1.こんにちは、世界
「それでは本日の目玉商品をご紹介致しましょう!」
昼も夜も分からない地下に広がる大講堂。
真っ暗闇のなか、ステージだけがポッと灯の魔導具に照らされている。
なるほどこれが闇オークション。
わたしやっぱり“奴隷”として売られるのか……
「世にも珍しい白髪の娘でございます。まだ三つと幼い商品ですが、特別なのは髪色だけではございません! 泣きもせず躾は完璧。しかし薬は使っていないという一級品!」
現在、闇オークションの真っ只中。競りにかけられているのはわたし自身だ。
だからと言って驚くこともなかった。
わたしには前世の記憶があったので。
今となってはどうでも良いことだけれど、今となっても死ぬときの感覚は忘れられない。
最後の記憶は「二十七歳・独身女性・職業フリーランスのプログラマー」という人生があっけなく幕を閉じた瞬間である。
ゆっくり流れる街の景色に、男の血走った目。
リモートという名の引きこもり生活は三年ほど。
久しぶりに外に出た日、偶然か必然か一番会いたくない人間に出会い、そのまま交通量の多い大通りに突き飛ばされていた。
これは死ぬな、と思った瞬間には…… 母の顔、コミット前のソースコード、楽しみにしていたアニメの最新話に積んでいた海外ドラマ、殺意にも似た怒り、恐怖、後悔、その他諸々が駆け巡って頭が沸騰しそうだった。
もしかしたら本当に頭が弾け飛んでいたのかもしれないが。
で、気付いたら知らない場所で生まれていたというわけである。
けれどその転生騒動も「あれ、わたし死んだはずでは?」くらいの驚きで終わってしまう。
生後数ヶ月、前世の記憶を思い出すその日まで、わたしはずっと“未来の記憶”を見ていたから。
「……では小金貨一枚から始めます。刻みは大銀貨、一枚、二枚、三枚、飛ばします、五枚……、小金貨二枚! さすが分かっていらっしゃる! 小金貨三枚……」
会場に響く男の声と暗闇でチカチカ光る記号たちは異様な盛り上がりを見せている。
客のプライバシーに配慮してか、客席は真っ暗闇だった。
そのため淡く光る小さな記号は遠くからでもよく見える。
競売人の男は流れる汗もそのままに、
「中金貨に移ります!」
と、声を張り上げた。
わたしはいくつも灯る記号たちを眺め、まだ終わりそうにないな、と思って最初の記憶を辿っていた。
◆
「シェリエル・ベリアルド、貴様との婚約は今日をもって破棄する」
見るからに王子様然とした男が、ウェーブがかった金色の髪を掻き上げながら壇上から声を張り上げる。
この王国の第二王子であり、わたしの婚約者、アルフォンス王太子殿下だった。
「諸君らも知っての通り、私は王国のため、この女と婚約関係にあった。しかし、この女は怠惰で無能なだけでは無かったのだ。ここにいるマリアに数々の嫌がらせをしていた事は皆も承知のことだろう」
ざわざわと揺れる講堂内。驚愕というよりも獲物を待ち構えていたハイエナのような空気さえある。
嫌がらせ…… ですか。
実際嫌がらせをしていたのはそこでニヤついている令嬢たちですのに。
マリアが気に入らないからとしょうもない嫌がらせを繰り返し、ついでに目障りなわたしに全て押しつけていたのを知っている。
「やはり、シェリエル・ベリアルドは悪魔の一族だったか」
「悪魔は悪魔でも、能力は人並みで気性だけが悪魔だなんて、役に立たないただの呪いですわね」
悪魔と呼ばれる侯爵家の私生児、それがわたしシェリエル・ベリアルドだった。
無気力で無感情。奴隷出身の無能な侯爵令嬢。
呪いさえなければ無害とされるベリアルドであるが、シェリエルは呪いどころか魔力すら持たなかった。
才もなければ情もない。
どうにも整合性のない存在は人々に忌み嫌われ、こうしてあらぬ嫌疑をかけられがちなのである。
そうやって人形のように生きてきたわたしは、この国の第二王子の婚約者——いや道具となっていた。
——それも今日までの話だけれど。
王宮の騎士たちに組み敷かれ、脱臼した肩の痛みに耐えながら眼前のふたりを睨み付ける。
目の前には嘲り笑うアルフォンス殿下と、その横で偽善に塗れた瞳を揺らすマリア・バルカン。
「アルフォンス殿下、きっとシェリエルさまも話せば分かってくれます。でも、その、わたしの存在が彼女を追い詰めたのよね……」
「マリアは悪くない! 自分の立場を勘違いしたバカな女が悪いのだ。欠陥品の悪魔などと婚約したこと自体が間違いだったのだ」
そのわりには地味で目立たない調べ物や演説の準備、他にもありとあらゆる執務を押し付けられていたが。
「それだけではない! この女は婚約者の立場を利用して国家機密を逆賊共に流していたのだ。よって、国王陛下から正式に処罰されることになるだろう。まぁ、死刑は確実だろうな!」
悪を成敗してやったと正義に酔うそのお顔
……まあ、逆賊云々は本当のことなんですけど。
家門が少し特殊なため、わたし一人が逆賊として処罰されようが、連座や家門のお取潰しなどは有り得ない。
両親はわたしが引き取られて数年で死に、残ったのは腹違いの兄ディディエ一人だった。
そのディディエはアルフォンス殿下の隣で薄い笑みを浮かべ、彼女を見下ろしてから。
「アハハ、ベリアルド家の癖に何の才もないお前がこんな派手な最期を迎えられるなんてね! 良かったじゃないか」
と、まるで祝福するように笑った。
そういう人だ、わたしが死のうがどうしようが、彼にとっては退屈か面白いかのどちらかでしかない。
わたしが信頼するのはこの世でたった一人、先生だけだった。
わたしを必要としてくれる、わたしが仕えるべき存在。
孤独で鬱屈とした人生で、唯一わたしを認めてくれた人。
先生の為ならば、死刑になったとて悔いはない。
けれど、わたしはたしか……
その後も延々とがなり立てるアルフォンス殿下の声が耳障りに感じはじめた頃、後ろから聞き慣れた足音がやってきた。
「先生……」
引き絞ったような令嬢の悲鳴と同時にアルフォンス殿下が狼狽える様子を見て確信する。
決して人に姿を見せることのない先生がこの講堂へやって来たのだと。
がっちりと床に抑え付けられているせいで、振り向くことはできない。
近づいてくる先生の足音と微かな気配に、まさか助けに来てくれたのでは、と思わず胸の内がドクドクと鳴った。
「き、貴様がなぜここに……」
王太子アルフォンスはマリアを庇って三歩下がる。
いっせいに騎士たちがアルフォンスを庇うように前で壁を作ったが、「おやおや、随分な言い様だね。お邪魔だったかな?」と言う先生の声は相変わらず静かで心地よく、澄んでいた。
先生は、わたしを助けに……?
「ここまでかな?」
彼の穏やかな声と同時に息が止まる。
一拍遅れて身体の中心が燃えるように熱くなり、目の前に広がる赤い液体が自分のものだと理解した。
「せ、先生……?」
剣で身体の中心を縫い止められては顔を上げることすら出来ない。
先生の気配を背後に感じながら、何かが自分の中から失われていく感覚と溺れるような苦しさに、貴族らしからぬほどに顔が歪んでしまう。
ああ、そうね。わたしはここで死ぬんだった。それを知っていたから、わたしは生きる意味が分からな…… せめて先生の役に立てれば、それだけで……、良いと。
薄れ行く意識の中、先生がなにを話しているのかさえ聞き取れなくなって……
——やがて“わたし”は目を覚ます。
◆
「ふぎゃぁー!」
目を覚ますと不自由な身体でめいっぱい声を張り上げる。
そうすると女性がミルクをくれ、下の世話をし、他はなにもしてくれないが赤子にはそれで充分だった。
視力も聴力もぼんやりするなかこの死の夢だけを繰り返す。
同じシーン、同じセリフ、同じ結末。
それは次第に思考力を育てた。
けれど漠然とその“人生”を理解しても、目が覚めれば人の顔や細かい出来事までは分からない。
しかもなにかを考えようとすればジジジと頭が熱くなりすぐに眠ってしまう。
ほとんど夢のなかだった。赤子は睡眠時間が長いらしい。
そして。
……奴隷出身と蔑まれていたようだし、きっとここも奴隷を隠しておく場所なのでしょうね。
それでわたし、ああやって死ぬのね。
生後数ヶ月で大人と変わらぬ思考力を手に入れ、自身の死を受け入れた。
わたしは「人形のように生き、蔑まれ、使い道のなくなった道具のように捨てられたシェリエル」だった。
義母に恨まれ、父に放置され、義兄に死刑を祝福されて、信じた人に殺される人生。
それがすっかり馴染んでいたので、この劣悪な環境も不自由な赤子の身体も屈辱的な世話の数々も気にならない。
もう幾度も死んだのだ、いまさら何をされようがどういうことはない。
と、すっかり人生を消化するような心地で奴隷生活を送っていたのだが。
それは、夏の白雨よりも突然にやってきた。
「——!?」
……あれ? わたし死んだはずでは? 夢? 死んだけど、生まれた? 転生? それなら前世の記憶があるのおかしくない? 初期化ミス? バグ? どういうこと?
鮮明な記憶の洪水。
バチンとブレーカーを上げるように前世の人生がすべて蘇る。
それこそ目が覚めると曖昧な夢などではなく、ついさっき死にましたくらいの感覚で。
親の顔も、死因の顔も、その日の朝方まで格闘していた意味不明なソースコードもまるっきり覚えている。
覚えているからこそ混乱している。
自身の手は小さく、舌はもつれてあらゆる感覚が鈍い。見慣れない石壁に藁、木箱、古びた麻布。
可動域の少ない首を必死に動かせば、子どもたちが虚ろな目でジッと座っているのが見えた。
どう見ても自分の知る世界ではない。「え、なに?」と思って何故か馴染みのある寝心地に——
……違う、わたしはシェリエル・ベリアルド。毎日十六歳で死ぬ夢を見る、ちょっと変わった赤ちゃんだ。
自分を思い出した。わたしを。彼女を。シェリエル・ベリアルドを。
それまでどちらが現実か分からなくなるほど毎日繰り返されていた死の夢は、その日を境に見なくなった。
しかし、よく寝る。赤ちゃんだから。
一日数時間も起きていないんじゃないかってくらい寝ている。
……悪くない。
前世、晩年と言うべき三年間は自宅でひきこもりをしていた。
仕事は完全にリモートで買い物もネット頼りの巣篭もり生活。
映画、アニメ、漫画、小説…… それさえあれば一生ひきこもっていられると思っていた。
けれど、まさかそのまま一生を終えるとは。
と、もちもちの肉団子みたいな腕を持ち上げこめかみを掻く。
それからわたしは自分を構成するあの死の夢を反芻する。
科学に洗脳された頭をもってしても、ただの夢だと無視する気にはなれなかった。
なぜなら、“彼女”はあの時死ぬと知ってたのだから。