ハーディス親子の事情 1
エリザは休日になると城下の帽子屋へと赴く。目的はもちろん借金返済のためにせっせと働くためだ。
エリザは子供の頃から手先が器用で、手芸が得意だった。
侍女をしながらなので休日の時しか来れないが、帽子に付ける飾りならば王宮でも作れる。エリザは飾り担当のお針子として雇ってもらっていた。
「エリザ!いいところに来たね!新しいデザイン画が出来たから見てくれないかい?」
エリザを出迎えたのは、チャーリー帽子店の店主の妻、カカだ。
四十代半ばのカカは赤毛に茶色の瞳をした、豊満な身体をした美女である。
カカは女性用の帽子を手がけ、夫のチャーリーは男性用の帽子を手がけている。
カカが渡してきたデザイン画には、小ぶりのベレータイプの帽子が描かれていた。色は落ち着いたベージュだが、花のようなフリルがあしらわれており、その下からリボンが垂れている。
「まあ。素敵。大人の女性に合いそうですね」
「そうでしょ?今年還暦を迎える侯爵夫人からのオーダーなのよ。あまり派手なのも嫌だけど花飾りとリボンを入れてほしいと頼まれてね。花飾りはエリザにお願いしたいんだけど、大丈夫かしら?」
「大丈夫ですよ。早速今日から取りかかりましょうか」
「それじゃあお願いね!」
カカと二人で寸法表を作っていると、生地の買い出しに出ていたクロエが、チャーリーと共に帰って来た。
「エリザ!来てたのね!さっきパン屋さんでスコーンをいただいたのよ。お昼の時に皆で食べましょうよ」
「エリザの好きなチョコ入りのスコーンだ。新しい茶葉も買ったから、後で入れてくれるか?エリザの入れる紅茶が一番美味いんだよ」
にこにこ顔の二人が口々に言うものだから、エリザははいはいと笑って手を振った。
クロエは帽子職人見習いの二十歳だ。
肩までの淡い茶髪は外向きにはねていて、灰色の瞳はくりっとして猫のようだ。小柄だが力持ちで、性格は前向きでパワフル。
クロエは平民だが、両親が陶器を扱う商会の会長をしており、家はそこそこのお金持ちである。幼い頃から両親が貴族相手に商売をしているのを見ていて、その頃から貴族の被る帽子に興味があったそうだ。
クロエが帽子職人見習いになったのは、十六歳。今年で見習い四年目になる。
そろそろ一人前になれるかどうかの瀬戸際だとクロエ本人は話している。
一方店主のチャーリーは、五十代前半の大柄な男である。黒髪を綺麗な七三に分けて、ちょび髭を生やしている。
手も足も顔も大きくて、城下町の腕相撲大会で優勝したことがあるらしい。
見た目は厳ついが性格は温厚で、エリザが雇ってほしいと頼み込むと、即オッケーを出してくれた人情深い人だ。
エリザはチャーリー帽子店に来る日をいつも楽しみにしていた。ここは王宮の目まぐるしい生活とは違って、肩の力を抜いて本来の自分を出せる、エリザにとってホッと出来る貴重な場所だった。
エリザがチャーリー帽子店で働きはじめたのは二十歳の頃だ。
侍女の仕事も二十代に入るとすっかり慣れて余裕が出てきた。すると休みの日がもったいなく感じて、少しの間でも働けないかと仕事を探し、チャーリー帽子店に行き着いたのだ。
それから今に至るまで雇ってもらっている。
エリザはチャーリーとカカには心底感謝している。この店で雇ってもらえたおかげで借金返済は滞ることなく、順調に返済出来ていた。
午前の仕事を終えた一同は、四人でテーブルを囲んで、カカの作った昼食を食べていた。
「エリザ、その目の下の隈はどうしたんだい?」
「私も気になってたのよ。仕事が忙しいのかい?」
チャーリーとカカに問われ、エリザは困ったように笑った。
「ちょっと予定外の仕事が入って、忙しかったんです」
「あまり働き詰めはよくないよ。うちの仕事も無理なら言ってくれればいいからね」
「大丈夫です。それに、私この仕事が好きだからいい息抜きになるんです」
「あら嬉しいこと言ってくれるわね」
「エリザも王宮の仕事を辞めたら帽子職人になっちゃえばいいのよ!」
クロエの何気ない言葉に、エリザはハッとした。
そうだ。もしも王宮で働けなくなった時は、ここで働かせてもらえばいいのだ。
今より給金は減るだろうが、そこはまた別の仕事を掛け持ちすればいい。
しかし、チャーリー帽子店は王室御用達でこそないが、貴族御用達のそこそこ有名店である。もしも王宮を追い出されたエリザがここで働いているとバレたら、店に迷惑をかけることになるかもしれない。
どうしたものかと考えるエリザに、クロエが言った。
「あらやだ。冗談よ。そこまで本気で悩むとは思ってなかったわ……」
「転職ならいつでも歓迎だぞエリザ!」
「見習いからはじめてもらうけどね!」
皆が冗談を言って笑うのを、エリザは複雑な気持ちで聞いていた。
クビになったら転職先も慎重に選ばないといけない。大切な人達を傷つけないように。
帽子店での仕事を終えたエリザが向かった先は、貴族街から少し離れた場所にあるアパートメントだ。
貴族街に並ぶ新しくて綺麗なアパートメントとは違い、外観も内装も古くて狭い造りになっている。
エリザは狭い門扉を潜ると、玄関までの石畳の小さな道を歩いて、蔓植物に覆われた陰気な雰囲気のアパートメントへと入って行った。
古びた階段を上がった二階の突き当りの部屋が、ハーディス家の現在の住居である。デヴィッドは毎日ここから徒歩で王宮へ通っている。
エリザが中に入ると、家政婦のシビルが台所から顔を出した。エリザを認めるなり朗らかな笑顔を浮かべて、おかえりなさい!と明るい声を上げた。
「お嬢様が来ると思って、今日は奮発してラム肉のブラウンシチューと燻製チーズを用意しましたからね!」
恰幅のいい五十代のシビルは、ウェーブがかった肩までの白髪混じりの茶髪をバンダナで巻いている。
シビルはハーディス家に週三日だけ通いで来てくれている家政婦であり、ハーディス家の家事の一切を担ってくれている。
ハーディス家には本当は家政婦を雇う余裕がないが、デヴィッドは王宮に勤めながら家事が出来る程器用ではないため、シビルのようななんでもしてくれる家政婦が必要だった。
本来ならば毎日来てもらったほうがありがたいのだが、さすがにそこまでの余裕はないため、週三日の通いでお願いしているのが現状だ。
シビルの夫は市場内のパブを経営している。シビル自身も店の手伝いをしており、市場に顔がきくためいつも食品を安く仕入れて来てくれるので助かっていた。
「いつもありがとう。シビルがいてくれて本当によかったわ」
「お嬢様にそう言っていただけるだけで、私は幸せですよ!」
肉厚の手でエリザの頬を包み込むと、満面の笑顔を向けてくれる。エリザはシビルの明るくておおらかなところに助けられていた。エリザだけではない。父のデヴィッドもきっと同じだ。
シビルが夕食の支度を終える頃に、デヴィッドが帰宅した。玄関先で出迎えたエリザは、デヴィッドの痩せた顔を見て心配になった。
デヴィッドは茶色の短髪を後ろに撫で付け、グレーがかった青い目は充血しており、疲れて眠そうに見える。
かつてはがっしりとしていた体躯も、今ではひょろりと痩せてしまっており、実年齢の四十八歳よりも老けて見える。
「ただいま。エリザ、その目の隈はどうしたんだい?仕事が忙しいのかい?」
「少し寝不足なだけです。お父様も目が充血していますよ」
「私も少し寝不足なだけだよ」
疲れた顔で苦笑する親子に、シビルが食事にしましょうと声をかけると、二人はいそいそとテーブルに着いて食事をはじめた。
シビルは料理を出して片付けを済ませると、店があるからと言って帰っていった。
エリザはラム肉のシチューを食べながら、王宮であった一連の出来事を話そうか迷っていた。デヴィッドに相談したら、何かいい案を思いついてくれるかもしれない。
しかし、アーサーの相手役に選ばれたと知ったら、デヴィッドはどんな反応をするか。怖くて言いたくないが、黙って一人で抱えているのも辛い。
葛藤するエリザを尻目に、デヴィッドは美味しそうに食事をしている。
「久しぶりにラム肉を食べたな。ラム肉を食べると元気が出るな!」
「チーズの燻製もシビルが作ったんですって。美味しいですね」
親子はのほほんとした会話をしていたが、デヴィッドは自身の仕事の話になると、急に眉を下げた。
「閣下が私を第一秘書官にしようと言ってきてね。私は辞退したよ。今のまま第三秘書官でいさせてくれと言ったら、閣下は渋い顔をしていた」
閣下とは、デニス・チャップマン財務大臣のことである。
デヴィッドが伯爵位を返上した際に、財務大臣の秘書官にならないかと声をかけてくれた人物である。おかげでデヴィッドは貴族の地位を失わずに仕事にありつけている。ハーディス家の恩人だ。
「なぜ受けないのですか?」
「受ける資格は、私にないよ」
それきり口を閉ざしたデヴィッドは、黙々とチーズを頬張る。エリザもまた黙り込むと、テーブルに視線を落とした。
デヴィッドは当初、爵位を全て返上して平民になるつもりでいた。それを引き止めてくれたのがデニスであり、国王だった。
かつてデヴィッドは、借金を背負ってしまった自身を恥じて、貴族でいる資格はないから爵位を返上するとエリザに打ち明けた。エリザもそれに同意し、平民になって二人で借金を返していこうと決意した。
結果的には周囲の人達の助けがあって、貴族のままでいることになったが、デヴィッドは未だに借金を作ってしまった自分を許していない。
しかし、借金を背負うことになったのはデヴィッドだけのせいではなく、エリザのせいでもあった。
だから、エリザにはデヴィッドを慰めることも、第一秘書官になってもいいんだと、背中を押すことも出来なかった。
結局エリザはその日はデヴィッドに、王妃に命じられたことやルカとのことを話せないまま、一人王宮へと戻った。