ハーディス親子の事情 2
毎日あくせく働いていると、あっという間に週末はやって来た。
週末までの間、エリザに心境の変化があった。
厄介なことを抱えてしまったが、ルカの言うとおりこの際お金をたんまり稼がしてもらおうと、開き直ることにしたのだ。
嘘がバレたらその時に考えるとして、それまでは稼げるだけ稼いでやると思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。
しかし、当日の夜に問題が一つ出来た。
部屋を抜け出す時間になっても、ニーナが起きているのだ。前回とは違って寝ている間に抜け出すわけにはいかず、エリザは悩んだ末にニーナに言った。
「ニーナ、私今夜は少し外せない用事があるのよ。それで、帰るのは遅くなるから先に寝ててちょうだい」
「外せない用事?お仕事ですか?」
「ええ、まあ、そうね……」
なんとも言えないエリザを見て、ニーナははっとして顔を赤らめた。
「あ、私ったら気が利かずに申し訳ありません!エリザ様!どうぞ私のことは気にせずにいってらしてください!あ、もちろん誰にも言いませんから!」
いや、何を勝手に勘違いしたのかは、この際聞かないでおこう。エリザは布の手さげ袋を引っ掴むと、おやすみと言って、慌てふためくニーナを置いて部屋を出た。
そして覚悟を決めたエリザは、前よりはマシな顔で水明殿へと向かった。
東の寝室前の廊下には、前回と同様に衛兵が見張りとして佇んでいた。
エリザは前を通る時に、軽く頭を下げてみた。すると、衛兵もエリザに倣って小さく頭を下げる。
足早に東の寝室前までやって来ると、今回は迷うことなくノックした。中から返事は聞こえなかったが、扉を開けると部屋の中へ入った。
音を立てないように扉を閉めて、汗ばんだ手をドアノブから離したところで、早かったな、と前回とは真逆の言葉をかけられた。
振り返ると、寝台横のテーブルに向かってルカが資料を広げているのが見えた。どうやら本当に仕事を持ち込んでいるらしい。
エリザは持ってきた手さげ袋を胸に抱えて、ルカとは寝台を挟んだ反対側にある、ランプの乗った小さな丸テーブルの方へと歩いて行った。
ルカはエリザが荷物を抱えているのを目に留めると、にやっと微笑んだ。
「言っていた通り俺も仕事の資料を持ってきた。エリザは本でも持ってきたのか?」
「いえ。私も仕事を持ってきました」
エリザは手さげ袋を丸テーブルの上に置くと、中から布とリボン、裁縫セットの入った道具箱を取り出した。
それを見たルカが、ほうと顎をさすった。
「縫い物か」
「はい」
「王妃の髪飾りか何かか?」
「いえ。これは外部の仕事です。私はお針子でもあるんです」
「侍女をしながらお針子の仕事もしてるのか?」
驚くルカに、エリザは何でもないように頷く。
「手先が器用なんですよ。自分で言うのもなんですが……」
言いながら、エリザは寸法表を取り出すと、すでに切ってあったパーツを組み合わせて、縫いはじめる。
ルカはしばらく感心したようにエリザの様子を見ていたが、自身も仕事を思い出して資料へ視線を落とした。
それから寝るまでの一時間と少しの間、二人は黙々と作業に没頭していた。
「そろそろ寝るか」
先に声をかけたのはルカだった。
エリザは声をかけられてようやく手を止めた。
エリザの手の中に収まっているのは、花びらの形をした飾り。まだ完成していないが、思ったより早く出来上がりそうだ。
「へえ……大したもんだな」
ルカが花飾りを見て感心して言った。眠い目をこすりながらも寝台に腰掛けると、見せてくれと手を差し出してきた。
エリザが素直にルカに花飾りを渡すと、ルカは手に取ってまじまじと眺めている。
「丁寧に仕上げてるな。才能あるよ」
「あ、ありがとうございます」
急に恥ずかしくなったエリザは、ルカから受け取った花飾りを手さげ袋にしまった。
振り返ると、ルカが寝台から滑り降りて部屋の灯りを消したところだった。寝台横のスタンドライトは付いたままで、オレンジ色の灯りがぼんやりと部屋を照らしている。
戻って来たルカが寝台に潜り込むと、立ったままのエリザを見上げた。
「あんたも疲れたろ。今日も安心して寝ろよ」
ぽんぽんと布団を叩いて言ったルカに、頷いて応えたエリザは、おずおずと布団の中へと潜り込んだ。
寝台に横たわってからしばらく、エリザは緊張して身を固くしていたが、相変わらずルカはエリザに手を出すどころか興味をしめす素振りさえない。
やがてエリザは息を吐いて力を抜いた。
二人の間には不自然にあいたスペース。寝台の端と端に仰向けに寝た二人は、目を閉じずに天井を見上げていた。
エリザは天蓋から垂れたレースのカーテンの模様を眺めながら、デヴィッドのことを考えていた。
デヴィッドを第一秘書官にしてあげたい。早く借金を返したら、元の朗らかでよく笑うデヴィッドに戻ってくれるだろうか。
借金は後少しで全額返済出来るはずだ。もっとエリザが頑張れば、もっと早く返済出来るはず。
「……なあ」
お金を稼ぐ方法について考えはじめたところで、ふいにルカが口を開いた。エリザが首を傾けてルカを見ると、ルカもまた濃紺の瞳をこちらに向けていた。
「ハーディス家はなぜ多額の借金を抱えることになったんだ?」
突然の質問に、エリザは言葉に詰まった。
「ハーディス伯爵の領地ノースグリンは、北の牧草地だろ?あそこは災害以外では安定していて、領民が税収を怠ったりすることもなく豊かで、治安もよかった。それを理由に移民も多かったはずだ。それも、ハーディス伯爵のおかげだという評判は、中央まで届いてくる程だったそうじゃないか。それなのに、なぜ突然借金を負ったりしたんだ?」
エリザはルカから天蓋へと視線を戻すと、遠くをみる目でポツリと言った。
「……あの時私達は、狂ってたんです」
エリザはあの頃のことを思い出すだけで、胸が締めつけられたように苦しくなる。
今もそうだ。ノースグリンで過ごした日々、人々の顔を思い浮かべるだけで、込み上げてくるものがある。
とてもじゃないが、冷静にルカに語ることは出来ないだろう。
エリザはそっと息を吐き出すと、ルカに背を向けた。
「ご自分でお調べになってください。有名な話ですからすぐに分かりますよ」
おやすみなさいと締めくくって、エリザは目を閉じた。
胸がざわついていたが、不思議とその日はすぐに眠気が訪れて、あっという間に眠りにつくことが出来た。
そしてエリザは午前四時に目を覚ました。
懐中時計で時間を確認すると、寝台から滑り降りる。手さげ袋を取って、音を立てないようにそろそろと歩く。
扉の前で寝台へと振り返ると、スタンドライトは消されていて、ルカは寝息を立てていた。
ルカが消してくれたのか。エリザは昨夜のことを思い出しながら、そっと扉を開けた。
廊下に出て衛兵の前を通り過ぎ様、思いついたようにお疲れ様ですと声をかけると、驚いた顔をした衛兵と目があった。
よく見ると、思いのほか若い男だった。上背がありがっしりとしていて、目鼻立ちのはっきりとした顔をしている。
そこそこ見目がいいから衛兵に選ばれたのだなと思いながら、返事も返ってこないので、エリザはすたすたと足早に廊下を歩き去った。
部屋へ戻ると、ニーナはぐっすり眠っていた。エリザは鏡台の前に座ると、手さげ袋から道具箱と花飾りを取り出した。
もうすぐ起きる時間だし、このまま縫い物をすることにした。
そしていつもの起きる時間になると、エリザはニーナを起こして身支度をした。ニーナの髪をくくっていると、ニーナが鏡越しにエリザを見て、意を決して口を開いた。
「あ、あの……昨夜のことは誰にも言いませんので。また今度用事がある時は言ってください。私、アリバイの証言はしますから!」
「ニーナ……。それは勘違い……いや、そうね。そうしてくれると私もありがたいわ」
上手く嘘をつくことも出来なければ、本当のことも言えないので、エリザはニーナの勘違いをありがたく受け取ることにした。
それからエリザがいつものように午前の仕事を済ませて使用人食堂へと向かっていると、ウィリアムがやって来た。
「エリザ。靴の点数確認のリストは出来上がっていますか?」
「はい。出来ています」
ウィリアムが今すぐ欲しいというので、エリザはニーナに先に行くように伝えて、ウィリアムと使用人ホールへ戻った。
「エリザ。昨夜は部屋を抜け出してどこへ行っていたのですか?」
使用人ホールに入るなり、ウィリアムが唐突に聞いた。あまりにも突然のことだったので、エリザは動揺して固まった。
ウィリアムが困ったような、それでいて心配そうにエリザを見ていた。エリザは我に返って室内を見渡すと、誰もいないことを確認して、少しだけ力を抜いた。
「たまたま昨夜エリザが使用人寮を出ていくところを見てしまったのです。……しかし、プライベートなことでしたね。こんなことは聞くべきことではありませんでした。申し訳ありません」
追求からの謝罪に、エリザもどう反応したものか戸惑ったが、とりあえずここは話せることだけ話しておいたほうが良さそうだ。
「あの……私が夜中徘徊しているのは理由があってですね。遊び歩いているとかそういったことではありません。いや、褒められたことではありませんけども、その……」
「分かっています。王妃殿下から何か頼まれごとをしたのですよね?それも言えないことなのでしょう。王妃殿下に呼ばれた日から様子がおかしかったので」
「その……はい」
「エリザ。困ったことがあったらいつでも相談してください。ただでさえエリザは頑張りすぎてしまうから。自分の身を大切にしてください」
人のいい笑みを浮かべたウィリアムは、少し照れたように頭をかいた。
ありがたいやら申し訳ないやらで、エリザはただ頭を下げることしか出来なかった。
もしもウィリアムに全てを話したらどうなるのだろう?
軽蔑されるだろうか。それとももっと心配してくれるだろうか。何かいい案を出してくれるだろうか。
ウィリアムのことだから、きっとエリザと一緒になって悩んでくれるに違いない。
だからこそ、巻き込みたくないと思った。
「ありがとうございます」
ウィリアムには何も言うまいと決めたエリザは、ただ礼を言うだけに留めた。ウィリアムもそれ以上は何も言ってこなかった。
エリザはそんなウィリアムの優しさが心に染みた。