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エリザという女 2



 アーサーは今年の春学園を卒業したばかりで、現在は帝王学を学びながら、公務をこなす日々を送っている。

 ルカの仕事は、基本的にはアーサーを補佐することである。

 アーサーのスケジュール管理はもちろんのこと、国内の情勢や貴族について調査をしたり、アーサー主催の夜会や茶会の式場を抑えて、招待客に手紙を書いたりと、多岐にわたる。


 王族や大臣クラスになると、秘書官は最低でも三人以上は必要になるが、アーサーの秘書官はルカしかいない。

 これはアーサーが疑り深いことからきていて、信頼出来る者しか傍に置きたくないという理由で、中々秘書官を置いてくれないのだ。

 おかげでアーサーの傍に控える使用人は、秘書官のルカ、侍従のオーガスタ、幼少から仕えている執事と従者、ベテランの女官が数人といった有様である。


「アーサー。いい加減に秘書官を雇ってくれないか?俺に死んで欲しいのか?」


 ルカは山のように積まれた資料や手紙の束を見て、うんざりしてそれらを机の端へずらすと、じろりとアーサーを睨みつけた。


「中々いい人材がいなくてね」


「もっと血眼になって探してくれないか?」


「出来のいい従兄がいてくれるから、ついつい甘えてしまってね」


 飄々とそんなことを言うものだから、ルカは呆れてものが言えなくなった。


「王妃はお前のそういうところを見て、あんなことを考えついたんだろうな」


「だとしても、侍女に伽をさせるなんて私からしたら信じられないな」


 出たよ潔癖と思いながら、ルカは机の端に追いやった手紙の束を手にとって、パラパラと送り主の名前を確認していく。


「一度王妃と話し合う場を設けたほうがいいと思うがね」


「毎日夕食は一緒にとっている」


「そういうことではなくて」


「ルカの言いたいことは分かる。分かるが、それ以上言うな」


 じろりと睨まれて、ルカは小さく息を吐いた。


 反抗期とまではいかないが、アーサーもまだ十五歳。義理の母親との距離感に悩む難しいお年頃らしい。


 ルカは手紙の中に財務大臣の名前を見つけると、手にとって中身を改めた。

 中には来月の茶会に関する見積書が入っていた。予算がオーバーする恐れがあるため、一度相談に来てほしい旨が書かれている。


 財務大臣といえば、デヴィッド・ハーディスが秘書官をしていたと思い出したルカは、手紙を手にして立ち上がった。


「少し出てくる」


 ひらひらと手を振ったアーサーを置いて、廊下で控えていた護衛に挨拶をして、執務室を後にした。


 向かった先は、朱月殿(しゅげつでん)にある財務大臣のデニス・チャップマンの執務室である。

 朱月殿には大臣や議員の執務室や食堂、広間、また泊まり込みで仕事が出来るように寝室がある。


 ノックをすると返事が返ってきたので、扉を開いて中へと入った。


「アーサー王子殿下の第一秘書官のホーキンスです。見積書の件で伺いました」


 ああ、と思い出したような声が上がって立ち上がったのは、中年の痩せた男だった。頬がこけて疲れた目をしているが、渋みのある中々の男前だ。


「私が対応します。こちらへどうぞ」


 ルカは黙って男の後について、隣接する応接室へと入った。男は廊下に出ると、控えていた朱月殿の女官を呼んで茶を入れるように頼んでいる。


 ルカは男の横顔を見て、どことなく目元がエリザに似ていることに気がついた。

 なるほど。この男がデヴィッド・ハーディスか。親子揃って薄幸そうな顔してるな。


 向かいの席に座った男が、第三秘書官のデヴィッド・ハーディスだと名乗った。やはりと思いながら、ルカは見積書を出して仕事の話をはじめた。

 話しながら、ルカは注意深くデヴィッドを観察した。


 栗色の髪には白髪が混じり、目は充血している。手足が長くて首が細く、親子揃って細い身体をしている。

 ルカはエリザにしたように、きちんと食べているのかと聞きたくなった。もっと肉を食えと声を大にして言いたい。


「……というわけで、招待客の名簿にざっと目を通させていただきましたが、足腰の弱い高齢の方や、遠方に出ている方々が何人かいらっしゃいますね。欠席する可能性が高い方を外して、出席人数に合わせて料理に使う費用をもう少し抑えたらいかがでしょうか」


「なるほど……。そうですね。一度名簿の見直しを行って、また後程伺います」


 デヴィッドの話や対応の仕方を見る限り、中々仕事が出来るようだ。そりゃあ伯爵として領地を運営していたんだから当然か。


 ルカは仕事用の笑みを浮かべて礼を言った。デヴィッドが微笑んで、席を立とうとしたルカに、お茶を飲んでいってくださいと勧めた。


「アーサー殿下には秘書官は一人しかいないとか。お疲れのようです。少し休んでいってください。女官がお茶を持って来ますから」


 ルカは礼を言って腰を落とした。すると女官がやって来て、デヴィッドに客が来ていることを告げた。


「申し訳ありませんが、私はこれで失礼します。ホーキンス卿はゆっくりしていってください。彼女の入れる紅茶は格別ですから」


 軽く頭を下げたデヴィッドは、部屋を出て行った。

 なるほど。気づかいの出来る優秀な秘書官のようだ。


 ロールケーキをテーブルに出して、紅茶を注ぎはじめた中年の女官が、ルカににんまりと笑って言った。


「ハーディス卿、素敵ですよねぇ?仕事も出来て優しくて気づかいも出来て、渋くて。もう少し太ってくれたら文句なしなんですけど」


 おほほほと笑った女官は、話好きのようだ。ルカはここぞとばかり聞いてみた。


「かつては伯爵だったそうですね」


「そうなのよ。ノースグリンを農業だけじゃなく観光地として栄えさせたのもハーディス卿なんですよ。でも、奥様がご病気になられてからはねぇ……かわいそうですよね。お嬢様と二人で病気を治すために必死になったみたいですけど、結局亡くなられてしまって」


 これはすらすらと情報を提供してくれそうだ。


「爵位を返上する時に秘書官にならないかと、財務大臣から声がかかったと聞きましたが」


「そうです。チャップマン財務大臣もハーディス卿を高く買っていらして。ハーディス卿が平民になるだなんて言い出したものだから、必死に引き止めたそうですよ。それで王都で暮らすならばと、お嬢様にも侍女の仕事を紹介してくれたんですよ!お嬢様のことまで気にかけてくださって、大臣は本当にいい方でねぇ……。それにしてもハーディス親子は二人共働き者でね。お嬢様なんて、副業までして休みなく働いてるそうなんですよ。私は心配で心配で……。だってほら、あの親子二人共細いでしょう?いつか倒れるんじゃないかと、ヒヤヒヤしてるんですよ。ハーディス卿は元々騎士団出身で、今よりもっとがっしりとした体格だったんですけど、今では見る影もない程やつれてしまいました。無理もありませんけどね。……あ、子爵位も騎士団に在席している時に賜ったそうですよ」


 想像以上に女官はおしゃべりで、ルカは聞いているうちに疲れてきた。


「騎士団といえば、ランズダウン伯爵は今でもハーディス親子のことを気にかけてくれているそうですよ。ランズダウン家の長男とお嬢様の結婚のことはご存知でしょう?」


「ええ。耳にしたことがあります」


「長男は戦争で亡くなってしまったけれど、ランズダウン家にはご子息がもう一人いらっしゃってね。当時長男が家督を継がずに騎士になると決めたのも、次男が優秀だからだそうで。次男は今年成人するそうなんですけど、婚約者をまだ決めていないんだとか。これは噂ですけど、ランズダウン伯爵夫人はお嬢様のことを気に入っていましたから、もしかすると……ねぇ?」


 ねぇ?と言われてもなと、ルカは内心呆れた。

 女官がペラペラ話している間に、ルカはロールケーキと紅茶を飲み干していた。女官の話は長い。次に口を開く前にと、席を立った。


「貴重なお話をありがとうございました。紅茶もケーキも美味しかったです」


「あらやだ。ありがとうございます。あ、私が話してたって言わないでくださる?」


 もちろんですと言い残して、ルカは足早に応接室を出た。確かに紅茶は美味しかったが、休んでいけと気づかってくれたはずなのに、女官のせいで疲れが増した。



 ルカが朱月殿を出て回廊を歩いていると、回廊沿いの庭でエリザを見つけた。エリザは、老齢の庭師と花を摘んでいた。


「侍女のくせに何してるんだ……」


 エリザは庭師の摘んだ花を紙でくるむと、スモークツリーの枝を剪定する庭師の後について回っている。切った枝を回収したり、タオルを渡したり鋏を代えたり。まるで弟子のようだ。

 庭師とエリザは楽しげに会話をしながら、テキパキと作業をしていた。エリザはルカが見たことがない笑顔を浮かべて、時折笑い声をあげていた。


「あんな顔もするのか」


 笑うと薄幸そうな印象がなくなり、打って変わって華やかな印象になるのが不思議だった。

 ルカは基本的に慌てている時や疲れた顔のエリザしか見たことがなかったので、エリザの笑顔は印象に残った。


 しばらくすると、作業を終えた庭師とエリザが回廊へとやって来た。

 ルカが柱の影に身を隠して様子を見ていると、庭師がおもむろに懐から封筒を取り出して、エリザに手渡した。


「はいよ。エリザが手伝ってくれたから早く終わったよ。今日もありがとな!」


「こちらこそいつもありがとうございます。また声をかけてくださいね。いつでもお手伝い致しますよ」


「それはそれは心強い!」


 笑いながら、エリザは手にした封筒をスカートのポケットにねじ込んだ。

 それを見たルカは、額に手を当ててやれやれと息を吐いた。


「あいつ、こんなことやってるから王妃に目をつけられたんだな……」


 納得した。確かにオーガスタの言うとおり、エリザは中々に強かな女のようだ。



 

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