人大丈夫? もしかして悩みでも……」

「シェリエルは気にしなくていいんだよ。あれは母上のメイドだからね」


 ここへ来て二年、セルジオとはたまに話すがディオールとはほとんどと言っていいほど会話をしていない。

 朝昼を兼ねた遅い朝食や、夕食の席では会話に混ざることもなく、ほぼ放置状態だ。

 ディオールが教師を雇ったり授業の進捗を確認したりと、裏では色々と面倒見てくれているのを知っている。

 ある意味、良い距離感だとも思っているが下手に怒りを買いたくないという気持ちもあった。

 けれど、使用人と言えどみんな貴族のお嬢さん方だ。

 洗濯や掃除をするメイドでさえ全員が貴族。

 中位以下は平民を雇うこともあるが、領主の城で領主一族の世話をする人間は貴族に限られる。

 メアリは下位貴族の次女で、領主一族のメイドとなれたのは幸運だったと話していた。

 本来ならディディエのように壊したり、倒れるまで酷使して良いはずがない。と、マルゴット先生なら言うだろう。

 なんだか有耶無耶にされたような気がしながらも、部屋に戻るとジーモン先生が待っていた。


「遅れて申し訳ありません。ご機嫌よう、ジーモン先生」


 片足を一歩引きゆるく膝を折る。スカートを摘むと頭は下げずに軽く上半身を傾け、最近できるようになった貴族の挨拶を披露する。


「なんて愛らしい挨拶だろう。見たかジーモン、この少し不安定でよろけそうになるのをプルプルと我慢するシェリエルの姿を。アハハッ! 笑顔を浮かべているつもりでも引き攣っている頬が不完全で最高だ」


 少し黙って欲しい。


「たしかに愛らしいですな。シェリエルお嬢様ごきげんよう。ディディエ坊っちゃまはマルゴットが探しておりましたぞ」

「あぁ〜、今日はマルゴットか。これ以上遅れると面倒だね。シェリエル、名残惜しいけどまた夕食でね、しっかり勉強するんだよ」


 ジーモン先生ありがとう。

 あの恥ずかしい兄の口上をスルーし、華麗に追い払ってくれたご恩は忘れません。


「さて、本日は史学でしたな」


 少し前に王家の系譜は学び終えたので最近は内戦の歴史を学んでいる。

 ディディエは一度読めば全て丸暗記出来るというが、まず詰め込むことが大変だった。

 ただ覚えても仕方がない。理解しなければ知識として使い物にならないから。


「意外と王位を巡る争いみたいなものは無いんですね」

「そうですなぁ、あるにはあるでしょうが、裏で秘密裏に行われるのでほとんどが歴史には残らないのですよ」

「暗殺ですか」

「ええ、そうなりますな。表立って王位を奪うにはそれなりの大義名分が必要となりましょう」


 なるほど。それで内戦が貴族の派閥争いや領土争いばかりなのか。というより、貴族の争いが多すぎる。

 貴族って暇なのかな?

 もっと効率よく自領を発展させれば良いのに。

 たまに出てくる歴史上のベリアルドが、状況を掻き回して楽しんでいるディディエに思えて来て苦笑いしてしまう。

 途中から出てきて不利な陣営に付き戦況をひっくり返したり、突然火種をぶち込んだり、味方を裏切り敵陣営を勝たせたりとやりたい放題のようだ。


「ベリアルド家は代々こういう感じなんですか?」

「“ベリアルドに助力を乞えば勝てる。だが、自分たちが望んだ結果になるとは限らない” という言葉が古くからありましてな。ですからベリアルドを引き入れると悪魔に魂を売った、などと言われるのですよ」


 なんて物騒な。

 ジーモンはニコニコと語っているが、ベリアルド家の一員としては乾いた笑いしか出ない。


「そろそろ史学は専門の教師を雇った方が良いかもしれませんなぁ。私も貴族の一般教養と研究の際に得た知識はありますが、お嬢様にはそれでは不充分でしょうから」

「わたしはずっとジーモン先生がいいです」


 出来れば知らない人を教師にするのは避けたい。

 彼なら学院の生徒に悲鳴を上げられるような事もないだろうし、教え子を串刺しにもしないだろう。

 なによりいつもニコニコと優しいジーモン先生が本当のお爺ちゃんみたいで好きだった。


 物騒な史実とは不釣り合いに楽しく和やかに授業を終えると、きちんと挨拶をしてジーモンを見送る。

 最近は途中で寝落ちするようなことも無くなった。

 わたしは成長しているのだ。


 それでもやはり眠気はやってくるので、夕食まで少しお昼寝をする。

 布団に入るとすぐに瞼がとろんと重くなってきた。

 勉強のあとの昼寝は最高だ。

 授業は大変だけれど、自分の生活費を自分で稼がなければいけない社会人のプレッシャーに比べれば楽なものだし。

 ふと、今日倒れたメイドのことが頭を過ぎる。

 彼女も中位の貴族だった。


「メアリは…… 雇用契約でメイドになった、のよね?  仕事は辛くない?」

「はい、此処より良い奉公先などありません。わたくしは下位貴族の生まれで、兄も姉もおりますので、領主ご一族のメイドとして雇い入れて頂けたのは幸運でした」


 この世界の身分制度は複雑だ。

 魔力量によって上中下の三階位に分かれ、その中でも更に魔力量や爵位で順位が付く。

 爵位は領地を持つか要職に就くことで、魔力量によってそれに見合ったものが与えられるという。

 例えば上位貴族が叙爵するのは侯爵位で、中位の上の方なら伯爵位。中の下が子爵で、下位なら男爵。

 侯爵のなかでも領地を与えられた貴族は強い。領地を持つ侯爵が伯爵に都市を任せ、子爵に村を任せる。

 さらには事業や研究で爵位を得る者。代々にわたり大事業を受け継ぐ家門もあれば、爵位を持たない野良貴族として細々やっている家もある。

 家門の力、領地の力、個人の力、様々な要素で順位付けがされ、その序列が全ての厳しい身分社会である。 

 夢のシェリエルが侯爵家の令嬢であるにも関わらず、あれほど軽んじられていたのは、本来なら決して許される事のない“上位者を蔑む”という行為が第二王子によって助長されていたからだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えていれば、いつの間にか意識は途切れていた。

 


 その日の夕食では、ディオールのメイドを注意深く見てみることにした。

 メイド二人の顔色が悪く、袖口から包帯が見えている。一人は今日倒れ込んでいたメイドだ。ディオールは特段不機嫌な様子もなく、かと言って上機嫌でもない。いつも通りだった。

 何だろう、この違和感は…… ああそうか、包帯を巻いたメイドは顔色が悪いだけで悲壮感のようなものが感じられないんだ。思い詰めている様子も、怯えている様子もない。

 体罰や自傷行為かと思ったけれど、そういうわけでも無さそう……?

 


 何事も無ければ良いと願いながら数日、出来上がったメレンゲ用の道具を受け取ったと知らせが入る。

 前回と同じメンバーで調理場に集まると、すでに準備は出来ていた。早速泡立て器と絞りの使い方を説明する。


「うお、みるみる泡立つ……」

「思った通りの出来栄えです。良い細工師ですね」


 泡立て器もちゃんと泡立っているので一安心である。


「どうしても袋に穴を開けるのですか?」

「ここに口金をはめて使うのです。洗えばまた使えますよ」


 布袋の中はツルッとしていて、これならメレンゲを入れても漏れ無さそうだ。

 端を切った袋に口金をセットし、メレンゲを詰めてもらう。

 一度手本を見せたが子どもの手では上手く絞り出せなかった。だが、やりたい事は伝わったようで、何個目かには綺麗にツノの立ったメレンゲが並ぶようになった。


「これで後は同じように焼くだけです。こっちの方がキレイでしょう?」

「ええ、型押ししたように均一で美しいですね。これなら奥様に出しても問題ないと思います」

「メレンゲに果実の汁を混ぜると風味が変わったり色付けも出来るとおもいます。色々試してみてください」


 コルクは目を輝かせたかと思うと、瞬時にぶつぶつと独り言を漏らしながら思案しはじめた。


「レモン、ベリーも使えるな。青葡萄を皮ごとすり潰せば…… うんうん、砂糖菓子と同じものが使えそうだ……、上手く焼けるかが問題か……試していくしか……」


 さて、これをなんと言ってディオールに出すか。……そこらへんはディディエお兄様に任せよう。

 というわけで、焼き上がるまでいつもの使用人控室で待つことにした。すっかり憩いの場となっている。

 本来休むべき他の使用人たちが休めないのではと心配したが、他にも何部屋かあるようで問題無いらしい。

 

「それにしても、素晴らしいですお嬢様。菓子の作り方だけでなく道具もお考えになるなんて」

「プッ…… それはやはり食い意地の才が……」

「美味しいものは幸せになりますからね」


 また吹き出したディディエを無視して、別のレシピを教えて良いものか考える。

 クッキーやスイートポテトくらいなら作れそうな気もするけれど、それこそ料理の才として誤魔化すしかなくなってしまう。


——バタンッ!


 またしても大きな音と共にまたしても倒れ込んでくるメイド。しかし前回とは違う。


「はぁ…… またかい?」

「だ、大丈夫なのですか? 早く医者を!」


 メイドが慌てて起き上がる。ベリアルド家のメイドはしっかり教育されているのだ。

 たとえ具合が悪くとも人前で倒れるなど許されない。

 このメイドだってやっと控室に辿り着き、気の抜けたところに当の一族が居るなんて思いもしなかっただろう。


「も、申し訳ございません。お見苦しいところを」

「良いのです。こちらこそ申し訳…… それより、大丈夫ですか?」

「ただの貧血でございます。すぐに出ますのでごゆっくりとお過ごしください」


 真っ青な顔のままフラフラと頭を下げるメイドは、先日のメイドと同じように袖の隙間から包帯が見えていた。


「その、奥に寝台があるのでしょう? 気にせず休んで来てください。わたしたちが部屋を出ますから」


 恐縮するメイドをジルケに連れて行ってもらい、自室へと移動した。

 メイドたちは何か知っているのか、気まずそうに口をつぐんでいる。


「お兄様は何か知っているのですか? 先日とは違う者でしたが、もしかして何人もあのようなメイドが?」


 やれやれと言わんばかりに息を吐いたディディエは、あまり深入りするなと前置きをして話し始める。


「別に大した事じゃないよ? こないだ母上の部屋に入ったらそれはそれは錆臭くてね。つい、臭いますねって言っちゃったんだ。そしたら新しい美容法だとか何とか……たしか、メイドの血を顔に塗ってるって言ってたかな」

「は? ……なんて?」


 咄嗟に言葉も整えず、思ったことが口から出てしまった。

 そんなホラーな美容法あります?

 しかもそれを何でもない事のように流すディディエもどうかしている。「臭いますね」じゃあないんですよ。


「別に死人も出てないし良いんじゃない? メイドが減れば父上も何か言うだろうしね。才のある者は時に他人には理解し難い方法を思い付くんだよ。シェリエルだって今回誰も知らないレシピや道具を考えついただろ?」

「レシピと血抜きを一緒にしないでください。そもそも血を塗るなんて病……」


 はたと思い出した。

 そういえば、彼女が亡くなるのはわたしが来て数年だったはず。お兄様は今十二歳。あと四年で成人だ。

 ベリアルド一族は成人まで問題が無ければある程度加虐性を抑えられるという。

 あくまで、目安というだけだが。

 もし、成人までに母親が死んでしまったら……

 ダメだ、これはどう考えても危険だ。

 夜な夜な顔面に血液を塗りたくるディオールも想像したくないし、万が一の事があって闇堕ちするディディエも見たくない。


「お兄様、わたしをお義母様に会わせてください」

「アハッ! シェリエルが初めて自分から僕にお願いしたね。いいよ、会わせてあげる。その代わり僕のお願いも聞いてくれる?」


 なぜか、先日のジーモンの声が脳裏によぎる。


——悪魔に魂を売る。


「魂以外でお願いしますね」

「何言ってるの? シェリエルの魂はもう僕のものだよ」


 天使のように微笑みながら冗談を飛ばす程度には、ディディエはこの状況に何の危機感も持っていないようだ。

 流石ベリアルド家ということか。

 

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[一言] つまり・・・メイドの血がワインのコルクを抜いたが如くドバーっと出した訳だな・・・ (料理長が)出てこなければ(メイドは)やられなかったのに!!
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