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エリザという女 1



 ルカがアーサーの執務室に入ると、アーサーは机に積み上がった書類から顔を上げて、爽やかな笑みを浮かべた。


 ルカよりも十歳年下のアーサーは、我が従弟ながら美しい王子だと思う。

 顔の造形は母親のレベッカによく似ていて、髪の色や仕草は王に似ている。色白で手足が長くて線が細いために、中性的な雰囲気を漂わせている。


「ルカ。昨夜は問題なかったかい?怪我はない?」


「もちろん。暗殺の可能性は限りなく薄いよ」


「今のところは、ね」


「疑り深い奴だな」


「王子として当然だよ」


「そうかよ……」


 言いながらルカは、資料の入った革の鞄を自身の机の上に置いた。それを見たアーサーが怪訝な顔になる。


「まさか、本当に資料を持っていったのか?」


 ルカはもちろんと平然と答えた。アーサーは呆れた目を向けた。


「お相手のご令嬢……確かエリザ・ハーディス子爵令嬢だったね。彼女も驚いていたんじゃないか?」


「いや。あちらも仕事を持ち込んでいたからお互い様だな」


「仕事って……王妃の侍女じゃないのか?」


「お針子の仕事もしているそうだ。器用な女だ」


 感心するルカに、アーサーはため息を吐く。


「情が移らないように。彼女はただの侍女なのかもしれないが、暗殺者の可能性も捨てきれないんだからな」


 アーサーは今までに何度か毒を盛られた経験があるため、こんな疑り深い性格になってしまった。可愛い顔をして性格はしっかりした優等生タイプだ。

 それも王宮に住んでいれば当然といえば当然だが、せめて従兄のルカのことはもう少し信用して欲しいと思う。


「そのエリザ・ハーディスのことだが、彼女の家がなぜ伯爵位を返上する程の借金を負ったか知ってるか?」


「それなら、オーガスタに調べてもらっている。オーガスタのことだからもうすぐ姿を現すと思うから、待ってたらいい」


 オーガスタとは、アーサー専属の侍従でありながら、命令あらば情報収集もする便利な使用人である。


 噂をしているとノック音がして、オーガスタが紅茶の乗ったトレイを持って、執務室へと入って来た。


「あら、ルカおはよう。昨夜はお楽しみだった?」


「おっさん臭いぞ。止めろ」


「おっさんだなんて酷いわね。私はまだ二十代だし、見た目は可憐な乙女よ!」


 憤慨したオーガスタは、確かに見た目は二十代の可憐な侍女である。

 灰茶色の髪をポニーテールにして縦に巻き、白くきめ細やかな肌にほんのりと化粧をして、二重だが切れ長の目は茶色。

 侍女と同じバーガンディ色の制服からすらりと伸びた手足は長く、背が高いスレンダーな女性のように見えるが、実態は三十路目前の男である。


 なぜオーガスタがこのような格好をしているかというと、ただ単に本人に女装癖があるからで、他に理由はない。

 このような格好をすることを認めているのはアーサーと王であるため、異論を唱える者はいない。恐らくオーガスタが飽きるまで女装し続けるのだろう。


「それは置いておいて、頼んでいた調査はどうだった?」

 

 オーガスタは応接用のテーブルにトレイを置くと、報告がてら休憩をしようと提案した。

 ルカとアーサーが応接用ソファに腰掛けると、オーガスタは紅茶を入れながら報告をはじめた。


「ハーディス家が借金を抱えた理由だけど、エリザ・ハーディスが十四歳でデビューして間もない頃に、母親のマチルダが病にかかったのよ」


「病……?」


「高熱からはじまり、関節の痛み、咳、ここまでは単なる風邪だと思っていたんだけど、やがて吐血するようになり、失明。あちこち医者にかかったけど原因は判明しないまま。やがてマチルダは立てなくなり、寝たきりの生活になった。これが一年近く続いたみたいね」


 オーガスタは紅茶を入れると、ルカの隣に腰を下ろして続ける。


「そして、エリザ・ハーディスが十五歳になると、ハーディス親子は母の病を治すために、見境がなくなった。高名な医者にすがり、教会に多額の寄付をして神に祈り、新興宗教や占い師にまで手を出した」


 ……あの時私達は、狂ってたんです。


 そうエリザが言った理由がようやく分かって、ルカは深いため息を吐き出した。


「母親を亡くしたくない一心で、藁にもすがる思いだったのかもな……」


 あのアーサーでさえ同情したように呟いた。アーサーも母親を亡くしているため、思うところがあるのかもしれない。


「それでもマチルダの病は治らないままだった。エリザ・ハーディスが我に返ったのは、恐らくリスター・ランズダウンとの婚約話が上がった頃だろう。気づけばハーディス家は借金まみれになっていて、どうにかしようとしてランズダウン家の縁談を引き受けたんでしょうね」


「その縁談も親が子を思って持ちかけた話だったようだし、なんとも言えない気持ちになるな……。それで、結局母親の病はどうなったんだ?」


 アーサーが聞くと、オーガスタはため息混じりに言った。


「終戦を迎える前に亡くなったようね」


「あの手この手を使っても病は治せなかったわけか。残ったのは多額の借金だけか」


「妻を亡くしてようやく目が覚めたハーディス伯爵は、領地を担保に借金をしたことを恥じて、爵位を返上。伯爵領は共に領地を運営していた子爵に譲り、自身は平民になると言ったそうだけど、周囲の説得もあり、財務大臣の誘いもあって財務大臣の秘書官として宮廷貴族になった」


「背負った借金はランズダウン家が立て替えてくれたんだっけ?」


 アーサーが聞くと、オーガスタは頷いた。


「エリザは一晩だけの夫婦になると分かっていながら、リスターと結婚した。まあ結局籍は入れてなかったけれど、そのお礼に借金を全額返済したいとランズダウン家が申し出たのよ。それを、自分達の作った借金だからと、ハーディス親子は固辞した。けれど、ランズダウン家が勝手に借金を立て替えたのね」


「なるほど。それじゃあハーディス親子は現在ランズダウン家に借金を返している状態なのか?」


「利息なしでね。ランズダウン家は裕福だし、返済しないでそのままお金を受け取ってもらいたいところだけど、ハーディス親子も頑なに拒んでいるようね」


 なんともいえない空気が執務室に満ちる。

 ルカは昨夜のエリザを思い出して、眉間にしわを寄せた。


 昨夜は酷なことを聞いてしまった。恐らく自分の口から説明出来る程、今でもエリザは心の整理がついていないのだろう。


 ルカは額に手を当ててソファに背中を預けると、借金について聞いた時のエリザの横顔を思い出した。

 きっと母親のことを思い出していたのだろう。遠い目をして、懐かしそうに、だけど苦しげに目を細めていた。


 ルカは後悔していた。あんな風に軽々しく聞いていい話ではなかった。


「それで、エリザ・ハーディスがなぜ王妃にアーサーの相手を頼まれたのか調べたのだけどね。彼女も中々やり手みたいよ」


 ルカがぱっと身を起こすと、オーガスタはにやと笑った。


「王妃専属の侍女の中では彼女は働き者で有名でね。国王夫妻の使用人達の中では、上級使用人、下級使用人関係なく分け隔てなく接して、顔が広い。エリザは同僚達から信頼が厚い侍女なのよ。でもね、彼女、同僚から仕事を引き受ける代わりにチップをもらっているんですって」


 オーガスタがうふふと微笑んだ。


「借金の話だけ聞いてるとしおらしい娘なのかと思うけど、意外と強かな面もあるみたいね。なんだか興味がわいちゃったわ!」


「なるほど。そこを王妃に突かれて私の相手をしろと強要された、というわけか」


 アーサーは納得すると、紅茶を一気に飲み干した。


「確かにルカの言うとおり、彼女が暗殺者の可能性は低くなったな。しかし、そこを弱みに私の命を落として来いと言われた可能性も捨てきれない」


「まだそんなこと言ってるのか?」


「ルカこそ、益々エリザ・ハーディスに同情したのではないだろうな?そんなことでは困るぞ」


 ピシリと指を突きつけてアーサーが言うものだから、ルカははいはいと手を振った。


「今後も暗殺者かもしれないと気を抜かないようにしますよ」


「暗殺者の隣でぐーすか眠っていたら怒るからな」


「眠るわけないだろ」


 ルカは初めの晩、エリザが眠れなかったことを知っていた。ルカはエリザが暗殺者だった場合に備えて、眠ったふりをして起きていたからだ。

 しかし、エリザは襲うどころか緊張しっぱなしで、身を固くして縮こまっていた。

 翌日会いに行ってみると、目には隈を作って心底疲れた顔をしていた。

 あれで暗殺者だったらとんだ間抜けだとルカは思う。


 そして昨夜のエリザは、せっせと縫い物をしていて、布団に入ってからしばらくは緊張していたが、ルカが借金の話を振ると、さっさと眠ってしまった。

 余程疲れていたのだろう。それから朝まで起きることなく、無防備にもすやすやと寝息を立てて眠っていた。


 恐らくルカがエリザに興味がなく、手を出す素振りを見せなかったから、ある程度安心したのだろう。

 それとは反対に、ルカはまだ気を抜くことが出来ないので、眠ることが出来ないから難儀だ。


「何にせよ、こんな馬鹿げたことは早々に止めてほしいんだがな」


「それは王妃次第ね」


「まったく何を考えてるんだかな……アーサー、お前一度くらい自分で東の寝室へ行ってみたらどうだ?絶対に殺されないし、襲われることもないと思うぞ」


「断る!」


 断固として言い切ったアーサーは、ぷいと顔を背けた。

 アーサーは潔癖のきらいがある、変なところで純情な男だった。こいつは将来童貞をこじらせないといいんだが、とルカは心配になった。


 もしかしたら王妃は、アーサーのこういったところを見抜いていて、こんなことを思いついたのかもしれない。あるいは、王妃とべったりの女官長の入れ知恵か?

 なんにせよ、巻き込まれた側のルカとしては大迷惑な話だった。


「とにかく俺は、午前の仕事を済ませたら昼寝するからな」


「私はもう少しエリザ・ハーディスについて調べてみるわ。面白そうだから」


 あまり深入りするなよと声をかけて、三人は各々の仕事へと戻っていった。



 

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